潜んでいた蠍―④


   👆


「では、始めましょうか」

 デイジーは肩掛けのカバンから、ノート型のパソコンを取り出して開いた。


「今日、あたしがここに来たのは、一族の宝を返してもらうためなの……」

 デイジーはあやめさんに向かってそう言った。


「あなたいったいなにを?」

 あやめさんが聞く。だがデイジーはその言葉を遮るように話をつづけた。


「……あの力はね、あたしたち一族が代々、引き継いできたものだったの。それをあの日、あなたがとつぜん奪い去ってしまった。あたしのおばあちゃんからね」


「……まさか、そんな」

 あやめさんの目がまん丸に見開かれた。そう、まるでマンガのように。

 人は本当に驚くと、こういう表情を浮かべるものなのだ。


「今まで気づかなかった? そうでしょうね」


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「あなたは、あの人の、お孫さんだったの?」


 もちろんあやめさんが言ってるのは、あやめさんが『賢者の手』を引き継いだジプシーのおばあさんのことだろう。


 あの時の話はちゃんと覚えている。あやめさんは戦時中、森の中に逃げ込み、不思議なジプシーのおばあさんに会った。そこにはおばあさんの他、若い夫婦と小さな子供が二人いたと言っていた。二人の子供、それがデイジーとジェイだったのだ。


「そうよ。あたしはずっと、あの力を取り戻すために生きてきたの。もちろんあなたに近づいたのもそのため」


 僕はちらっとエレインを見た。エレインはがっくりとうなだれたまま床を見つめ、じっと話を聞いている。


「だったら、分かるでしょう? あの力は、受け継がれていくものではないの。あの力自体に意志のようなものがあって、あの力が人を選ぶのよ」


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「そうらしいわね。実際、あなたの息子には能力は引き継がれなかった。そして今はそのボウヤに引き継がれているのよね」


 どうやら全部お見通しのようだ。たぶんエレインが話したのだろう。

 だったらどうしてエレインは縛られているのだろう?


「あたしはケンジにあなたの能力を引き継がせて、彼を一族に迎えるつもりだった。でもだめだった」


?」


 あやめさんは立ち上がりかけた。それをとどめたのは光造さんだった。


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「それは違うぜ。やったのは俺だ」

 そう言ったのはジェイだった。

 彼もまた流ちょうな日本語を話した。


「それも理由の一つだったが、あいつは姉さんをずっと裏切っていた。死んで当然のクソヤローだったのさ。母親のあんたは認めたくないだろうけどな」


「やめな、ジェイ。娘の前だよ」


 エレインがゆっくりと顔を上げた。

 そして憎しみのまなざしをジェイに向けた。


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「おかあさん、一つだけ教えてあげる。あなたはもうすぐ、に会えるわよ。あたしが産んだ子じゃないけどね」


「あたしの孫はエレインだけよ」

 あやめさんはそう言ったが、やがてエレインの言った意味が分かったらしい。


「まさか……」

 デイジーも苦しんだのかもしれないが、僕から言わせれば、デイジーはずいぶん残酷な女だった。


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「これはむくいなのよ、お義母さん。あなたはあたしたちの宝を、神聖な力を、金儲けに利用してきた。下らない金儲けのためだけにね」


 あやめさんはなにも言わなかった。それは光造さんも同じだった。

 デイジーの言ったことは確かに事実だった。

 金儲けが下らないかどうかは別として。


「そして自分の欲のためだけに、それを満たすためだけに、あの力を使ってきた。あたしたちが大事に守ってきた神聖なあの力を」


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「あれから、なにがあったか知ってる? あなたがあれを奪ってから?」

 あやめさんは小さく首を振った。


「あの力は、ナチスからずっとあたしたち一族を守ってくれていたの。おばあちゃんはあの占いで、どこに逃げればいいのか、どこへ行けばいいのか、常に正しい道を教えてくれていたわ」


 デイジーの身振りは話していくにつれ大きくなる。彼女の心に過去がよみがえり、それは何度でも怒りの炎となって燃え上がるようだった。


「でも、あなたがあの力を奪ってから、正しい道は消えてしまった。おばあちゃんもパパもママも、一族のみんなもナチスに捕まってしまった。あたしとジェイだけがなんとか森の中に隠れて、逃げて逃げて逃げ続けて、今日までなんとか生き延びてきたのよ。でもそれだけだった。あなたがわたしたちの全てを奪ったせいで、あたしたちにはお金も、希望も、当たり前の生活も、なにもかも失ってしまった」


 冷静に話しながらも、デイジーの銃を握る手は細かく震えていた。

 それは怒りのせいばかりでなく、過去のつらいことや恐怖がよみがえったせいだろう。ちらりとジェイに目をやると、彼もまた奥歯をかみしめてうつむいていた。


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 デイジーにとって、戦争は今も終わってなかったのだ。


 古い傷口は癒えることなく、今も血を流し続けている。

 いつまでも過去が現在を食いつくし、未来の希望までも奪い続けてきた。


 デイジーはずっとそういう世界の中で生きてきたのだ。

 僕はそう感じた。


 こんな人を理解することはできない。

 痛みを分かちあうこともできない。


 話す言葉が、流れる感情がまるで違う。


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「わたくしは、どうすればよかったというの?」

 あやめさんの声はささやきだった。


「あなたはそのまま一族に加わり、あたしたちを助けるべきだったわ。でもそれはもう過去の話。取り返しはつかないわ」


「だったら、あなたは、わたくしにどうしろというの?」



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「つまり泥棒か」

 光造さんが吐き捨てるように言った。

 まったく大した人だ。この状況でも全然怖がっていない。


「違うわ、預けていたものを返してもらうだけよ」


「なるほど。銃を使っているからには強盗というべきだったな」

 さらに光造さんが言った。デイジーはイライラとして光造さんに銃を向けた。


「光造おじさん、あなた少しボケてきたんじゃないの?」


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 まずい雲行きだな。


 僕は立ち上がった。仕方なかった。

 ここは僕にしかできなかった。


「光造さん、落ち着いてください。お金のことで命を落とすなんて馬鹿げてますよ」


「あれは私たちの金ではないんだ。私たちを信用し、私たちに預けてくれた、顧客の大事なお金なんだよ」


 光造さんはなおも挑発するようにデイジーを睨みつけた。

 勇気があるのは結構だけど、ここはもう少し空気を読んでくれてもいいのに。


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「それでも同じさ……」

 それまで黙り込んでいたマックが、座ったままでそう言った。


「パパ、まずは落ち着きなよ。まずは向こうの要求を聞いてからにしてくれよ。ビジネスだって言ってんだから」

「これがビジネスのわけないだろう」

 光造さんの口調は静かだが、かなり興奮しているようだ。


「でも命を懸けるようなことじゃない」

「どうやら息子の方が話が分かるみたいね」


 僕はデイジーが落ち着いたのを見て取ると、ソファに座りなおした。


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 マックはデイジーに座ったままで語りだした。


「正直に言うと、会社が昨日現在で所有している現金キャッシュは五千万円。そのほかは全て証券になっていて、すぐに現金化することは出来ないんです。だからその五千万円すべてをすぐに指定の口座に振り込みましょう。もちろんこのことは警察にも届けません。それでケリにしませんか?」


 マックは堂々とした様子でそう告げた。


「五千万円ね。ちょっとした大金よね?」


 その金額にデイジーはニッコリと笑顔を浮かべた。

 同時に、その銃口が持ち上がり、まっすぐマックに向けられた。


 ~ つづく ~

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