破壊

 甲高い音が鳴り響く。

 どこか調子外れの、狂騒的なメロディ。

 それは歪ではあるものの、間違いなく音楽であった。

 ごうっと強風が生じる。

 それは見る間に寄り集まって、荒れ狂う竜巻となった。

 暴れまわる風の中、雷鳴がほとばしる。


 僕はバイオリンを奏でた。

 高らかに鳴り渡るファンファーレ。

 規則正しく刻まれるリズム。

 壮麗な軍隊が勇ましく行進する。

「エドワード・エルガー――『威風堂々』」

 僕の身体から膨大な力が膨れ上がる。

 一個中隊が一丸となって女性に襲い掛かる。


 力と竜巻が衝突した。

「くっ!」

 衝撃波が広がる。

 僕達に押し寄せる竜巻を、軍隊分の力が押し戻す。

 接触面では風が踊り狂い、稲光がひらめく。

 嵐が全てを巻き込み破壊しようとし、剣戟がそれを押し返す。

 魔法同士のせめぎ合いが巻き起こっていた。


 女性の横笛が音の強さを増す。

 負けじと僕もバイオリンをかき鳴らす。

 スピードを上げ、技巧を凝らす。あふれんばかりの音の粒が力を与える。

 バチバチと嵐が荒れ狂う。

 僕はそれを必死になって押し留めていた。

 そして均衡が限界に達したとき。


 嵐と力が、弾けとんだ。

 衝撃が拡散する。

「うわっ!」

「きゃっ!」

 吹き散らされた風に、僕たちはたたらを踏んだ。

 それがおさまったとき。

 魔族の女性を見る。

 女性は驚いたようにこちらを見ていた。

「まさか……これが防がれるとは」

 女性の持っている横笛に、ピキピキと亀裂が入る。

 パキィンと、音を立ててそれが砕け散った。

「ぐうっ!」

 続いて、女性の全身から血が噴き出す。

 体中に切り傷を受けて、がくりと膝をついた。

「なんという……強力な魔法じゃ。わらわがここまで傷つくとは……」

 苦しげに顔を上げて、それでも女性はにやりと笑った。


「じゃが……ぬしも無傷とはいかなかったようじゃな」

「!?」

 突然、手元からピシリと音が鳴って、僕は戦慄した。

 バチンと、E線が切れる。

「ああっ!」

 継いでA線も。バイオリンに必要不可欠な、張り詰めた弦が切れる。

 さらに亀裂が。指板に、胴体にひび割れが走っていく。

 なすすべもなく、僕はそれを見つめる。

 バキン! とバイオリンが――身体の一部のように感じていたそれが――破裂した。

 壊れ、砕け、粉々に飛び散った。

 無残に単なる木片として、バラバラと地に落ちる。


「バイオリンが!」

 リートが悲鳴を上げる。

 僕も悲鳴を上げたかったが、実際には声を出すこともできず固まっていた。

 幼いころから常に手の中にあり、どんな時も弾いて過ごしていた、いい思い出ではないけれど、いつも僕に寄り添い続けた愛器が――壊れた。

 破片を受け止めることもできずに、構えた姿勢のまま硬直する。

 僕は半身をもがれたような気分で、うめき声をもらした。


「ふ……ははは! これでぬしの魔法具は壊れた。もう魔法を使うことはできぬな!」

 女性の言葉にはっとする。

 そうだ。名残惜しんでいる場合ではない。

 バイオリンが壊れたということは、音楽を奏でることができない。もうあらゆる魔法が使えないのだ。

 それはこの世界では死活問題だった。

「わらわの魔法具もこわされてしまったが……。まだなんとか動くことはできるぞ」

 女性が右手を掲げる。その手には鋭い爪があった。

 ざっ、と僕の前にハイスが進み出る。僕をかばうように、ちゃきっと短剣を構える。

 ルーフも爪を構え、僕の前に歩み出た。

「ぬしらは、ここで始末する」


 女性がゆらりと動き出そうとした刹那。

 純金の鐘が鳴り響いた。

 いや、鐘ではない。声だ。

 まばゆく透き通った声が、僕達を貫いた。

 それは高らかに、勇ましく、鬨の声を歌う。

 猛々しく疾駆する軍馬。ひらめき、交わされる剣。

 砂塵の中、荒々しく戦う一軍が脳裏に思い描かれる。

 猛き一軍は、女性に襲い掛かる。


「ぐあっ!」

 女性は全身を斬り飛ばされた。

 後ろに吹っ飛んで、木の幹に当たって落ちる。

 その身体は傷だらけだった。到底、もう動けそうにない。

「な……何が……」

 女性は状況を理解できず、目を見開いている。

 その前に、震えながら立ちはだかったのは、リートだった。

 両足を肩幅に開き。手を胸に当て。

 美しく凛々しい声を発していた口を閉じる。

 僕はようやく何が起こったのか理解した。

 リートは歌を歌ったのだ。

 その凛とした声が、気高きメロディが、数多の剣戟を召喚し、女性を撃退した。


「ま……魔法具を使わずに、魔法を用いたじゃと……。そんな力を持つ人間が……」

 女性はごふっと血を吐く。

 立ち上がろうとして、脚が血の海で滑り、ばしゃりと手をつく。

 忌々しそうに顔をゆがめた。

「……これ以上は、動けぬようじゃ。今日のところは、これで引き下がろう。じゃが、わらわは再び現れる。この借りはそのときに返そう。覚えておけ」

 女性は千切れそうな腕を持ち上げ、指を口にくわえた。

 ピーッと指笛を吹く。

 そして女性はその場から姿を消した。


「……っ!」

 それを見て、がくりと、リートが膝をつく。

「リート!」

 僕はリートに駆け寄る。その肩を抱くと、弱弱しく震えていた。

「リート、君は……」

「マコトさん……」

 すがるような目で、リートは僕を見た。

「マコトさん、お怪我は、ないですか? ご無事ですか?」

「あ……ああ! なんともないよ。大丈夫だ」

 僕もリートを見つめる。


「リート……さっきのは、一体……。君は……歌を……?」

 リートの身体から力が抜ける。僕はそれをぎゅっと抱きしめた。

「よく……覚えてないんです。バイオリンが壊れて、マコトさんが危ないって思ったら、頭が真っ白になって……。マコトさんを守らなきゃ、あの女の人を何とかしなきゃって必死になって――気がついたら、歌を歌っていました。いつものマコトさんのように。勇ましく凛々しい歌を。マコトさんを守れるだけの力を、そう、願って――。そうしたら、女の人が傷ついて……」

 リートはふっと息をついて、目をつぶる。

「私、マコトさんを守れたんですね。よかった……。それが、なにより嬉しいです。大事な人が、傷つけられるんじゃないかと思って怖かった。あの女の人に、立ち向かうのは怖かった。だから、退いてくれたんだと思うと、ほっとして、こんな……ごめんなさい」

 リートは僕の身体に手をまわす。


「でも、私の歌は女性を傷つけた……。私の歌に、そんな力があるなんて。容赦なく振るわれたあの力が……少し怖い」

「リート、そんなことない」

 僕はリートを抱く手に、力を込める。

「リートは僕達を守ってくれたんだ。それに罪悪感を抱く必要なんてないんだよ。攻撃しなきゃ、僕達が殺されていた。リートは僕達のために、力を使ってくれたんだ」

 リートの頭を撫でる。

「守ってくれて、ありがとう」

「マコトさん……」


 ハイスとルーフが駆け寄ってくる。

「リート、大丈夫か!?」

「りーと、ぶじ?」

 二人の心配そうな視線に、リートは少し笑って見せた。

「大丈夫です。ありがとうございます。ちょっと、力が抜けただけで……。お二人とも、お怪我はありませんか?」

「ああ、怪我はない。リートのおかげだ」

「るーふ、けが、ない。へいき」

「よかった……みんな、ご無事ですね」

「ああ。だけど、マコトのばいおりんが……」

 ハイスの言葉に、リートははっとなった。

 僕も、自分の顔が険しくなるのを感じる。

「……とにかく、家の中に入ろう。ゆっくり話をするのはそれからだ」

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