獅子奮迅の勢―④



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 僕が執事になって半年が過ぎたあたりのこと。

 社長の光造さんがとつぜん倒れた。


 日頃の激務と精神的な疲労が積み重なったためだったらしい。


「光造さん、あなたには休憩が必要ですよ。これまでずっと会社のためにがんばってきたのだから、少しくらい休んでもいいんじゃない?」


 あやめさんの言葉、というよりほとんど命令で、光造さんは奥さんと一緒に、世界一周の船旅に出ることになった。


 期間は約一年。豪華客船で地球をぐるりとまわる旅だった。


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 光造さんたちの見送りには、あやめさんとエレイン、マック、そして僕、さらに二百人もの社員が集まった。


 僕はこの会社で働いている人がこんなにもいることにあらためて驚いた。


 驚いたことはもう一つ。

 光造さんの奥さんは金髪に青い目をした外人さんだった。マックの外見からして外人なのは分かっていたはずだが、実際に目にするとやっぱり驚いた。


 ま、それはともかく。


「マック、あとのことは頼んだぞ。みんなと一緒にしっかりやりなさい」


 光造さんはそういい残し、奥さんの手をとると、巨大な船の中へと消えていった。


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 光造さんがいなくなってから、マックは急に忙しくなった。

 晩飯にも顔を見せなくなり、その代わりにエレインが毎晩一緒にご飯を食べるようになった。


 あきらかに放って置かれているのだ。

 だがエレインはいつもと変わらない様子だった。


 なんともドライな感じはしたけれど、もともと二人はそんな感じなのだろう。


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「まぁ寝る間もないくらい忙しいよ」


 ある日のこと、たまたま乗り合わせたエレベーターの中でマックはそう言った。


「でもさ、俺はすごくやりがいを感じてる。パパが帰ってきたときビックリさせてやりたいんだ。ま、見てなって」


 マックはポンと僕の肩をたたき、途中の階で降りていった。


 マックはとても自信にあふれていた。

 与えられた責任の大きさが、人の器を大きくすることがある。


 今のマックがまさにそうだった。


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 だがエレベーターの中で聞いた話は、いいことばかりではなかった。

 たまに社員の人たちがマックの悪口を話しているのを聞いた。


 強引すぎる、とか。ワンマンすぎる、とか。偉そうにしてる、とか。

 人の話を聞かない、とか。上に立つ器じゃない、とか。

 やっぱり社長にはかなわない、とか。


 まぁ、たいていはそんなこと。


 だがそれもまたマックらしかった。

 マックは一人で責任と重圧を背負いたがるタイプだったから。


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 僕とマックはごくたまにだが、一緒に飲みに行った。


 たいていは夜の十一時頃、もちろん僕は帰宅してのんびりしている時間なのだが、マックから携帯に電話がかかってきて強引に誘われるのだ。


「やぁ、一茶。いつものところに予約入れたから出てこいよ。マンションの下にタクシー待たせてるから、すぐに来いよ」


 マックは年下のくせにいつもこうだ。

 だが不思議と嫌な感じはしなかった。


 このころマックは僕にとって、手のかかる弟のような存在になっていたからだ。

 もっともマックの方こそ、僕を弟のように見ているフシがあったけれど。


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 で、僕たちは個室になったチェーン店の居酒屋に行く。


 大学生が行くようなチェーン店の店。

 なぜかマックはそういう所が好きだった。


 僕たちはビールをジョッキで頼み、最初の一杯でマックはすっかりできあがる。

 で、たいてい同じ話を聞くことになる。


 もちろん僕はそのたびにうんざりする。


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「ぼかぁね(ボクはね)、ぜったいパパを超えたいんス」


 マックの顔は真っ赤。目はすっかりトロンととろけている。

 その上で、やたらと顔を近づけて話しかけてくる。


「あんまり無理しない方がいいんじゃないの? 僕から見ても、君はよくがんばってると思うけどね」


 飲んでいるときは敬語はやめる。理由は疲れるから。


「ぜっぜん(全然)、ラメ(駄目)っすよ」

 手をパタパタと横に振る。

 根が外人だからなのか、マックはとにかくよけいな動きが多い。


「パパにね、おまえはすごいぞっ、ってこー、一度言わせたいんス」

「そんなこといってもねぇ……光造さん、言わないんだろ? そういうこと」


「そーなんすよ。全っ然褒めてくれないんすよ」

 と、寂しそうに水滴で『の』の字をテーブルに書きだす。


 うん。こいつと飲むのはやっぱり疲れる。


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「ぼかぁですね、もっともっと頑張って、この業界の勉強して、周りの人たちの信頼をゲットして、この会社をもっともっと大きくしたいんス」

「でも業績は伸びてるんでしょ?」


 そう振ると、マックは満面の笑みを浮かべる。

 これもいつものパターン。

 続くセリフもいつものパターン。


「そりゃま、少しはね。でもぜんぜん足りないっス。ボクからしたらね」


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「ボクに足りないのは『運』なんですよ」


 マックはそうつぶやいた。

 これはにないパターンだった。


「ボクはね全く運がないんですよ。運……『チャンス』の方があってるかなぁ」

 

 の部分は実に英語的な発音だ。


「僕にはそうは見えないけどな。君は十分恵まれていると思うよ」

「一茶さん、るおんてん(論点)が違いますよ。ボクはね、もっと大きなものを見てるんですよ」


 こういうところがなんともマックのむかつく所だ。

 だが今さら修正できるようなことでもない。


 だから黙って聞く。

 疲れるけど聞く。


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「ぼくがパパみたいな人間になるには、何か決定的なチャンスと、それをものにする運が必要なんス……」


 そう言うマックは急に酔いが醒めたようだった。

 それからじっと僕を見た。


「そう……それは……」


 言葉が出ないまま、ちょっと天井を見上げている。

 なにか大事なことがつかえて出てこないようだった。


 マックは口を開いたまま固まっている。


 僕は待った。

 じっと待った。

 マックのノドにつかえているものが出てくるのを待った。


 だがマックは吐いただけだった。


「おまえぇぇぇぇ! 何してんだよ!」


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 まぁ冗談はさておき(でも事実だが)、マックはさらに忙しく働くようになった。


 社員たちの様子からそれがわかった。

 マックは社員を総動員して情報を集め、金を集め、それを猛烈な勢いで転がしていった。


 もう夜に飲みに行くこともなくなった。

 そこには明確な変化があった。


 なにかが始まろうとしている、そう感じさせる変化が。


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 そんな日々が一週間ほど続いたある日、あやめさんの所に不意にマックが現れた。


「あやめ会長。お久しぶりです」


 久しぶりに見るマックはずいぶん痩せていた。

 少し頬もこけて、かなり精悍な感じに見えた。その目は鋭く、確信に満ちて、以前のマックにあった幼さがすっかり削ぎ落とされていた。


「久しぶりね。マックさん。ずいぶん痩せたようだけど?」

「そう、ですね。少し痩せましたかね」


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「今日は会長に相談したい事があって来ました」


 マックは単刀直入にきりだした。

 こういうところも以前のマックには見られなかったところだった。

 なんだか急に大人になったように見えた。


 あやめさんもまたマックの変化を感じ取ったのだろう。

 マックの言葉を待たずにこう言った。


「相談は無用ですよ。あなたの信じるとおりにおやりなさい。ただし冷静にね。無理は禁物よ」


「はい」


「あなたなら大丈夫。あなたの決断ならきっと大丈夫。みんなが、もちろんわたくしも、あなたのことを信頼していますよ」


 あやめさんの言葉に、マックはなんというか確信に満ちた笑みを浮かべた。

 そして深々と一礼だけしてきびすを返した。


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 マックは何かのきっかけ、チャンスを掴んだのだ。

 それは彼が欲していた『運』かもしれない。


 それがどちらか分からないが、僕にはすぐにピンときた。

 もちろんマックは何もいわなかったけれど、彼の様子からそれが分かった。


 事実、クロサキカンパニーの業績は不景気下の時代にあって拡大を続けた。

 僕にまで臨時のボーナスが支給された。


 これはありえないような、獅子奮迅の快進撃だった。


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 唯一の難点は、マックとエレインの仲がすっかり冷えきってしまったことだった。


 エレインはその頃、毎日のように僕とあやめさんの三人で食事をしていた。

 しかも夕飯だけでなく、昼飯まで一緒だった。


 夜は夜であやめさんの部屋で過ごすようになり、外出も極端に減った。


 彼女はだった。


 でも目に見える難点はそれだけだった。


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 しかし同時に僕はこの流れに不安を感じていた。


 というのも、世の中では暗い事件が続き、自殺者が増え、世界中に不景気の黒い霧が立ちこめていた。

 

 そのすべてを包むように戦争の気配が立ちこめていた。

 まだはっきりとした形ではなかったが。


 そう。僕はずっと新聞を読み続けていた。


 世界というものがどういうストーリーを紡いでいくのか?

 僕はそれを読み説くコツをかなり掴んでいた。


 ……


 漠然とだが僕はそれを感じていた。

 だが僕にできたのはそれを感じ取ることだけだった。


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 そして僕の感じ取れないところで、運命の歯車は再び回りだしていた。


 『賢者の手』をめぐる運命が……



 ~ 第6章 完 ~

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