魔王戦
少年は口を開く。
「あーあ。最後の魔石も壊れちゃったか。これで全部なくなっちゃったな」
外見に見合った、あどけない口調であった。
「魔石の整備にはそれなりに苦労したんだよ? お兄さん達、ひどいな」
何気ない様子ながら、その全身からは、息苦しいまでの威圧感が生じている。
これが魔王に違いなかった。
「……だが、魔石があると、人は生きていけないんだ」
魔王の存在感に圧倒されながら、僕はなんとか言葉を絞り出す。
「それは仕方ないよ。弱いものは強いものに負ける。それが自然の成り行きでしょう?」
「……僕は、それを、認めない」
「ふう、なんでお兄さんみたいな人がいるのかなあ。ただの人が、魔界四将を全滅させるなんて、めちゃくちゃだよ」
言って、魔王はちらりとグレンを見た。
「ああ、一人残ってたっけね。裏切り者のグレンツェン」
グレンも、さすがに表情が固い。
「……クローネ様。お変わりなく」
「いいよ、ボクは責めるつもりはない。君にとって、ボクの下よりも、このお兄さんの隣の方が魅力的だったってことなんでしょう?」
魔王――クローネは金色に光る目で僕を見る。
「それならそれでいい。……だけど、面白くはないなあ」
途端、殺気が走った。
「ボクの仕事を邪魔してくれた罰だ。死んでもらうよ」
クローネは笛を加える。
狂おしい音色が複雑に編みこまれる。
天を貫いて、巨大な火炎が生じた。
そして、荒れ狂う雷。さらには鋭い切っ先を縦横無尽に走らせる氷柱。
僕はバイオリンを奏でる。
全身全霊を込めて、弓で弦を震わせる。
地を這うような低く連続する響き。
繰り返されるその旋律に、不安をまとわせたメロディが重なる。
しのびよる不気味さ。
嵐の中、馬が疾走する。
抱かれた子供と、父親が会話する。
――魔王がそこにいるよと。
「フランツ・シューベルト――『魔王』」
瞬間、巨大な影が生じた。
冠を載せ、マントを着た、筋骨隆々の巨躯が。
バイオリンの音色から生じた魔王だ。
魔王は、腕を一振りする。
天をつんざくような、雷鳴が生じた。
轟音を立てて流れる滝、燃え盛る業火も。
それらはクローネの召喚した魔法に激突する。
水は炎に。雷は雷に。炎は氷に。
それぞれ衝突し、爆音を上げた。
流れる水が炎とぶつかり、接した面が一瞬で蒸発し、真っ白な水蒸気を上げる。
雷は激しく打ち当たり、余波が四方に放電する。
炎は氷を溶かしながら、しかし、炎を貫いて氷柱が伸びる。
魔法と魔法が、拮抗する。
そこへ、甲高い笛の音が響いた。
「わらわも加わるぞ!」
グレンの魔笛が、鳴り渡る。
僕の炎が激しさを増した。
氷柱を覆い、囲い込み、轟々と燃える。
氷柱は押され、萎縮していく。
「あたしも!」
「るーふ、やる!」
温かな笛の音が鳴り響く。
小刻みに刻むリズムが音色に広がりを与える。
ハイスのオカリナが、ルーフのスネアが、真に力を与える。
そして。
朗々と響くリートのソプラノが、鳴り渡る。
勇ましく清らかに、旋律は僕達を魅了する。
それは轟く雷鳴を生み、際限なく流れる水を生んだ。
雷がバチバチとはじけ合う。
膨大な清流が炎を押し流す。
クローネの発した魔法は、僕たちの魔法に押され、消し飛んだ。
「なかなかやるねっ! これはどうかな!」
クローネは笛を収め、しゅるりと剣を抜いた。
僕の魔王に斬りかかる。
魔王は巨大な剣でそれを受け止めた。
目にも止まらぬ速さで、剣戟が打ち交わされる。
「リート!」
「はいっ!」
リートが美しい声を響かせる。
いつものソプラノとは違う、力強いアルト。
地の底から湧き上がるような旋律。
マントをひるがえらせ、二体目の魔王が召喚される。
魔王はクローネに襲い掛かった。
二人がかりで、クローネを攻め立てる。
だがクローネも負けてはいない。
二本目の剣を取り出し、二刀流で攻撃をさばく。
身体ほどもありそうな巨大な剣を、時に受け止め。時に受け流し。
舞い踊るように、その身をひらめかせる。
上段から打ち込まれる斬戟を左手で受け止め、横なぎに繰り出される一撃を剣で滑らせ、身体からそらす。
鋭く繰り出される突きを、身体をひねることでかわし、振り向きざまに剣を一閃させる。
クローネはひと時も止まらずに、剣戟をさばき続けていた。
そこへ、グレンの笛の音が響く。
ごうっと燃え盛る業火が生じた。
猛火は、クローネへ迫る。
「はっ!」
クローネは、なんと剣を一閃して炎を切り裂いた。
そのまま、炎はかき消える。
だが、一瞬の隙が生じた。
その隙を逃さず、僕の魔王がクローネの胴体を切り払う。
「うぐっ!」
鮮血が散った。
浅くはあるが、クローネに傷を負わせたようだ。
クローネが飛び離れる。
魔王から距離を取って、笛を構えた。
「やってくれたね……。少し、妨害させてもらうよ」
つんざくような音が鳴り響く。
魔王の足元に、黒い闇が生じた。
それはまたたく間に広がり、二体の魔王を円形に囲い込む。
魔王の足が、闇に沈んだ。
そのまま、ずぶずぶと、下半身が沈みこむ。
上半身だけとなった魔王に、クローネが襲い掛かる。
小さな身体から、恐るべき斬戟が繰り出される。
脚をとられた魔王は、動くことができない。
巨大な剣で受け止め、跳ね返すが、さばききれない一撃が魔王を襲う。
徐々に、魔王が傷を負い始めた。
そのとき、神々しい声が辺りを席巻する。
リートの聖なる声が、あたりに響き渡る。
優しくさざめく、音の波。
ゆったりと伸び行くメロディ。
眩く輝く戦女神が、白い翼を広げ、戦場に舞い降りる。
それは魔王を闇の沼から救い出した。
脚を捉えていた深い闇が、女神の手によって消失する。
同時に、魔王の負った傷が癒えた。
「ちっ!」
再び、剣戟が始まる。
二体の巨大な魔王が、子供のような小さなクローネを攻め立てる。
クローネは攻撃をさばくが、胴体に負った傷が響いているのだろう、先ほどより動きに精彩を欠く。
そしてついに、左の魔王の斬激を受け止めきれず、クローネの右腕が切り飛ばされた。
「うああっ!」
続けざまに、右の魔王の突きが、クローネの胸を貫く。
「ぐふっ!」
クローネの口から、鮮血がこぼれた。
立て続けに、魔王の剣に横なぎにされ、クローネの上半身が両断された。
ずしゃっ、と上半身が地に落ちる。
それがこの戦いの最後となった。
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