小笠原先輩は余命半年
浅原ナオト
第1話 起
あなたの回りで一番ちゃらんぽらんな男の人を思い浮かべてください。
髪の毛を薄い茶色に染めていませんか? 袖の長いゆるゆるな服を着ていませんか? なんか眠そうな目をしていませんか?
笑っていませんか?
わたしが思い浮かべる小笠原先輩は、いつも笑顔です。
◆
ちゃらんぽらんな人って、心に冷蔵庫がないんだと思います。
とりあえずこれはここにしまっておこう。そういうものがない。目についたものを目についた時に食べてしまう。だからとても高くて美味しい神戸牛をなんでもない日に食べたり、とても大事な記念日になんでもないグラム百円以下の豚バラ肉を食べたりする。本人はそれで「おいしー」とか言っているからいいですけど、周りは驚きますよね。「そこでそれ食べちゃう?」みたいな。
都内のとある大学に入って一年目の春、お父さんの趣味を受け継ぐ形でビリヤードサークルに入ったわたしが出会った小笠原先輩は、まさにそういう人でした。とにかく優先順位がめちゃくちゃ。「給料日まで一日三百円で生きなくちゃいけないんだけどどうしよー」とか言っている最中に、透明な筒に入ったボールを下から空気で浮かすどーでもいいインテリアを買う。お金と時間をノリで使ってしまうからいつも金欠で、三年生なのに二年間で取った単位は四でした。最初は二年も通っていて四単位は酷いなあと思っていたけれど、今ではよく四単位も取れたと思います。
そんな小笠原先輩は、マスコットというか、珍獣というか、そんな扱いですけど、サークルのみんなには好かれていました。つかみどころがない。形がない。だから当然、裏表もない。そういうところが好かれていたんだと思います。
小笠原先輩はその中でも特に、同じ三年生の同期三人と仲良くしていました。
船井正太郎先輩。背が高くて男らしい、真面目で常識人な先輩です。そして真面目な常識人ほど小笠原先輩には振り回されます。小笠原先輩は一人暮らしをしている船井先輩の部屋の合鍵をなぜか持っていて、無料休憩所ぐらいの感覚で使い倒していました。大学から帰っていたらいきなり寝ていたりするそうです。
安木貴弘先輩。頭の良さそうな眼鏡が特徴的な、あまり喋らない先輩です。そしてたまに喋ると「手がカマになるという攻撃特化過ぎる進化を遂げたカマキリの底知れぬ悪意について」とか不思議なことを話します。小笠原先輩は、安木先輩のそういう不思議なところがとても好きなようです。
長野真衣先輩。ふわふわした髪がとても可愛い女性の先輩です。だけどサークル内で可愛いという評価はあまり聞きません。サークルの集まりがあると「ひょっとこの顔真似」とかで執拗に笑いを取りに来るからだと思います。小笠原先輩は「マイは男とか女じゃなくてマイだよね」と言及していました。
わたしたちのサークルは、ただ活動日に行きつけのビリヤード場に集まってビリヤードをするだけのサークルです。たまにビリヤード場やビリヤード団体が主催する試合に出たりもします。そういう活動日や試合の後に小笠原先輩が「この後、船井君の部屋行こうかー」と言い出して、お酒を飲んだりゲームをしたり映画を見たりする。小笠原先輩たちは、そういう仲間でした。
サークルに入ってすぐ、その仲間にわたしも割り込みました。仲良くしていた長野先輩から船井先輩の部屋に行くのに誘われて、ついて行ったらわたしも一員になった感じです。一年生に他の女の子がいないのもあって、わたしは同期よりも小笠原先輩たちと遊ぶことの方がずっと多い、少し妙な立ち位置の一年生になっていました。
六月のあの金曜も、わたしたちはいつものように船井先輩の部屋にいました。
わたしたちはジェンガをやっていました。ただのジェンガではなく、抜いたブロックに指令が書いてあったらそれを実行しなくてはならない面白ジェンガです。
「じゃあ、次、行きまーす」
小笠原先輩が宣言の後、ブロックを一本抜きました。余談ですけど、小笠原先輩はジェンガが下手くそです。もっと楽なところがあるのに、変なところから抜くからです。でもその時はちゃんと綺麗に抜くことが出来ました。
「あー、『秘密を一つ暴露して下さい』だって」
あけすけで、ちゃらんぽらんで、隠し事なんか何にも無さそうな小笠原先輩の秘密。わたしはワクワクしていました。もしかして小笠原先輩の恋愛話とか聞けるかもしれない。そんなことを考えていました。
阿呆だったなあと思います。
「こないだ倒れて、病院行ったんだけどー」
倒れた。病院。部屋が、ほんの少し冷たくなりました。
「俺、余命半年って言われちゃいましたー」
小笠原先輩は、へらへら笑っていました。
だけど笑っているのは小笠原先輩だけでした。わたしも、長野先輩も、船井先輩も、安木先輩も、全く笑っていませんでした。小笠原先輩は適当なことは言うけれど、嘘は言わない。みんな、それを知っていました。
最初に反応したのは、船井先輩でした。
「はあああああああああ!?」
船井先輩は声が大きいです。わたしは驚いて、テーブルの足に膝をぶつけてしまいました。ジェンガが、ガラガラと大きな音を立てて崩れました。
◆
「なんかー、大腸に癌があるらしくって、もう無理なんだって。でさー、若いと癌の進行が早いって言うじゃん。あれ嘘なの知ってた? 癌細胞ってバラバラに出来るパターンとまとまって出来るパターンがあって、それでバラバラの方が進行早いんだって。でー、若いとバラバラで出来るパターンが多いから結果的に早く見えるらしいよ。俺、全然知らなかったわー。それからー」
小笠原先輩はぺらぺらと詳細を話してくれました。病院で飲んだ野菜ジュースがとんでもなく不味かったところまで含めて、ひたすら喋り続けました。そして分かったことは、小笠原先輩が末期の大腸癌ということだけでした。
小笠原先輩に任せていると情報が増えないので、こちらから質問攻めにしました。そして、余命は短くて半年だということ、治療はしないでいつも通り余生を過ごすと決めたこと、いつも通りの生活の中に「大学に行く」がなぜか無かったから大学は辞めたこと、ついでにバーテンのバイトも辞めたこと、一人暮らしのアパートを引き払って今は実家にいることを引き出しました。
「でさー、これ、誰の負けなの?」
質問が止んだところで、小笠原先輩が机の上のジェンガを指さしました。どうでもいいです。本当に。
わたしと船井先輩と長野先輩は動揺していました。安木先輩はいつも通りでした。安木先輩はいつ何があっても不気味なぐらいに落ち着いています。船井先輩に「どうする?」と尋ねられ、安木先輩はおもむろに口を開きました。
「TUTAYAに行こう」
安木先輩はよく「AのためにBをしたいからまずCをしよう」のCのところだけを話します。そういう時は詳しい話を聞かないと会話が成り立ちません。今回は「今後の生き方を考えるため、『死ぬまでにしたい10のこと』という若くして余命宣告を受けた主人公の生き様をテーマにした映画を見たいから、DVDを借りにTUYATAに行こう」ということでした。
誰も反対はしませんでした。なので、わたしたちはTUTAYAに行きました。小笠原先輩が「これ見たかったんだよねー」と次々DVDを探して来て無駄に時間がかかったけど、みんな文句は言いませんでした。部屋に戻って小笠原先輩が自分の借りたDVDを最初に見ようとした時は、さすがに船井先輩が「ちょっと待て!」と制しました。
『死ぬまでにしたい10のこと』は、とても良い映画でした。
わたしも泣きましたが、船井先輩はその十倍ぐらい泣いていました。見終わった後、小笠原先輩に抱き付いて「小笠原、死ぬなー!」と叫んでいました。船井先輩は声が大きいです。たぶん、隣の部屋の人はすごく困惑していたと思います。
「お前、何かしたいことないのか!? 何でも言え! 俺たちが実現してやる!」
泣き腫らした後の湿った声でそう言いながら、船井先輩がドンと胸を叩きました。俺じゃなくて、俺たち。勝手に巻き込まれているけれど、それに不満を言う人はいませんでした。別に当たり前のことだと、みんな思っていました。
そんな風だから、わたしたちはいつも小笠原先輩に振り回されるのです。
「えー、じゃあー」
小笠原先輩が、ぐるりとみんなを見回しました。
「みんな、『DRAGON』ってサークル知ってる?」
わたしは知りませんでした。船井先輩も知らないみたいでした。安木先輩は良く分かりません。長野先輩は知っていて、大きく首を縦に振りました。
「知ってる。超評判悪いヤリサーでしょ。あたしの学科にもメンバーいるけど、脳みそが金玉に詰まってそうな男で、クソチャラいの」
一応、もう一回言っておきますけど、長野先輩はとても可愛いらしい女性です。趣味はお菓子作りです。
「そう、それ。あのサークルさー」
小笠原先輩はへらへら笑っていました。そしてわたしたちに自分のしたいことを、いつも通り、ゆるーい感じで教えてくれました。
「潰そ」
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