ハイス救出

「!?」

 突然、どんっと突き飛ばされ、僕は倒れこんだ。

 ドガッ!

「ぐあああっ!」

「シュティーアさん!?」

「きゃああ!」

 三叉路の右手の道――僕達の後ろから、一体のオークが近づいてきていたのだ。

 僕はそれに気付かなかった。

 そんな僕をかばって、シュティーアさんがオークの一撃をまともに食らう。

「くそっ!」

 急いで僕はバイオリンを奏でる。

 一瞬でオークは全身を切り飛ばされた。

「シュティーアさん!」

 慌ててかけよる。

 地面に横たわったシュティーアさんは血を吐いていた。

 背中に深い打撲痕がある。

 傷は内臓にまで達しているらしい。

「くそ……何か、回復できる曲はないか、何か!」

 僕は懸命に頭の中で曲を検索し、一縷の望みをかけて弓を引く。

(――『目覚めよと呼ぶ声あり』)

 和やかで優しいコラール。教会の賛美歌。

 音が流れるにつれ、背中の傷は少しずつふさがってきた。

 だが、シュティーアさんの息は荒いままだ。次第に目がうつろになってきた。

「表面の傷は回復している……。でも、内臓が……。くそ、致命傷は回復できないのか!」

「マコ……ト……」

 シュティーアさんが僕の手を弱弱しく握ってくる。

「ハイスを……頼む……」

「シュティーアさん……ごめん、ごめんなさい! 僕なんかをかばったから! 僕なんかを!」

 僕はその手を握り返し、ぎゅっと目を閉じる。

「僕なんか、いつ死んでもいいような人間なのに……!」

「マコトさん……」

 リートは泣きそうな顔で僕達を見ている。

「お前の……力は、強い……。どうか……それで……、この世界の人間を……救って……やって……」

 ずっと、シュティーアさんの手が重くなった。

 首からも力が抜け、かくりと横に倒れる。

 その瞳はもう瞬きをせず、光を宿していなかった。

「シュティーアさん! シュティーアさん!」

 がくがくと揺するも、反応は返ってこない。

 そこにいるのはもう、亡骸だった。

 僕はシュティーアさんの身体を抱きしめる。

「僕のせいだ……。僕が油断したから……。もっと注意していないといけなかったのに……。僕なんかのために……」

 涙を流す僕に、リートが寄り添った。

「マコトさん」

 リートもまた目に涙を溢れさせている。

「どうか、『僕なんか』なんて、言わないでください。私は、マコトさんが傷ついたら、悲しいです。死んでもいいような人間なんて、言わないで。私にはマコトさんが必要です」

 ぽろぽろと涙をこぼし、続ける。

「シュティーアさんもきっとそう思ったんです。ハイスさんを助けるには、マコトさんの力が必要だって。そして、ハイスさんだけじゃない。『外』の世界で生き残っているかもしれない、生き延びているかもしれない、人たちのために、マコトさんの力が必要だって。どうか『外』の世界の人たちの力になってやってほしい。シュティーアさんはそういいたかったんだと思います」

 リートが僕の手を握ってくる。

「だからマコトさんは、しっかり生きて。自分のことを、大切にしてください……」

「リート……」

 リートから流れ込んでくる。温かな思いが。

 僕はそれを感じて目を閉じた。

「そうだね……。ハイスさんを助けないと。それがシュティーアさんの望みだ」

 僕は立ち上がる。

「そして、決めたよ。ハイスさんだけじゃない。僕をかばってくれたシュティーアさんのために、彼の願いを叶える。この世界で、魔物から逃げながら暮らしている人たちを見つけ、助ける。それをシュティーアさんに約束しよう」

「マコトさん。はい、私もついていきます」

 リートは僕の瞳を見つめ、頷いた。

「よし、まずはハイスさんだ。彼女を探しに行こう」

 僕は頷き返すと、洞窟内を歩き出した。

 今度は油断しないよう、見通しの悪い場所では常に曲を奏でながら進んだ。

 幾多のオークを乗り越えたころ、

「……! ……!」

「しっ! 今何か聞こえなかったか?」

「人の叫び声のような……」

 遠くから、かろうじて人の声が聞こえてきた。何かを叫んでいる。

「ハイスさんかもしれない。急ごう!」

 僕たちは声のするほうを目指して進んだ。

 何度か曲がり角を過ぎると、徐々に声が近づいてくる。

「……離せ! あたしに触るな!」

「! 女の人の声だ。まだ生きてる!」

 僕は声の方を目指して急ぐ。

 最後の直線の通路を駆け抜けると、開けた場所に出た。

 そこにはオークが集まっており、その中心に一人の女性がいた。

 短く切った髪は燃えるような赤色、太陽のように煌く黄金の瞳でオークを睨みつけている。

 女性はオークに抱きかかえられていた。

「くそ! 離せ!」

 必死でもがくが、オークの拘束を抜け出せない。

 オークたちはそれを見てにやにやと笑っている。

「マコトさん! 助けてあげて!」

「ああ! ……だが、あれだけ密着していたら、『剣の舞』は使えない。彼女も一緒に傷つけてしまう可能性がある!」

 とっさに他の曲を頭の中でリストアップする。

 そのとき、オークがハイスさんの服を引き裂いた。

「いやあああ!」

 ハイスさんが絶叫する。

 同時に、僕の構えは終了していた。

「ウェーバー――『魔弾の射手』」

 弓が重々しく弦をこする。

 重厚で暗い音色から始まったそれは、次に輝かしく平穏な響きとなり、さらには不幸を暗示させる悲愴なメロディとなる。

 様々な色彩を感じさせ、音の波は流れる。

 僕が弾き終える前に、全ては終わっていた。

 ドン! ドン! ドン!

「え……?」

 いくつもの発砲音と共に、オークの額に銃で撃ち抜かれたような弾痕が空く。

 ハイスさんをつかんでいた腕からだらりと力が抜け、突然解放された彼女は後ろにたたらを踏んだ。

 部屋にいた全てのオークが脳髄を破壊され、どさどさと地に倒れ伏した。

 後には、状況を理解できず立ち尽くすハイスさんと、僕達だけが残った。

「リート。彼女に、これを」

 僕は上着を脱ぎ、リートに差し出す。

 リートは頷いて、それをハイスさんのもとに持っていった。そうして、上半身がはだけた彼女に着せかけてやる。

「あ……ありがとう。あの……あんたたちは、一体……?」

 ハイスさんは上着を前でかき合わせながら、いぶかしむように僕達に視線を向ける。

「シュティーアさんの願いで、あなたを探していたんです。ハイスさん」

「! 兄さん! 兄さんはどこにいるんだ!? 無事なのか!?」

 すがりつくハイスさんに、僕は答えられず視線をそらした。

 それだけで、彼女には分かってしまったようだ。顔面蒼白となって、後ずさる。

「そんな……兄さんは……」

「……ハイスさん。すみません。シュティーアさんは僕をかばって……」

「マコトさんは悪くありません! あれは不運な出来事だったんです」

 言い合う僕達を見て、ハイスさんは察したようだった。

「そうか……。兄さんは、オークに襲われたあんたをかばったんだな。それで、命を……」

 ハイスさんは涙をこらえるように顔をゆがめ、うつむいた。

「ごめんなさい。僕のせいで……」

「いや……謝らなくていい。兄さんは、そういう人だった。弱いものを、守らずにいられないような……。だから、そうしたのは、兄さんの意思だったんだろう。結果、命を落としたとしても、それはあんたのせいじゃない」

 そういいながらも、ハイスさんは僕の方を見ようとはしない。

 理性では分かっていても、感情では抑えきれないわだかまりがあるんだろう。

「……だが、すまない。一度だけ、いいだろうか」

 ハイスさんは唇を噛みしめると、僕の前に立った。

 そして右腕を振り上げる。

 パンッ! と。

 ハイスさんの平手が、思い切り僕を打った。

 打たれるのが分かっていても、僕は避けなかった。

 ハイスさんが、どんっ、と僕にもたれかかってくる。

 そのまま僕の胸に顔をうずめ、声を殺して泣き始めた。

「……う……うああ……」

 こらえきれぬ嗚咽がもれる。

 そのまま彼女が泣き止むまで、僕は立ち尽くしていた。

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