第2話 承

「バイト先の女の子がさー、『DRAGON』のメンバーだったの。それでパーティーで薬盛られてやられちゃったんだって。あのサークルさー、パーティーのことレイブって呼ぶんだけど、『レイブじゃなくてレイプだろ』とか言われてるぐらいヤバいらしいね。警察なにやってんのって感じ。この間も夜中歩いてたら職質受けてさー、なんか近所でひったくりが出てるらしいんだけど、完全に俺のこと犯人扱いなの。俺、超ムカついてさー」

 小笠原先輩はぺらぺらと詳細を話してくれました。ただし話した内容はほとんど自分が受けた職務質問のことでした。そして分かったことは、小笠原先輩の知人女性が『DORAGON』のパーティーで強姦被害にあったことだけでした。

 わたしたちは再び、小笠原先輩を質問攻めにしようとしました。だけど小笠原先輩が「直接聞いた方が良くない?」といきなり電話を始めて、それは中断されました。

「あー、うん、俺。あのさー、こないだ話したサークル潰しの件なんだけど。え、超本気だよ。当たり前じゃん。余命半年なんだからやりたいことをやんないと。それで話戻すけど、仲間をゲットしたのね。で、仲間に説明して欲しいんだけど――」

 小笠原先輩はしばらく話をした後、あっさりわたしたちに告げました。

「明日、会って話してくれるって」

 頼んでいません。そして小笠原先輩は話を大きくするだけ大きくして、何事も無かったかのように自分が借りて来たアニメ映画のDVDを見始めました。映画はとても面白くて何だか悔しかったです。つまらなければ文句の一つも言えたのに。

 その日はそのまま、船井先輩の部屋にみんな宿泊。そして翌日、わたしたちは小笠原先輩が待ち合わせ場所にした喫茶店に向かいました。

 店に入る前、小笠原先輩は「船井君と安木君とマイは相席しないで近くで聞いて」と指示を出しました。わたしは首を傾げ、尋ねます。

「わたしはいいんですか?」

「うん。いーよ」

 どうしてですか。聞く前に、小笠原先輩は店に入ってしまいました。店にいた待ち合わせの女性――名前は吉永さんと聞いていたその人は、金に近い長めの茶髪にパーマをかけていて、ちょっと派手な感じの人でした。

 吉永さんはわたしを見て「この子がそうなの?」と小笠原先輩に問いかけました。小笠原先輩は「うん、そー。あと三人いる」と答え、そして続けます。

「話してあげてよ。お願い」

 吉永さんがポツポツと語りはじめました。新宿のクラブを貸し切ってパーティーをしたこと。お酒を飲んだらまともに歩けないぐらいにフラフラになったこと。そしてそのままホテルまで強引に連れて行かれて――そういうことになったこと。話しているうちに、だんだんと声が小さくなっていました。

「警察には行かなかったんですか?」

 わたしの質問に、吉永さんはふるふると首を振りました。

「行ったら、無かったことに出来ない気がして」

 警察に行かなくたって、あったことを無かったことになんて出来ません。でも言いたいことは分かります。気持ちの問題なのです。

「でさー、あいつら、次いつ集まるの?」

「次のレイブなら、二週間後にあるみたいだけど……」

「そっか。じゃあ、そこだなー」

 二週間後。わたしは声を上げました。

「そんな早くは無理ですよ!」

「えー、だって余命考えたら、これ逃したら次のチャンスないかもじゃん」

 お金が足りないぐらいの感じで軽く、命が足りないと言う小笠原先輩。わたしは黙りました。そんなわたしに、吉永さんが声をかけます。

「私は本当に忘れるからいいのよ。無理はしないで」

 サークル潰しは吉永さんが頼んだわけではない。小笠原先輩が勝手にやろうとしているだけ。ということは、止まりません。

「小笠原先輩が、やりたいらしいので」

 わたしは小笠原先輩をチラリと見やりました。吉永さんは諦めたように「そうね」と呟きました。この人、小笠原先輩を分かっているな。そう思いました。

 それから少し話した後、吉永さんはその場を去りました。すぐ、わたしたちのテーブルに船井先輩たちが合流します。集まってから最初に発言したのは長野先輩でした。

「どうしてあたしたちは相席しちゃダメだったの?」

 小笠原先輩は、吉永さんが去って行った方を見ながら答えました。

「知らない人が目の前に沢山いると身体が震えるんだって。特に男は絶対にダメ」

 場がシンと静まり返りました。その沈黙を小笠原先輩が破ります。

「とにかく話は聞いたでしょ。二週間後、決行だから」

「決行って、何すんだよ」

 船井先輩が口を尖らせました。常識人な船井先輩らしい、とても普通で正当なツッコミです。そしてやっぱり、常識人ほど小笠原先輩には振り回されます。

「次の土曜まで一週間かけて、それぞれで作戦を考える。後で持ち寄って、その中から俺が選ぶ。それで行こう」

「お前は?」

「もう決めてあるよ。色んな意見聞きたいから、相談禁止でお願いね」

 船井先輩がポカンと口を開けました。気持ちは分かります。一方的過ぎます。

「じゃあ、俺、用事あるから今日はこれで解散ね。パーティーチケットは手に入れとくから安心して。よろしくー」

 小笠原先輩が店の出入口に向かいました。嘘でしょ。そう思ったけど、嘘じゃありませんでした。小笠原先輩は普通に出て行きました。信じられません。

「……大変なことになっちゃいましたね」

 わたしの呟きに、長野先輩が答えました。

「うん……それにしてもあの女の人……巨乳だった」

 全然見ていませんでした。ちなみに長野先輩の胸は本人曰く「ビリヤード用に設計されたコンパクト仕様」になっています。わたしも同じです。

「どうする?」

 船井先輩が安木先輩をじっと見据えます。流されて、わたしと長野先輩も同じことをします。三人分、六つの視線を受けながら、安木先輩はおもむろに口を開きました。

「紙とペンを用意しよう」

 AのためのBのためのC。わたしたちは続きを待って、口を閉じます。

「あいつは僕たちそれぞれの僕たちらしい答えを求めている。それなら、最初にパッと思いついた答えが一番近い。とりあえずそれをメモしておこう」

 なるほど。安木先輩はいつもとても深いことを考えています。たまに話す順序がおかしいだけで。

長野先輩が鞄からメモ帳を取り出して、一枚ずつ千切って配りました。最初に思いついたこと。わたしはさらさらとペンを走らせ、そして紙を四つ折りにします。

「じゃあこの話は、一週間後まで無しね」

 長野先輩の言葉に、全員が頷きました。それからわたしたちは、昨日、小笠原先輩が借りて来たアニメ映画について語り合いました。本当に面白かったのです。悔しいけど。


      ◆


 その日は、それからすぐに家に帰りました。

 わたしは実家から大学に通っています。公務員のお父さんと、専業主婦のお母さんと、二つ上のお兄ちゃんが住む二階建ての一軒家。何の変哲もない四人家族です。

 帰ってすぐ、部屋のベッドに寝転がりました。そして喫茶店で書いたメモを開いて、はあと大きく溜息をつきます。どうしてわたしはこうなんだろう。自分で書いたくせにイヤになります。

『警察に通報する』

 なんて優等生。そしてなんてつまらない。もはや作戦ですらありません。いの一番、最初に思いついたことがこれ。情けないです。

 わたしは「ふつう」なのです。両親が揃ったふつうの家で育って、特別に頭がいいわけでも悪いわけでもないふつうの学校に行って、孤立することもグレることなくふつうに友達を作る、とてもふつうな女の子。そんなわたしは、ふつうじゃないものにとても強く惹かれます。

 例えば、小笠原先輩。

 ビリヤードは予測が大事な競技です。玉がこう当たればこう動く。そういう予測の精度と、予測を実現する精度の高い人が、最後には勝ちます。

 わたしという玉はとても素直な動きしていると思います。張り合いがないぐらいに思ったように動いてくれる玉。だけど、小笠原先輩は違います。跳ねたり、割れたり、やりたい放題。スタートは普通のビリヤードのゲームでも、すぐに小笠原先輩をどう扱うかのゲームになってしまう。ルールすら支配するほどに自由なのです。

 余命半年。

 半年後に自分の命が無くなってしまう。考えるだけで恐ろしいです。わたしならまともにご飯を食べることすら出来ません。でも小笠原先輩はいつも通りちゃらんぽらん。小笠原先輩は、ちゃらんぽらんだけどふにゃふにゃではないのです。わたしは逆に、真面目だけどふにゃふにゃ。中身がない。

 開いたメモ帳をじっと見ます。『警察に通報する』。小笠原先輩がこの意見を気に入ることは、まず間違いなくありません。わたしは選ばれません。でも、次の土曜まではあと一週間もあります。ここで小笠原先輩に選んでもらえる作戦を捻り出すことが出来れば、わたしはふにゃふにゃじゃなくなる。中身が出来る。そんな気がします。

「――よし」

 わたしは部屋を出ました。温かいレモンティーを飲んで頭を働かせるために、リビングに入ります。そしてソファに座り、一人でテレビを見ているお父さんに、何となく話しかけました。

「ねえ、お父さん」

「ん?」

「わたしが余命半年って言ったら、どうする?」

 お父さんは、目をパチパチさせながら、不思議そうに呟きました。

「そういう映画でも見たのか?」

 映画。そうだよね。そういう世界の話だよね。わたしは「ちょっとね」と誤魔化して、食器棚のカップを取りに向かいました。


      ◆


 一週間もある。甘かったです。一週間しかないが正解でした。

 答え合わせの前日、金曜日になっても、わたしの頭の中の回答用紙には『警察に通報する』が書いてありました。他に思いつかないのです。というより、思いついても『会場を爆破する』とかだから、これはダメだよねと却下してしまいます。なんとなく小笠原先輩は、そういう怪我人が出る方法は選んでくれない気がします。

 金曜はサークルの活動日です。行きつけのビリヤード場でワイワイ球を撞く日。わたしは長野先輩と同じ台で撞いていました。小笠原先輩は「花台」と呼ばれる一番出入り口に近い台で、OBの一番上手な方と撞いていました。

 小笠原先輩はとてもビリヤードが上手いです。カコンと気持ちのいい音を立てて、吸い込まれるように玉が穴に入っていきます。そしてわたしは下手くそです。ビリヤードは体軸がぶれないことが重要なのでふにゃふにゃだと弱いのです。こんなところにも、わたしと小笠原先輩の人間力の差が出ています。

 ゲーム合間、長野先輩が「ちょっと休憩」と台の近くの長椅子に腰かけました。わたしは横に座り、我慢できずに問い尋ねます。

「マイさん、明日のやつ、決まりました?」

「うん、決まってるよ」

 ですよね。明日ですもんね。わたしは軽く溜息を吐きました。

「決まってないの?」

「はい。というより、しっくりこなくて」

「何でもいいじゃん。小笠原、別に怒らないよ。つーか、あいつはあいつで考えてるみたいだから、よっぽどの意見が出ない限り自分の通すでしょ」

 そのよっぽどの意見を出したいのです。小笠原先輩が「いいねー、それ、俺のよりいいわ。採用」と言ってくれる作戦を考えたい。

「小笠原先輩って、どういう作戦が好みなんでしょう」

「さあ。聞いてみたら?」

 聞く。そうか、その手があったか。目から鱗です。

 わたしはチラリと小笠原先輩を見やりました。OBの方と楽しそうに話していて、なかなか入り込める雰囲気ではありません。しかもあの人たちが小笠原先輩の余命のことを知っているかどうかも分かりません。小笠原先輩のことだからさらっと話しているかもしれないけれど、そこに賭けるのは少し危険です。

 後で話をする約束を取り付けよう。わたしはそう決めました。作戦のこと以外にも聞きたいことはいっぱいあります。これはちょうどいい機会です。

 わたしは花台まで行きました。そしてOBの方が撞いている傍ら、椅子に座って自分の手番を待っている小笠原先輩に話しかけます。

「小笠原先輩」

「なに?」

「今日の夜、空いてませんか? 二人きりでお話がしたいんですけど」

 OBの方が、勢いよくこちらを向きました。

 一年生の女子が三年生の男子を誘い出そうとしている状況に、わたしはその時になって初めて気づきました。そして気づいた瞬間、頭の中が真っ白になりました。なんとかしないと。焦って考えれば考えるほど、言葉は出てこなくなります。

 小笠原先輩はいつも通りへらへら笑いながら、あっさり言い放ちました。

「えー、今日はオールするから無理ー」

 わたしのサークルでオールとは、店にオールナイト料金を払って一晩中ビリヤードをする行為を指します。つまりわたしの誘惑は、ビリヤードに負けました。

 ちょっと、イラッと来ました。

 別に誘惑しようと思っていたわけではないけれど、結果的にそうなったのだから、少しは動揺してもいいと思います。しかし見事に瞬殺です。せめて頭に「申し訳ないけど」ぐらいはつけて欲しい。腹が立ちます。

 そんな自分勝手な反骨心が、わたしから次の言葉を引き出しました。

「じゃあ、わたしもオールします」

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