植物とうどんと我輩。

枝戸 葉

第1話

 植物は地球の支配者である。

 既に植物の知性に関しては数多くの研究報告が出されている。彼らは光合成という名の全ての生命の生存上不可欠な装置を独占し、人間を遥かに超える20もの感覚器官を持ってして周囲の状況を認識しているのである。

 彼らは原初より圧倒的にこの地球の支配者である。

 バイオマス、つまり生態学における生物量において、全世界の生物量におけるなんと99.5%以上の占有率を占めるのが彼ら植物である。動物などたったの0.5%、人間などその中の更に小さな割合しか存在しない。圧倒的なまでのその物量。戦争は数だと、我輩の尊敬申し上げるかの中将も言っていた。

 何度でも言おう、植物はこの地球の支配者である。

 そしてついに最新の研究で明らかにされつつある植物の知性、感受性により、彼らは人間とは全く違う文化を構成し、支配者足るべく悠然と生きているのである事が示されつつある。人間など、仮に彼らに意識があったとすればその辺の虫と同じでしかない程度にしか認識されていないのではないか。


 さて、ここで本題である。

 ここにうどん県という場所がある。

 話が横にそれ過ぎている、などと余計な口出しは無用に願おう。そんな失礼な奴が1人でも居たからにはお仕置きとして光合成を拒否すると植物様が仰せである。全人類的問題である。控えおろう。

 さて、ここにうどん県という場所がある。

 我が故郷である。そして彼らは皆等しくうどんが好きである。我輩もそうである。そうでない者は非国民である、吊るしあげよ。もしくは偽物である、捕まえよ。もしくは突然変異による進化である、その場合は崇め奉るべし。


 しかしである。麺とは何もうどんだけではないはずだ。東京コンクリートジャングルで10年ほどの時を過ごした我輩には分かる。ラーメンは旨い。特に深夜の残業の後、疲れた体を引きずり同僚と喰う豚骨ラーメンは心に染みる。

 そうめんもある。というか香川県の小豆島手延べそうめんは三大そうめんの1つである。これを無視する訳には行かぬ。真夏の暑さの前に3分ごとにくじける我輩の執筆欲を、何度そうめんに救われた事か。氷できっちりと冷やされた彼らはいわば、真夏のエンジェル。純粋無垢な少女のような清々しさだ。

 蕎麦はね……まぁ、相当お世話になったよね。特に東京の各駅前の立ち食い蕎麦。と言っても無茶苦茶旨い訳じゃぁないが、しかしあれはもはや文化である。あの昼時の若干殺伐とした席の奪い合い。肘と肘が接し、食い終わった男の席を真っ先に抑える位置どり、それもあたかも我輩は最初からいましたけど? という雰囲気を醸し出す絶妙のタイミング。まさに戦場と言って差し支えない。

 パスタ? そんなものは知らん。しかし旨いのは認めよう。


 他にも世界中には様々な麺が存在する。それなのになぜ、うどんなのか。これが問題だ。いや、事はもはやうどん県民全てにおける命題と言っても差し支えないだろう。うどん県民は須らく、この命題に回答を持たねばならない。

 これは既に哲学である。私がなぜ私なのか? と世界中の哲学者が問うように、うどん県民もまたうどんはなぜうどんなのか? と問わねばならない。


 さて、ここでやっと最初の話に繋がる。植物様のお出ましである。

 植物は動物と比して、一般に一個の魂を持たないと考えられている。それもそのはずである。なぜなら彼らは株分けや挿し木などにより身体の一部から自らと全く同じコピーを作り出す事ができる。人間で言えば切り離した腕から自分が複製されるようなものである。従って人類に類する意識、魂を彼らが持つことなどあり得ない。

 しかしここに、興味深い新説がある。

 植物の身体は一種の断片の集合的存在、モジュール構造のコロニーとして機能しているというのである。そのコロニーによって1個の生命体の如き形質、無意識的活動を共通して持ち持続している、そう言うのである。

 これは言わば一種の集合的無意識ではなかろうか。全体を指令する中枢、所謂脳を欠いているにも関わらず、彼ら植物は共通の生存目的に向かって身体の各部で連携を取り、時には電気信号も発して連絡し合い、時には化学物質を放出して外部とのコミュニケーションさえ図るのである。


 そしてうどん県民もまた、そのうどん好きに中枢などない。県庁職員の放つ催眠電波にかかり、全員が幻を見ているなどと言うことはあり得ないと我輩は断言する。まるで集合的無意識で繋がりあっているかのように、等しくうどんが好きなのである。その中の各員で連携を図り、こっそり穴場のうどん屋情報が流れてくる。この集合的無意識は生きている! ここに興味深い関連を我輩は確信した。


 植物とは何か? そしてうどんとは何か? そして人生とは何か?

 これらは等しく哲学的問答である。

 うどんとは何か。

 集合的無意識とは何かを考えれば、そして植物とは何かを考えればそれは自明である。

 うどんとはつまり、うどん県の真の支配者である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

植物とうどんと我輩。 枝戸 葉 @naoshi0814

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ