第三話 矜持
月満ちて、澪子が産み落としたのは女の子だった。光る君の二人目の御子にして、初めての姫君だ。
光る君は自ら選んだという乳母に、あり余るほどの祝いの品を持たせて寄越した。
「なんと愛らしい姫君でしょう。さすがは殿様の大姫さまでいらっしゃいますわ。」
乳母は初めて抱き上げた姫君を褒めそやしたが、その言葉があながちお世辞でもないのではないかと思える整った顔立ちは、確かに父である源氏によく似ている。
大姫は丈夫な子で、乳母の乳をよく飲み、しっかりと眠る。構ってやれば機嫌も良く、疳性な鳴き声を上げることも殆どない。
「しっかりした、お育てしやすいお子でございますよ。」
乳母はそう言って、すでに后の風格があると誉めそやすのだった。
赤子というのは不思議なもので、ひどく小さい割に驚くほどの存在感がある。光る君に去られて一時、火の消えたようになっていた邸内は大姫の存在に息を吹きかえした。
澪子の母はもちろん、いつもは仏頂面の父までもが、大姫をあやして相好を崩す。
京に戻った光る君の権勢は大変なものであるらしく、新しく即位なさったお若い帝の御後見として、並ぶ者のない勢いなのだという。乳母が大姫を后がねとして扱うのも、光る君に言い含められての事のようだった。
今上よりも、年まわりから言えば東宮か。
光る君には大姫の入内の意向があるらしい。
大姫はすくすく育った。
五月五日の五十日の祝いには、乳母に持たせたよりもいっそう多くの華やかな祝いの品が源氏から届いた。
大姫のための品だけでなく、澪子にも、入道夫妻にも、乳母にまでも行き届いた品が用意されている。心のこもった手紙が添えられ、入道の涙を絞った。
周囲の期待に応えるように、大姫はいっそう伸びやかに育ってゆく。
首が座り、寝返りをするようになり、声をたてて笑う。
支えなくても座っていられるようになり、這って移動するようになった。
よりにもよって、と言うべきか。
これも運命と感ずるべきか。
いつにない賑わいの住吉の社で船中に控えながら、澪子は通り過ぎる行列を見ていた。
きらびやかな行列を組んで参詣するのは源氏の君。
今や権勢並ぶ者なしと称される、澪子の背の君。大姫の父親だ。
かつてはお側に侍り、寝食を共にしていたとは言っても、今となっては到底名乗り出るような気にもなれない。
あまりにも、遠い人。
そう思い、実際に気後れしながらも、不思議に澪子の確信は揺らがない。
あの人は澪子を忘れない。
大姫を見捨てたりはしない。
なぜならそれは定めだからだ。
「今日は、このまま帰りましょう。また後日参詣すればいいわ。」
この浮かれた境内に乗り込む勇気はない。
澪子は参詣することなく、船を戻させる事にした。
静かに、人の目をひかないように。
光る君に気づかれる事のないように。
澪子は光る君の前では晴れやかでいたいのだ。
惨めに、哀れに、思われたくはない。
それは澪子の矜持であり、澪子の芯になっているものに、直接通じる気持ちだった。
静かに、静かに、静かに。
船はそろりとひき出され、明石へと戻された。
追いかけて、源氏から歌が届いた。
みをつくし 恋うるしるしにここまでも
めぐりあいける 縁は深しな
源氏は澪子に気づいていた。
そのことに澪子は慰めを抱き、源氏との縁の深さへの確信を深めた。
その身を捧げよ
その身を捧げよ
今も絶える事なく声は、澪子の内に響いている。
数ならで なにはのこともかいなきに
何みをつくし 思い初めけん
澪子は、田蓑島でせめてもとうけた祓いの木綿を、歌に添えて源氏に返し、そこでそのまま源氏の一行が去るのを待って、改めて住吉に参詣して願を果たした。
賑やかな参詣の去ったばかりの境内は静かで、澪子の一行を目に止めるようなものはいなかった。
みおつくしてや 真夜中 緒 @mayonaka-hajime
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