羊をかぞえる―②

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 それから占いのこと。

 これも話しておこう。


 僕が人に占いをしてもらったのは、後にも先にも一度だけ。

 ちなみにその時の占い師が、僕の先生になる人だった。


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 きっかけは母の死だった。

 それは僕が三十歳になった時のこと。

 母は自ら命を絶ってしまった。


 僕は母との生活はうまくいっているとばかり思っていた。母は幸せなのだろうと漠然とそう思っていた。

 だがそうではなかったらしい。


 まぁ母の本当の気持ちは今も昔も分からないが、とにかく母は死んでしまい、僕の元から勝手に去ってしまった。


 僕はいきなり置いていかれてしまったのだ。


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 置いていかれた僕は、これからどうしていいのか全く分からなくなった。

 働く気力がなくなって、アルバイトも全部辞めてしまった。


 母の保険が入ったのでしばらくお酒を飲んで気を紛らわせていた。

 そうしないと時々母の後を追いかけたくなってしまったから。

 たいして好きでもなかったはずなのに。


 自暴自棄というのとは違うが、完全に行き止まりに突き当たった気分だった。とにかくそうして目的も、行くあてもなく、夜の町をぶらぶらとさまよい歩いていたときに、先生が声をかけてくれたのだ。


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「そこの君、よかったら少し話をしていかないかい?」


 その人はガード下の暗闇の中、小さな机の後ろに静かに座っていた。


 歳は五十歳くらい、七三に分けた髪型と、黒縁のめがね、喪服みたいな黒のスーツ。でも姿勢はピンとしていて、やけに筋肉質だった。


ですか?」

「そう、あなたです。何かとても悩んでいるように見えます。私がなにかお役に立てるかもしれません」


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 僕はあらためてその人を見た。


 かたわらでロウソクの炎が揺らめき、その人の顔に深い影を落としている。優しそうで、厳しそうで、吞気そうだけど、厳しい人生を歩んできたような、とらえどころのない不思議な雰囲気。

 そしてその背後には、僕の体をまるごと包み込むような、つかみ取るような、巨大な手のひらのポスターが貼ってあった。


 これが僕と先生との出会いだった。


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「最近、なにか不幸な出来事があったんじゃありませんか? あなたはこの先どうしていいか分からなくなっている、違いますか?」


 ズバリその通りだった。

 僕はその人の前に置かれたパイプ椅子におそるおそる腰掛けた。


 この人はいったい何者なんだ?

 そもそも占いって、そんなに当たるものなのか?


「心配する事はありませんよ。あなたのような人に、道を照らしてさしあげる、それが占い師の大事な仕事なんですよ」

 そう言って占い師はニッコリと笑った。


 その言葉と笑顔だけで、僕はいっぺんに先生を信用した。


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「あの……その前にですね、僕はお金をあんまり持ってないんです」


「いいですよ。今日はけっこうお金が入ったので、特別に千円でいいです」


 なんとも不思議なことに、僕の財布の中にあったのは、その千円だけだった。


 先生の占いは本当によく当たった。


 僕は財布から千円札をとりだし、先生に渡した。


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「ではまず、あなたのお名前と先年月日をこちらに書いてください」


 僕は言われたとおりに書いた。

 『小林一茶 昭和××年6月6日』


「ほう、珍しい名前ですね。でもとてもよい。年齢は三十一歳。いい時期ですね」


 先生の笑顔はとても優しかった。僕はなんだか照れてしまった。


「そうでもないです。もう十分長く生きたと思ってたけど、まだまだ人生は続きそうだし」


「まったくですね。人生はいつも厳しい」


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 それから先生はルーペを取り出し、じっくりと僕の手相を眺めた。

 ほのかなロウソクの光に照らされて、僕の手の皺は深い影を落としていた。

 先生はその影を丹念にルーペで追ってゆく。


「ふーむ、なるほど……」


 やがて先生は静かにルーペを置いた。それからじっと僕を見つめてこう言った。


「とりあえず、だが、君は僕の弟子になるといい」


「は?」


 こういう展開はさすがに予想外だった。


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「君の手相はたいへん混乱している。わたしも長くこの商売をやってきたが、こんな相を見たのは初めてだ」


 先生の口調は急にうちとけていた。

 占いをあきらめた、お手上げ、という感じ。


「その、意味が分からないんですけど?」


「つまりだね、君の未来は、さっぱり分からない。いい方に転ぶか、悪い方に転ぶか、その選択肢が無数に分岐していて、しかもだよ、そのすべてが五分五分の確率でせめぎあってる。わたしはこんな手相を見たことがない」


 やっぱり意味が分からない……


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 僕は自分の手のひらを眺めてみた。

 もちろんそこからはなにも分からなかった。

 ただ皺があるだけだ。たぶんみんなと同じはずだ。


「君にはなにか大きながあるみたいだ。それが何かは分からないし、それがいつ起こるかもわからない。そもそもそれが君にとって大事な事なのかもわからない。つまり分からないことだらけなんです」


 役割? 運命、みたいなものだろうか? でもそれがなにか分からないならどうしようもないし、そもそもそんな大きな運命が自分の将来にあるとも思えない。

 それでなくても今の状況でもじゅうぶん手に余っているし。


「つまり、僕はどうしたらいいんですかね?」

 と僕としてはそう聞くのが精いっぱいだった。


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「そうだねぇ。思うんだけど、君は占いを学んで、常に自分自身の未来を占った方がいいと、そういう能力を身につけた方がいいと、わたしはそう思うんですよ」


「つまり、占い師になって、自分を占ってゆく訳ですか?」


 先生は重々しくうなずいた。


「厳密に言えば、自分を占うってのは難しいことなんですけれどね。でも物事や運命の流れを見る力があなたには必要なんじゃないかと。つまり言いたいのは、そういうことなんです。それがあなたを占った結果ということなんです。まぁこんな答えを出すのはわたしも初めてですが、のでね。で、いきなりで恐縮なんですけれど、どうします?」


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 これはどういうことなのだろう? この人は新手の勧誘か何かなのだろうか? たとえば高い教材を買ったり、なにかのセットを買わされたりだとか?


「まぁ、いきなりでは、決断できないだろうからね。決心がついたら、ここに電話してください」


 先生はそういってポケットから名刺を取り出した。


 占い師・松尾芭蕉

 電話 090-×××××-840ばしょお


 最初は冗談かと思った。


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 とにかく、先生との出会いはまさに運命だった。


 この時もらった名刺は、それからずっと僕の財布の中に入っている。

 それはずっと僕のお守りだった。


 松尾芭蕉。それは先生の占い師としての名前だった。

 ちなみに本名は松尾太蔵。


 弟子入りしてから分かったことだが、実は先生は公務員で、アルバイトは禁止の身分だったのだ。


 それはともかく、僕はそれからずっと先生について、占いの技術を一から教えてもらうことになった。占いの技術とその心得を。


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 確かな観察と一瞬の洞察、

 運命を読み解く知識と経験、

 そして相手を思う優しさと正直さ

 それが占いを確かなものにする秘訣だ。


 それが先生の口癖だった。


 ~ つづく ~

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