よっつの『あかん』と別れの『あかん』
『やまのおく しまのはてまで たづねみむ よにしられざる ひともありやと』
――明治天皇御製より。
ひなびた街にもひとかどの人物はいるものだ。
それは社会的な地位に関わらず、あるいは隣の家に住む人であったりと、とにかく意外なところにいる。
新卒で就職した私の最初の上司は、日焼けした顔にぎょろりとした丸い眼の、だがどこか風格のある、風情のある岩のような…そんな顔立ちだった。
還暦を間近にしながらも、顔は日常に疲れておらず、海釣りを趣味とし、空手の心得もあるその上司は、いでたちこそ田舎のおじさんであったが、長年の経験からくる洞察と静かな知性が備わっていた。
融通が利かなく、鼻っ柱の強かった当時の私は、一日一度は何かしら叱られたものだ。
名古屋とも大阪とも違う、尾鷲訛りというのはどうにも早口で聞き取りづらく、他県から就職した私はよく聞き違いをおこし、それが原因でイージーミスをする事が多かった。
それでも、思い返してみて嫌悪感を抱かないのは、恨みを残さない『叱り方の知恵』があったのだろう。
そうした中で、特に四つの『あかん』を今でも覚えている。
まずは見やなあかんで。やり方を見たら、知ってるつもりでも次は聞かなあかん。
やり出したら今度は早よせなあかん。最初は覚えながらでもええけど、少しずつ工夫して早よしてかなあかん。最後は段取りせなあかん。何するにしても段取りや。いちいち段取りが悪かったら仕事は進まんで。
その後、私は尾鷲市から離れて転職することになるのだが、別れ際、上司はもうひとつの『あかん』について話してくれた。
空手でもそうやけど、時には横によけたり後ろに下がるのはええんや。
でも背中だけは絶対に向けたらあかんで。
背中を向けたら怖くなるでな。横か後ろに下がることはあっても、背中だけは向けんと前に進むんやで。ほな、頑張ってな。
短い期間ではあったけど、何もない、小さな街ではじめて社会人になった私に、その上司の教えはいまでも残り息づいている。
『尾鷲市』北に伊勢神宮、南に熊野三山をつなぐ AranK @aran_k
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