音楽と真
眼下には緑が広がっている。
どうやら下は森のようだった。
それがゆっくりと近付いてくる。
リートを抱きしめたまま、僕たちは『外』の地面へと降り立った。
「ふう……」
無事に地上へと降りることができ、安堵のため息をつく。
やはり、空中にいる間は少しばかりはらはらしたものだ。何せぶっつけ本番の飛行だったのだから。
「すごい……『丘』があんなに高くて、遠い……」
リートが今降りてきた崖を見上げてつぶやく。
切り立った崖は遥か高くそびえている。
自分達がどれほどの高さを降りてきたか思い知らされた。
「マコトさんがいなかったら、追放された時点で死んでましたね」
リートが頭を下げる。
「改めて、ありがとうございました。おかげで、下に降りてこられました。それで、あの……」
リートは首を傾げる。
「その翼は、一体……?」
「ああ……これね。もういいから、消そうか。うーん……願ったら消えてくれるかな」
一振り二振りすると、翼は消えた。
「僕にも全部わかってるわけじゃないけど……、そうだね、整理しながら、話そうか」
あたりは木々の生い茂った森である。深い緑のにおいがした。
僕は手近な木の根っこに腰を下ろす。その隣に、リートもちょこんと腰掛けた。
「以前リートと、魔法の実験をしたね。そのときに、魔法は「イメージ」と、「情報量」の二つに依存しているんじゃないかって、リートは言ってた」
「はい。それで、ワオンというのを試したら、魔法の威力がものすごいものになりました」
「うん。それがヒントになったんだけど……。和音だけであれだけの威力だったんだから、音楽になるともっとすごいことになるんじゃないかって思ったんだ」
「オンガク……?」
「音楽っていうのはね、例えばこういうもののこと」
僕はバイオリンを弾く。
荒々しく素早く、暴れまわる音の波。
「あ、それは……グリフォンに襲われたときの」
「そう。これは『剣の舞』という曲」
「すごかったです! 音がいっぱいで、重なってて、豊かで。音の波で頭がいっぱいになって包み込まれる。まるで極彩色の絵みたい!」
「音楽というのはね、こんなふうに、音を組み合わせたもののこと。この世界には存在しないけど、僕のいた世界では発展していた。音楽の複雑さといったら、情報量は和音の比じゃない。音階があり、リズムがあり、コードがある」
「はい。こんな複雑な音、聴いたことないです」
「それと同時に、音楽はテーマも持っている。それがあらわそうとしているもの。それはすなわちイメージだ。つまり音楽は、強いイメージと、膨大な情報量を併せ持っているんだ。だから音楽は、強大な魔法になるんじゃないかと思った」
「強いイメージと、膨大な情報量……」
「『剣の舞』はね、文字通り剣舞を表した曲だ。グリフォンを倒すために、僕は無意識のうちにこの曲を選択していた。この曲に込められた剣のイメージ……それが魔法として発現され、グリフォンを切り裂いたんだ」
「警備兵さんじゃ手も足も出なかったグリフォンを一撃で仕留めた、あの攻撃はとても強力なものでした。それがオンガクの力……」
「音楽は曲のイメージを魔法として発現できる。そう思った僕は、崖から飛び降りるためにこの曲を弾いたんだ」
ゆったりとしたメロディーが流れる。
「綺麗な音……。音の波が、心地いい……」
「これはね、『翼をください』という曲だよ。この曲が僕に翼を授けてくれたんだ」
「その……音が出る器械は一体……」
「これはね、バイオリンという楽器だ。楽器は、音楽を演奏するもの。演奏とは、音を出すこと。音を出す器械のことを、総称して楽器と言う。バイオリンは楽器の中の一種だよ。弦を弓で震えさせることで音を出している。弦を押さえる位置で音の高さが変わって、胴体の空洞部分で音を共鳴させて大きくしているんだ」
「ガッキ……素敵な器械ですね! それに、小さいけれどとても複雑……」
「僕は前の世界で、これを演奏することを勉強していた。それを仕事にするため――プロの音楽家になるために。でも……」
そこで僕は言葉につまる。
「でも……?」
リートが聞き返そうとする。だが、僕の表情を見て、口を閉じた。
そのまま黙って、僕が話し始めるのを待ってくれる。
さやさやと風で木の葉が揺れる音がした。
「……。前の世界ではね。プロ――音楽を演奏することでお金をもらって、それを仕事にして生活していく人――それになることは、すごく難しいことだったんだ。小さいときから、僕はプロを目指すことを、両親に強要された。死に物狂いで練習して、バイオリンの練習以外、何をすることも許されなくて、毎日そればかりだった。それで、音楽を勉強する学校――音大に行ったんだ。そこでもバイオリンの練習ばかりしていたよ。両親の期待を裏切れなくて、無理矢理演奏していたから……音楽はあまり好きじゃなかった。それでも練習の成果で、卒業したらプロになれるところだったんだ。だけど――」
「だけど?」
「卒業直前、僕は事故にあった。それで、左手の指の神経が上手く動かなくなったんだ……。バイオリンは、複雑な指の動きを必要とする。それで僕は、バイオリンを弾けなくなった。その途端!」
そのときの激情を思い出し、僕は声を荒らげる。
「両親は僕を捨てたよ。僕に何の関心も示さなくなった。以前はあれだけがんじがらめに僕を監視していたくせに、僕がプロになれないと知った途端、僕がどうしようとも無関心だ。両親にとってはバイオリンの弾けない僕なんか無価値だったんだ。あれだけ両親の期待に応えようと必死で頑張っていたのに、僕なんか両親には必要なかった。それに気付いて空しくなったよ。バイオリンを弾くこともできず、それ以外に何をすることもできない。そんな自分に絶望して、僕は自らの命を絶ったんだ」
「……」
リートがそっと僕の肩に手を当ててくる。
僕はそれで肩に入っていた力をふっと抜いた。
「……だから、音楽は嫌いだった。バイオリンなんか見たくもなかった。それでも、死んだ後まで手放せなかったのは不思議だけどね……。だけど、君に出会って、君の歌を聴いて、もう一度歌が素敵だと思えたんだ。グリフォンに襲われたとき、バイオリンも、君のためなら弾いてもいいかと思えた。今でも、バイオリンを弾くことが好きだとは思えないけどね……」
「……」
リートはじっと僕を見つめている。
「……余計な話をしてしまったね。はは、どうでもいいよな、こんなこと」
「……好きです」
「え?」
「私は、マコトさんのオンガクが好きです」
「……」
「オンガクを聴くのは初めてでしたけど……一瞬で心を奪われました。なんて素晴らしい音色なんだろうって。力強くて、美しくて、繊細で……。もっとたくさん聴きたいって思いました」
「……」
「マコトさんが死んでしまわなくてよかった。今ここにこうして生きててくださってよかった。心からそう思います」
「俺は……君に出会うために、この世界に移動してきたのかな」
「え……?」
「いや……。今ふと、そんな風に思ったんだ」
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