ALL 4 ONE
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小村を見守る丘の上の教会に、もううら若き“僧侶”の姿は無い。
慈愛の笑みを浮かべる、年経た僧侶と――――司祭が、一人だけ。
朝の礼拝を終えた老僧侶テレジアは、白亜の壁を守るように生えた花々の世話をしつつ、雲の合間に見える青空を
その時、背後に気配を感じたテレジアがゆっくりと振り向き、立ち上がる。
立っていたのは、村の鍛冶屋の
「あら、お久しぶりね……マルクス君。あれからも……逞しくなりましたね」
「お久しぶりです、テレジア様。お変わりないようで何より」
「そりゃぁ、この歳ではもう変わりませんよ。老けるだけ老け込みましたからね」
青年は、久々の故郷、というより――――白亜の壁に想いを馳せている。
首を飾るのは隊長を示す襟巻き、腰には使い込まれた長剣、背負うのは紋章の盾。
「は、いえ……その……あの、方は……?」
「あの方じゃわからないわ?」
テレジアはあえてからかうように訊き返した。
だが、それも悪趣味にならぬようほんの数秒だけに留め、返答する。
「あの子なら……旅立ちましたよ」
「えっ!? い、今はどちらに……!?」
「さて……。でも、あの子なら大丈夫。きっと……務めを果たすでしょう」
“僧侶”は、出立した。
その使命は、“癒す”事に他ならない。
傷付き倒れた旅の仲間を。
魔王の影に怯える無辜の人々を。
魔軍に切り刻まれた、この――――世界を。
かつては小さな祝福さえも起こせなかった彼女は、今は、この世界を救う“四騎”の一人となるべく。
「務め……と言いますと?」
「それは……少し長くなりますね。驚かせてもしまいます。良ければ、お茶を淹れましょう。……話し相手がいなくなってしまった私に、少しだけ付き合ってくれますか?」
「は……はい、仰せのままに」
蒼天の似合う丘の上に、今はもう優しき乙女の姿は無く、ただ帰りを待つ。
二度と穢される事の無い蒼天、誰も怯える事のない穏やかな世界を旅路の果てにもたらす事を、白亜の教会は祈りに加えて。
*****
街道を行く輸送隊の車列、その中ほどにある馬車に三人の“道連れ”が空いた荷物の隙間に身をねじ込みながら、揺られていた。
前を見ればはるか先に街の姿が見えて、横を見ればどこまでも続く田園の風景があった。
畑の中で額に汗する農民たちは、鎧姿の輸送隊の兵士、随伴する騎兵、御者に手を振り――――兵士達も、それに応えるように槍を掲げる。
収穫を迎えて色づく実った穂は、日差しを受けて金色の波のようにざわめく。
街道を行く、白銀の兵士達と相まったそれは――――神代の風景を描くフレスコ画だった。
その光景を
視線に気付き、微笑みかけて目礼する“僧侶”に、後続車の御者は咳払いとともに頬を染めた。
その中で、とんがり帽子の“魔法使い”だけが、神妙な表情を浮かべている。
「……なぁんか、こういう事……前もあった気がすんのよねぇ。あたしって荷馬車に縁があんのかしら?」
“僧侶”だけがそのぼやきに気付いて、きょとんとした視線を向けるが――――“勇者”だけは、懐かしさに輝く眼を、流れていく麦畑の光景から離さない。
「だいたい、アンタら
「す、すみません……! 私の、無知の致すところでした……」
「ホントーにね。……こんな優しくて美人な魔法使いなんて、そうそう通りかかるもんじゃないのよ?」
「感謝してる。君がいなかったら、もうダメだった。ありがとう」
「……ええ。それに、こうして輸送隊の方々に頼らせていただく事も。私達では……思い至りませんでした」
正直な礼の言葉は、期待していた訳でも、そうさせたかった訳でも無い。
だから“魔法使い”には逆に照れ臭くなり、それきり――――黙り込むしか、なくなってしまった。
やがて、少しして城壁に囲まれた街に辿りつく。
城門の中で三人は馬車から下り、輸送隊長を務める若き騎士――――マーカス・ノースウェルに礼の言葉を述べた。
「それでは、道中お気をつけください。ご武運を祈っております」
若く精力に満ち溢れた、およそ戦い盛りの青年騎士だった。
彼は乗客の三人に労いの言葉をかけ、乗り心地を訊ね、運賃を催促する事もないまま送り出す言葉をかけてくれた。
「無理言ってごめんね、隊長さん。荷物増やしちゃったわね……」
「いえ、良いのです。……“勇者”様のご一行と、ひとときでも道を同じくできた事。光栄の至りと存じ上げます。……そうそう、しばらく滞在のご予定は?」
「……ないけど、どうかしたの?」
「明日からこの街でいくつか催し物があるのです。片時も休める状況ではないのでしょうが……どうか、足を運んでいただけると彼らも嬉しいでしょう。それにお聞きした所、ここからの旅路は少し長くなります。英気を養うもよろしいかと」
「彼ら、って……?」
勇者が横からそう訊ねると、輸送隊長マーカスは視線で、通りに渡された垂れ幕を差した。
そこには、こう書かれている。
――――“サー・ウィリアム・キングスパロー一世の芸人一座”久方ぶりの上演!
――――ロラン作“牢獄の大怪盗”本都市初公演!
「へー……サー・ウィル一座、久しぶりねぇ」
「え? 見た事あるのか?」
「一度だけね。曲芸剣士が見応えあってね。両手足と口、同時に五本の剣で舞うのよ。サー・ウィルの漫談も良かった。見ていく?」
興味を示した“勇者”と“僧侶”に説明している間に、輸送隊長は簡素な挨拶を述べて荷下ろしの指示に戻る。
各都市を繋ぐ郵便物、物資等――――彼らは、“戦わない”戦いをそうして続けてきたのだ。
「――――あ、そうだ……大事な事訊き忘れてたわ、アンタに」
「何?」
それは、ほんの少し前……いつか、少年の輝く視線とともに向けられた疑問。
いつか、“それ”に会えたら必ず訊いておいてくれと預けられた依頼だった。
「……や、とりあえず何か食べよ、お腹減っちゃった。宿も探さないとね。アタシに任せなさい、おのぼりさん達。今日という今日はベッドで寝たいわ」
そう言って、自由闊達な“魔法使い”は通りに視線を走らせ、いつか訪れた宿屋、料理屋を探した。
*****
「……やぁ、お前さん……かい。随分と……良い面構えになりよったの」
旅のさなか、港町へ向けての道すがら、“戦士”は途中にある村へ立ち寄りたいと、彼にしては珍しい“我儘”を言った。
旅の仲間は、四人に増えていた。
勇者、癒し手、魔の導き手、そして――――剣の男。
立ち寄ったそこは、どこにでもある小村。
ぽつりと外れて立つ一軒の小屋が、“戦士”の目的の場所だった。
ひとりの、病床につく白髪白髭の老いた男がいた。
枯れ果てたかさかさの皮膚、骨の浮き出た手、部屋の中に充満した、どこか澄み渡った気配は――――死の床にあるものだけが放つ、冷たさを宿して四人の肺腑を満たした。
“僧侶”は、彼を一目見て気付く。
もはや、いかなる癒しの御手も彼には届かない。
彼が生きている間に出来る事は、もはやないのだと。
「……娘さん、そんな顔をしないでおくれな。
しかしその言葉は、“僧侶”に向けられたものではない。
三人の後ろで、独り目を伏せ、こみ上げ浮かんでくるものを押し留めようとする“魔法使い”へ向けてのものだった。
「……師、カイ・バール。もう一度お会いできて……何よりです」
“戦士”が、鎧の音を響かせながら病床の傍らに膝をつき、籠手を外してから“師”の手を取る。
かつて剣聖と呼ばれた男、今この時代にこそ“剣聖”であってほしかったと誰もが願う男。
剣に生きる者達のみならず、魔を修める者達までもがその名を知る、伝説の剣士、カイ・バールは――――間もなく、旅立つ。
「……なるほど、お前さんは見つけなすったのじゃな。
「はい、師よ。私は……彼らの盾となり、剣となり、その使命を共にすると決めました」
「ホホッ。……実はの、お前さんに謝る事がある」
「は……?」
「あの若返りの霊薬の事じゃ。あれな……実は、十年前に空けとる。今の中身は水じゃよ。……まあ、もっとも。元々の中身も薬草入りの水みたいなもんじゃったがの。あんまりにもマズくて吐いたし、翌日も腹を下したわい」
「効かなかったの……ですか?」
「いんや、効いとる。……初めての弟子の門出を見られた。確かに、あの薬はワシの寿命を伸ばしたよ。……のう、弟子よ。ワシの、相棒……取って、くれんか?」
“戦士”が立ち上がり、暖炉の上に掛けてあった波刃の長剣、フランベルジュを取り、捧げ持つようにベッドの上の師へ渡す。
振らなくなって数十年にもなるのに、その刃は驚くほど磨かれ鮮やかな刃紋が浮かぶ。
カイ・バールはゆっくりと体を起こし、愛剣を膝の上に抱き、愛おしむように刀身を撫でた。
「……儂の人生は、こいつに全てを賭けた。だが、悔いた。恥じた。虚しくなった。死にたく、なった。それでも……とうとう、儂は片時も離れたくなかったのじゃ」
かつては軽々と振るわれていた、炎の如き長剣。
今はもう、かつての豪腕は――――その柄ほどにまで細くなってしまった。
「のう。……連れて行って、やってはくれんか。儂と埋めるも、墓標にするも、こいつの本分ではない。こいつも……お主らの、仲間に加えてやってくれ」
「え……!?」
「お主らの戦いは、これからなのじゃろう。儂は……不甲斐ないばかりじゃった。この“魔王”の
もはや差し出す事すらできないその手から、“戦士”は、師と目を合わせ頷き合いながら、その意思を受け継ぎ、ゆっくりと受け取った。
「さて……儂の“女房”も身請けされた事じゃ。そろそろ、眠る……わい……」
そして、“剣聖”はいよいよ“老人”へと戻る。
その先にある、安らかな時へと向け、再び寝台に身を横たえて。
「のう、お若い方々。……儂の弟子と、儂の、相棒。よろしく……頼んだぞ」
「……はい。必ずや」
目を閉じ、うわ言のように語る彼へ“勇者”は力強く答えた。
“魔法使い”の目からはとうとう、一筋の涙が流れ落ちて――――“僧侶”は、手を組み、祈る。
「……勝てよ、お若いの。……儂は……いつでも、見て、おる、……よ」
穏やかに目を閉じ、すぅ、と寝息を立ててしばしの後。
カイ・バールの身体は二、三度だけ小さく震え――――やがて、胸に残っていた息を全て吐き出し――――深く、深く、潜っていった。
*****
そして運命の“四騎”は、旅立つ時を迎えた。
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