第2話英雄の末路

 トイと出会い5日が過ぎたころ、俺たちは次の街へと到着していた。そこが俺とトイとの分かれ道であるということは自覚していたがあえて俺はそれを口にしない。彼女もそのことについては全く言ってこないが普段の笑顔が少し曇っているような、そんな気がした。

「そういえばさ、なんか街に入ってから変な噂をよく聞くよね」

 ふと、トイがそう言って俺はどういうことかと尋ねた。

「ほら、勇者が殺されたって噂だよ」

 確かにそういう類の話は街で普通に歩いていても嫌でも耳に入ってくる。しかもこの街が勇者のお膝下ということも相まってか余計だ。誰も彼もが勇者が殺された噂を話し口々に自身たちを加護してくれている存在のことを心配していた。

「あぁ、確かにそんな話も多いな」

「ねぇ…リゼ君はどう思う?」

「どうって…」

 話に首を突っ込もうとしたが隣のシャイナが視線でそれを制す。けれど俺は彼女の心配を無視して話し始める。もしここで変に拒んだりした方が後々厄介になる、視線でそう伝えながら。

「いや、ほら、よく聞くじゃない。魔王の復讐だって。現に勇者が3人も殺されてる」

「偶然じゃないか?」

「ううん…偶然じゃないよ…これは絶対に、復讐のはずだよ…」

「でも魔王は死んだんじゃないのか?勇者に殺されて、さ」

 と、ここで話しておかなければならないだろう、勇者と魔王の物語を。

 昔々、といって話し始めるのがセオリーなのだろうがこの話はそう昔でもない。ほんの10年前のことだ、世界には魔王と呼ばれる存在がいた。魔王は特殊な能力を持ち魔物を使役し王都へと侵略を開始した。その目的は世界征服だのなんだの言われているが結局はよくわかっていない。なにせ魔王は死んでいるのだから、死んだ者に話を聞くことなどできない。魔王を殺したのが、勇者だ。王の命令により集められた5人の勇者、彼らは命を懸けて魔王と戦い平和をもたらした。

 ここで終われば相当綺麗な物語として終われるだろうが、真実はそうではなかった。勇者はその後、王から領地権を得た、ただ一人を除いて。その一人というのが変わり者の少女、マジックボックスと呼ばれた人物であり現在は行方不明となっている。ただほかの勇者4人は街を支配し税を巻き上げ贅の限りを尽くしている。そう、この街を収めている勇者、無敗のゼノだって莫大な税金なんかで豪遊しているわけである。結局勇者も人間、薄汚い欲望には勝てなかったのである。

 結局物語はハッピーエンドで終われるはずもなく、こうして汚い部分をさらしながらも人々の信仰の対象として勇者どもはのうのうと生きていたのだが、つい3年ほど前か、勇者の一人、雷光のヒースが殺された。当時それは世界に衝撃を与えた。なにせ魔王を殺し世界を救った勇者の一人が殺されたのだ、そんな最強の存在が負けるとは思っていなかったただの人間たちは不安を覚えた。そして疑った、勇者の存在を。勇者を殺せるほどの強者は勇者しかいない、そんな安直な考えで。

 だがその考えもその1年後に簡単に蹴り飛ばされた。二人目の犠牲が出たのだ。犠牲となったのは炎帝のメロ。メロが殺された時間、勇者の誰もがアリバイがあった、ただ一人マジックボックスを除いてだが。ただマジックボックスに関してはもう人々も関心の瞳すら向けておらずにほぼ死んだ状態にされていたのだが、それは別としても勇者全員が白となってしまったのだ。

 そこであがったのが魔王の復讐説。信じる根拠のないとりとめもないただの噂に過ぎないそれだが人々の間ではまるで伝染病のごとく広まり今では国中全ての人間がそう信じてやまないのだ。

 そして現在、疾風のジョンが殺された。もうこうなれば魔王復讐説はほとんど肯定されてしまっているといえるだろう。

「ほら、例えば犯人を魔王に擦り付けたい奴の犯行とかさ、それは考えられないか?」

「う~ん…でもそれだとさ、その犯人にとってメリットは何もないでしょ?魔王を悪者に仕立て上げたいって理由もさ、ほら、魔王ってもともと悪者でしょ?やっぱり成り立たないよ」

「お兄ちゃんが言いたいのは今はもういない魔王の仕業ってことで事件を完結させたいってこと。犯人は人間じゃなくて亡霊、そう思い込ませたい人間の犯行じゃないかってこと。そうでしょ、お兄ちゃん?」

 俺の言いたいことを完全に補完してくれるシャイナ。やっぱりこういうところ不思議なシンパシーを感じる。

「でもさ、何のために?確かに魔王の仕業ってことにしたら自分に疑いが向かないかもだけど…それでも勇者を殺すメリットってあるのかな?」

「例えば勇者に反発を持っている人間とかはどうだ?」

 俺がそう言ってみたがトイは意味が分からないという風に首をかしげるだけ。どうやらこいつは勇者信仰者のようだ。

「魔王が生きていた時はさ、戦場に出ただけで国からお金がもらえただろ?」

「うん、兵士になって魔王の軍勢と戦う者には褒美を与えるって大々的に言ってたのをぼんやりだけど覚えてる…」

「今はもう魔王はいない、兵士なんて街の見張りくらいしか需要が無くなってしまった。となると兵士として稼いでいた人間は稼ぎ場所を失ってしまう」

「でもさ、王様は失業した兵士たちを魔王の厄災の復興に回したよね?」

「あぁ。でもその給料が兵士の時よりも少なかったら、どうなる?」

「もらえるお金が少なくなるってことは貧乏になるから…不満が起こる?」

「そう。魔王が死んで兵士として賃金のいい働きができなくなった、それは誰のせいだ?と考えるようになる、すると必然的に魔王を殺した勇者に矛先が向くはずなんだ」

「なるほど…」

 俺の考えを聞いてトイは深く頷いた。どうやら彼女はまだ世界のそういう汚い部分を見たことがなかったのかもしれない。

「だから元兵士が犯人ってこともあり得る。それにさ、魔王の復讐なんてナンセンスだ。犯人が同一犯だと勘違いしているにもほどがある」

「あれ?トイ君は知らないの?」

「ん?何がだ?」

「私も詳しくは言えないちょっと特殊なルートで仕入れた噂なんだけど…殺された勇者の体の一部が跳ね飛ばされてるって話…」

「体の一部が、跳ね飛ばされる?」

「うん…私も話で聞いた限りでしかわからないんだけどなんでも腕とか足のどこか一つが無くなってたんだって」

「だから同一犯の可能性が高い、と…でも模倣犯の線も捨てきれないわけだ」

「ううん…言ったでしょ、特殊なルートで情報を手に入れたって。多分一般の人間じゃ無理な情報源だからさ、模倣犯の可能性はないと思うよ。警察も同一犯として全国連携で捜査してるし」

「そう…なのか…」

 俺たちは話しても仕方のない犯人推理を話し合いながら街を歩く。街の人間が俺のことを奇異的な視線で見ているがそんなことはいつもと同じなので無視しておく。

 で、気がつけば俺たちは件の勇者が住まう邸宅の前まで来ていた。街の中央にそびえたつだだっ広い豪邸、街の全ての道がすべてこの邸宅へと導くように作られておりまさにその威厳を表しているかのようだ。大きな門の前には兵士が二人、ただどちらもつまらなさそうにあくびを漏らしている。やはりというかなんというか、勇者の邸宅に侵入する命知らずはいないようで働き者の兵士様方もあくびしかする仕事がないのだろう。

「で、ここに住んでるのが無敗のゼノってわけだな」

「うん、そうだよ」

 無敗のゼノ、その名の通り彼はすべての戦いに勝ってきた。ゼノは巨大な体を使役してまるですべてを壊す重戦車のような突撃を得意としていた、と話には聞いたことがある。これは噂だが一発殴っただけでベアーを殺したりもしたという。とにかくパワー系の勇者だったと伝えられている。

「で、このゼノって勇者、何でもすっごく女好きなんだって」

「女好き、か」

「そのくせ飽きっぽいからこれと決めた女の人はいないんだってさ。だから毎夜毎夜街の女の人と一夜限りの関係を築いてるって話」

「なんてうらやま…ゲフンゲフン!けしからん奴だ!」

「だよねぇ、ほんとダメな男だよ。しかもさ、女の人をお金で買ってるんだよ!夜に来てくれた女の人には自分の余りある財産から適当な額を渡す…それにつられる女の人も最悪だけど、やっぱりこいつは最悪な人間だよ」

 トイの過激な発言に警備兵がぎろりとにらんだが連行されることはなかった。またつまらなさそうにあくびを漏らす仕事をするだけで俺たちのことはもう眼中にないとでも言うようだ。

「まぁ、最悪だな」

 その噂は俺も聞いたことがあるからとりあえず同感しておく。と、ふとシャイナが俺の服の裾を引っ張った。顔を向けると居心地悪そうな瞳と目が合った。

「あぁ、ごめんなシャイナ、ほったらかしにして」

「お兄ちゃん…いこ」

 シャイナに服を引っ張られて俺はどこかへ連れていかれる。とりあえずトイには別行動だと伝えて俺はシャイナに身を任せることにした。


「お兄ちゃん!迂闊にべらべらしゃべり過ぎちゃダメ!」

「あ、あぁ…ごめん…」

 俺は路地裏に連れていかれ絶賛お説教中だ。さすがにしゃべり過ぎたみたいでシャイナもご立腹だ。ただその怒りの一部は俺がずっとシャイナを放置していたことも絡んできているはずだ。

「でも、ボロは出してないだろ?」

「うん…それは大丈夫だけど…でもいつ気付かれるかわかんないんだよ!お兄ちゃんはもっと気を付けるべきなんだよ!」

「あぁ、だからごめんって…それでさ、シャイナ。トイが言ってたあの話」

「勇者の体の一部が飛ばされてるって話でしょ?わかってるよ。そのためにお兄ちゃんをここに呼んだんだから…アスモ!アスモ!」

 やはり我が妹様は俺のことならなんだってわかっているらしく、俺が求めていたことをきちんとこなしてくれる。暗闇に響く呼び声に応えるように俺の目の前に闇が渦巻き始め、やがてそれは人の形へと構築されていく。そして気がつけばそこには一人の人間が、いや、悪魔がいた。

「なんですか、急に呼び出して…僕も暇じゃありませんよ?」

 現れたのは人間でいうと20代半ばくらいの男だ。切れ長の瞳に黒縁のメガネ、髪の毛も俺と同じ黒色、あまつさえ黒のマントを身にまとった全身黒ずくめのスラリとした男、それがアスモという悪魔だ。

 悪魔、それは人ならざる者。いや、かつて人だったモノと呼べばいいか。悪魔の登場は魔物の登場までさかのぼる。魔物の登場、それは不幸な実験の産物だというのは話したが、この悪魔と呼ばれる存在もその実験の遺物なのだ。過去の人間たちは不平ひとつ言わない鋼鉄の労働者が世を占める世界に機械に勝る人間を生み出そうとした。異能力を高め身体能力を高め、あまつさえ寿命さえ伸ばしてしまったというわけだ。まぁこれも度重なる偶然の連鎖で生まれた存在なのだが、悪魔と呼ばれる人間はいまでは人と子を成し世界の1割の人口を占めている。そして目の前にいるアスモは機械文明からの生き残りであるとともに俺の義手を作ってくれた存在なのだ。

「アスモ…取引を、頼む」

「はぁ…まぁ僕を呼び出すのはそういうことだとは思いますが…で、何の情報が欲しいんですか?」

「お前の取引した顧客の中に、女の子はいなかったか?銀色の髪に青い瞳の女の子だ。もしいたならその子に教えた情報の全てを教えろ」

「そうですねぇ…いたような、いなかったような…どっちでしょうねぇ?」

 アスモはさらに瞳を細めてまるで狐のように悪い顔をした。口元がやけに歪み俺の気を逆なでするがここで怒りに身を任せてはいけない。彼を相手に怒りをあらわにしてしまえば彼の思うつぼ、すべて最悪の方向へ丸め込まれてしまう。

「わかった…5万でどうだ?」

「では8万でどうでしょう?」

「いや、5万だ。お前が知っているという保証がない以上これ以上は増やせない」

「わかりました…では、僕はその少女を知っている。もちろん僕の顧客だ。これで10万でどうでしょうか?」

「ちっ…守銭奴め…分かったよ。10万で買う」

「ご利用ありがとうございます」

 アスモがうざったらしいさわやかな顔を浮かべる。その表情を見せられた俺はヘドしか湧き起らない。

 今までの会話の流れから分かる通りアスモは情報屋だ。金と引き換えに有益な情報を与えてくれる裏社会の渡り屋、それがアスモの正体。取引さえすれば顧客の呼び声一つでやってきてくれる、悪魔の能力を存分に使った金儲けのやり方をする賢いやつだ。ちなみにアスモはシャイナと取引しているので彼女の呼びかけにしか応じない、俺はただの交渉の代理人というわけだ。

 俺は例のベアーで稼いだ金を丸々アスモに渡して彼の話に耳を傾ける。

「彼女が僕から買った情報、それは勇者の死にざま…」

 アスモは一通り話し終えたがやはりトイから聞いた以上の話は得られなかった。彼女がどうしてはねられた勇者の一部の話を知りたかったのか、それはわからない。ただ引っかかったのだ、情報の出所を。そして確信を得た俺は想像する、彼女が裏社会に潜んでいた可能性を。俺みたいなはぐれ者はいくらでも社会の裏側に行けるが、あの少女が、あの笑顔が眩しい少女がどうして裏側に用事があったのか、それが分からなかった。

「さて、それでは僕はこれで…またのご利用お待ちしております」

 フフフ、と怪しい笑みを浮かべてアスモはまた闇の中へと消えていった。結局残ったのは怪訝そうな顔を浮かべるシャイナとその瞳に難しい顔を浮かべた俺だけだった。


 その夜、俺たちはホテルの食堂で話を切り出した、俺たちの旅の終わりを告げる話を。結局彼女に抱いた違和感の正体もわからずに去ってしまうのは奥歯にものが挟まった感じに似ていたがそれもすぐに解消されるだろう。なにせもう彼女とは二度と会わないのだから。俺もトイも、どちらも交わらない線の上で生きている。何の偶然かそれが一瞬だけ交わっただけで、それは元に戻らなければいけない線上の世界だ。

「俺たちは明日、この街を出るよ。これはシャイナと決めたことだし今更変えられないよ」

「そっか…それじゃ今日が最後の晩餐ってわけだね。じゃあ旅の思い出に精一杯豪勢な食事しちゃおうよ!」

「あ、あぁ…」

 しめっぽい雰囲気になると思っていた俺の予想とは裏腹にトイは快活に食事を楽しんでいた。きゃははと楽しそうに笑いながら高そうな食事をひたすら胃に押し込める。けど俺は彼女の姿にどこかもの悲しさを覚えた。きっと彼女は無理をしているのだろう。俺と別れたくないから、と考えるのは自惚れにもほどがあるだろうか?

 そして俺自身泣き出さない彼女にどこか寂しさを覚えていた。俺は彼女になにを求めていたのだろうか。離れたくないと泣いてほしかったのだろうか、初めてできた俺と関わりを持ってくれた人間として。それとも彼女の熱を欲していたのだろうか、まるで母親のような慈愛に満ちた優しい温もりを。けれどいくら考えてもわからない。やっぱり俺はわからない。

 その日の高い食事の味を結局俺は覚えていない。少ししょっぱいな、と思ったのだけがやけに鮮明に焼き付いていた。もう彼女との食事もこれまで、そう思っていた俺だが世界というのは予想外の方向に回るもので、どうやら俺たちの線はまだ交わっているようだった。だがそれを知るのは日が昇ってからだった。


 同日夜11時、もどかしい気持ちで過ごしていたのは何もリゼだけではなかった。そう、私、トイもどこかもどかしい言葉に言い表せないような気持にかられていた。

「はぁ…明日でバイバイ、かぁ…」

 私は大きなため息をついて布団から出た。どうにもリゼのことを考えると眠ることができない。私はリゼと本当は離れたくない、けれどそれがどういう感情によってのものなのかはわからない。私はただ漠然とリゼと一緒にいたい、そう思っていた。きっとリゼのことだ、この気持ちの正体がはっきりしなければ私の話すら聞いてくれないだろう。だから私はこの一晩でリゼへの気持ちが何なのかはっきりさせようとしていたが、それも無駄に終わりもう深夜だ。

「私ってば、どうしちゃったんだろうなぁ…」

 人にこんな感情を抱くのはいったいいつぶりだろうか?もしかすると生まれて初めてなのかもしれない。どうして私は彼にこうも魅了されているのか、その理由はただ一つ。私を構成する罪の一つと、彼は酷似していたから。幼き日の私が犯した罪の償いを、彼に押し付けているのかもしれない。なんて思ったけど結局答えは知ることができず、ただもどかしく悶々とする私を窓から覗く月だけが口角を持ち上げて笑っていた。

「とりあえずいったん夜風にでもあたろうかな…」

 このまま部屋にいても眠れないしじっとしておくのもできなかった私は部屋を出た。少し寒い廊下を一人歩く。明かりは月の光のみ、ほとんど闇に飲み込まれ静寂が耳を劈く廊下に私の足音だけがペタペタと響く。旅のおかげで暗いところには慣れている私だがやはり天然の闇の中にいるのと人工物の闇の中にいるのとは雰囲気が違う。後者の方はどこか怨霊とかそういう類のものを喚起させてしまうので苦手だ。ふと私の脳内に魔王の亡霊の話が思い出され頭を振った。私は大丈夫、そう自身に言い聞かせながら廊下を歩く。

 怖くなりどうして散歩したいと思ったのだろうと後悔し始めた頃、私の足音とは違う音が前方から聞こえた。私はじっと目の前の闇を睨みつける。闇に目が慣れてしまったのでその輪郭は暗闇の中でもかすかにだが知ることができた。

 それは長身の人間だった。長い髪のシルエットをしているので女性だろう。その女性はゆっくりとこちらへ歩いてくる。こんな夜中にどうしたのだろうか、と思ったが自分が言える立場でもないことを思い出し少し苦笑してしまった。女性はそんな私のことを見ているのかどうかわからないがただまっすぐに廊下を歩いている。私の進行方向とは逆の方向、そこはこのホテルの出口だ。外に出てどうするつもりだろうか?私の疑問は収まらないがそれはこの女性の姿を見た瞬間なりを潜めた。

 なにせこの女性は、とても綺麗だったから。同性の私から見てもドキリと心臓が高鳴ってしまうほどの魅力を兼ね備えた女性だったのだ。誤解のないように言っておくがもちろん私にそっちの気はない。

 スラリとした身長に肉付きのいい身体、長い髪の毛は闇に紛れるような黒い色、長髪のせいであまり見えなかったが怪しく赤いきらめきを放つ瞳が私の姿を捉えていたのを覚えている。服装は黒っぽいドレスだ、ゴスロリのようだがそれよりかは派手ではない。まるで物語の世界から出てきたかのようにドレスを着こなす女性、その肌は少し白っぽくてまるで雪化粧のよう。そして私を一番魅了したのは月明かりで一瞬照らされたその横顔だ。しっかりとした目鼻立ちに中性的、いや、男寄りのラインが浮かび上がる凛々しい顔立ちが彼女の女性らしさと絶妙な具合に混ざり合い最高の美しさを醸し出していた。

「綺麗…」

 私はポツリ、思わずつぶやいていた。だけどその女性は私のつぶやきにも反応せずにただただ暗い廊下を出口へ向けて歩いて行った。

 私はしばらくじっとその後姿を眺めて気が付いた。あの人の姿をホテル内で見たことがなかったということに。

「もしかするとホテルに泊まってる誰かのお客さんだったのかも…」

 なんて私は自分自身に納得させて部屋へと戻った。どういうわけかあの女性から漂ってきた匂いにどこか覚えがあったのは私の気のせいだろうか?


「この街を封鎖する!」

 昨夜トイが不思議な女性と出会ったという話を聞きながら俺たちはホテルを出てその声を聞いた。街が昨日よりもざわついている。それはもちろん活気の溢れるざわめきとは真逆のものだったが。

「本日からこの街への何人の出入りも禁止する!」

 軍服のようなものを着た人間が何人もそんなことを叫びながら街を回っている。

「あの服…あれって勇者の家を守ってた人が着てた…」

「あ、そういえば…」

 シャイナに言われて俺はその服に見覚えがあることに気付いた。勇者のおつきの人間たちがこう騒いでいるとなるとやはり勇者がらみの出来事なのだろう。俺はもちろんシャイナもトイも顔いっぱいに不安を浮かべた。俺たちは本能で気づいていたのだ、何か悪いことがおこっていると。

 俺たちは勇者邸の前へ急ぐ。そこで何が起こったのか、俺たちは野次馬どもをかき分けて現場へと向かい、絶句した。

「勇者が死んだみたいよ」

「どうやら殺されたって…」

「まさか連続殺人犯が…?」

「いや、魔王の呪いかもしれない…」

 封鎖された勇者邸、野次馬から送られてくる膨大な言葉の羅列により俺たちは理解した。勇者は殺されたのだ。あの無敗のゼノが、殺されたのだ。トイの話によれば殺されるような人間ではなかったはずだ。なのに殺された、とすれば犯人は相当の手練れだろう。

「勇者が殺された、か…」

「犯人は今も、街の中みたいね…きっと犯人が見つかるまで外には出られないかも…」

 俺はどういうわけか喜んでいた。勇者の死は悲しむべきことだろうが、それ以上に俺はトイと一緒にいれるちゃんとした理由を得ることに成功したのだ、その方がよほど俺に衝撃を与えた。ただトイは喜ぶこともなく隣で青い顔を浮かべていた、それも異常なほどの怯えとともに。

「殺された…?ゼノが…これで4人…残りは…あと一人…」

「おい、トイ…大丈夫か?」

「…あ!う、うん!大丈夫!うん、大丈夫…」

 トイは俺の声で我に返ったかのように元に戻ったが、けれどもその顔はどこか歪んでいるように思えた。

「いったん、ホテルに帰るか?」

「おい!何なんだよこの現場は!」

 俺がトイにかけた言葉をかき消すほどの大声が勇者邸の門から聞こえてきた。そちらを向くと刑事が二人言い争いをしているようだ。

「俺もこんな現場初めてだよ!腕を口の中に入れられて死んだ死体なんて初めてだ!そのおかげで窒息死か失血死か、はたまたそれ以外の死因なのかわからなくなったじゃないか!」

「あの…警部…もう少し声を抑えて…周りに聞こえちゃいます…」

「うるさい!そんなことを気にするより早く死因を特定しろ!それと見張りが見たという容疑者の女も早くとっ捕まえろ!黒髪に赤い目の女だったらしいな!」

「だから警部…声を…」

 警部と呼ばれた人間は相当なバカらしい。情報が筒抜けだ。

「黒髪に赤い目っていうと…昨日トイが会ったっていう女の人が怪しいな…」

「お兄ちゃん…私も黒髪で赤い目だよ…もしもの時は助けてね?」

「あぁ、大丈夫。シャイナはずっと俺の部屋で一緒に寝てたんだから。きっとトイも証言してくれるって」

 俺はトイの方を振り返るとまたも彼女は青い顔を浮かべていた。

「どうしたんだよ、トイ?なにか様子がおかしいぞ…」

「いや…ちょっと想像しちゃってね…ほら、言ってたじゃない。刑部さんがさ、右腕を口の中に入れられて死んでたって…さすがにそれはグロイのが得意な私でもちょっと…」

「あぁ…確かにそうだな…」

 俺はうなずいてみせたが、わからない。それにしては彼女の怯え具合が異常すぎる。何か目に見えない怨霊に追いかけられているような、そんな具合だ。

「なぁトイ…早くホテルに戻ろう。体調悪いんじゃないか?」

「う、うん…ありがと…」

 トイは足をふらつかせながらなんとかホテルまで戻り部屋にこもってしまった。

 その日の夕方、トイは真っ赤な顔で俺のもとを訪ねてきた、風邪をひいたと言って。


 それは昨夜の出来事だ。ふいにならされる扉、大きな体を携えたゼノはただ一言、入れ、とだけ言った。その声を聞いた扉の先の人間は遠慮がちに扉を開け部屋へと入ってくる。

 一人で使うにはあまりにも広すぎる部屋、そこが勇者と呼ばれたゼノの部屋であり彼の嗜好の楽しみを行うための部屋でもあった。そしてやってきたのは今宵彼を楽しませてくれる女性。一夜だけのインモラルな関係を結ぶための女性が金に釣られてやってきたのだ。

「ほう…今宵はなかなかの上玉だな」

 ゼノはねっとりとした瞳を女性に向ける。黒い衣装を身にまとった女性、そう、トイが出会ったというその女性は下心に塗れた視線を嫌と思う素振りもなくただ受け入れるだけだった。ゼノがじゅるりと舌なめずりをする異様な音だけが闇に響く。女という存在が大好物の彼にとっては目の前にエサを置かれお預けを喰らった犬のような状態なのだ。

「あの…お金…」

 女性は凛とした顔立ちとは裏腹にか細い声でそう言った。そのギャップにゼノはまたも心を射抜かれ、いてもたってもいられずにおもむろに服を脱ぎだした。

「金など後でもいいだろう!さぁ…早く俺を楽しませてくれ!」

「あの…でも…私…初めて…」

「むっ…貴様処女か。アハハ!ならなおさら良い!よし、今宵は特別に我がリードしてやろう!金などどうでもよく思えるほどに気持ちよくしてやるわ!」

 初めてと聞いて俄然やる気になるゼノ。彼は裸のまま女性の下へ近づきその体に手を回した。

「んっ…」

「恥ずかしがっているのか?よいよい…それでこそ楽しみがいがあるというものだ」

 ゼノが女性の体を欲望の赴くままにまさぐる。そして我慢できずにその巨大な体で女性にのしかかった。それに逆らう力もない女性は身を任せ地に組み伏された。

 女性の腕がゼノの背中へ回される。そんな愛情表現にも似たその動作に気を良くしたゼノは完全に油断していた。女性の手になにが握られているのかも知らずに。

「さぁ…夜伽を始めようぞ…ぐっ…!…あぁ…?」

 ぼたり、女性の顔に赤い水滴がついた。それはぽたりぽたりと女性の顔を汚す。だがそれに驚いたのは彼女ではなくゼノだった。彼はまだどうして自身の口から血が漏れているのか、わかっていないようだった。

「な…ん…だ…?」

 女性はさらに力を込めてゼノの背にナイフを突き刺す。痛みとともにわきあがる絶叫、ほとばしる血が彼の醜い裸を汚していく。だがこれだけで終わるはずはなかった。なにせ無敗のゼノだ、こんな痛みなどまだ耐えられるレベルだ。

「貴様…くそ…!死ね!」

 太い腕が女性を振り払うように振るわれる。だが血に染まる彼の神経では俊敏な動きができるはずもなくするりと彼女は躱した。ただそれで終わるわけもなく血濡れのまま立ち上がったゼノは怒りに身を任せて女性へと猛突進した。

「死にさらせぇぇぇぇぇ!」

「終わりだよ」

 女性がくいっと腕を引いて見せる。それはまるで綱を引く時のそれに似ていて、そして引いたのは綱ではなく闇の中月明かりに照らされきらりと光る何かだった。

 一瞬の停止、ぼとりと重苦しく響く音、そのあとに目が眩むほどの鮮血が舞い踊る。

 自身の顔に生暖かい何かが降り注ぎゼノはようやく気付いたようだ。自らの右腕が、無くなっているのだ。どうして、彼は困惑する。その答えは彼の目の前にあった。

 目の前には赤く染まった何かが浮いていた。いや、張られていたというべきか。これはワイヤーだ。いつの間にか女性はワイヤーを仕込んでいたのだ。そしてそれはゼノの右腕を簡単に切り落とした、そういうわけである。

「うがぁぁぁぁぁぁぁ!」

 けたたましいほどの絶叫が勇者邸に響き渡る。その声を聞きつけて警備がどたどたと部屋へと近づいてくるのが女性にもわかった。けれど彼女にはもう一仕事することがあった。

「復讐…」

「復讐…だと…!?貴様…まさか…!」

 切り落とされた腕から零れ落ちる大量の血に意識が薄れゆくゼノが恐怖で顔を歪めた。その瞳の先に移るのは女性ではなく過去の亡霊。自らが制裁を加えたはずの過去。遊び半分で半殺しにした子供の姿が、そこにあった。

「あんたには苦しんで死んでもらうよ」

 やけに低い声がゼノの鼓膜を震わせ彼は確信した。あいつは生きている、と。復讐のために勇者である自分たちを殺して回っていたのだ、と。そう、これは紛れもない復讐だ、魔王ではない、あいつの…

 ゼノの意識は次第に薄れていく。首を絞めつけられて意識が薄れていくゼノは力なくバタリと血に倒れた。

「ちっ…しぶといやつ…」

 だが彼は死んではいなかった。気絶しただけでありまだ呼吸はしていた。だがこの失血だ、死ぬのは時間の問題だったが、それでは甘い、そう考えた黒を纏った何者かは彼の切断された右腕を彼自身の口に放り込んだ。

「無敗のゼノ…どうだ?腕を切り落とされた痛みは…俺の痛みが、少しはわかったか?」

 その言葉にゼノは答えない。ただ口の端から自身の血をこぼしながら息絶えていく。

 黒を纏うそいつはつまらなさそうに舌打ちをし部屋を出た。その途中見張りの兵士に気付かれてしまったがそれを撒くのは簡単なことだった。そいつは闇に紛れるように、見張りをあざ笑うように忽然と姿を消した。

 こうして無敗のゼノは死んだ、過去の怨霊によって。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る