日常は牛の歩―④
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その日は快晴だった。
大きな窓からは暖かな光が降り注ぎ、モノクロの視界にも快晴だとわかるようないい天気だった。
僕たちは魚介たっぷりのペスカトーレをおいしく食べ、デザートのティラミスをつつきながら、紅茶を飲んでいた。
するとエレインが唐突に言い出した。
「ねぇイッサ、午後からデートに行かない?」
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僕は瞬間で固まってしまった。
それはまずいでしょ? だってエレインはこれから結婚するんだし。しかも相手は親友(というわけでもないが)のマックだ。
いったいどういうつもりでそんなこと……
そんな僕の心を読んだのか、エレインはこう続けた。
「あのねぇ、散歩に行くだけよ。それにあんた少しリハビリしたほうがいいんじゃない? だいぶ丸くなってきてるよ」
うーん。実は最近顔に丸みが出てきたのは事実だった。
体重も増えてきているし。
でもじつは結構気に入ってる。
これまで僕はあんまりにも痩せてたから。
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「んー。悪いけど勤務中なんだよね。これでも」
やっぱり気がすすまない。なんとなく。
「あら。いいのよ、一茶さん、行ってらっしゃい」
と、あやめさん。続けて、
「いえ、これは業務命令よ!」
と、いたずらっぽく笑った。
こんな時に限って。
で、断る理由もなくなってしまった。
で、僕たちは出かけることになった。
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デート場所は会社の近くの公園だった。
近くのコンビニでソフトクリームを買い、空いていたベンチに並んで座る。
「なんか気分いいよね」とエレイン。
「ああ。人が働いているときに休むっていうのは、すごく自由な気分になれる」
「あ、その感じ分かる!」とエレイン。
おいおい、君はいつだって働いてないだろう。
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どうもちぐはぐだ。でも気分だけはよかった。
公園にいる人たちはエレインを見て、なんで隣に僕がいるのかと不思議そうに見ている。なんとなく誇らしいような気分。
と、エレインが不意に僕をまっすぐに見てきた。
ドキリとする。エレインの下まつげはすごく長かった。
そんなことに妙にドキドキしてしまう。
「なに?」
と僕。たぶん赤くなってたと思う。
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「一茶、お願いがあるんだけどサ」
えぇ? またかよ。
もう悪い予感しかしない。
しかも僕へのお願いとくれば一つしかない。
「また占い?」
なにがデートだよ。そうも言いたくなるが我慢する。
「そうなんだけど、」
そこでエレインは少し横を向いた。
「手相占いじゃなくて、おばあちゃんの占いをしてほしいのよね。それにね、質問もちゃんと考えてきたのよ」
エレインはそう言って、指先に挟んだ小さな紙を渡した。
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そういえば、エレインはあの力のことをどれだけ知っているんだろう?
僕が力を受け継いだ晩、エレインは一緒にいた。
でも占いをしているときに立ち会ったことはない。
あやめさんはエレインにどの程度話しているんだろう?
あやめさんの性格からして、すべて話すようには思えないのだが。
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とにかく、僕はメモを開いた。
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『一ヶ月後に金の価格は上昇しているか?』
メモにはそれだけが書いてあった。
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ちゃんとルールを守った質問だ。
「あのね、あたし、マックをビックリさせたいのよ。最近成績がよくないらしくて落ち込んでてさ、あたしなりに何か役に立ちたいっていうか」
ジーン、と胸が熱くなった。
エレインがこういうケナゲな子だとは思ってもいなかったのだ。
自分のことしか考えていないお嬢さんキャラだと思っていたので、このギャップが強烈に効いた。
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「そういうことなら喜んで協力するよ。そうだ! これは僕からの結婚祝いだ」
僕は二つ返事で引き受けた。
「あ、」
しかし忘れていた。
僕の両手にはまだギプスがついていたのだ。両手を合わせることができない。ギプスがとれるのは、ハワイへ出発する前日だった。
もちろんそれでは間に合わないだろう。
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それでも僕は目を閉じてみた。
最後に占いをやった時のように、手を合わせなくても答えが閃くかもしれない。
白黒の視界は黒一色に染まり、同時に周りの音がやけにくっきりと聞こえてきた。
噴水の水音、風に揺れる木の葉の音、ベンチで囁くカップルの声、芝生ではしゃぐ子供の歓声、遠くに聞こえるクラクション。
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『一ヶ月後に金の価格は上昇しているか?』
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質問を心に貼りつける。
とたんに脳裏に映像がはじけた。
いろんな新聞のタイトル。くるくると切り替わる数字の群、折れ曲がっていく無数のグラフ。情報が凄いスピードで積み重なり、変化し、まとまってゆく。やがてそれは限界を超えて白く爆発した。
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『はい○はい○はい』
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首の後ろでチリッという感覚があった。でもそれだけ。
今回ははっきりと分かるほどの変化は出なかったようだった。
なにより視覚じゃなくてホッとした。
「大丈夫? 顔、真っ青だよ」とエレイン。
「平気。それより答えが出たよ」
「えっ? もう終わったの?」
「ああ。いつもとやり方は違うけど、答えは同じだよ」
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「それで?」
「価格は上がる。どれくらいかはわからないけど。でもこれだってやっぱり占いだからね。本当にそうなるかどうかは分からないよ」
エレインはコクンとうなずいた。
「どーもありがと! きっとマックが喜ぶわ」
「君も、だろ?」
「え。うん。そうだね」
エレインは照れたように笑った。
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「ねぇ、ほんとに大丈夫? あの占いやると、いつもそうなふうになるの?」
「だいたいね。でもすぐに直るんだ」
エレインは代償のことは知らないようだ。
でもその方がいいのだろう。知らない方がいいこともある。
ただあんまり気軽に頼まれるのも困るけど。
「悪いけど、先に帰っててよ。僕はもう少し座ってから行く」
「ありがと!」
エレインはなんのつもりか僕の頬にキスをした。
もろちん外人だからそういう挨拶をしたのだろう。
でもやっぱりすごく恥ずかしくなってしまう。
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ふぅぅ。僕はモノクロの空を見あげる。
ずいぶんといろいろ変わったものだった。
でも僕は今幸せだ。
それだけが僕にとって大事な事だった。
だから僕はこれを手放したくなかった。
どうしても守りたかった。
賢者の手がもたらしたもの、そのために支払った代償。
今の僕にとって、それは十分バランスが取れているものだった。
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そして僕の知らないところで、事態は静かに流れはじめた。
その翌日、クロサキカンパニーの資金の大半が金に換えられた。
その金は延べ棒という形で、会社の巨大な金庫に保管されることになった。
金塊はマックとエレインが結婚式から帰る日まで、金庫で眠ることになっていた。
僕は後にそのことを知った……
~第9章 完 ~
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