『尾鷲市』北に伊勢神宮、南に熊野三山をつなぐ

AranK

尾鷲市の静寂

尾鷲市は北に伊勢神宮、南に熊野三山といった霊場をつなぐ形で存在している。

2015年に紀勢自動車道が開通するまでは、国道42号線とJR紀勢本線だけが尾鷲市と世界を繋いでいた。

伊勢から伸びていく熊野古道も尾鷲市を通っている。

主な産業は、林業と漁業。尾鷲ヒノキといえば有名だし、魚はブリ・カツオ・サンマが水揚げされる。

海沿いに建てられた火力発電所にそびえる高い塔は、かつて3万人ほどいた市民の生活を支えていただ。

2010年時点での人口は2万人ほど。往時の3分の2であり、同年、過疎地域にも指定された。


そんな尾鷲市は『降雨量が多い地域』でもある。

降り出した雨は、東京のゲリラ豪雨のような土砂降りで道路を小川に変える。

それでも、洪水被害は滅多に起こらない。

山の斜面で水はけがいいからやな。と住む人はいう。


周囲を山に囲まれた街の白壁は、なんだかフジツボのように岸辺へしがみついているようでもあり、人間のちいささというものを否が応にも感じずにはいられない。


原付を買いたてだった私は、しばしば海沿いを走りながら、ひなびた家々が点在する地域をよく冒険したものだった。

海沿いの旧道は幅が狭く、車の音もまばらだ。


浜辺を見つけては、足を止めて海沿いの景色を眺めていたが、その時の静寂というものは今でも覚えている。

熊野灘に寄せる波の音と、リアス式海岸によって突き出た陸の緑と島。そして南風が作る空の青と白。人影のない浜辺でのその空間は、あまりにも静かすぎた。

『常世の国』というものは、あのような静謐な感覚の中にあるのだろう。

そうした感覚は、街の中でもあった。

雨上がりに、街の周囲を囲む青い山々に昇る白いはいかにも幻想的で、日々の暮らしで見慣れた光景であってもなお美しいと感じた。

もしこれが、霊場を往く旅路の風景ならばなおさらそのように感じるだろう。


ここには何もない。本当に何もない。

だが、そこに人の暮らしは確かにある。


あなたの街には何がありますか?と聞かれたとき、いつも答えに窮してしまう。

だが、その理由は、重波寄せる国の、美しく、静謐な姿を上手く説明できないからなのだ。


もう一つの故郷といってもいいこの街で、私ははじめて社会人になった。

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