「ウタ」に触れた少女
「僕は……外からきました」
そういった途端、女性の表情がにこやかに変わった。
「まあ! 『外』から! そりゃあ大変だったねえ。今晩泊まるところはあるのかい? え? ない? じゃあうちへ寄っていきなよ! 泊まっていくといい。さあさ、お入り」
またたく間に家へ迎え入れられる。
「そこで手を洗っておくれね」
「え? ここで、って……」
案内された先には、壁に取り付けられたシンクしかなかった。蛇口も何もない。
「ああ、そうか。『外』の人なら見たことないやね。ここで流れろと言っとくれ。壁の魔石から水が出てくるからね」
「流れろ」
と言うと、壁面の一つだけ色が違う石――これがおそらく魔石だろう――から、水が流れてきた。
「止める時は止まれと言っとくれね」
女性はどかっと椅子に座った。
「『外』の人と会うなんて初めてさ! さあ、『外』の話を聞かせておくれよ」
「あの、それより、リートのことなんですけど……」
リートの名前を出すと、途端に女性の顔が険しくなった。
「あの子が何かしたかい!?」
「いいえ。ただ、とても良い子なのに、あなたが辛くあたるのはどうしてなのかと……。町の人にも、嫌われていると言っていましたし」
「あの子は頭がおかしいのさ」
女性は苦虫を噛み潰したような顔をして吐き捨てた。
「いつも訳の分からない声を出して、高かったり低かったり、でたらめに声を上げて遊んでる。奇声だよ。それがいかにも楽しいって顔でにこにこ笑ってるんだから。近所でも疎まれてるよ。今に何か悪いものでも呼ぶんじゃないかって」
「訳の分からない声……」
愕然とした。
僕があれだけ感動を覚えたリートの歌が、唾棄すべきものであるかのように語られているのが信じられなかった。
それだけではない。
(この世界の人は、歌を知らないのか……!)
リートが特別物を知らなかったわけではない。『歌』という文化自体が存在しないのだ。
歌がないということは、もちろん音楽も……。
(音楽がない世界……)
一度は捨てた音楽だが、いざそんな世界に来てみると、深い虚無感に襲われた。
「――ちょっと、あんた。大丈夫かい?」
「――あ、ええ。……大丈夫です」
心に感じた動揺を押し隠しながら答える。
そして言った。
「リートの声は、とても素晴らしかったですよ」
「……あん?」
「僕は、彼女の声は、とても素晴らしいと思いました」
それだけは、はっきりと言う。
「はあん……。やっぱり『外』の人ってのはちょっと変わってんだね」
女性は顔をゆがめて、
「あんたがどう思おうと、この町でのリートの評判はもう決まってんのさ。不審な奴ってね! よそ者がうちのことに口出さないどくれ。いいね!」
だん! と机を叩くと、女性は台所仕事を始めた。
その隙にリートを見つけ、僕は話しかける。
「リート……」
「しっ、マコトさん。静かに。また明日、話しましょう。それまでは黙って見ていて。後で話しますから」
口早にささやき声で言われ、そのままリートは立ち去ってしまった。
その後のリート家での居候は、ひどく気分が悪いものだった。
食事をするときも――ちなみに、火力も魔法で、燃えろ・消えろの言葉で操作しているようだった――リートは一人だけ床に座らされ、食事の量も少なかった。
お風呂もリートは入れてもらえた様子はなかったし、夜は地べたで毛布にくるまって寝ていた。他の者にはベッドに布団があるのにだ。
翌朝、すぐにでも出て行きたかったが、リートが家の中で忙しく立ち働いているので、見守るしかなかった。
昼過ぎになって、ようやくリートが、
「おばさま、朝のお仕事が終わりましたので、外に行ってきます」
と言うので、僕もでかける準備をした。
「ふん。毎日毎日酔狂なことだね。精々早めに帰ってくるんだよ!」
「はい。いってきます」
最後までリートはにこやかに笑顔を浮かべていた。
リート家を出ると、息苦しさから解放されたような気分になった。
「胸がつまりそうだったよ。どうしてあんな……」
「待ってください、マコトさん。もう少しだけ、町の外にでるまで……」
昨日と同じように、町の門を抜ける。
このときもリートは門番に冷笑で迎えられた。
崖の側まで、町から離れる。
昨日リートと出会った場所だ。
そこまできてようやく、リートは僕を振り返った。
「マコトさん」
そして、深く頭を下げる。
「ありがとうございました」
「えっ? 僕、何もできてないよ。ただ見てただけで……」
「いいえ。おばさまに、私の声が素晴らしかったと、はっきり言ってくださいました」
リートは目に涙を浮かべている。
「私が、どれだけ、嬉しかったか……。いつも馬鹿にされ、気味悪がられるだけの私の声を、褒めてくださった。それだけで、私は感謝の気持ちでいっぱいです」
「そんなの! 僕の方こそだよ。君の歌のおかげで、僕は救われたんだ。とても、感謝している」
「ふふ、じゃあおあいこですね」
嬉しそうに微笑むリートは、とても可愛かった。
「あれは……あの家は、なんなの? おばさまって呼んでたね」
「あの方は……私の、母の姉です。父も母も、両親は、亡くなってしまいましたから……。おばさまに引き取られて、暮らしているのです」
「あんな、こき使って、食事も寝床もろくに与えないような生活、ひどいよ」
「私が悪いのです。私が、声の波をたどることを、どうしてもやめることができないから」
「歌のこと……だね」
「はい。マコトさんはそうおっしゃるのですね。ウタを……そらんじている間は、楽しくて、幸せで、わくわくして――。どこにだって飛んでいけそうな気がするのです」
「君の歌、もう一度聴きたいな」
「ふふ……そう言ってくださってよかった。今日も、その気でここまで来ましたから」
「いいよ。じゃあ、歌って」
「はい――」
すう、と息を吸い込んで。
「らー……」
声が、空に溶けていく。
軽やかに高く、切なげに低く。
声の波が、ゆっくりゆっくり、たゆたっていく。
「らー……らー……らー……」
瞬いて流れる彗星のように。
空をあかく染め上げる朝焼けのように。
澄んで、輝く歌声。
僕はそれにずっと聞きほれていた。
「……以上、です」
リートの独唱が終わったとき、僕は全力で拍手していた。
「素晴らしかったよ。今日も」
「ありがとうございます」
その後は、二人で雑談をして過ごした。
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