第3話過去の怨霊

「なぁリゼ…この世界はな、平等じゃないんだ」

「どういうこと?」

「みんながみんな幸せじゃないってことさ。誰かの笑顔の裏には誰かの苦しみがある…みんなそれを知らないんだ…」

「ふ~ん…」

「ある一部の人たちが得をして、それ以外の人は損をする…苦しんで苦しんで、とてもつらい思いをしてるんだよ…」

「難しくてわかんないや」

「そうか…でもこれだけはわかってくれ…父さんが戦ってるのはみんなを等しく幸せにするためだって…この世界がもっと良くなるために、戦ってるんだ…」

 その言葉はいつかけられたものだったか、ただ覚えているのはこの話を聞いたのは俺が風邪をひいていたという記憶だけ。ベッドの脇に座るのは立派な体格をした父親で、その大きくて温かな手で寝込んだ俺の頭を撫でてくれていた。その温もりは今でも忘れることができずに胸の奥へとしまってある。俺の唯一の父親との温かな記憶だから。


「お兄ちゃん、いいよ」

「あぁ」

 ふと風邪をひいたときの記憶がよみがえる夕刻、ホテルの廊下は窓から指す光によりオレンジに染まる。きっとこのオレンジのせいで俺の心がノスタルジーを思い出したのかもな、なんて思いながら俺はトイの部屋へ入った。

「えへへ…ごめんね、リゼ君…」

 そこにはベッドの上で寝間着姿で力なくほほ笑むトイの姿があった。トイの風邪の申告の後看病するために俺たちはやってきたのだが、シャイナがトイの服を変えるというわけで俺は外に出されていたというわけである。

「いや、病人は甘えてればいいんだよ」

「うん、そうする…」

 トイが浮かべたほほえみもやはりと言っていいがいつもより輝いていない。その理由はただ風邪をひいているというだけではなさそうだが俺はあえてそれを口にしない。今は病気を治すことに専念してもらいたかったから。

「そうだ、トイ。風邪の原因ってわかるか?薬買ってくるよ」

「ありがと…えっと…たぶん、寝不足、かな…最近眠れてないんだよね」

「寝不足?」

「うん…あのね、私もうすぐリゼくんたちとお別れするんだって思ったらさ、なんだか眠れなくって…なんでかわかんないけど私ね、リゼ君たちともっといたいの…だからどうしたら別れなくて済むかなって考えてたら眠れなくって…」

「トイ…」

 ベッドで弱々しくつぶやいたトイに俺はぎゅっと胸が締め付けられた。隣で話を聞いていたシャイナもどこか申し訳なさそうに顔を歪めていた。

「シャイナ、薬買いに行くぞ」

「え!?お、お兄ちゃん待ってよ!」

 俺はそう理由をつけて逃げ出した。彼女の弱々しい懇願の瞳から、逃げ出した。ここで俺も同じ気持ちだと言えなかったのはきっと俺のプライドだけが問題じゃないのだろう。

 明確に俺の気持ちを邪魔するモノ、それは俺たちの旅の目的にあった。彼女には関わってほしくない。俺はひどくそう思っている。太陽のような笑顔を浮かべる彼女に、俺たちのような悪人になってほしくなかったから…


「ねぇお兄ちゃん…なんかお兄ちゃん最近変だよ」

「変、か…自分でもわかってるよ」

「絶対トイのせいだよね?トイが来てからお兄ちゃん様子が変わったもん…」

 俺たちはいったんホテルから出て話し合う。オレンジの夕焼けが黒を孕み始め俺たちの表情に闇を作る。

「お兄ちゃん、トイを連れていきたいっていうなら私それでもいいよ?」

「え…?いい、のか…?」

 案外シャイナは反対しそうだったのに思わず拍子抜けしてしまう。

「うん…トイのおかげでお兄ちゃん前よりも笑うようになったし、これはいい変化だと思うの…でも今まで通り絶対に正体がばれちゃダメ。私とお兄ちゃんの秘密、それを知られたらきっとトイを殺さなくちゃいけなくなるから…それを覚悟で連れていくっていうならさ、私はいいよ」

「俺は…」

 確かに俺はトイともっと一緒にいたいと思う。これからもずっと、永遠に一緒にいたいとさえ思える。けれどもしも俺たちの秘密がばれた時、それは永遠の別れを意味することとなる。きっとその時の俺はどれだけ親しみのあるトイでも殺してしまうだろう、目的のために。俺たちの一番の優先事項は目的の達成だ。過去に父さんがしたことを俺たちが引き継がなければいけない。無念半ばに死んだ父さんの代わりとして、俺たちが世界を平等にしなくてはいけないのだ。

 だがやはりそれ以上にトイへの思いも湧き上がってくるのは確かで、トイ自身もそれを感じているはずだ。なにせ風邪をひくくらいの寝不足を引き起こしてまでも俺たちのことを考えていてくれていたのだから。

「俺は、トイと一緒がいい…俺には、トイが必要なんだ…」

「ふふ…お兄ちゃんならやっぱりそう言ってくれると思ってた。けどちょっと嫉妬しちゃうかな…」

「何言ってるんだよ。シャイナが一番俺には必要な存在だって」

「ありがと、お兄ちゃん…けど連れていくには一つだけお願いがあるの…トイの正体を、暴いて」

 今までの優しさを孕む声とは逆に今度は鋭い声が俺の鼓膜を揺らした。シャイナの瞳は真剣そのもので俺は少したじろいでしまう。

「トイの正体…?」

「うん…あの子、何か変なの…違和を感じるっていうかさ、何かおかしいの…」

「どのあたりがだよ?」

「お兄ちゃんは気づかなかったの?トイのあの言葉だよ」

 俺はトイとの会話を振り返るがおかしなところなど一つもない。いや、すべての会話を思い出すことは無理だから俺が見落としてるだけかもしれないが、覚えている範囲では一つもなかった。

「トイが言ってたよね、右腕を口に入れられてるところを想像したって」

『いや…ちょっと想像しちゃってね…ほら、言ってたじゃない。刑部さんがさ、右腕を口の中に入れられて死んでたって…さすがにそれはグロイのが得意な私でもちょっと…』

「あぁ、確かに言ってたな」

「けどね、あの時どうして右腕って言ったのかな?あの刑事さんは腕としか言ってなかったのに」

『俺もこんな現場初めてだよ!腕を口の中に入れられて死んだ死体なんて初めてだ!』

「あぁ、確かに腕としか言ってなかったな…」

 俺の心の中にざわざわとしたなにかが湧き上がってくる。

「なんであの時はっきりと右腕って言ったのかな?それにどうしてトイは勇者殺人の現場状況を調べていたのかな?」

 俺の中に生まれたそのざわめきは次第に大きくなり拭いきれない何かになって俺の全てを支配した。

 トイが調べていたのは勇者の死の状況、だがアスモが広めたのはただ部位が跳ね飛ばされたという噂だけ、そこからゼノの右腕が跳ね飛ばされたと推理するのはほぼ不可能。ならばトイはなぜ知っていたのか、その理由は単純だ。

「トイ…なんで、お前が…」

「まだ確信はできないけど、けど高確率でトイは…」

 どうして、俺はそう世界に問いかける。だが返ってくる答えは一つだけ、世界が残酷にできているから。世界は皆が幸せになるようにできていないから。俺の中の世界はその瞬間暗転した。


「トイ、具合はどうだ?」

「あんまりかな…なんか体が重い感じ…」

「そうか。とりあえず薬買ってきたから。飲む前に何か腹に入れろ。何か食べたいものとかないか?」

「じゃあ、リンゴがいい」

「リンゴか。買ってきてあるぞ」

 俺は自身に生まれた疑念の感情を奥底に隠しトイと接する。今はこうしてトイの気を緩めることが先決だ、シャイナがそう判断したから。俺は買ってきたリンゴの皮を丁寧に剥いていく。甘い果実の匂いがふんわりと部屋の中へと広がっていく。

「リゼ君なんかお母さんみたい…」

「俺が、お母さんか…はは」

「あのね、私昔目が見えなかったって言ったよね?それでずっとベッドで過ごしてたの、危ないからってね。そのときね、お母さんがリンゴ剥いてくれたんだ、今のリゼ君みたいに私の横に寄り添ってくれて…」

「そうか…」

 母親の話を聞くが俺にはどうもピンとこない。母親の優しさを、俺は知らないから。いや、覚えてないと言った方がいいか。母親は幼い俺を残して死んでしまったから。

「お母さんはとっても優しかったの…目が見えない私のことをちゃんと世話してくれて…大変だったと思うけどそれでも文句ひとつなく私のことを助けてくれて…ほんとに、優しかったの…けど、私、ありがとうって言いそびれちゃった」

「それって…」

「うん…お母さんね、死んじゃったの。魔物に、殺されたんだよ」

 俺はそれに何も答えることができない。少し震える手を携えて気を付けて皮を剥くことしか俺にはできなかった。

「私は、結局お母さんの姿を見ることができなかったの…生まれつき盲目だったからね…だからお母さんが死んだところも、見てない…」

「トイ…」

「だからね、私は復讐しようと思った。お母さんを殺した魔物だけじゃなくって、世界中の魔物に復讐しようって…そんなときね、世界に魔王が現れたの」

 魔王、その単語に俺の鼓動はドクンとはねた。

「魔王は魔物を使役してたくさんの人を不幸にした…きっと私みたいにお母さんを殺された子供たちも大勢いたと思う…だから今度は魔王を倒そうって思ったの。魔王を倒せば各地で暴れてた魔物も収まるかなって…そんな時、私の目の前に悪魔が現れた…その悪魔は私にこう言ったの。取引をしようって」

 俺の心臓は嫌に早く脈打っていた。この先の話を聞きたくない自分とどうしても聞かなければいけない自分がせめぎあっている。今こうして俺が内心で苦悩している間にもトイの話は続いた、どうしようもない絶望へ向かって。

「どうやら悪魔の中にも魔王に反対するのがいてね、私に魔法の力を与えてくれた。けど、その取引で私が払う代償は、瞳だった。私の見えない瞳じゃなくて、ほかの誰かの瞳…そして悪魔はこうも言った、瞳をもらえれば私の眼も見えるようにしてやるって…その言葉に私は踊らされていた…そのせいで私は、あの子の眼を抉った…」

 トイは自身の瞳を指してこういう。

「私のこの眼はあの子のもの…私があの子の輝きを奪って得たもの…今私がこうしてリゼ君を見てるのも、花を見て綺麗だって思うのも、全部全部あの子を犠牲にしたから…言っても信じてもらえるかわからないけど、魔王の子供の瞳を犠牲にしたせい…」

 その時、俺は確信した。それと同時に絶望した。やはり、トイが…

「今起こってる勇者の連続殺人も、きっとあの子の仕業…罪のないあの子を傷つけた私たち勇者への、報復だったのよ…だから私ももうすぐ殺されるんだ…眼を、抉られて…」

 その言葉は、俺の確信を事実として俺にたたきつけてきた。あの優しかったトイが、母のように温かな温もりを与えてくれたトイが、俺の復讐の相手だったのだ。

 俺の父さんを殺し、俺の瞳を抉った最後の勇者、マジックボックスは、トイのことだったのだ。

「―!」

 俺の心はその瞬間壊れた。声にならぬ叫び声をあげ俺はトイ、いや、復讐すべき相手の体にのしかかった。相手が病人だろうと知ったことではない、俺の、いや、俺たち兄妹の復讐すべき相手にもう慈悲すら必要はなかった。

「リゼ…君…かはっ…!」

「黙れ…」

 トイの華奢な首筋、白くてほっそりとしていて簡単に折れてしまいそうなそこを俺は力強く両手で握りしめた。ギリギリと、手の甲に血管が浮き上がるほどの力を込めて、俺は復讐の相手の首を締めあげる。

「何…する…の…やめ…て…よ…り…ぜ…君…」

「はぁはぁ…」

 トイは愛らしい青い瞳を苦しみの色に染めて俺を見た。だが、それだけだった。彼女は口ではやめてと言ってはいるが、抵抗はしなかった。彼女の魔法ならば簡単に俺を返り討ちにできるはずだ。

「くそ…くそ…!」

 俺は怒りに身を任せてただただ強く彼女の首を握りしめた。次第に彼女の顔が青く染まっていく。口は酸素を求めてパクパクと宙を食み、瞳は濁り始めどこか空を捉え始めた。だらしなく口の端から唾液が漏れ落ち死の直面へと陥る彼女だが、やはり抵抗はしなかった。

「り…ぜ…く…ん…」

「お兄ちゃん!」

 その瞬間俺は力強い何かに思いきりぶつかられ復讐者の身体から引きはがされた。何事かと思い見てみるとそこにはシャイナがいた。くしゃくしゃに顔を歪めて瞳いっぱいに涙を浮かべたシャイナが、そこにいた。

「どうして、止めたんだよ…シャイナ…こいつは、俺たちの復讐の相手だぞ…なのに…」

「もうこれ以上見てられなかったの…お兄ちゃんとってもつらそうで…苦しそうで、もしトイを殺しちゃったらお兄ちゃんがお兄ちゃんじゃなくなる気がして…私にはもうお兄ちゃんしかいないの…だから、もう私を一人にしないでよ…」

「シャイナ…」

「確かに私はトイの正体を見破ってほしいとは言ったよ…けど、殺しちゃうことはないんじゃないかな…?…そ、それよりトイだよ!大丈夫トイ!?」

「はぁはぁ…!けほけほっ…はぁはぁ…う、うん…大丈夫…だよ…シャイナ、ちゃん…」

 トイは苦しそうに必死に酸素を身体の隅々へと送っている。彼女の首筋には俺の手の跡がくっきりと染みつき俺自身の首を絞めつけた。

「ごめん、トイ…」

 俺は見ていられなくなって、その場から背を向けた。このままどこかに逃げてしまおう、そう思った。だから一歩、歩を進めた、けれどそんな俺の背にトイの声がかかった、待ってという優しい声が。

「待ってよ、リゼ君…なんで、逃げるの?私、怒ってないよ?確かにちょっとびっくりはしたけど、でも怒ってないよ…だって、リゼ君は当然の事をしたんだもん。リゼ君の瞳を奪った私が憎くて憎くてたまらないから私を殺そうとしたんだよね…そうでしょ、魔王の息子、リゼ君…」

 彼女の優しい言葉が心に刺さり痛みに変わる。痛みはどんどんと心を侵食し優しさで殺されてしまいそうだ。だから俺は叫ぶ、その優しさを跳ね返すように。

「あぁそうだよ!俺は魔王の息子さ!あの時勇者にさんざんおもちゃのようにもてあそばれたのが俺だよ!右腕を奪ったのも、足を壊したのも、俺の瞳を奪ったのも、全部全部お前ら勇者だ!だから俺は復讐した!俺の苦しみを味わって死んでもらおうってな!」

 俺はなお叫ぶ。叫ばないとどうにかなってしまいそうだったから。

「俺は復讐し、そして父さんの意思を継ぐんだ!殺された父さんの意思を!」

「リゼ、君…いいよ…私を、殺してよ…私、リゼ君になら殺されてもいいから」

「もうやめてよ二人とも!」

 俺とトイの間に割り言ったのはシャイナだった。彼女の小さな体から放たれた声は俺たちの鼓膜をびりびりと震わせる。

「お兄ちゃん…これ以上はもういいよ…これ以上、悪ぶらなくていいから…もう、優しさを受け入れてもいいんだよ…トイも、簡単に殺されていいなんて言わないで…トイが死んだら悲しむ人がいるんだから…トイが死んだら、私もお兄ちゃんも苦しくなるの…確かにトイは復讐の相手だけど、それ以前にもう大事な友達じゃない…」

「友達、か…えへへ…ありがと、シャイナちゃん…でもこれは私の問題だよ。たとえ殺されなくても何か罰を与えてくれなくちゃ私は気が済まないの」

「そんなのいらないよ…罰を受けるならむしろ私のほう…全部全部私のせいなんだから…お兄ちゃんがこうなっちゃったのも、私のせい…」

「違う!シャイナのせいじゃないよ!これは俺がしたくてしたことだ!」

「ううん…違うよ…お兄ちゃんは、私のこの眼のせいで、復讐なんてものに走ったんだから…私知ってるよ…お兄ちゃんはほんとは優しいって…」

「ねぇシャイナちゃん…教えて…いったいキミたちの間になにがあったの?」

「それはね…」

 そしてシャイナは語りだす。誰にも話したことがなかった俺たちの凄惨な過去を。


 私のお父さんは魔王だった。いや、魔王と呼ばれた、人間だった。あいにく私はお母さんのことは知らない。私を生んですぐに死んじゃったみたいだからだ。

 お父さんは世界を良くしようとしていた。それが世界征服という方法だったとしても、だ。お父さんは魔物を操ることができるという特異能力を持つ人たちが住む部族の人と結託して王都に攻撃を開始した。その部族の人たちは能力のせいで王都の人たちによって見捨てられていたから十分に力を貸してくれた。

 トイは知らないかもしれないけどね、この世界には王都の人間に搾取されるしかない人間がいるんだよ。私もお兄ちゃんも旅の間でそんな人たちをいっぱい見た。自分たちの食事すらままならないのに王都の人間に献上する作物を作っていたり、病気やケガをしてまで工事をさせられたり、子供が危険な炭鉱で働かされていたり…。私たちはそんな人間を多く見た、もちろんお父さんも。お父さんはそんな人たちを私たち以上にたくさん見てきたのだ。だからお父さんはそんな人たちを救うべく立ち上がったのだ。

 方法はどうあれお父さんはあと一歩のところまで来ていた。あとは王都を落とすだけ、そんな中勇者がお父さんを殺した。勇者は世界の姿を疑っていなかった。世界が誰かの犠牲で成り立っていることすらも知らない勇者たちは、ただ王様に与えられた命令のまま、お父さんを殺して世界を平和にしたと思い込んでいた。

 けど、勇者がしたことはそれだけではなかった。災いの種を摘むべく、何の罪もないお兄ちゃんを傷つけたのだ。

「シャイナ…お前はここに隠れてろ…兄ちゃんが絶対にお前のことを守ってやるからな…」

「でもそれじゃあお兄ちゃんが…!」

「大丈夫…何とかなる…あの人たちだって殺したりはしないと思う…だから…」

「待ってよお兄ちゃん!いかないで!ねぇ待ってよ!」

 お兄ちゃんは私を大きなクローゼットの中に閉じ込めて自分一人だけが犠牲となる道を選んだ。私は大きな暗闇の箱の中でただお兄ちゃんの無事を祈るしかなかった。お兄ちゃんのことだけを考え、お兄ちゃんが死んじゃわないかと不安になり、涙した。当時の私にはお兄ちゃんしかいなかったのだ。

 お兄ちゃんは世界征服で忙しいお父さんに代わって私のことを世話してくれた。私と一緒に遊んでくれた、寂しい時は一緒に眠ってくれた、つらい時は涙を流してくれた、悲しくなったら温めてくれた。私はずっとお兄ちゃんと一緒で、お兄ちゃんが大好きで、ずっと永遠に二人で一つの存在だと思っていた。だから、私はあの行動をとった、それがお兄ちゃんをどれだけ傷つけ、狂気の道へ落とすかも知らないで。

「お兄ちゃん!」

「はは…シャイナ…大丈夫…だった…か…?」

「お兄ちゃん!」

 どうやって私はクローゼットから出られたのかは覚えていない。気がつけば私の腕の中には血まみれのお兄ちゃんがいた。右腕が無くなって足はぼろぼろに砕かれて、さらに片方の瞳まで無くなって、そんな姿でもお兄ちゃんは私を見て力なく笑っていた。私が無事なことを認めて、ほっと安堵の息をついていた。けれど私はそんな無傷な自分が許せなかった。もしも私がいれば、お兄ちゃんとこの痛みを共有できていれば、お兄ちゃんは苦しまずに済んだんじゃないか?私の中に生まれたそんな考えは次第に膨らみ、悲劇を生んだ。

「お兄ちゃん…私も、お兄ちゃんの痛みを引き受けるよ…」

 そこに転がっていたのは血に濡れて赤く怪しくきらめくナイフ。お兄ちゃんの血で真っ赤に染まったそれが窓から漏れる月明かりに照らされてギラリと輝いた。その狂気的な光に私は手を伸ばして、そして…

「シャイナ!なにして…」

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 暗闇に響く絶叫、叫び、喘ぎ、荒い呼吸、血が噴き出した、赤い、黒い、温かい、冷たい、憎い、痛い、痛い、痛い―

「シャイナ!」

「あぁぁぁぁぁ!んぐぅぅぅぅぅ!」

 幼い私は、お兄ちゃんと同じ痛みを味わうために、自身の眼を抉り取った。お兄ちゃんの失った瞳とは逆の瞳を思いきりナイフで突き刺して、抉ったのだ。

 噴き出す血が私の腕を、お兄ちゃんの血で濡れたナイフをさらに赤く赤く、どうしようもなく赤黒く汚していく。吹き出す血が生暖かくて気持ち悪い。けれどそんなことよりも痛みが私の全てを支配した。

 痛みによる絶叫、耳を劈く自身の声、痛み、痛み、痛み―

 けれどお兄ちゃんが感じた痛みはもっとひどいものだ。こんなものでお兄ちゃんの全てを理解するつもりはない。けれどもしもお兄ちゃんの痛みの一部だけでも理解できたなら、私はそれでもよかった。

「お兄…ちゃ…ん…」

 気がつけば私の意識は闇へ落ちており、もう一度目を開けた時にはどこか知らないところのベッドで眠っていた。どうやらお父さんの旧友だった悪魔、アスモが助けてくれたというのがお兄ちゃんの話だが痛みと空虚な絶望に染まった私の耳にはほとんど届かなかった。この言葉以外は。

「俺は、あいつらに復讐する…シャイナに、俺の大事な妹にこんなことをさせた罰を下さなくちゃ…」

 私はその時初めて自分がとんでもないことをしてしまったと理解した。けれどお兄ちゃんに生まれた復讐の炎は消えることはなかった。そしてそれは私の心に生まれたお兄ちゃんを傷つけた奴らに断罪を、という考えとも相まって加速していくこととなった。

 お兄ちゃんはその日から修羅の道へ、狂気の修羅へと落ちていったのだ、私のせいで…


「これが私とお兄ちゃんの全部だよ…全部全部、私が悪いのよ…私がお兄ちゃんを好きだったから…」

「違うよ…やっぱり悪いのは私たち…ううん、私だよ…私はリゼ君を傷つけるのは反対だった。ほかの勇者を止めればよかったのに、それができなかった…だから悪いのは私…」

 シャイナの話が終わり、俺はただ黙るしかできなかった。この復讐はすべてシャイナのため、俺はシャイナという免罪符を掲げて気に入らない勇者を殺して回っていたわけだ。

「そう、悪いのは私だよ…シャイナちゃんは私が知らないって言ってたけど、私、知ってたんだよ…世界の裏側の事。誰かが犠牲になってそのうえで生かされてるってこと。それは勇者としての役目が終わって旅に出た時に知ったことだけど…そうね、今度は私の番…私が、昔の話をする番」

 今度はシャイナが過去を語り始めた。俺たちの復讐の標的に祭り上げられた彼女の過去が、俺の鼓膜を震わせる。


 さかのぼるのは私が勇者に選ばれたころ。私が勇者に選ばれたのはさっきも言った通り悪魔のおかげなんだけどそれはそれとして、私は勇者として魔物を倒していった。そのたびにいろんな人たちからお礼を受けた。ありがとう、とその言葉が私の暗闇に光を灯した。いつの間にか私の復讐という目的は薄まり魔物で困っている人たちを助けよう、とそんな目的に変わっていた。

 私は人々の幸せのため、魔物を倒せばみんなが笑顔になると信じてただひたすらに魔物の軍勢と戦って、そして勝った。魔王を倒してこれにて一件落着、私はそう思っていたのだが、現実はそう簡単には終わらなかった。

「魔王の子供が残っている。もしそいつが魔物の軍勢を引き連れるほどの力を付けたらまた危険が訪れる」

「あぁ、そうだな。その前に俺たちで不安の芽を摘み取っておかなくちゃな」

「え…?何、しようとしてるの、みんな…?」

「うるせぇ!ガキは黙ってろ!」

 勇者の中でも一際幼く、そして女だった私は力もなく発言権も皆無に等しかった。その時の私にもっと力があれば、もしもほかの勇者たちを自身の魔法で黙れせる勇気があれば、後悔したって遅いのだ。それに私に後悔する資格なんてないのだ。私だって、ほかの勇者と同じで、あの子を傷つけてしまったのだから。

「おい、何してるんだ?早く瞳を抉り取れよ…そうすればお前の眼は見えるようになるんだぜ?」

 眼が見えるようになる方法、それを他の勇者たちは知っていた。だから私にあの子の眼を抉れと言ってきた、今まであの子になにも手を加えていない私を苦しめるように、そう言ってきた。

「やめて…」

 少年の懇願の声が、私を貫いた。大人たちにひれ伏されても続く助けを求める声を、私は拒絶した。それは私が壊れてしまいそうだったから、私の内側から壊してしまいそうなその声をもう聞きたくなかったから、私は刃を振り下ろした。力いっぱい刃を、振り下ろしてしまったのだ。

「あぁぁぁぁぁぁぁ!」

 絶叫が私の耳を劈いた。血が私の腕をべたべたと汚す。その命の液体の温かさとは裏腹に背筋は冷たくなってくる。震える手、転がり落ちるナイフ、そして、黒に光が差し込み、世界に色が広がっていく。

「ひっ…!」

 私はその瞬間、恐怖の声をあげた。私が初めて見た赤い色に、恐怖してしまった。少年の傷ついた瞳から漏れる赤い血液が、私の腕を汚したその血液が、狂おしいほどに私の心をずたずたにした。そして私を見つめる少年の絶望的な瞳が、私の全てを壊した。

「あぁぁぁぁぁ!」

 私も絶叫して、そして意識が途絶える。意識が無意識に現実を見ることを拒んだのだ。これが夢ならば、少し長い悪夢だとしたら、どれだけよかっただろうか。けれど現実は残酷で、眼を開いた私には色のある悪意渦巻く現実が姿を現していた。

「ありがとう。キミたちのおかげで魔王は死に平和が訪れた。感謝の気持ちを込めてキミたちには土地を与えよう。街一つ分キミたちの好きにしていいぞ」

「やった!」

 王様は私たちに土地を与えると言った。その言葉にほかの勇者たちは散々にはしゃいでいた。なにせ土地を与えられるということはその街を好きにしてもいいということ、賞金を与えられるよりずっとお得で大盤振る舞いな報酬に歓喜しないものはいないだろう。ただ私は喜べなかった。それは私が幼かったからという理由だけではない。私にはもらう資格がなかったから。

 私は魔王の子供だというだけで罪のないあの子を傷つけてしまった。それは勇者のすることなのだろうか?勇者とは平和を愛し人々を助けることにあるのではないのか?ならば勇者として私たちはあの子が今後降りかかるであろう危険から救ってあげるのが正しかったのではないのか?

 そんなことを言えばほかの勇者も同罪だがこいつらのことはもう知らない。ただ目先の欲のために無垢な少年を傷つけた罪を免罪符で許すような彼らと私は違うのだ。だから私は拒んだ、そして求めた、旅に出るための必需品を。

 テントやらの必需品を軽装でまとめて私は旅へ出た、自身の身分を隠してただひたすらに行き場を求めた。いや、私は探していたのかもしれない、あの時の少年のことを。魔王討伐の翌日魔王の根城に軍隊が攻め入ったがあの少年を見つけることはできなかったという。私はあの子を探して一言謝りたかったんだと思う。そして無力だった自分を断罪してほしかったんだと思う。その一心で私は旅へ出た。

 だが私はそんな旅の中、見えるようになってしまった瞳を呪った。私の瞳は綺麗なものだけでなく、汚いものもすべて受信してしまっていた。もしも汚いものだけ見えないようにするフィルターがあれば、何度そう思っただろうか。けれど見てしまったものはもう拭うことはできなかった。

 私が見た物、それは汗水たらして王都に献上する食物を育てる人たち。自身の食事もままならないのだろう細身の体に汗の粒をいっぱいにしたたらせて働く姿に、私は絶望した。私が仕えていた王様はこんな非道なことを強いていたのか、と。そして、私はそんな王様のために命を懸けて戦っていたのか、と。

 そして私はもう一つ見てしまった。王都の人間の汚い部分を。それは、迫害だ。出身地だけで王都の人間は彼らに重い税を与えた。それももちろん王都の政策だ。皆同じ税を支払っていてはいつかは不満分子が現れ全員が蜂起してしまいかねない。ならば一部の人間だけを重税に課しその人間と比べさせれば、というものだった。一部の人間は重い税に苦しみ反発することさえ許されずただ貶されていく、それを見たほかの人間は思うのだ、あれに比べたら自分たちはまだましだ、と。この差別的な政策は電気文明全盛のころにほとんどなくなったらしいが、またその悪の循環が繰り返されてしまった。人間は利益のために過ちを繰り返す、私はそんな人間の姿に絶望した。

 だけど私は、絶望するしかできなかった。私にはどうすることもできない。そう諦めてしまっていた。結局私はあの子を助けられなかった自分から成長できていなかったのだ。

 そこから数年後、勇者殺人の噂が広まった。一件だけならまだしも連続で勇者が殺された。私は不審に思ってそのことを調べたら案の定だ、殺された勇者の体の一部が跳ね飛ばされているという。それはあの日傷つけたあの子の復讐だ、私は簡単にそう思えた。だから私は待った、死ぬのは怖かったけれど、あの子がいつか私の目の前に現れるのを待っていた。けどやっぱり怖いという感情が上回っていたのだろう、私は名乗り出ることもせずに匿名のまま旅を続けていたのだから。


「で、結局私は何もできずにここまで生きてきたってわけ…ね、罪人でしょ?だから、私は殺されて当然…見てみぬふりをした私は立派な罪人だもん…だから、リゼ君…殺して…」

「お兄ちゃん…これ以上はやめて…もう、壊れちゃうよ…」

「俺は…」

 俺はぎゅっとこぶしを握り締める。二人の言い分はもっともだ。俺はシャイナの瞳のために勇者を殺した、そこに俺の復讐心もあったが、それでも一番はシャイナが理由だろう。トイも彼女自身で苦しんでいた。どうしていいか迷った挙句の選択肢だろう。そこに俺の介入する意思はあるのだろうか。俺の本心は、いったいどうしたいのだろうか…

「リゼ君…いいから、早く殺してよ…私ね、リゼ君に殺されるなら、幸せなんだよ…?」

「幸せ…?俺に殺されるのが…?何言ってるんだよ…意味わかんねぇよ」

「あのね…私、リゼ君のこと、男の子として好きになっちゃったからさ…大好きな男の子に殺されるなら、私はそれで幸せ…リゼ君は私のことなんてなんとも思っていないだろうけど、それでも私は幸せなの…」

「トイが、俺のことを…好き…?」

「うん…初めて会った時はどこかほっとけないなって思っただけだった。けどだんだんキミのことが可愛く見えてきたの…人の温もりを求めてるのに必死にそれを拒んでるとことか、何とかしてあげなくちゃって思うようになって…それにさ、リゼ君とっても優しいもん…悪い子みたいに装ってるけど全然なりきれてなくて、逆にそれがいいっていうか…私、気がついたら好きになってたの」

 好き、か。俺の中で好きという言葉が心の奥底にすっぽりとはまった。ずっと俺の中で蟠っていた何かが好きという言葉で絆されていくのが分かる。言葉を与えられたその感情はやがて俺の口から漏れだした、もちろん無意識にだ。

「俺もトイが好きだ…」

「え!?お、お兄ちゃん!?」

「優しくされたからっていうのもあるけど、そんなんじゃ説明できないほどに俺はトイのことが好きになってたんだと思う…気づいたらもう、抑えきれなかった…」

「えへへ…両想い、か…ありがと…最後に幸せにしてくれて…リゼ君に好きになってもらえて…嬉しい…」

 トイの頬に落ちる涙。きらりと光るそれに俺の涙ぐんだ顔が映る。俺はどうしたいのだろうか、もちろん答えは決まっていた。俺はトイを…

「俺は、お前を幸せにする。今よりもっと幸せにする。汚いものなんて見なくていい世界に、お前を連れて行ってやる。だから、俺と一緒に来い」

「そ、それって…」

「勘違いするなよ…別に許したわけじゃない…けどさ、それ以上に好きって気持ちが大きかったっていうかなんというか…あぁもう恥ずかしい!」

 気がつけば俺は告白していて、顔が真っ赤になるほど恥ずかしくなっていて、心が幸せで満ちていた。こんな幸せを味わったのはきっと生まれて初めてだろう。お互い照れくさくなって涙なんて引っ込んでしまって、後に残るのはどうしようもない気恥ずかしさだけだった。

「ちょっと待ってよお兄ちゃん!私は許さないよ!お兄ちゃんは私のものなんだから!なに横取りしようとしてるのよ!」

「ごめんねシャイナちゃん…でも、やっぱり私はこれだけは譲れないなって思うし…それにほら、私もしかしたらシャイナちゃんのお姉ちゃんになるわけじゃない?なら今から仲良くするしかないかなって…」

「何勝手にお兄ちゃんと結婚しようとしてるのよ!お兄ちゃんと結婚するのは私なの!誰にも譲らないの!」

「あのな、シャイナ…言いにくいんだけど兄妹で結婚はできないんだぞ?」

「そんなの知ってるもん!でも私とお兄ちゃんは特別!愛があれば何でもできるんだから!」

 そんなこんなで結局この場はグダグダに終わってしまった。気がつけば俺の中に芽生えた復讐心も恋心という奇妙な魔法にかけられて消え去ってしまっていた。ただそれでもやはり許すことはできないが、それもいつか許せるように二人で歩んでいけばいいのだろう。オレンジの空が黒に染まるころ、俺の世界は七色の光を取り戻していた。


「あれ…?でもゼノを殺したのは女の人だって言ってたよね?たぶんそれって昨日私が見た女の人だと思うんだけど…どういうこと?ゼノはリゼ君が殺したんじゃないの?」

「あ、あぁ…そのことな…幻滅しないって、約束してくれるか?」

「え…?う、うん…」

 歯切れの悪い返事を返すトイに不安を覚えたが俺は思い切って自身の秘密を暴露する。鞄に隠し持ったあれで俺は身を固めた。簡単に相手の隙をつくるための変装アイテム、たぶん普通の人間ならドン引きされるであろうそれに俺はあえて身を包んだ。好きになったトイには俺の全てを知ってもらいたかったから。

「これで、どうだ…?」

「なんていうか…すごい、綺麗…ほんとにどこからどう見ても女の子だよ、リゼ君!」

「そりゃどうも…」

 俺の秘密、それは女装だ。女の格好をしていれば男の勇者に付け入る隙が生まれる、まぁハニートラップというやつだ。シャイナには危険な目に遭ってほしくないので俺がかってでたのだが、こうも自分自身でも女装が似合うとは思っていなかったわけで、変装としては100点満点だ。

 黒髪のかつらとウィッグ、ドレスのような服装、さらに化粧まで完全に施したどこからどう見ても女な俺を見てトイは目を輝かせている。そんな目で見られるのはどこか複雑だ。

「なるほどね。眼帯はその長い髪で隠してるんだ。化粧で肌を白くして女の人っぽく見せて…男らしい体格もちょっとぶかぶかの服を着る事で隠してるなんて…すごいよ!こんなに女の人になりきれるなんて…リゼ君はおしゃれさんなんだね。私にもまたおしゃれ教えてよ!」

「あ、あぁ…」

 あまりにも拍子抜け、本当なら気持ち悪いと言われてもおかしくないのだが、キラキラとしたトイの瞳には間抜け顔の俺が映っていた。

「あのさ、リゼ君…」

 と、ふとトイが声音を低くして言った。彼女の纏う真剣な雰囲気に気圧されて俺もゴクリと息をのむ。

「リゼ君は…自首とか、しないの…?たとえ復讐という理由があったとしても、人殺しはいけないことだよ…魔王を殺した私が言える立場でもないんだけどさ…それでもやっぱり、人殺しはダメなことだよ…」

 確かにトイの言う通り、俺は人殺しだ。復讐が免罪符になるような甘い世界が現実ではないことくらいわかっている。俺は人を4人殺した、犯罪者だ。けれど俺は、俺たちにはまだ捕まることができない理由がある。目的が、あるのだ。

「いや、俺はまだ自首はしない。ここで捕まるわけにはいかないんだよ…俺は父さんの遺志を継ぐんだから…ただ父さんみたいなやり方じゃなくて、俺のやり方で世界を変えるんだ…そのために俺は、王様を殺す」

「それもお父さんと同じ道じゃないの…?」

「いや、俺は罪のない人間を傷つけたりはしない…戦争で勝って世界を変えたとしても、きっと世界はまた不満に満ちて腐ってしまう…だから俺は、世界の悪い部分だけを切り取るんだ…そのために、世界で一番腐っている人間を、取り除くんだ…だから俺はまだ捕まるわけにはいかないんだよ…すべて終わったら自首もするしどんな罰も受け入れる…」

「リゼ君…」

 張りつめていた緊張した空気が、トイのついた穏やかな息で崩れた。

「はぁ…やっぱりリゼ君ならそう言うと思ってた。うん、わかったよ。私もその罪、一緒に背負う。私もリゼ君と一緒に悪者になって、悪い人を倒す。今度は間違えないよ…ちゃんと悪を見極めて、私は私自身の意思で、それを潰す…」

「トイ…ほんとに、良いのか…?」

「うん。言ったでしょ?私も世界に不満があるって。それにリゼ君は言ったよね?私を幸せな世界に連れて言ってくれるって。だからリゼ君が通る道にちゃんと私を連れて行って。私もリゼ君と同じ道を通って、同じ苦しみを背負うから…」

「トイ…ありがとう…」

 トイの言葉に、俺はまたしても救われてしまった。背負うだけの自分自身が崩壊して、分け合う自分が生まれた。俺は痛みを分け合うのだ、最愛の少女と一緒に。

 俺はトイの身体を抱きしめようとして近づいた。その瞬間だった、彼女の身体がぐらりと傾き、バタリ、地に伏せた。

「トイ…!」

 荒い息をつく彼女、頬は真っ赤に染まり額からは大量の汗がにじみだしている。

「お兄ちゃん!早くベッドに寝かせて!私お医者さん呼んでくるから!」

「あ、あぁ…!」

 そういえばトイは風邪をひいていたな、なんて今更に思い出す。俺たちの慌てぶりとは裏腹に医者がくだした申告はただの過労だという。薬を飲ませ数日すればトイの容体は元に戻った。熱に浮かされたあの日の記憶はトイの中には微妙にしか残っていないと言っていたが、俺への気持ちだけはしっかりと胸の奥に刻み付けられていたようだ。


「お兄ちゃん…私が言うのもなんだけど、ほんとにあれでよかったの?トイまで巻き込んじゃってさ…」

 その夜、同じベッドで眠るシャイナがそんなことを言ってきた。月明りに照らされたその顔は少し不安げに歪んでいた。だから俺はそれを慰めるために優しく言う。

「大丈夫だよ。あいつにも世界を変えたいっていう意思があった。それは俺たちと同じ意思だ。同じ者同士さ、互いに頑張ればいいんだよ」

「でもさ…トイは復讐の相手だよ?ほんとに、いいの?」

「何度も言わせるなよ…俺はもう、いいんだ…あいつも、仕方なかったんだよ…」

 仕方ない、それでシャイナの瞳の傷も俺の傷も治るはずもない。けれど普段から痛みがうずいていたそこが、少し癒されたそんな気がしたのは俺の気のせいではないだろう。俺はシャイナの瞳を、トイがしてくれたように優しく撫でた。シャイナはくすぐったそうに赤い瞳を細める。

「本当に悪いのは王様だよ…俺たちはそいつを倒さなくちゃならない…そうだろ?」

「うん…」

 けれどやはりシャイナはどこか不満気だ。

「もしかして…嫉妬か?俺がトイにとられたって思ってるんだろ?」

 ニヤニヤとした笑みを浮かべてからかう感じに言ってあげた言葉も彼女の真剣そうなまなざしのせいで霧散して消えていく。

「うん…私きっと、嫉妬してる…お兄ちゃんがトイのこと好きって言って、胸の奥が痛くなった…それと同時にトイのこと、すっごく殺したくなった…」

「殺したくなったって…物騒だな、おい」

 俺はまたからかうように言ったがシャイナの表情は晴れない。なおも曇り言葉が彼女自身を締め付けるように口から飛び出していく。

「ほんとだよ…私は本気で、トイの事を殺したくなった…たとえお兄ちゃんに幻滅されてもいい…お兄ちゃんの気持ちが私に向いてくれないならいっそ、私はそう思っちゃった…あのね、お兄ちゃん…私がお兄ちゃんを好きな気持ちは本物だよ?本気でお兄ちゃんのことが、男の人として好きなの」

「シャイナ…」

 俺とずっと一緒にいるシャイナが、俺のことを好きだった。それは初めて知ったわけではない、薄々感づいていたことだ。けれどそれが兄としての好きだと俺は思い込んでいた、いや、そう思おうとしていた。俺はシャイナの心から目をそらし続けていたのだ。

「優しくて強くて、私のことを一番に思ってくれてるお兄ちゃんがずっと好きだった…お兄ちゃんの隣にはこの先もずっと私しかいないって思ってたのに…なのに…トイが勝手に、横からとっていっちゃって…こんな事になるならもっと早くにこの気持ちを伝えてたらよかった…お兄ちゃんが他の女の子に目移りする前に、私が好きってちゃんと言えばよかった…」

 シャイナの瞳から涙が零れ落ちた。夜の光に照らされた温かな液体の中にはキラリ、星屑が映りこむ。

「私…お兄ちゃんがどうしようもなく好きなの…本気の本気で、愛してるの…今言うのは卑怯だと思う…けど、言わなくちゃ気が済まないの…お兄ちゃん、大好きです…」

「シャイナ…ごめん、俺やっぱり…」

「ダメ…言わないで…改めて言われると私もう、壊れちゃいそう…ごめんね、お兄ちゃん…ほんとに自分勝手で…けど今だけでもいい…私のわがままに、合わせて…じゃないとほんとに私、どうにかなっちゃいそうなの…」

 シャイナの消え入りそうな声が俺の心を抉る。見ないふりをした代償が今、俺の心に重荷となって突き刺さる。シャイナの涙が、俺の涙を誘う。瞳から熱いものが零れ落ち消え入りそうな心がぐちゃぐちゃになっていく。

「お兄ちゃん…好き…」

 俺の胸の中にシャイナは飛び込んできた。そしてぐすり、涙をこぼす。胸の中で幼い大人の涙を流す妹の姿に俺はただそれを抱きしめるしかできない。いや、この行為だってきっとシャイナのことを傷つけているのだろう。中途半端な優しさで包み込まれシャイナはきっと苦しんでいるのだろう、俺を好きな心と決別できないと。俺はきっとここで彼女を突き飛ばして気持ち悪い、とか、迷惑だ、とか言わなくてはいけないのだろう、シャイナのために。けれど俺はそんなことを言えるほどに非道にはなれなかった。愛しい妹にそんな言葉を吐き捨てられるわけもなく、俺は兄としては完全に失格だった。

「シャイナ…俺がお前のことを離さない…お前のその気持ちを受け入れる…受け入れたうえで俺は、トイのことを思い続ける…でもずっとシャイナの前にいるから…シャイナのこと、絶対に離さないし、シャイナの兄ちゃんとしてずっとお前を守り続ける…」

「お兄ちゃん…」

「シャイナ…俺も、好きだ…妹としてだけど、お前のことが大好きだ…」

「それでも…嬉しいよ、お兄ちゃん…」

 暗い部屋、俺たちを覗くのは月のみ。ただぼんやりとした光だけが俺たちの傷ついた心を照らし出す。裂けそうな俺の胸も、どうしようもなく諦めきれない気持ちに苦しむ少女の心も、兄妹という抗えない血の繋がりも、すべてすべて優しく光が飲み込んでいく。今この瞬間だけは、ただ互いの涙だけが傷を癒す。

 今宵、俺とシャイナの兄妹の関係は崩れ、明日の朝には元の兄妹の関係に戻っていた。俺たちはどうしようもない世界に生きる、どうしようもない気持ちを抱え持ち、どうしようもない理不尽に迫られる兄妹だった。


 凄惨な復讐劇と禁断の告白が入り混じった甘美で淫猥な夜から5日が過ぎたころ、夜の街を駆ける3つの影があった。

 赤い二つの瞳と青い二つの瞳、けれど人影は3つという奇妙な集団は完全に闇に紛れるようにただ走った。深夜ということで街には人の姿は一人もない。ただ例の殺人事件があったことから警備の目があったがそれも完全に緩まっていた。さすがに5日も緊張を張り巡らせていれば疲れるもので、それに深夜だ、こんな夜更けに街の外に出る人間なんていないもので完全にだらけムードだ。そんな警備の人間をあざ笑うかのようにして影は駆ける、街の外を目指して、いや、この世界の最悪の根源を目指して。

「誰だ!とまれ!この先へ行くことは禁止されている!」

「ちっ…さすがに扉の前は警備が厳重か…」

 赤い瞳の少年が舌打ちを一つ、けれどその顔には夜の闇でもはっきりとわかるほどにんまりと三日月が浮かんでいた。横に従えていた少女の顔にも浮かぶ三日月。余裕がないのは警備の人間だけだ。

「頼んだぜ。軽くやっちゃってくれよ」

「了解!…バン!」

 青い瞳の少女が手でピストルの形を作って見せるとそれを警備に向かって撃ちだした。バン、という可愛らしい少女の声とともに指先から青白い閃光がほとばしる。暗闇に走る閃光は警備の身体を一瞬でとらえ内側から痺れさせた。バタリ、と倒れる警備の人間、それを飛び越えて彼らはついに街の外へ出た。夜の闇の中、彼ら自身の目標に向かって、ただただ駆けるだけだった。


「ふぅむ…ゼノも殺された、か…」

「はっ…残るのはマジックボックスだけですが…」

「あいつはいい。今どこで何をしているのか、生きているかも死んでいるのかもわからないからな」

 やけに広々とした部屋、王宮の王様専用の部屋にいるのは黒装束を纏った男と豪華絢爛な服を着たでっぷりとした男だけだ。説明しなくてもわかると思うがでっぷりとした方がこの部屋の主でありこの国、いや、ひいては大陸の覇者と呼ばれる人物だ。昔はもっとスマートな人間だったのだが大陸全土から送られる税を際限なく使い贅の限りを尽くした結果、こうなってしまったのだが当人は全く反省の色も見えていない。むしろ重税をさらに課そうとしているのだから側近の黒装束も少し引き気味である。だが少しでも不満をこぼせばこの王様に殺される、それを知っているから彼は何も言わない。この脂肪の塊はただの脂肪の集まりではない、というのはこの王宮に仕える人間ならだれでも知っていた。

「もしこれが魔王の復讐となると次は王が危ないかと…」

「フン…この私が危ないだと?笑わせてくれるわ!返り討ちにしてくれようぞ」

「返り討ち、ですか…?」

「貴様、私の実力を知らないわけではなかろう?」

「はっ…失礼いたしました!」

「よいよい、顔をあげよ」

 王様は柔和な表情を浮かべて側近の男を見るが彼は額に大粒の汗を浮かべて息も荒くなっている。まるで身体が固まってしまったかのように顔を動かすことができなくなっていた。下手をすれば一瞬で自身の顔と胴体が永遠におさらばするところだったのを何とか回避した彼は今生きている心地があまりにも薄まっていた。

「魔王の復讐、か…それはいったいどんな奴なのだろうな?勇者を殺すくらいだから相当な手練れと見たが、まぁ私よりは下だろうな」

「はっ…さようでございます」

 いくら勇者が強くたってこの王様に束でかかっても勝てはしない、それは側近の彼自身一番よく知っていた。ならば王様が魔王討伐に乗り出せばよかったのでは無いかと思われがちだが国のトップに万が一のことがあれば国家は混乱しその隙をついて魔王軍に侵略されてしまう。彼は悪く言えば臆病と呼べる性格だが、逆を取れば知将とも呼べるであろう存在だ。臆病だからこそ引き際を見極め、臆病だからこそ自信の実力を誇大することもない。未だって彼は自身の実力を誇大することなく正確に、いや、少し下回って言っているくらいなのだ。きっと王が本気を出せば勇者を殺した何者かも10秒も経たぬうちに八つ裂きにできるだろう、側近の彼はそう思っていた。

「はぁ…まぁそんなことを心配しても実のないことだ。どれ、私は腹が減ったぞ。食事を用意せよ」

「はい、ただいま」

 側近の男が深く頭を垂れパンパン、と手を叩くと数多の食事が届けられた。どれもこれもが最高級食材を使ったスペシャルな食事、ただ王様にとってそれは日常に食べているものでスペシャルなどでは全くなかったが。

「本日は最高級の牛肉が手に入ったので素材の味を生かしたステーキにしてみました」

 料理を運んできたシェフが柔和な表情を浮かべて王様に料理を差し出す。鉄板にのせられたのはまるでマンガに出てきそうなほど巨大な骨付きのステーキだ。王様は骨を持ち豪快にばくり、とそれにかぶりついた。そしてくちゃくちゃと咀嚼していき、あっという間に最高級の肉を骨だけにしてしまった。

「どうでしょうか?お口に合いましたか?」

「あぁ…うまかったが…」

 王様は食べ終わった骨をポイ、と投げつけた。ただそれは王様の軽い動作とは裏腹にぎゅん、とまるでダーツの針のように一直線に飛んでいきシェフの眉間にヒットした。ミシリ、嫌な音が場に響いた。その瞬間眉間から血を噴き出して倒れるシェフ、自慢の白い服がえげつなく赤い色に染まっていく。

「私はレアよりミディアムが好きなのだ。ミディアムで食えればもっとうまかったものを…おい、こいつを片付けろ。醜悪な塊を私の前にいつまでさらすつもりだ?」

「はっ…」

 側近の男は慣れた手つきで眉間に骨が突き刺さったシェフの死体を処理していく。散らばった血をふき取り21グラムの魂が抜けた体をまとめてまるでごみを捨てるみたいにそれをどこかへと運んで行った。

 王様はそれを眺めながらもう一つ骨付きステーキを頬張り、一言呟いた。

「いや…レアもなかなか、いけるものだな…」



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