いかさま天秤―②

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 それから一ヶ月後。

 僕はようやく退院した。


 それでも両手にはギプス、左足にもギプス、見えないけれど上半身もギプスと包帯でぐるぐる巻きにされていた。それでも痛みもとれ、腫れも引き、なんといっても自分で動けるようになっていた。


 松葉杖を片手に病院を一歩出ると、久しぶりの外の世界だった。天気も良く、暖かな光があふれていた。世界はとても広く自由な場所だった。こんな感覚はずいぶん久しぶりだった。


「僕はどこへでも行ける」

 これは独り言。


 実際の僕はといえばタクシーをつかまえて、まずあやめさんのところへ向かった。


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 あやめさんはいつもの通り、テーブルについて紅茶を飲んでいた。

 そこにはちゃんと僕の分のカップも用意してあった。


「あの、いろいろありがとうございました」


 僕はあやめさんの出してくれた紅茶を飲もうとしたが、腕が固定されていて、カッ

プに手が届かなかった。それで二人で笑った。

 二人ともそのことに気づかなかったからだ。


「いいのよ。今はとにかく早く回復するように、リハビリをがんばってね。それから必要なものがあったら、いつでも遠慮なく言ってちょうだいね」


 そう言ってあやめさんは紅茶のカップにストローをさしてくれた。

 あやめさんはいつでも親切だ。


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 ちなみに僕はこの会社で働くようになってから、保険にも入れたし、ちゃんと貯金もできたし、有給休暇ももらえた。


 だから困ったこと、足りないもの、というのはなにもなかった。


 これが以前の僕だったらどうなっていたか? と思うとぞっとする。


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「あやめさん、今回のこと、本当にいろいろありがとうございました。あなたがいなかったら、僕はどうなっていたか分かりません」


 僕がそう言うと、あやめさんはちょっと悲しそうな顔をした。


「そう言ってくれるのはとても嬉しいけれどね、わたくしはあなたを巻き込んでしまったこと、今でもいい事だったのか、分からないのよ」


「それでも僕は感謝してるんです、これは本当です」


 それは本心だ。色覚も失い、死ぬほどの事故にあったけれど、それでも僕の人生はまだマシな方だと思った。


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 とその時、エレベーターが上がってくる音が聞こえた。


 エレインかな? と思って扉が開くのを見つめる。

 現れたのはマックだった。


「会長、すみません勝手に。その一茶さんが退院したって聞いたものですから」


「いいんですよ。心配していたのはわたくしも一緒ですからね」

 と、あやめさん。


「一茶! よかった! やっと退院したんだな!」


 マックはよほど嬉しかったのか、ほとんど泣きそうな顔だった。


 そんなに大げさにすることないのに。

 でも、なんだかくすぐったいような嬉しい気持ちもあった。


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 が、そのマックはすぐに僕に頭を下げた。


 そして頭を下げたまま、

「すまない! 許してくれ!」

 そう言った。


 はて、なんのことだろう?


「ちゃんと送っていけばよかったんだ。無理に誘ったのは俺だったのに。本当にごめん……じゃなかった、すみませんでした!」


「は?」


 僕はしばらく理解できなかった。しばらくしてそれに気づく。

 僕が事故にあったのは、マックと居酒屋に行った帰り道だったからだ。


「……ああ、そのことか。君はなんにも悪くないよ。あれは僕の不注意なんだから、君が責任を感じることないよ」

「でもさ、」


「本当にそうなんだよ。ただの事故さ。誰も悪くない」

 マックはしばらく考え込み、それから黙ってうなずいた。

 それでケリだった。


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 だがマックの話はこれだけではなかった。


 マックはクルリとあやめさんの方を向く。

「あと……こんな時にいうのも、アレなんですけど、会長にご報告したいことがありまして、」


 それから今度はクルリと僕の方を向く。

「あと、一茶にも聞いてほしいんだけどさ」


 僕とあやめさんはお互いに視線を交わす。


 今度はなにをやらかす気だろう?

 さっぱり分からないわ


 視線でそんな思いを交わす。


「実はエレインにプロポーズしましたっ!」


 マックはなぜだか叫ぶようにそう言った。

 そしてなぜだか


 確かにこの展開にはびっくりした。


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「その、昨日の夜、彼女にプロポーズしました。でも返事は来週までに欲しいって言ってあって、その結果はまだ聞いてないんですけど」

 と言いつつも、結果には自信があるような口ぶりだった。


「あらあら、おめでとう!」とあやめさん。

 あやめさんはいつものペース、平然とした感じでニッコリと笑った。


「その、おめでとう」と僕。

 僕はと言えばなんだかびっくりしすぎて話のペースについていけない。

 退院祝いと婚約報告がごっちゃになれば混乱もするだろう?


「よかったね。その、君たちなら、きっとうまくいくよ」

 それでも僕はそう続けた。


 その言葉にマックはチラリと僕を見た。


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 そう。あの日の夜、僕は『二人はうまくいかない』と、そう占ったからだ。


 でも占いなんてあてにならない。

 それは誰よりも僕が知っていた。

 実際の行動の前には占いなんて何の意味も価値もないからだ。


 でも果たして本当にそうだろうか?

 このとき、僕はそう思っていた。


 普通の占いだったらそうだ。

 でもあのときは『あの占い』だったから。


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 ちなみに。これはあとで知ったことなのだが、マックが結婚を決めたのは、その僕の占いのせいだった。


 二人はうまくいかない。その占いが本当になってしまうなら、いますぐ結婚するしかない。マックは逆にそう思ったそうだ。


 近くにいれば分かりあう時間もできる。二人で一緒にいればどんな危機だって乗り越えられる。だからとにかく一緒にいなくてはいけない。それからがスタートなんだ。マックはそんなことを言った。


 マックはすごい。

 自信家にして楽天家。


 僕とは真逆だ。


 ~ つづく ~

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