水瓶のメダカ―③

    👆


「あなたには強力な力があるのよ」


 あやめさんは僕の赤いアザを人差し指の背で撫でた。

 それはもともとあやめさんの手のひらにあったものだった。


「でもね、まったく知らない人を占うことはできないでしょう? 目を閉じて、耳をふさいで、全く知らない人を占うことなんてできないでしょう?」


「もちろんです。僕の先生はこういってました……」


 僕は先生の言葉をゆっくりと再生する。


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 確かな観察と一瞬の洞察、

 運命を読み解く知識と経験、

 そして相手を思う優しさと正直さ

 それが占いを確かなものにする秘訣だ


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「観察、洞察、知識と経験。まったくそのとおりよね。きちんと相手を理解できれば、それだけ占いは確かなものになっていく」

「はい。僕もそう思います」


「そう。わたくしもまさにそれが言いたかったの。相手をよく知ること。あなたはこの二週間、わたくしと一緒にずっと、経済という『相手』を観察してきた。そうでしょ?」


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 なるほど、僕は少しわかった気がした。

 あやめさんの示そうとしている道が。


 つまり経済を占う仕事、それを二人でやろうということなのだ。


 だが同時に疑問もある。


 占いで会社の方針を決められるものなのか?

 その精度はそんなに信用できるものなのか?

 これにどれだけの金額とどれだけの人間の生活が懸かっているのか?

 その全てを占いの結果に懸けていいものなのか?


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 あやめさんは僕を見ている。

 僕の言葉を待っている。


「僕は危険だと思います。あやめさんの占いの精度は分かりませんけれど、僕の占いの精度はよくて五割、それ以上、あがるとも思えません」


 あやめさんは深くうなずいた。

 そして僕の両手を自分の両手で握った。


「そうね、占いだけではうまくいかないわね」


 僕はうなずいた。


「必要なのは強力な直感。、と言ってもいいわね。優れた占い師にはそういう力があるものなのよ」


 まさに僕の先生がそうだった。

 ということは、その力があやめさんにもあるということなのか?


「あやめさんにはそれがあるんですか?」


 率直に僕はそう聞いてみた。

 だが返ってきた言葉は予想と違った。


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「確かに持っていたわ……」


 あやめさんの言葉は過去形だった。


「……でも、その力は今、


 あやめさんは僕の両手を開く。

 手のひらに刻まれた聖痕。


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「この力は、あなたの占いの精度を飛躍的に高めてくれます」


 僕は自分の手の赤いアザを見つめる。


「……あとは、あなたがこの力を信じ、受け入れ、どう使うのか、使わないのか、あなたは、それを決断しなければならないわ」


 なにを決断しろというのだろう?


 そもそもが信じられないような話だ。

 現役の占い師である僕でさえ、まったく信じられない。


 占いが当たるようになる。


 


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「でもね、まずはその力を知ることが先。信じるも、信じないも、試してみないことにはわからないでしょう?」


 あやめさんは僕の肩にポンと手を置いた。

 なぜだかそれだけでリラックスできた。

 なにか心の中のパニックが晴れる気がする。


「ちゃんと教えてあげるから、わたくしの言う通りにしてみて」

「わかりました」


「まずはリラックスして」

 あやめさんは優しく語りかけてくる。


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 僕は大きく息を吐き出す。リラックスするのは得意だ。

 軽い現実逃避みたいなもの。

 これに関しては、小さい頃からベテランだ。


 僕の心はすぐ空っぽになった。


「次に占いの内容を、心に大きく書き留めてみて」

「やってみます」


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『原油価格の高騰は十一月六日まで続くか?』


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「それができたら、手のひらのアザを合わせるように、両手をパンッてたたくの」

「目は閉じていた方がいいんですか?」

「その方が集中できると思うわよ」


 僕は目を閉じた。


「さ、やってみて」


 僕はパンッと手を合わせた。


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 音が破裂した瞬間、情報の洪水が頭の中を駆け巡った。


 新聞のタイトル、さまざまな数字、テレビ番組の映像、町の中の光景、人々の表情、言葉、株式や相場の数字、映像、音声。


 そう言った情報がドッと流れ込み、渦を巻き、細切れになり、嵐の中の木の葉のように、僕の頭の中を吹き荒れていった。


 風はさらにスピードを増していき、音声は一つのかん高い音になり、全てが頂点に向かって加速しのぼりつめてゆく。


 そして、白く、無音の爆発が起こった。


 そして、白の空間の中に、


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『いいえ×いいえ×いいえ』


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「どう? 答えは見えたかしら?」


 遠くからあやめさんの声が聞こえてくる。

 それから白い視界の中に色彩が戻ってきた。

 あやめさんの服の薄紫色がにじみ、姿がはっきりと見えてきた。

 その顔は穏やかに微笑んでいた。


「見えました」


 僕はまだ自分が現実の世界に存在していることが確信できない。

 そろえた両手は膝の上にある。いつもの部屋。いつもの机。ソファの柔らかな感触。窓からは真っ青な空が四角く切り取られて見えている。


 そうしてようやく自分を取り戻す。


 自分と自分の世界を取り戻す。


「答えは『いいえ』でした」


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「それがはっきり見えた?」


「見えたというか、聞こえたというか、理解した、っていうんですかね。こんな感覚は初めてです。今までも占いをしてきたけど、こんな風に答えが浮かんだことはありませんでした」


「これはね、特別な力なの。わたくしも初めはとても驚いたわ。でも、この先はまたあとでね。あとでゆっくりとこの力の使い方を教えてあげます」


「わかりました」


「今は早く、マックさんにこの結果を教えてあげなくてはね」


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 しばらくして、再びマックが僕たちのところに現れた。


「答えはこの中にあります」


 あやめさんは机においてあった封筒をマックに渡した。


「中を見て」

 と、あやめさん。


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 僕は封筒の中身を知っている。


『×』


 書いてあるのはただそれだけだ。


 マックは封筒からそっと紙を取り出し、そのメモをちらりと見て封筒に戻した。


「わたくしたちの仕事は終わったわ」


 マックはあやめさんの言葉に短くうなずき、部屋を出ていった。



 ~ 第4章 完 ~

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