最後の丘

「ここは、死後の世界じゃないんだな。じゃあ、どこなんだ?」

「さっきも言いましたけど……みんな、『最後の丘』って呼んでいます。周囲を切り立った崖に覆われた丘で、生き残った人たちが集まって暮らしています」

「生き残った……? さっきも外には人は住んでいない、とか言ってたな。外には、何かあるのか?」

「魔物がいます」

 少女の声には、恐怖がこめられていた。

「人は外では、生きていけません。この『丘』には、崖に阻まれて、魔物が入ってこられない。だから人が生きていけるんです」

「魔物がいる世界、か……」

 僕はため息をついた。

「どうやら、元いた世界とは、ずいぶん違うところに来てしまったみたいだ」

「お兄さんはどんなところから来たんですか?」

「どんなって、少なくとも魔物は――いや」

 言いかけて、やめる。

「やっぱり、似たようなものはいたかもな」

「?」

「僕のことはいいよ。それより、君の話が聞きたいな。皆が暮らしているところって、どんなところ?」

「どんなところって言われても……。普通のところですよ」

「……そうか。自分にとって当たり前のことを説明しろといわれても、困るよな」

「お話しするより、実際見てみてはどうですか?」

「え?」

「お兄さんがどこから来たのか知りませんけど、これから暮らしていくためには『丘』の町に行くしかありませんから。私が案内しますよ」

「暮らしていく……」

 その言葉を聞いて、僕の表情が曇る。

「そうか。僕はまたここで、生きていくしかないんだな……」

「……お兄さん?」

 少女が心配そうに覗き込む。

「生きて、いたくないんですか?」

「なかったよ。……さっきまではね」

 僕は顔を上げる。

「でも、君の歌を聴いたから」

「ウタ……」

「こんな歌があるのかと、感動した。もっと君の歌を聴きたい。色んな歌を聴いてみたい。だから今の僕は生きている。君についていくよ」

「お兄さん……」

 少女は顔を赤くしていた。

「そういえば、まだ名前も名乗っていなかったね。僕は真。竜胆真」

「マコトさん……。私は、リートです」

「リート。よろしく」

「よろしくお願いします」

 僕は、リートと握手をした。

「ところで、マコトさん……」

 リートがちらりと、僕の左手を見て言う。

「その、手に持ってる、黒いものはなんですか?」

「ああ……これは、バイオリンのケースだよ」

「ばいおりん……」

「まあ、知らないよな。楽器の一種さ」

「がっき……?」

「楽器も知らないのか?」

 僕は驚く。この少女はどんな環境で育ったのだろうか。

 弾いて見せてやろうかと思ったが――やめた。

 まだ、これには触りたくない。

「ま、機会があればそのうちみせてあげるよ」

「はあ……」

「それじゃ、町に行こうか。案内してくれる?」

「はい、行きましょう」


 しばらく歩くと、レンガ造りの壁が見えてきた。

 高さは三メートルほどだろうか。見渡す限り、左右にずっと広がっている。

 中央に、扉が見えた。両脇に、門番と思しき男性が一人ずつ立っている。

「あれが町の門です」

「大きいね。あの壁は町中を覆っているの?」

「はい。万が一、魔物が崖を越えてきたときのために……」

「門番っぽい人がいるけど、通るとき何か聞かれないかな?」

「聞かれると思います。通行には身分証が必要ですから」

「僕、何も持ってないけど……」

「『外』から来たって言えば、通してもらえると思います。ごくまれにですが、生きている人がいて、時々『丘』にやってくると聞いたことがありますから。きっと歓迎されますよ」

「そうか……」

 門が近づいて来るにつれて、なぜかリートは僕から距離をとろうとした。

「リート。なんでそんなに離れるんだ?」

「マコトさん」

 リートはその鮮やかな紅色の瞳で真っ直ぐに僕を見て言った。

「町では、私から離れていたほうがいいと思います」

「どうして?」

「……町に入れば、すぐに分かりますよ」

「……。いやだね」

「マコトさん?」

「僕は君の歌に救われてここにいるんだ。この世界にいる限り、君と一緒にいるよ」

「マコトさん……」

 リートは驚いたように僕を見た。

 そして少し悲しそうに微笑むと、言った。

「わかりました。それじゃあ、一緒に行きましょう」


「止まれ。身分証を見せろ」

 門番に言われ、リートが左手を石の上にかざす。そして、

「示せ」

 と唱えた。

「よし、通れ」

 通行が許可される。

「ふん。今日もまた妙な儀式か。毎日毎日よくも飽きんことだ」

「……」

 門番の一人がさげすむような視線でリートを見て言う。

 その様子を怪訝に見ていると、門番に問いかけられる。

「おい。誰だ、お前。見ない顔だな」

「あ……僕は……えーっと、『外』から来ました」

「『外』から!?」

「『外』だって!?」

 ぎょっとしたように詰め寄る門番。

「よく生きてたなあ!」

「『外』は今どんな感じなんだ!? 他にも生き残りはいるのか!?」

「あ、えっと、僕一人だけです。外のことは……僕、記憶が曖昧で」

 そういうと、門番はさもありなんとばかりに同情してくれた。

「『外』は過酷だもんな……。ショックで記憶喪失になってもおかしくない」

「人間なら誰でも歓迎するよ。ようこそ、『最後の丘』へ。念のため、石に手をかざしてくれるか」

「はい」

 ……そのまま沈黙が落ちる。

「……あ、ああ、そうか。『外』の人なら知らなくて当然だな。石を起動するために、示せと唱えてくれ」

「示せ」

「……よし、犯罪歴はないな。通っていいぞ」

 無事、門の中へと入ることができた。

「外の人だって、あっさり信じられたね」

「ふふ。あの門は魔物を防ぐためのものですから。人であれば、基本的には通れます」

「それでも身分証が必要なんだ?」

「あれは犯罪歴の有無を確認するためですね。重犯罪を犯した人は町には入れません。もっとも、そんな人はめったにいませんが」

「あの石は?」

「あれは魔石です。手に記録されたその人のデータを読み取る装置ですね」

 言って、リートはふふっと笑う。

「マコトさん、ほんとにこの世界の人じゃないんですね。当たり前のこと聞いてる」

「僕にとっては見るのも初めてなものばかりだからね」

 門を通り抜けると、石畳の大通りが広がっていた。

 通りの両脇にはレンガ造りの家が立ち並んでいる。

 リートは大通りから一本路地に入り、細い道を進む。

 そのあたりから、真は妙なことに気がついた。向こうから歩いてくる人たちが、なぜか決まって、顔をしかめて、自分達を避けていくのだ。

「……ねえ、リート」

「なんですか?」

「さっきから、僕達避けられてる気がするんだけど」

「……。避けられてるのは、私です」

「え? どうして?」

「……町に入れば分かる、っていいましたよね。これがその理由です。私は町の人に嫌われているんです。そんな私といると、マコトさんまで一緒に避けられてしまうから、だから別々に――」

「そんなことはどうでもいい。どうして嫌われているんだ?」

「それは――」

「リート! やっと帰ってきたのかい!」

 突如響いた大声に、リートはびくりと身をすくませる。

 見れば、小太りの中年女性がずかずかと歩み寄ってくる。そしてリートの腕をつかむと、強引に引っ張って言った。

「毎日毎日奇声を発して、恥ずかしいったらないよ! やめろって言っても聞きやしないし。帰ってきたんならさっさと掃除するんだね!」

 どんっ、とリートが家の中へと突き入れられる。

「リート!」

「……あん? あんた誰だい」

 じろりと女性が僕を見る。

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