第5章 さかなの小骨
さかなの小骨―①
あれから一週間をまたず、四日後に原油価格は暴落した。
僕はそれを新聞の一面で知った。
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僕の占いは当たった。
でも僕にしてみればそれだけだった。
この占いで僕があやめさんの会社のためになにをしたのか、どれだけのことをしたのかは分からなかったし、なにも実感は湧かなかった。
そういう意味では、これまでやってきた占いとなんら変わるところはなかった。
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だがニュースを知ったその日の夕方、僕は帰り道でマックに呼び止められた。
「一茶さん、一緒に飲みに行きませんか?」
断る理由もなかったので、僕はオーケーした。
そのままタクシーに乗り込み、マックの行きつけだという居酒屋に向かった。
ついたのは個室のある、しかしごく一般的なチェーン店の居酒屋だった。この店の選択はちょっと意外だったけれど、マックは大変気に入っている店だという。
そこでいろんな意味で、驚くべき目にあうことになるのだった。
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まず、マックは酒に弱かった。
小さなグラスビールをグビッと飲み干したとたんに、目はトロンとして、頬はすっかり赤くなり、ろれつは完璧に回らなくなった。
コップに一杯のビール。それだけですっかりできあがってしまった。
まさにベロベロ。こんなにダンディーな男がここまでなるか? という見本のような男だった。
それだけならまだいい。
酔ったマックは妙になれなれしいのだった。
四人掛けのテーブルだというのに、わざわざ僕の隣に座ってきた。
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「センセイ! あー、センセイと呼ばせてください、一茶センセイ!」
そう言っているわりに、マックは偉そうに僕の肩に手を回している。
「別にいいけど」
こんな状況なので僕も敬語はやめた。
「ぼかぁ(僕は)、もー、もーれつにカンドー(感動)したんスっ」
そういって無理矢理、僕の両手をぶんぶんと握りしめてくる。
なんかこういうオジサンいるよなぁ、と嫌な目を向けて見たけれど、まったく気付いてくれない。それどころか子供みたいに目をキラキラさせ、なんとも嬉しそうに僕を見つめ返してくる。
なんか疲れる感じ。
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そしてマック劇場は続く。
「まぁ、飲んでください、センセイ」
マックは僕のコップにビールを注ぎ、さらに僕の口までコップを運んでくれる。
「いいって、自分で飲めるから」
コップを取り上げグイッと飲み干す。
マックはそれを実に楽しそうに、しかもなんとも熱っぽい目で僕を見つめてくる。
しかもその距離が近いっ! 近すぎる!
さりげなく距離を空けるが、ビール瓶を捧げ持ってすぐに詰めてくる。
「センセイ! ぼかぁね、占い師とか、占いなんてこれっっっぽっちも信じてませんでした! むしろ、くだらないっ、つーか、うさんくさいっ、つーか、インチキっ、てそう思ってたんスよ!」
そこまで言われるとさすがにムカついた。
僕の本業は占い師なのだから当然だ。
が、マックはまるで気づかない。
「まぁ、本心を言えば、今でも占いなんて信じてませんけどね。はっはっはっ。でも、ぼかぁ、センセイは信じますよ!」
「そう、ありがとうね」
やっぱりなんか疲れる男だ。
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「ボクもですねぇ、分析はしてたんスよ。でも、来週まではまだ伸びてるだろうと、まぁ、こう考えていたんスよ。それがですよ?」
マックはパンと手をたたいた。
「らめ(ダメ)。ぜんっぜん、らめでしたっ。あれから四日ですよ。一気に暴落しちゃった」
「そうだったね、僕もずいぶん驚いたよ。でもまぁ、とりあえず良かったよね」
僕は絡みついてくるマックの体を引き剥がしながらそう答えた。が、そうすればそうするほど、マックはしがみついてくるのだった。そしてまたもや顔を近づけてきた。またジッと見つめてくる。
「センセイっ! センセイはぜんっぜんっ(全然)分かってない!」
「はいはい、そうだね。僕は経済は素人だからね」
ああ、やっぱりこの男の相手はすごく疲れる。
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「センセイは自分がどれだけのことをしたのか、ほんとに分かってるんスか!」
なんと今度は怒りだした。忙しい奴だ。
「さぁ?」
僕がそう答えると、今度はがっくりと落ち込んだ。
「はぁぁやっぱし。ボクのパパはねぇ、センセイの言葉を聞いて、その日のうちに、原油関連の投資を全て引き上げて、それを暴落していた銀行株に投資したんスよ!」
「ふーん。なるほどねぇ」
とは言ったものの、マックが熱く語るほど、どうでもよくなってくるのだった。
僕は店員を呼び止めて焼き鳥と枝豆を追加し、新しく運ばれてきた中ジョッキをグイっとあおった。
こう見えて僕は酒には強い。
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それにしてもマックの話は本当に長い。
加えてなにをしゃべっているのかよく聞き取れない。
でもマック本人だけはなんだかとてもうれしそうだった。
「いいっスか? マイナス分を完全に回避して、その上に儲けまで出したんです。自分の予想で運用してたら、会社はつぶれていたかもしれないんス」
マックはテーブルの水滴に指をひたし、なにやらグルグルと模様を描いている。
「いやいや、大げさだよ、それは」
僕の言葉に今度はパッと立ち上がった。
そしてネクタイを少し緩めて、また演説を始める。
「いや実際そうなんスっ。だって今回の運用でウチは三億の損を回避して、一億の利益を上げたんです。これはニューレジェンド! 新しい伝説のマクアケなのですっ! アンビリーバボーなミラコー(ミラクル)ですよっ!」
「ざっと差し引き四億円か。すごい額だね」
金額の大きさには驚いたが、やはり現実味がなく、僕はたいして驚けなかった。
自分の金ではないからなおさらだ。
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「まぁたセンセイ冗談言って!」
今度はマックにすごい勢いで肩をたたかれた。
飲もうとしていたビールがこぼれ、刺身の盛り合わせに降り注いだ。
あぁ、もったいない。
これだから酔っ払いはイヤなんだ。
僕は少しマックをにらみつけたが、全く効果はなかった。というかマックは僕を見ていなかった。たぶん天井の向こうの、彼だけに見える何かを見ていた。
「円じゃないっス。ドルっスよ。ドル。四億ドル。それに自分たちの会社はさらに伝説を生み出し、顧客の信用を確かなものにしたんです。この効果は、まさにプライスレスっ!」
うーん、ギャグまでも疲れる。
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それにしてもそういう単位になると、さすがの僕も驚いた。
ざっと四百億円とは。
でもやはりそれだけだった。
驚いただけ。いわゆる対岸の花火。
その金額を実感することなど僕には無理な注文だ。
なにしろ僕は時給千円の仕事にこれまでの人生を捧げてきたのだから。
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「あの、ところで、センセイに質問がありますっ!」
今度は質問か。
マックは急に声を落として、まじめな雰囲気になっている。
「あれは、あの答えはどうやって知ったんスか?」
おいおい肝心のそれを今頃聞くのか?
とはいえ、僕は迷った。
ここは正直に答えるべきなんだろうか?
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「それは……」
と、続きを言いかけたのだが、
「さっきはああ言いましたが、本当は占いなんかじゃないっスよね!」
そう言ってまたもやジッと僕を見つめてくる。
またかなり距離が近い。
「それは……」
もう一度言いかける。
言いかけたのだがそれより早く、
「いや! やっぱ、いいっス! それは自分の力でやらないとダメですよね」
一方的にマックは納得して質問を打ち切った。
こいつめぇぇぇ。
言いあぐんでいた僕はなんだかバカみたいな気分になり、怒りが沸き上がってくるのだった。
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マック劇場はこんな調子のまま、夜中の二時まで続いた。
~ つづく ~
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