カニを食べる―②
「今日、あなたをここにお呼びしたのはね、あなたにギフトを贈るためなのよ」
彼女はギフトという言葉を強調した。
「ギフト、ですか」
「そう。贈り物よ。でもギフトにはもう一つ意味があるのをご存じかしら?」
僕は知らなかった。英語はもちろんのこと、いわゆる教養というもの全般に縁がなかったのだ。
「才能よ」
エレインが助け船を出してくれた。
そう言いながら、どっかりと僕の隣に座り、膝を抱えた。
それにしても『才能』って? どういうことだろう?
👆
「そう。わたくしはあなたに才能をプレゼントするつもりなの」
あやめさんは白い手袋に包まれた手のひらを僕に向けた。
外人さんの仕草だ。ほら、分かるでしょう? というニュアンス。
もちろんなんのことだか、さっぱり分からない。
「わたくしはね、いわゆるお金持ちなの。ある会社のオーナーをしていてね、この部屋もこのビルもわたくしの会社の持ち物になっているのよ」
あやめさんは自分のことなのに、まるで
👆
僕としては「はぁ、」としか答えられない。
「投資会社なのよ『クロサキカンパニー』っていうの。けっこう有名なんだから」
エレインが耳元でささやいた。
「その、すごく立派なビルですね」
「でしょ。しかもビルはこれだけじゃないんだから」
再びエレイン。おばあちゃんの自慢をするのが嬉しいという様子だ。
「でもね、わたくしの本業は占い師なんですのよ。あなたと同じね」
👆
僕にはあやめさんの話がどこへ向かおうとしているのか、さっぱり分からなかった。どうして僕にそんな話を始めるのか、その理由が思いつかなかった。
僕の混乱が表情に出ていたのだろう、あやめさんは優しい笑顔でこう言った。
「あまり心配なさらないで。話を聞いていただければ、すべて分かりますから。でもね、これはちょっとだけ長い話になるの。でも、どこから話していいか……そうね、そもそもの始まりは、わたくしがちょうどエレインと同じくらいの歳だったかしら……」
ということは二十歳くらいのことかな?
それから語られたあやめさんの話は、僕にはとても信じられないような話だった。
👆
話を要約するとこうだ。
第二次世界大戦の頃、黒崎あやめさんは外交官の夫とともに、フランスに住んでいたという。
あやめさんは趣味で水晶占いをしていて、社交界でもなかなかの人気があった。
そこまでが第一幕。
👆
そんなある日、とうとう彼女も戦争に巻き込まれた。屋敷は襲撃を受け、彼女はたった一人で敷地から森の中へと逃げこんだという。
だが彼女にはその予感があった。その結果を占っていたのだ。
彼女は自らの占いにしたがい、森の奥深くへと逃げていった。
遠くに砲声を聞きながら、昼も夜も鬱蒼とした森の中を歩き続けた。
やがて彼女は一軒の小屋にたどり着いた。
そこまでが第二幕。
👆
その小屋にはジプシーの一家が住んでいた。
若い夫婦とちいさな子供が二人。そして一人の老婆がいた。
老婆は彼女と同じ占い師で、あやめさんが現れるのをずっと待っていたという。
『わたしはずっとあなたを待っていた。このギフトを贈るために』
そう言って、ジプシーの老婆はあやめさんの両手を握りしめた。
とまぁ、要約するとそういう話だった。
👆
「……それは代々伝えられてきた、ある特別な才能なのなのだと、そのおばあさんはわたくしに告げました」
そう言いながら彼女は白い手袋をゆっくりと脱いだ。
そして現れた皺だらけの手を、手のひらを上に向けて開いた。
「これまでこれを誰にも見せたことはないのよ。エレインにもね」
その手のひらに赤い傷跡があった。右手と左手の両方の手のひら、その真ん中のくぼんだところに、十円玉ほどのアザが浮かび上がっていた。
「そのジプシーのおばあさんにも同じものがあった。彼女はそれを『聖痕』と呼んでいらしたわ」
👆
「それって、神様からもらった力なの?」
エレインはあやめさんの両手を自分の手の中に包み込み、その傷跡を見つめた。
たぶん外国人の人にとっては、僕が考えている以上に神聖なものなのだろう。
「いいえ、たぶん違うでしょう」
あやめさんは軽く首を振った。
「わたくしはキリスト教徒だったことはないもの。一茶さん、あなたはどう?」
「僕も違います」
「もしこれがそういう神聖な力だとしたら、無関心の人に引き継がれるはずがないでしょう?」
たしかにそのとおり。
でもいったいなんの能力? そこがさっぱり分からない。
👆
「たぶん、これはもっと昔から人の間に伝わってきた、不思議な力の印だとわたくしは考えています。そうね魔法みたいなものかしらね」
「魔法、ですか」
とは言ったものの、こうなるとさすがについていけない。
占いは信じられるけど、魔法となると別物だ。
でもあやめさんはもちろん真剣だった。
👆
「いずれわたくしの言うことがわかります。でも、とにかく今はわたくしを信じていただきたいの。わたくしからのギフトをあなたに受け取っていただきたいの」
あやめさんは僕に両手を伸ばすようにうながした。
僕はあやめさんを信用していた。だからうながされるままに、僕は両手をあやめさんの方に伸ばしていった。
その僕の手をあやめさんの手がそっと包んだ。
骨に直接薄い皮を張り付けたような、固く冷たい手。
あやめさんはそのまま僕の手を包み込み、僕の手のひらの上に、彼女の手のひらを合わせた。
次の瞬間、
👆
「痛っっっ!!!」
と、こう書くとちょっとした痛みのようだが、実際のところ、それは経験したことのない激痛だった。痛みが走ったのは手のひらのはずだったのに、それは背中から頭の先までを、鋭い針のように刺し貫いた。
あまりに圧倒的な痛み。
視界が白く弾け、体の力が一瞬で抜け、思考が飛んだ。
そして僕は気を失った。
~ つづく ~
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