二人の魔族

「ルーフ、こっちのほうなのか?」

「ん。まもの、におい、する」

「たしかに、気配がするな。ディールの気配じゃ」

 僕たちは昨日行った湿地に再び来ていた。

 ルーフが、シュランゲ以外にも魔物の臭いがするというので、やってきたのだ。

 グレンとルーフの先導で、湿地を歩く。


「いたぞ、ディールじゃ」

 グレンの指す先を見ると、巨大なワニが水面を泳いでいた。

 僕はバイオリンを構え、弓で弦を震わせる。

 重々しい重低音から、悲愴なメロディへ。

 悪魔の魔弾が標的へ向かう。

「魔弾の射手」

 ドン! ドン! ドン!

 無数の弾丸が放たれた。

 水中に潜むディールにも、魔弾は容赦なく打ち込まれる。

 一斉に水しぶきがあがり、至る所に、ぷかりとディールの死体が浮かんだ。


「ほほう……これはまた聴いたことのない音色じゃな。じゃが、これも素晴らしい……。効果も、見事なものじゃ。これほど広範囲の魔物を一斉に仕留めるとは」

 グレンは僕のバイオリンを聴いて、嬉しそうに身を震わせている。

「のう、もっと聴かせておくれ」

「まだ敵がいるから、いわれなくても弾くけど……」

 そこまで感動されると、こそばゆいような気持ちになる。

 バイオリンを弾きながら、僕は進んだ。

 次々とディールが魔弾に倒れる。

 そうして進んだ先。


「そろそろディールの主がおるぞ」

 グレンに言われた通り、そこには三メートルはあろうかという巨大ワニが鎮座していた。

 僕は曲を変える。

 高らかに駆け上るメロディ。

 勇ましく疾駆する九人のワルキューレ。

「ワルキューレの騎行」

 九つの刃がディールの主に突き刺さる。

 体中をぶつ切りにされて、あっという間に巨大ディールの命は尽きた。


「ああ、どの曲も素晴らしいのう。勇壮さに惚れ惚れするようじゃわ」

「グレン、バイオリンを弾いている間はあまりくっつかないでくれ……」

 放っておくと距離が近くなるグレンに、釘を刺す。

 リートの視線がきつくなっていた。

「まもの、ない」

「もう魔物を退治してしまったのか……早いものだな」

 ルーフの言葉に、ハイスが感嘆のため息をもらす。


「魔石を探そう」

「魔石の場所なら検討がつく。……こっちじゃ」

 グレンの案内に従うと、岩の上に魔石があった。

 僕は曲を奏で、魔石を破壊する。

「なんと、いとも簡単に……。この魔石は、よほどのことがない限り破壊などできぬものなのじゃぞ。それを、一瞬で破壊してしまうとは……。バイオリンの魔法は、信じられぬほどに強力じゃな」

 グレンは感心する。


「これでディールの魔石も壊したな……。グレン、魔物を転移させる魔石っていうのは、どのくらい設置されているもんなんだ?」

「わらわの知る限り……九つじゃったと思うぞ。魔界からあふれた分を排除するために設置したものゆえな。低級魔物しか転移させておらぬ。さほど多くはない」

「九つか……。今まで、フレーダー、オーク、ヴォルフ、ゴブリン、シュピンネ、シュランゲ、ディールと壊してきたから……これまでに七つは壊したのか。じゃあ後は二つだな」

「だいぶ少なくなってきましたね」

「ああ、そうだね。終わりが見えてきた」

 転移の魔石の数が残り少ないことを知って、ほっと笑いかけたとき。

 突然、かっと眩い閃光が辺りを満たした。


「な……何だ!?」

「眩しい!」

 皆がその光に目をつぶり、手で顔を覆い隠す。

 数秒ほど続いた光が途切れ、目を開けると。

 そこには、二人の見慣れぬ人物が出現していた。

 いや――人ではない。

 黒い翼で、宙に浮いている。

「魔族か。……今回は早かったな」

 一人は痩せぎすで、背が高い。全体的にひょろ長い印象だ。

 もう一人は、長髪で黒いマントを羽織っている。


「ヒャヒャ! 出向くのが早くて驚いたかあ? 魔石が壊されるのは予想がついてたからなあ。転移の準備をしていたのよ!」

 痩せぎすの方が、妙にテンションの高い調子で喋る。

「んん? おやあ? そこにいるのはグレンツェンの姉さんじゃねえか。帰ってこないから死んだのかと思やあ、そんなところでなにしてるんだい? こんな人間どもと仲良く並んで……まるで」

 男は凄絶な顔をして笑った。

「こいつらとつるんでるように見えるぜえ?」

「相変わらずよく喋る男だ」

 グレンが平然と言う。

「魔界四将が二人もそろってお目見えとはな……。よほど魔石を壊すのを止めさせたいと見える」

「魔界四将って?」

「魔王直属の四人衆だ。わらわもその一人だがな。魔王を除けば、魔界でも最高峰の実力者と言ってよかろうよ」

「そうそう。わざわざ二人もそろって来てやったんだぜえ? こんな陰気な男とよ。なあ? シャッテン」

「……」

 マントの男は、顔を伏せたまま一言も喋らない。


「ちぇー。相変わらず愛想のない男だぜえ」

「シュプレッヒェン。お喋りをしにきたのか?」

「グレンツェン……せっかちだなあ。せっかくこうして会えたんだあ。ちっとぐらい交流を深めてもいいじゃねえかあ」

「ほう。交流を深めるとは……どんなことをするのだ?」

「そうだなあ……こういうのはどうだい!?」

 痩せぎすの――シュプレッヒェンと呼ばれた男が横笛を吹いた。

 ズガン! と、雷が落ちる。

 稲光る雷鳴がバリバリと空中に放電した。


「威風堂々!」

 僕はバイオリンを奏でる。

 勇ましくファンファーレが鳴り渡る。

 規則正しい軍隊の行進のような弓の響き。

 一体の巨躯の騎士が出現した。

 騎士は雷鳴に斬りかかる。

 バリイッ! と雷が迸った。

 雷鳴が轟く。巨大な稲光と剣がつばぜり合う。


「ヒャヒャ! 俺様の雷を抑えるとは、なかなかやるじゃねえかあ! じゃあこれはどうかな!? シャッテン!」

 マントの男が動いた。

 横笛を口に当て、甲高い音を鳴らす。

 ドシュッと、いくつもの長大な氷柱が生じた。

 その尖った切っ先が、騎士に迫る。

 その直前、もう一体の騎士が出現した。

 氷柱を剣で受け止める。

 ギシッと、剣が軋んだ。

 二体の騎士が、雷と氷柱を受け止める。


「受けやがったかあ。じゃあ、これでどうだ!」

 魔族の笛の音が、さらに激しさを増す。

 僕も負けじと、バイオリンをかき鳴らす。

 嵐のような音が巻き起こる。

 騎士が雷を斬り飛ばした。氷柱も、真っ二つに両断する。

 しかしまた新たな雷が迸る。氷柱も際限なく生じては騎士に迫る。

(戦力が拮抗している……。まずいな、このままじゃ魔族にダメージを与えられない)

 僕が内心焦っていた、そのとき。


 戦場を貫く、美しい声が鳴り響いた。

 それは勇壮に、力強く、光り輝くソプラノが周囲を席巻する。

 勝利を約束する陽光が辺りを照らし。

 戦場に押し寄せる無数の軍馬の足音が聞こえる。

 リートの歌声が、僕のバイオリンに絡み合って力を与える。

 騎士が剣戟のスピードを増す。荒々しく、雷を切り裂く。

 雷鳴を、消し飛ばした。

「なにいっ!?」 

 そのまま、シュプレッヒェンに迫る。

 ズバアッ! と、男を両断した。

「ぐはあっ!」

 袈裟懸けに切り裂かれ、シュプレッヒェンが倒れる。

 騎士は氷柱にも剣戟を浴びせ、氷柱は砕け散った。

 そのまま、シャッテンに斬りつける。


 ――が、その剣は空を斬った。

「なっ!」

 シャッテンの身体は、黒い霧となり、剣戟を受け流した。

 身体を二つに裂かれたシュプレッヒェンが、血を吐きながら叫ぶ。

「ヒャヒャ! シャッテンはヴァンパイアだ! 物理攻撃は受け付けねえよ!」

 騎士がシュプレッヒェンの首を斬り飛ばす。

 そうして初めて、饒舌な男は口を閉じた。

 騎士がシャッテンに縦横無尽に刃を浴びせる。

 だが全ての攻撃を霧の身体はすり抜けた。

「このままじゃだめだ……。リート、引き続き援護を頼む! 僕は曲を変える!」


 勇ましい行進曲から一転、ゆったりと清らかな曲へ。

 途切れず揺らぐメロディが主への祈りを思わせる。

 聖なる響きが、あたりへ染み渡る。

 教会での礼拝の際に用いられる教会カンタータ。

 教会カンタータは、教会の暦に合わせて作曲・演奏されたもの。歌詞の内容は、それが演奏される日に礼拝で朗読される聖書の箇所と関連している。

「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ――『主よ、人の望みの喜びよ』」

 かっ、と。あまねく万物を照らす太陽の光が降り注ぐ。

 銀の十字架がシャッテンに押し当てられる。


「ぎゃああ!」

 白い煙が上がり、シャッテンが絶叫する。

 カンタータが響くにつれ、霧の形がとれず、次第に実体化していく。

 もだえ苦しむシャッテンに、騎士が杭を押し当てた。

 カーンと音を立てて心臓に杭を打ち込む。

「ぐうっ!」

 心臓を杭で貫かれ、シャッテンは動かなくなった。

 さらに首を切り落とす。

 魔族の男二人は、灰となって崩れ落ちた。

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