潜んでいた蠍―④
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「では、始めましょうか」
デイジーは肩掛けのカバンから、ノート型のパソコンを取り出して開いた。
「今日、あたしがここに来たのは、一族の宝を返してもらうためなの……」
デイジーはあやめさんに向かってそう言った。
「あなたいったいなにを?」
あやめさんが聞く。だがデイジーはその言葉を遮るように話をつづけた。
「……あの力はね、あたしたち一族が代々、引き継いできたものだったの。それをあの日、あなたがとつぜん奪い去ってしまった。あたしのおばあちゃんからね」
「……まさか、そんな」
あやめさんの目がまん丸に見開かれた。そう、まるでマンガのように。
人は本当に驚くと、こういう表情を浮かべるものなのだ。
「今まで気づかなかった? そうでしょうね」
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「あなたは、あの人の、お孫さんだったの?」
もちろんあやめさんが言ってるのは、あやめさんが『賢者の手』を引き継いだジプシーのおばあさんのことだろう。
あの時の話はちゃんと覚えている。あやめさんは戦時中、森の中に逃げ込み、不思議なジプシーのおばあさんに会った。そこにはおばあさんの他、若い夫婦と小さな子供が二人いたと言っていた。二人の子供、それがデイジーとジェイだったのだ。
「そうよ。あたしはずっと、あの力を取り戻すために生きてきたの。もちろんあなたに近づいたのもそのため」
僕はちらっとエレインを見た。エレインはがっくりとうなだれたまま床を見つめ、じっと話を聞いている。
「だったら、分かるでしょう? あの力は、受け継がれていくものではないの。あの力自体に意志のようなものがあって、あの力が人を選ぶのよ」
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「そうらしいわね。実際、あなたの息子には能力は引き継がれなかった。そして今はそのボウヤに引き継がれているのよね」
どうやら全部お見通しのようだ。たぶんエレインが話したのだろう。
だったらどうしてエレインは縛られているのだろう?
「あたしはケンジにあなたの能力を引き継がせて、彼を一族に迎えるつもりだった。でもだめだった」
「やっぱりあなたが殺したのね?」
あやめさんは立ち上がりかけた。それをとどめたのは光造さんだった。
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「それは違うぜ。やったのは俺だ」
そう言ったのはジェイだった。
彼もまた流ちょうな日本語を話した。
「それも理由の一つだったが、あいつは姉さんをずっと裏切っていた。死んで当然のクソヤローだったのさ。母親のあんたは認めたくないだろうけどな」
「やめな、ジェイ。娘の前だよ」
エレインがゆっくりと顔を上げた。
そして憎しみのまなざしをジェイに向けた。
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「おかあさん、一つだけ教えてあげる。あなたはもうすぐ、もう一人の孫に会えるわよ。あたしが産んだ子じゃないけどね」
「あたしの孫はエレインだけよ」
あやめさんはそう言ったが、やがてエレインの言った意味が分かったらしい。
「まさか……」
デイジーも苦しんだのかもしれないが、僕から言わせれば、デイジーはずいぶん残酷な女だった。
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「これは
あやめさんはなにも言わなかった。それは光造さんも同じだった。
デイジーの言ったことは確かに事実だった。
金儲けが下らないかどうかは別として。
「そして自分の欲のためだけに、それを満たすためだけに、あの力を使ってきた。あたしたちが大事に守ってきた神聖なあの力を」
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「あれから、なにがあったか知ってる? あなたがあれを奪ってから?」
あやめさんは小さく首を振った。
「あの力は、ナチスからずっとあたしたち一族を守ってくれていたの。おばあちゃんはあの占いで、どこに逃げればいいのか、どこへ行けばいいのか、常に正しい道を教えてくれていたわ」
デイジーの身振りは話していくにつれ大きくなる。彼女の心に過去がよみがえり、それは何度でも怒りの炎となって燃え上がるようだった。
「でも、あなたがあの力を奪ってから、正しい道は消えてしまった。おばあちゃんもパパもママも、一族のみんなもナチスに捕まってしまった。あたしとジェイだけがなんとか森の中に隠れて、逃げて逃げて逃げ続けて、今日までなんとか生き延びてきたのよ。でもそれだけだった。あなたがわたしたちの全てを奪ったせいで、あたしたちにはお金も、希望も、当たり前の生活も、なにもかも失ってしまった」
冷静に話しながらも、デイジーの銃を握る手は細かく震えていた。
それは怒りのせいばかりでなく、過去のつらいことや恐怖がよみがえったせいだろう。ちらりとジェイに目をやると、彼もまた奥歯をかみしめてうつむいていた。
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デイジーにとって、戦争は今も終わってなかったのだ。
古い傷口は癒えることなく、今も血を流し続けている。
いつまでも過去が現在を食いつくし、未来の希望までも奪い続けてきた。
デイジーはずっとそういう世界の中で生きてきたのだ。
僕はそう感じた。
こんな人を理解することはできない。
痛みを分かちあうこともできない。
話す言葉が、流れる感情がまるで違う。
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「わたくしは、どうすればよかったというの?」
あやめさんの声はささやきだった。
「あなたはそのまま一族に加わり、あたしたちを助けるべきだったわ。でもそれはもう過去の話。取り返しはつかないわ」
「だったら、あなたは、わたくしにどうしろというの?」
「あなたがその力で得たものを全て返してもらうわ。全てをね」
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「つまり泥棒か」
光造さんが吐き捨てるように言った。
まったく大した人だ。この状況でも全然怖がっていない。
「違うわ、預けていたものを返してもらうだけよ」
「なるほど。銃を使っているからには強盗というべきだったな」
さらに光造さんが言った。デイジーはイライラとして光造さんに銃を向けた。
「光造おじさん、あなた少しボケてきたんじゃないの?」
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まずい雲行きだな。
僕は立ち上がった。仕方なかった。
ここは僕にしかできなかった。
「光造さん、落ち着いてください。お金のことで命を落とすなんて馬鹿げてますよ」
「あれは私たちの金ではないんだ。私たちを信用し、私たちに預けてくれた、顧客の大事なお金なんだよ」
光造さんはなおも挑発するようにデイジーを睨みつけた。
勇気があるのは結構だけど、ここはもう少し空気を読んでくれてもいいのに。
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「それでも同じさ……」
それまで黙り込んでいたマックが、座ったままでそう言った。
「パパ、まずは落ち着きなよ。まずは向こうの要求を聞いてからにしてくれよ。ビジネスだって言ってんだから」
「これがビジネスのわけないだろう」
光造さんの口調は静かだが、かなり興奮しているようだ。
「でも命を懸けるようなことじゃない」
「どうやら息子の方が話が分かるみたいね」
僕はデイジーが落ち着いたのを見て取ると、ソファに座りなおした。
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マックはデイジーに座ったままで語りだした。
「正直に言うと、会社が昨日現在で所有している
マックは堂々とした様子でそう告げた。
「五千万円ね。ちょっとした大金よね?」
その金額にデイジーはニッコリと笑顔を浮かべた。
同時に、その銃口が持ち上がり、まっすぐマックに向けられた。
~ つづく ~
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