『丘』からの追放

 あっという間の出来事だった。

 グリフォンからこぼれた、むせ返るほどの血の臭いに包まれ、広場はしんと静まり返っている。

「マコト……さん」

「リート。大丈夫かい?」

「何が……何が起こったんですか?」

 リートは呆然と辺りを見回している。今の状況が理解できないようだ。

 当然だろう。グリフォンにつかみ上げられたと思ったら、突然グリフォンの身体がバラバラになったのだ。

「僕にも……わからない。気付いたら、身体が動いていて」

 だけど、一つだけ想像できることがある。

「でも、多分、だけど……。僕は、魔法を使ったのかもしれない」

「マコトさんが……、魔法を?」

 わあっと、広場が沸いた。

 グリフォンが死んだという事実を、皆が受け入れたのだろう。

「グリフォンが、死んだ」

「グリフォンは死んだぞ!」

 人々は安堵の涙を流し、歓喜に泣いている。

 群集の歓声の中で、僕はリートの無事を悟り、彼女を強く抱きしめた。

「おい、君」

 そこで、警備兵に声をかけられた。

「……なんだ、君は。何をした。今のけたたましい音はなんなんだ」

「手に持っているその器具は……何だ? そこから音がでていたな」

 警備兵はわけのわからないものを見る顔をしている。

「今のは……音楽です」

「オンガク? なんだ、それは」

「君が怪音を立てたら、突然グリフォンが切り裂かれた。今のは――君がやったことなのか?」

「僕にもよくわかりませんが……多分、そうです」

 途端、おお……と皆からどよめきがもれた。

 感嘆と、それから畏怖、そして少しばかりの恐怖を込めた、複雑な声。

「素晴らしい一撃だった……グリフォンが、一瞬で無力化された」

「あのままだったら、どれほど被害がでていたか分からない。我々では、太刀打ちできる手段がなかった」

「皆が無事なのは、君のおかげだ。町を救ってくれて、ありがとう」

 警備兵が礼を言う。

 だが、賞賛する言葉とは裏腹に、表情は怪しいものを見る複雑な色が混じっていた。

「たまたま、上手くいっただけですから……。さあ、リート。行こう」

「は、はい……」

 リートを立ち上がらせた、そのとき。

「――疫病神め」

 ぼそりと、人々の中から低い呟きがもれた。

 次いで、カッと、石が地面に当たる。

 群衆の中から石が投げられたのだ。

「お前が、グリフォンを呼んだんじゃないか」

 誰のものともわからない声に、ざわりと皆がざわめく。

「……そうだ」

「……毎日、変な声をだしている、あの子……」

「……崖のところで……、儀式みたいな……」

 ざわざわと、囁き声が広がっていく。

 びゅん、と石が飛ぶ。

 その石はリートをかすめ、石畳にぶつかった。

「お前が妙なことをやっているから、魔物を呼んだんだ!」

「今まで魔物が町に出たことなんかなかったのに。いつか何かが起こると思ってたんだ」

「グリフォンがやってきたのは、お前のせいだ!」

 炎が燃え広がるように、人々の罵声が広がっていく。

 リートは立ったまま、青ざめている。

「この、疫病神が!」

「この町から、出て行け!」

 次々と石が飛んでくる。

 いまや町の人間が一丸となって、リートを非難していた。

「そんな! リートは関係ない!」

 僕はリートをかばうように少女を抱え込む。

 それでも、誰もそんな声を聞いていなかった。

「その子供を捕らえろ!」

 警備兵が集まる。僕の腕の中から、ひったくるようにリートが奪われた。

「リート!」

「マコトさん!」

「これより、魔物襲来の責任について、裁判を執り行う。被告人を連れて行け!」

 警備兵に拘束されたリートは、無理矢理引きずられていく。

 止めようとするが、警備兵に阻まれ、抵抗することができない。

 連行されていくリートの後を、僕は懸命に追っていった。


 だだっ広い建物の一室。

 その中央に、リートは立たされていた。

 周囲には興奮したままの群集が押し寄せる。

「この度の魔物襲来では、民衆に大きな被害が出た! 魔物を呼び込んだものの罪は重い!」

「そうだ!」

「そうだ!」

 警備兵の言葉に、人々が熱狂的に答える。

「この少女は、魔物を呼び込んだ疑いがもたれている。証言できる者はあるか!」

「その子供は以前から、怪しい行動ばかりしてるんだ!」

「『外』に近い崖で毎日奇声を発している! それが『外』の魔物を刺激したに違いない!」

 警備兵の正面に進み出た人物がいる。

「おばさん……」

 リートの叔母だった。

 叔母は言う。

「その子は昔っから、頭のおかしな子でした。妙な儀式を、何度やめさせようとしてもやめない。その子は悪魔つきです。その子が良くないものを呼び寄せたに違いない」

 忌々しい顔つきで、叔母はきっぱりとリートに罪を押し付けた。

「それでは採決を取る!」

 警備兵が手を挙げる。

「そんな、弁護は!? リートを弁護してくれる人はいないんですか!」

 僕は叫ぶが、群集のどよめきにかき消される。

 誰もそんなことを気にするものはいなかった。

「この子供に、魔物を呼び込んだ罪はあるか!?」

「有罪!」

「有罪!」

 有罪の合唱が巻き起こる。

「この子供への刑罰は!?」

「追放しろ!」

「町から追い出せ!」

「『丘』からの追放だ!」

 最後の叫びに、民衆がしんと静まり返る。

 一拍おいて、ぼそぼそと呟きが広まった。

「そうだ……町からの追放じゃ生ぬるい……」

「町から出たって、また崖で儀式を続けるに違いないんだ……」

「悪魔つきは、魔物だ。魔物は『丘』にはおいておけない……」

「『丘』からの追放だ!」

「それでは判決を下す!」

 警備兵が高らかに叫ぶ。

「魔物召喚の罪により、『丘』からの追放刑に処す!」

 わああ、と大歓声が巻き起こった。

 警備兵に引き立てられていくリートに、人々が殺到する。

 群集に押し出されるように、リートは進む。

 僕は必死にそれを追いかける。

 そのまま広場に出て、大通りを進み、町の門まで来た。

 民衆は門の内側で、罵声を上げ続けている。

「追い出せ!」

「二度と帰ってくるな!」

 警備兵がリートを門の外へと連れて行く。

 その際、リートの左手に向けて、

「記せ」

 と呪文が唱えられた。

「これで貴様には罪状が刻まれた。重罪人だ。二度と町に戻ってくることは許さん」

 リートはその左手を、ただじっと見つめていた。

「このまま崖へ連行する。さあ、歩け!」

 警備兵に連れられ、リートはそのまま町の外を進み、とうとう崖のすぐ手前までつれてこられた。

「貴様はこのまま『外』へ追放だ。この崖から出よ。これ以降『丘』へ立ち入ることは許さん」

「そんな! 外には魔物がたくさんいるんでしょう? 人は外では生きていけないんでしょう? リートは丘から追放されたらどうなってしまうんですか。彼女は何もしていないのに、そんなのひどい!」

 僕は警備兵にすがりつく。

「なんだ君は。悪魔つきをかばうのか」

「彼女は歌を歌っていただけだ! 何も悪いことなんかしていない!」

「くどい! もう決まったことだ!」

 僕は振り払われる。

「さあ、そこから飛び降りよ。運がよければ生きていけるかもしれん」

 警備兵は後ろに立って、リートを見張っている。

「リート……」

「マコトさん」

 リートは何かを諦めたような表情で笑っていた。

「こんなところまでついて来てくださったんですね。ありがとうございます」

「お礼なんていわないでくれ。僕は皆を止めることができなかった」

「いいんです。私が、普段からおかしなことをしていたから……。しょうがないんです。みんなには、嫌われていましたから」

「でも君が悪いわけじゃない!」

「魔物が出て、皆怖かったんだと思います。何かのせいにしないと、怖くて仕方がなかった……。私が追放されて、それで丸く収まるのなら、それが私の運命だったということなんでしょう」

「そんな! 追放されたら、君は命の危険があるんじゃないか!」

 そういうと、リートは寂しそうに微笑んだ。

「仕方ありません。皆が決めたことですから」

「何をしている。早く飛び降りんか!」

 警備兵が催促する。

「じゃあ……私は行きます。最後まで見守ってくれて、ありがとうございました」

 リートが深くお辞儀をする。

 そんなリートをただ見ていることなんて、僕にはできなかった。

「待ってくれ」

「? マコトさん?」

「どうしても君が行くというのなら……。僕もついて行く」

 きっぱりというと、リートは驚いたように目を見開いた。

「マコトさん!? 何を言うんですか。『外』に出たら、命の保証はありません!」

「君こそ、それが分かっているのに出て行く君を、放ってなんかおけないよ!」

 僕はリートの両手を握り締める。

「そんな危険なところに、君を一人でなんて行かせられない。それに、君のいない町に残るつもりはない。まして君を追い出した人たちの住む町ならなおさらだ。僕はあんなところに一人でいたくはない」

 リートの瞳を強く見つめると、彼女は動揺して視線を揺らした。

「君の歌は僕を救った。僕は君の歌が聴きたい。そのためならどこへだろうとついていくよ。例えそれが世界の果てでも」

「マコトさん……」

 リートは涙で目を潤ませた。

「マコトさんは、町で、安全に暮らしていけるんですよ? なのに、こんな私について、魔物のいる『外』に出るっていうんですか? どうしてそこまで?」

「理由はもう言ったよ。君の歌を聴きたい。それだけだ」

「本当に、ついてきてくれるんですか……?」

「ああ」

 リートの瞳から涙がこぼれた。

「嬉しい……。嬉しいです。ありがとうございます。ごめんなさい……」

 ぽろぽろと、彼女は涙をながす。

 僕はそんなリートをぎゅっと抱きしめた。

「早く飛び降りろ。これ以上ぐずぐずするようなら、叩き落すぞ」

 警備兵が詰め寄ってくる。

「今、行きます」

 リートが崖から降りようとする。

 そんな彼女を、僕は制止した。

「待って、リート。試してみたいことがあるんだ」

「マコトさん?」

 僕はバイオリンを構える。

「このまま崖から飛び降りたんじゃ、地面にたたきつけられて死んでしまう。君がグリフォンに襲われたとき、僕は無意識にバイオリンを弾いていた。あのとき起こったことが偶然じゃないなら、僕の音楽には、力があるかもしれない」

「力が……」

「君のために、試してみるよ」

 そして僕はバイオリンを弾く。

 朗々と奏でるメロディ。静かで、美しい旋律。

 音の波は伸びやかに宙を駆け巡る。

 空を飛ぶ鳥に焦がれ、翼を願った――。

「『翼をください』」

 バサッ! と。

「わあ……!」

 僕の背に、存在しないはずのそれが、現れていた。

 鳥のように。白く大きな翼が。

「さあ行こう」

「マコトさんは……天使だったんですか……?」

 目を丸くするリートに、僕は笑う。

「僕はそんなものじゃないよ。もし天使なんてものがいるとするなら、それは君の方だな」

 そう言って、僕はリートを抱きかかえる。

「しっかりつかまって。行くよ。準備はいいかい?」

「――はい、マコトさん。大丈夫です」

 そして僕は、空を舞った。

 崖を蹴り、空中に身を躍らせて。

 風を切って落下する。それから。

 ばさりと、背に生やした羽が羽ばたいた。

 風を捉えて、ゆっくりと飛翔する。

 リートと二人、ふわりと宙に浮いた。

「すごい! 空、飛んでます……!」

「そうだね。僕も初めての経験だ」

 落下感と浮遊感。相反するそれを感じながら、少しずつ地面へ近付いていく。

 そうして僕らは『丘』を出て、『外』の世界へと降りていった。

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