本成寺 鬼踊り
テイル
節分
同じ名前の行事でも地域によっては別物、なんて話は珍しくない。
節分だって、そのうちの一つだ。広く知られているところでは、
私が子供の頃に経験した節分の一つは、生徒会だか各クラスの代表者だかが体育館のステージに立ち、落花生――調べて知ったことだが、節分に落花生を使う地域は少数派らしい――を投げ、それを全校生徒が拾うタイプだ。拾った落花生は持ち帰り、おやつにする。どこに節分の要素があるのかイマイチわからなかった。別の節分は豆すらなくなり、小さな菓子を投げられては拾わされていた。
そして最後に一つ、私が通っていた小学校の話だ。
我が母校の節分には、鬼が来た。
父兄や教師、ボランティアの演じる鬼ではない。
本物の鬼。
詳しいところは不勉強にて存じ上げないが、法華宗総本山本成寺の一大行事として行われるのが本成寺鬼踊り、ということだ。出張公演ということで来て下さっていたらしい。鬼は外、どころか、我が母校は諸手を挙げて鬼を歓待していたのだ。なんということであろう。
その本成寺鬼踊りについて、心に残っているエピソードがある。
極めて個人的な話だが、当時の同級生がおぼえているとは思えないし、今後の人生で披露する機会もないだろうから、ここに書き記したい。
本成寺鬼踊りの段取りは、大まかにこんな感じ。
まずステージ上に数人の鬼が現れ、物騒な得物を振り回して踊る。彼らは面どころではなく、全身に色取り取り鬼の衣装を
そして鬼の
随分と昔の話なので、正直なところ、あまり詳しくはおぼえていない。細部は違うかもしれないが、大体は合っているはずだ。
私が小学校一年生のときだ。
ホームルームで担任のO先生から、最初にステージ上から鬼を追い出す役を決めようと告げられた。当時の私は、一応は子供らしい快活さを持っていたものの、一人ではなにもできないタイプの泣き虫だった。だからそういう目立つ役、人前に立つ役を、とにかくやりたくなかった。だから挙手を求められればとりあえず俯き、他の誰かがそれをやることを信じていた。
だが、そこで驚くことになる。
O先生は代表者を募ることすらせず、その役を私にやらせたいと仰ったのだ。これが最近の小学校であれば、他の児童の父兄から非難が上がったはずである。
私は
とはいえ、それは別に大役というわけではなく、同じ役の子も各学年各クラスで十数人もいた。おかげで問題なく役目を終えることができたのである。
私は貴重な伝統文化を体験できたし、この一件に特筆すべき事件はなにも起こらなかった。
私は、とにかく頭の回らない子供だった。祖母に長いこと知恵遅れと疑われていたらしいし、実際そうかもしれない。自我の芽生えも随分と遅かった気がする。だからO先生の意図にも気づかなかった。
小学校二年生になる年、私は引っ越しに伴って転校することになっていた。節分は二月上旬だから、別れの時は目前だ。
O先生は、私に最後の思い出を与えてくれたのだ。
先生は私が目立つ役をしたがらないと知っていたはずだ。しかし、その経験が大人になった私に深い影響を与えることも確信していたのではないだろうか。
本当に恥ずかしいことに、先生の真意に気づいたのは十年以上も経ってからのことだったように思う。
転校先の学校での節分は先に述べた通り、落花生を配るだけのイベントだった。中学校では、飴を配るだけのイベントだった。今となっては節分なんて同僚との雑談にすら現れない。
それでも私にとって節分は特別な行事なのだ。
私にとって節分とは、あの本成寺鬼踊りのことなのだ。
楽しい思い出が少ない学生生活を送ってきた。年の頃では大人になっても、当時を思い出しては落ち込むことばかりだ。それは多分に自分のせいなのだけど。
その中で節分の出来事は、私の人格の一角を、確かに形成している。数少ない幸福な思い出として、確かに残っている。
二月が来るたび、そのことを思い出す。四半世紀以上を生きて大きな病気を経験せず、精神も生活も安定し、家族もぴんぴんしている、その
あのとき追い出した鬼の形の邪気邪念を。その機会を与えてくださったO先生のことを思い出す。
思い出すたび、私の胸には柔らかく暖かい熱が灯るのだ。
数年ほど前、たった一年しか通わなかった母校が、少子化のあおりを受けて廃校となったことを知った。
寂しくないといえば嘘になる。だが、あの節分の日の出来事が、忘却されようとしている母校の景色を私に繋ぎ止めてくれている。
あの鬼のことを、一生忘れない。
本成寺 鬼踊り テイル @TailOfSleipnir
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