カニを食べる―③
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目を開くと、僕はソファの上に寝かされていた。
胸の上には毛布がかけてあった。室内は薄暗く、あやめさんとエレインが静かに話している声が遠くに聞こえた。
「目が覚めたかしら?」
と、あやめさんが僕のところにやってきた。
「ええ。すみません」
僕が手をついて起き上がると、あやめさんがその隣に座った。
「ごめんなさいね。驚いたでしょう?」
「ええ。かなり」
そんなことないです、と言いたいところだが、それが僕の正直な気持ちだった。
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「わたくしもね、この能力を受け取ったときは、突然だったの。でもね、それでよかったと、そのほうがよかったと、あとでそう思ったのよ。だってすごく痛かったでしょう?」
あやめさんはそう言って、自分の手のひらを僕に見せてくれた。
そこにあったあの赤いアザが消えていた。
まさか?
僕は自分の手のひらを開いた。
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僕の両手に、あやめさんの手にあったものと同じ、赤いアザがくっきりと浮かび上がっていた。
ジプシーのおばあさんが『聖痕』と呼んだそれは、出来あがったばかりなのか、いっそう鮮やかな血の赤に見える。
それはまさに、あやめさんの手から僕の手に移ってきたようだった。
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僕は少し、というよりかなり動揺した。
だが、
「さてと、なにかおいしいものでも食べに行きましょうか? 一茶さんは何がお好き? お寿司? それとも懐石料理みたいなものがいいかしら?」
あやめさんは何事もなかったようにそんなことを言い出した。
寿司? 懐石? うーん、焼き肉はだめそうだな。
それもまた僕の正直な気持ちだった。
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いやいや。食べ物の話ではない。
このアザの話だ。あやめさんから引き継いだギフトの話。
そっちの方が重要だ。
だが僕は完全にタイミングを外していた。
何を聞いていいか分からず思考も完全に止まってしまっていた。そしてあやめさんとエレインはさっさと外出の準備を始めてしまった。
僕は二人にくっついていくだけだった。
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かくして夜はまだ続いていた。
時刻は真夜中の二時。
僕とあやめさんとエレインは、再びリムジンに乗り込み、赤坂あたりのお寿司屋さんまでやってきた。
その店は普通の屋敷のような感じで、いかにも隠れ家と言う感じ。しかもこんな時間だというのに、店の中には結構な数の人がいた。
みんなが見るからにハイクラスの老紳士と老レディーばかり。そして僕たちは奥のカウンターに並んで座った。
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「今日はカニが入りましたので、それを召し上がっていただこうと思っております」
板前さんがそう言うと、あやめさんはにっこりとうなずく。
「一茶さん、カニはお好き?」
「たぶん。あの、あまり食べたことないんです」
板前さんが僕の言葉に無言でほほ笑む。
メニューはなし。注文もなし。座るとビールが出てきて、やたらと凝ったカニのおつまみが出てきて、握りが出てきた。それからまたカニを使った料理を挟みながら、さらにお寿司が握られる。
僕はナマモノがあまり得意ではなかったけれど、それでもこれが高級な味だというのはなんとなく理解できた。そういう料理を出す店だった。
僕はやけにお腹が空いていて、出される料理を次々に平らげていった。
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お腹もいっぱいになり、ビールのほろ酔いが回ってくる頃、あやめさんが再び僕に話しかけてきた。
「ところで一茶さんはどんなお仕事をしてらっしゃるの?」
「昼はコンビニでアルバイトをしてます。夜は、占い師の仕事です。まぁ、いわゆるフリーターですね」
「フリーター、今はそういう仕事があるんですのね」
あやめさんはどうやら分かっていないようだった。
そこでエレインがすかさず解説を入れてくれた。
「あのね、おばあちゃん、失業者ってことよ」
まぁ大きな間違いではないのだが……
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「あら、近頃はそういう風に呼ぶの?」
あやめさんはクルッと僕の方を向いた。
僕は説明する気もなかったので、コクンとうなずいただけ。
「お気の毒にねえ。でもかえって好都合だわ。ねぇ一茶さん、あなた、明日からわたくしの会社にいらっしゃいな。とりあえず、わたくしの秘書ということで」
「は?」
「ぜひ、そうなさい」
やんわりとしているが、なかなかの押しの強さだった。
「はぁ」
僕はついそんなふうに返事をした。
そう、僕は押しの強い人に弱いのだ。
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その後のことはあまりよく覚えていない。ただ何かから解放されたような安堵感で、僕は少しビールを飲み過ぎ、その勢いのままに僕のことをいろいろ話し、あやめさんはずっとそれを聞いていてくれた。
エレインはというと、僕という人間にはまったく興味がないらしく、板前さんとなにやらずっと話していた。
結局、あやめさんから引き継いだというギフトのことはなにも聞けなかった。
なんとなく聞けなかったし、あやめさんも今は話す気がないようだった。
それから僕はあやめさんにタクシー代をもらい、アパートへと帰った。
もう夜が明けようとしていた。
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僕は自分のアパートに帰り、自分のベッドで眠った。
小さくて狭くて固い、それでも妙に落ち着くベッド。
夜明けの青に染まった部屋の中には、僕の集めた本やらCDやらが散らかったままだった。
百均で買い揃えた食器は、百均の水切りにきれいに並んでいた。
床に積まれたフィッツケースには、僕が集めた洋服たちが畳んでしまわれていた。
そういった僕の世界はこの夜を最後に消えてゆく……
~ 第2章 完 ~
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