第10章 潜んでいた蠍
潜んでいた蠍―①
ハワイへと旅立つ前日、ようやくすべてのギプスがとれた。
その夜、僕は初めて自分のために『賢者の手』を使った。
僕は自分の運命を見るべきだ、そんな確信があったのだ。
あとは飛行機に乗るのが初めてで、かなりびびっていたというのもある。
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時刻は夜中の二時。
真っ暗な部屋の中で小さな明かりだけ灯して、ソファに座り込んだ。
窓に目をやると、満月が大きく真っ白に輝いているのが見えた。
「大丈夫さ、飛行機は落ちたりしない」
白状するとやっぱりそれが一番怖かった。
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僕は少し水を飲んだ。
それから包帯とギプスのとれた両手を見つめた。
手のひらにはあの赤いアザがくっきりと見えた。
思えばこれを受け継いだときからすべてが始まったのだ。
色覚を失い、大怪我なんかもしたけれど、僕は仕事を得て、ちょっと変わった家族ができ、豪華なマンションに住んで、明日は夢のハワイ旅行を控えている。
思い起こせば、あの夜から実に不思議な旅をしてきたものだった。
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質問はもう考えてあった。
怖いから一つだけ。今回は十分に間隔もあいている。
『僕は無事に日本に帰ってこられるか?』
僕にはそれだけ分かればよかった。
僕は目を閉じ、質問を心に貼り付け、賢者の手をパンと合わせる。
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さて時も場所もあっという間に過ぎ去る!
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マックとエレインの結婚式当日。
僕はあやめさんと一緒にハワイの空港に降り立った。
少なくとも飛行機は落ちなかったわけだ。
僕は初めて異国の空気を吸い込み、異国の空を見上げた。
やはり日本とはずいぶん違った。
なんとなく空が高く、空気も澄んできれいな気がする。
マックとエレインは三日前に到着しており、これからホテルで落ち合うことになっていた。僕とあやめさんは空港から迎えのリムジンに乗り、結婚式が行われるホテルへ向かった。
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ホテルのロビーに着くと、マックの父、光造さんとその奥さんが待っていた。
僕たちは久しぶりの対面を喜んだ。光造さんの奥さんは外人らしく、いきなり抱きしめてきて僕はちょっととまどった。光造さんはますます日焼けして、ずいぶんと元気そうだった。
そのうちマックとエレインも合流した。そこで二人から簡単なスケジュールを説明された。説明するマックは照れて鼻を搔きながらも、うれしそうだった。
結婚式は午後六時にスタート。その一時間前には二人のスイートルームに集まり、式の最終打ち合わせをしたいとの事だった。
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それから僕は自分に割り当てられた部屋に行った。
やたらと広い部屋で、泊まるのは僕ひとりだけなのにベッドが三つ、シャワールームが二つもあった。
スーツケースから洋服類を取り出してクローゼットに移しかえ、下着なんかを引き出しにしまう。する事といえばそれだけだ。
そのままバルコニーに出ると、目の前いっぱいにビーチと空が広がっていた。できれば色付きで見たかったが、モノクロの視界でもハワイは美しいところだった。
「ついにハワイにきた!」
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ちなみにこの時の僕は潮風を感じることができなくなっていた。完全に消失したわけではなさそうだが、あるのは痺れのようなものだけだった。
僕はモノクロの風景の中で、モノクロの存在として生きていた。
まるで世界から切り離されているような寂しい感じだった。
だがそんなことを感じたのは一瞬だけ。
せっかく来たのだから楽しまなくてはもったいない。
僕はジーンズとアロハシャツに着替えて、あやめさんの部屋に向かった。
まだ時間はあったから、海に誘ってみるつもりだった。
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が、あやめさんの部屋には先客がいた。
バルコニーに光造さんがいて、あやめさんとなにやら話し込んでいる最中だった。そこに光造さんの奥さんの姿は見えなかった。
「あら、入ってちょうだい、一茶さん」
あやめさんが僕を見つけてそういった。
「いえ、僕なら後で出直してきます」
「まぁ待ってください、一茶さん。ちょうどあなたを呼ぼうと思っていたんですよ」
光造さんが言った。
言葉は丁寧だが、あいかわらずの迫力。
で、もちろん僕は断れず、一つ頭を下げてバルコニーに入った。
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あやめさんはゆったりとしたプリント柄のワンピース、光造さんは短パンにポロシャツという格好。二人ともハワイという場所に実によくなじんで見える。
「まぁそう固くならずに、座って」
光造さんは自分の隣のイスを引き、クーラーボックスからビールの缶を取り出して僕にくれた。よく冷えたバドワイザーだった。
「ありがとうございます」と僕。
「ほらほらそんなに緊張しない。会社じゃないんだから」
光造さんは軽く僕の背中をたたいて、やさしく笑いかけてくれる。
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僕がビールのタブを押し込むと同時に、さっそく光造さんが話してきた。
「ところで一茶さん、私はまずあなたにお礼を言いたかったんです。ずいぶんと息子を助けてくれたそうですね。ほんとうにどうもありがとう」
僕はいきなりそんなことを言われた。
で、あやめさんのことを見た。
「光造さんに全部話したのよ。あの不思議な力のことも、あなたのことも、全て」
なるほど。
僕は軽くうなずく。なんとなく肩の荷が下りた気がする。きっとあやめさんはそのことまで考えていたに違いない。
「そうでしたか。でも信じられないような話じゃないですか?」
僕は光造さんに聞いてみる。
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「たしかにそうですね。私はこれまで、あやめ会長には秘密のネットワークがあると考えていたんです。旦那さんがフランスへ赴任していたときに築いた上流階級のネットワークか、世界経済を裏で支える秘密結社か、そういうところから情報を得ていると思っていたんですよ」
もちろん光造さんは大まじめだった。それだけに自分の勘違いにずいぶんと照れくさそうにしていた。
一方のあやめさんは口元を押さえて、ほほえみを隠していた。
「そんなものあるわけないのにねぇ」
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「そうしたら、会長は占いをしていたって聞かされてね。しかもどこの誰かもわからないジプシーのおばあさんから引き継いだ力だって。まぁびっくりしましたよ。ずいぶんと危ない橋を渡ってたんだな、って」
光造さんはパシッと後頭部を叩いて愉快そうに笑った。
だが不意に真顔になって、僕とあやめさんを見た。
「ですが、そのためにあやめさんや、あなたが大きな代償を払っていたとは、まったく知りませんでした。なんといって感謝したらいいか、言葉ではあらわせません」
そう言った。そして僕たちに頭を下げていた。
慌てたのはむしろ僕たちの方だった。
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やっぱり光造さんはいい人だった。
頼りがいがあって、優しくて、子供みたいに素直な感じのする大人だった。
そして僕という人間をありのまま理解してくれて、僕の払った代償を悲しんでくれて、その上で素直に感謝してくれた。
こういう大人はなかなかいないものだ。
そして僕の中でのわだかまり、みたいなものがまた一つ消えた。
僕はきっと正しいことをしてきたのだと、素直にそう思えた。
~ つづく ~
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