再生

 僕はリートを抱き上げて、家の中に入った。

 リートを椅子に座らせて、もう一度外に出る。

 それから、ばらばらに割れたバイオリンの破片を集め始めた。

 ハイスとルーフも、それを手伝ってくれる。

 全て集めきるのは到底無理だったが、大きいものだけでもかき集めて、家の中に入る。

 それからテーブルの上に、それを並べた。


「……」

 重苦しい沈黙が落ちる。

 誰も何も言うことができない。

 みんなの気遣いを感じて、僕は口火を切った。

「バイオリン、壊れちゃったな」

 ぽつりと口に出した言葉は、自分が思っていた以上に寂寥感を宿していた。

「変だね。こんなもの、捨てたいと思っていたのに。もう二度と弾くもんかと思って、一度は手放したものだった。この世界に来て、使わざるを得ないから使って、ただそれだけのはずだったのに……どうして、こんなに胸が苦しいんだろう」


「マコト……」

「マコトさん……」

 泣きそうな僕の声音に、心配する声が重なる。

「ばいお、なおす、むり?」

「修理はできないよ。替えの弦もここにはないし、胴体が割れてしまったら、たとえくっつけたって元のような音がなるわけない。そもそも、くっつける方法もないしね……」

「新しくつくることは?」

「この世界にはバイオリンがないんだ。作れる人なんかいないだろう。僕だって、バイオリンを作ることなんかできない」

 立て続けの否定に、沈黙が落ちる。


「もうマコトさんのバイオリンを聴くことができないなんて……」

「寂しいだけじゃないぞ。実際的な問題もある。マコトの音楽がなければ、魔物に対抗することはできないんだ。あたしの短剣じゃ、できることはたかが知れてる。このままだと命の危険があるぞ」

「バイオリンがない僕なんて、何の役にも立たない。ただの足手まといだしね……」

「そんなことはありません!」

「そんなことはない!」

「ちがう!」

 みんなからの一斉の否定に、僕の目が丸くなる。

「マコトはそこにいるだけで、力になってくれている。あんたがいるから、あたしは頑張れるんだ」

「ハイスさん……」

「るーふ、まこと、すき。まこと、まもる」

「ルーフ」

 思っても見なかったみんなの言葉に、僕は胸が温かくなる。

「わっ……私も! マコトさんが、大好きです」

「リート……ありがとう」

 僕はリートを見て微笑む。


「でも、バイオリンがなければ、僕は無力な人間だ。なんの力もない。バイオリンを失ってしまったなんて、頭がおかしくなりそうだよ。僕は、バイオリン以外の手段を、なにか見つけないといけない……」

「マコト、ウタはどうなんだ?」

「歌は歌えるけど……、それほど得意と言うわけじゃない」

「歌……。そうです、その手が!」

 がたっと、リートが立ち上がった。

「リート? どうしたんだ?」

 きっ、とリートが僕の目を見つめる。

「マコトさん……。やってみたいことがあるんです。試させてください」


 リートは立ち上がったまま、目を閉じる。

 そして息を吸った。

 温かく柔らかな声がこぼれ出る。

 心を優しく癒してくれるようなメロディ。

 深く静謐な森の中。木の葉の間から漏れいずる陽光。

 小鳥たちのさえずりが心地よく響く。

 現実をつかの間忘れさせてくれるような、美しい歌声に、僕は聞きほれた。

 カラァンと、何かがテーブルの上に落ちた――いや、いきなり現れた。


「これは……?」

 見ると、木でできた塊だった。平たいひょうたんのような形をしている。

 ちょうど――バイオリンのように。

「ああ……だめでしたか……」

 リートががくりと肩を落とす。

「リート、もしかして」

 僕は腰を浮かせる。

「はい……。私の歌で、バイオリンを作れないかと思ったんですけど……。上手く作れませんでした」

「それだよ!」

 僕は目を輝かせる。


「リートの歌なら、バイオリンを作り出すことができる! 今のは最初だからうまく行かなかっただけだ。工夫してみようよ。もう一度バイオリンを蘇らせることができるかもしれない!」

「でも……こんな歪な木の塊になっちゃいました」

「リートのイメージが影響しているんだろうね。リートは多分バイオリンの外見しか知らないから……。よし、まずは知識をつけてみようか! バイオリンの構造をおしえてあげるよ」

 僕は机に指で絵を描く。


「バイオリンの外見は知ってるよね。胴体の真ん中辺りがくびれて、真っ直ぐ首が伸びた、こんな形をしている。この胴体の中身は空洞になっているんだ。そこで、音を共鳴させている。バイオリンには、四本の弦がある。この弦はそれぞれ太さが違って、それにより奏でられる音の高さが違うんだ。この弦を弓でこすって震わせることで、音を出す。首の部分は指板になっていて、この上で弦を指で押さえて、音の高さを変えるんだ。胴体に近い部分を押さえるほど、高い音が出る」

「空洞になった胴体……指板……四本の弦……」

 リートは僕の指をじっと見つめて、構造を思い描いているようだ。


 それから息を吸い込み、清らかな声を発する。

 旋律は高く、それからなめらかに低く、自在にかけめぐり、音を奏でる。

 天上で鳴り響く鐘のような。

 幼子をあやす子守唄のような。

 豊かな音色があふれ、広がる。

 カラン、と。一ちょうのバイオリンが机の上に現れた。


「ど……どうでしょう」

「うん。今度はちゃんとバイオリンの形になってるよ。試しに弾いてみよう」

 僕はリートの作ったバイオリンを構え、弓を引いた。

 だがそこから流れてきた音は、ぎこーっという、歪みかすれた汚い音であった。

「うーん……性能までは追いついていないか」

「ご……ごめんなさいっ!」

「いや、いいんだよ。すぐにうまく行くわけない。でも、もうちょっとだ。頑張ってみよう」

「はい。……あの、マコトさん」

「なんだい?」

「手を……貸していただいてもいいですか?」

「手を?」


「はい。私は、実際にバイオリンを触ったことも、弾いたこともありません。経験が足りなさ過ぎるんです。イメージを、うまく構築することができない……。でも、マコトさんの知識と経験があれば。バイオリンを弾き続けてきたマコトさんに協力していただけたら、上手くできる気がするんです。マコトさんのイメージを、私にください」

「手を、繋げばいいのかい?」

「はい」

 僕はリートと向かい合って、両手を繋ぐ。

 リートは目を閉じた。

「そのまま、バイオリンのことを想像していただけますか?」

「ああ、わかったよ」

 僕も目を閉じる。

 失ってしまったバイオリンのことを考える。幼いころからずっと触れていた愛器。

 その形。パーツ。構造。手触り。音の響き。

 無限の音の広がりを見せる、その小さな器械のことを、隅々まで想像する。

 そして、それと共に奏でてきた音楽のことを。

 その全てを、繋いだ手から、リートに届けようと祈る。


 リートが口を開いた。

 発せられた音に、その響きに胸を打たれる。

 部屋の中を超え、どこまでも広がっていくような音の空間。

 純白の鳥が羽ばたき、遥か高く飛んでゆく。

 森の中の一軒の小屋の中で、彫刻刀の音が響く。

 一人の老人が、黙々と木材に向き合っている。

 暗い小屋の中。削る木材の陰影がよく分かる。

 滑らかに整えられ、飴色の胴体となってそれが形作られる。


「!?」

 粉々になったバイオリンの破片が、動き始めた。

 元の形を取り戻すように、それが寄り添い、集まり始めた。

 割れた胴体が、指板が、繋がっていく。

 リートの声が一層豊かに響き始めた。

 かっ、と。眩い光がテーブルの上を照らす。

 一瞬、何もかもが見えなくなる。

 鳥肌が立つような美しい声が止んだとき。

 机の上には、一挺のバイオリンが鎮座していた。

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