衣食住の解決

 がさりと。

 そのとき、物音がした。

 音の方を振り向くと、

「!?」

 木の陰から、草を踏み分け、異形の者が進みだしてきた。

 体長は一メートルほど。子供のような体型をした、しかし鋭い牙を持ち、うなり声を上げている。

「あれは……ゴブリン!」

 続いて別の木の陰からも。二匹、三匹と。

 気付けばゴブリンの群れに囲まれていた。

「こんなにたくさん……」

「リート、僕の後ろに隠れていて」

 僕はリートを後ろにかばい、バイオリンを構える。

「早速魔物のお出ましか……。君のためなら、何度だって演奏してやるよ!」

 ゴブリンがこちらに襲い掛かるより早く、僕の弓が弦を震わせる。

「剣の舞!」

 拍動するリズムが加速する。剣の乱舞に音が重なる。

「ギイイ!」

 鋭い刃が舞い踊り、全てのゴブリンから一斉に血が吹き上がる。

 演奏を終えたとき、立っているゴブリンは一匹もいなかった。

「倒せたか……」

「すごい。マコトさんの魔法……本当にすごいです! 魔物をいっぺんに倒しちゃった……」

「リート、怪我はないかい?」

「はい。私は大丈夫です。あ、マコトさん、血が……」

「大丈夫。返り血だよ。でも、汚れちゃったな。気持ち悪い……」

 僕はごしごしと顔をこする。

「リートも、髪とか顔とか汚れてるもんね。この際、二人とも綺麗にしようか」

「綺麗にするって……、どうするんですか?」

「そうだな、どうしようか。何かいい曲はないかな。清潔にしてくれるような曲。水浴びできるような、清冽な水のイメージで……」

 うーんと僕は考える。

「そうだ、これにしよう。――ヨハン・シュトラウス2世、『美しく青きドナウ』」

 リン、と曲を奏でる。

 豊かで優雅なメロディー。軽やかなワルツのリズム。

 流れ行く清らかな水。青く澄む水面。

 さらさらと行くせせらぎすら感じられるような気がする。

 曲を終えたとき、僕の全身は、お風呂に入ったようにこざっぱりと綺麗になっていた。

 服さえも新品のようにまっさらになっている。

「ふう……気持ちいいな」

「わあ……なんて綺麗なオンガク! わくわくして、踊りだしたくなるような気分でした!」

 リートの声に振り返って。

 僕は絶句した。

 そこに、光り輝くような美少女が立っていたからだ。

 長く伸ばした髪は、静かに降り積もった新雪のように煌く純白。

 ガーネットのように深く紅い二つの瞳。

 肌は陶器のように滑らかで。

 頬と唇はばら色に色付いている。

「君……は……?」

「? マコトさん? どうしたんですか?」

「君は――リートか!」

「ど、どうしたんですか。そんなに驚いて。そうです。リートですよ」

 頷くリートをまじまじとみて、僕は吐息をもらす。

「いや……あんまり綺麗だったんで、びっくりした」

「え?」

「今までは、汚れていたから気がつかなかったよ。君は、こんなに綺麗な女の子だったんだな……。本当に、天使みたいだ」

 僕は思わずリートの頭を撫でる。

 純白の髪は絹のようにさらさらだ。

「マ、マコトさん?」

 リートの顔が上気する。

「うん。君はいつも綺麗にしていた方がいいな。目の保養だ。これからは、この曲にお世話になることにしよう」

 頷いて、僕は周りを見渡した。

「さて……こんなゴブリンの死体がある場所じゃ落ち着かないし、移動しようか。どこかひらけたところを探そう」

「ひらけたところ、ですか」

「そのほうが、魔物が現れたときもすぐに気付けるからね。それに、試してみたいことがある」

「はあ……」

「それじゃ、行こう」

 僕たちは森の中を歩く。

 人がいないのだから、道なんか整備されているわけがない。獣道で、歩くのは苦労したけれど、しばらく進むうちに木々のない広場に出ることができた。

「ここなら、よさそうだな」

「マコトさん、何かするんですか?」

「ああ。僕達の住処をね。準備しないといけないなって」

「住処……」

「ドヴォルザーク――交響曲第9番、『新世界より』。この曲は、僕のいた国では『家路』として親しまれている」

 僕は弓を走らせる。

 滔々と郷愁をいざなうメロディー。ゆったりとしたリズム。

 夕焼け空の下、遊びつかれた子供達が我が家に帰る情景。

 充分な余韻を残して、僕はそれを弾き終えた。

「わあ……!」

 リートが歓声を上げる。

 曲を終えたとき、広場には、一軒の立派な家が出現していた。

 この世界にあるようなレンガ造りのものではない。

 僕の世界に存在していた、一般的な一戸建てだ。

「大きいですね! こんな大きな家を出せるなんて、マコトさんすごい! それに、不思議な材質……。つなぎ目がなくて、石じゃないのに、固い」

 リートが外壁を触って興味津々で見ている。

「ここが僕達の家だよ。さあ、入って。あ、靴はここで脱いでね」

「靴を脱いで入るんですね……。わあ、床がごつごつしてないです。木でできてて、滑らか。わ、この長い椅子はなんですか?」

「それはソファだよ。座ってごらん」

「ソファ……。お金持ちのおうちにはあるって聞いたことがあります。わあ……椅子なのにふかふか!」

「ここがリビング。こっちには台所があるよ。形態は僕の世界のものだけど、電気やガスは魔石方式みたいだね。お風呂場はこっちだ。トイレはここ」

 二階部分が僕とリートの部屋になっていた。

「ここがリートの部屋だよ」

「私にも部屋があるんですね……! ありがとうございます! わあ、ベット! 私ベットで寝るの初めてです。ねえ、マコトさん。寝転んでみてもいいですか?」

「いいよ。どうぞ」

「えいっ」

 リートはぽすっ、とベットにダイブする。

「すごい! 柔らかいです! 毛布より干草より、ずっとふかふか!」

「これからはこの部屋を自由に使っていいから」

「こんな素敵なところで暮らせるなんて、夢みたいです……。私、『丘』を追放されたのに、『丘』にいたころよりずっといい暮らしをしてる。全部、マコトさんのおかげですね」

「リートが喜んでくれて、僕も嬉しいよ」

 リートが心ゆくまでベットを楽しんでから、僕たちは一階に降りた。

「そろそろご飯にしようか」

「えっ……でも、食材が何もありません。とってこないと」

「うん。それもね、多分、音楽でなんとかなると思うんだ」

 僕はバイオリンを構え、弾き始める。

 絢爛でたおやかなメロディ。落ち着きのあるリズム。

 晩餐会のBGMのような。粛々と料理が運ばれてくるイメージが頭に浮かぶ。

「ゲオルク・フィリップ・テレマン――『ターフェルムジーク(食卓の音楽)』」

 ぽんっ! と。

 リビングの机の上に、二人分の料理が出現した。

「わあっ。なんですか? これ。美味しそうな香り……!」

「ハンバーグか。僕の好きなメニューだから、イメージが影響されたのかな……」

 テーブルでは鉄板の上に乗ったハンバーグが、じゅうじゅうと湯気を立てている。

 ご丁寧に副菜のサラダ付きだ。

「食べようか。熱いから、気をつけてね」

 席に座り、ハンバーグにすっとナイフを入れると、中からじゅわりと肉汁が溢れ出た。

 口に含むと、香ばしさと芳醇な肉の旨味がたっぷりと味わえる。

 噛みしめるとほろりと崩れる柔らかさを持ちながらも、しっかりとした肉の歯ごたえを感じる。

 率直にいって、非常に美味かった。

「はふはふ……美味しい! こんなにお肉の味がしっかりするのに、とっても柔らかくって……。お汁がこぼれます! こんな美味しいもの、食べたことありません……!」

 リートは瞳をきらきらさせながら、ふうふうと冷ましつつ、夢中で食べている。

「よかった、気に入ってくれて。いっぱい食べなよ」

「はい! 幸せです……」

 もぐもぐとほお張るリート。

 こうして僕たちは楽しく食事をした。

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