Hammer Song

*****


「遅れているぞ! そんな事で行軍についていけると思うか? 装備が重いか? なら、武器を捨てて丸腰で進むか!?」


 馬上から飛ばされる激にただ答えるだけの余裕もなく、年若い新兵たちは無言で歩みを速めた。

 腰に小剣、手には盾、背に槍を背負い革鎧と鋲打ちされたブーツをまとい、青年期を迎えたばかりの者達はひたすら小雨の降る中を駆ける。


「訓練兵! 貴様の脚はなまりか!? 味方についていく事すらできんのなら何ができる!」

「いっ……う、ぐっ……うぅぅぅ……!」


 返事もできず、追い立てられる新兵は吐き気を堪えたままひた走る。

 汗なのか雨なのか分かりもしない、しとどに濡れた前髪を額に貼り付かせて。

 顔にかかる雨垂れを拭う余力もなく、ひたすらに、止まりかけた駆け足を前へと進めていた。

 周りに同期の訓練兵はおらず、少し先に一塊で走っている。

 その訓練兵は、ただ一人遅れていた。

 彼を後ろから追い立てる訓練教官は――――馬上から、彼を発奮させるべく痛烈な言葉を浴びせかける。


 雨に濡れた黒髪を頭蓋にぴったりと貼り付かせ、右目を覆う眼帯もじっとりと濡らした女性の訓練教官だった。

 妙齢を越えてなお凛とした美貌を保ち、張り詰めたような鋭さを声にも眼光にもたぎらせる、烈女れつじょと呼ぶにふさわしい威厳を放っていた。

 右手は手綱を握っていても、左手は――――それ自体がない。

 マントの中に左の上腕だけをしまいこまれた、隻腕せきわんの女教官だった。


「除隊したければ私は止めんぞ! ロジャー・フィッツロイ訓練兵。どうする! 貴様はどうするつもりか!?」


 痛烈な罵声を受けてなお、ロジャーと呼ばれた訓練兵の足は止まらず、それどころか更に一歩、更に一歩、と――――降り続く雨にぬかるんだ地面を蹴り、泥を跳ね上げながら前へ進んだ。

 その足掻あがきぶりを見下ろす隻腕の女教官、クラリッサ・レイヴンクロフトは唇を吊り上げ、冷ややかな薄笑いを浮かべる。

 彼の内にある根性の切れ端をようやく見つける事ができた、と言わんばかりの喜びだった。

 そして、見つけたのなら――――それを更に叩き伸ばし、強く打ち鍛えなければならなかった。


「そうだ、走れ! ウジ虫でいたくないのなら、走れ! 喜べ、貴様は今から溝鼠どぶねずみだ!」


 クラリッサの口撃は、止まない。

 ひとり遅れる彼が前方の集団に追い付き、キャンプへと帰還するまで。

 一日の調練が終わるまで。


 ――――半年に渡る訓練期間が、終わるその日まで。



*****


 彼女はかつて、王国軍で知らぬ者のない精兵せいへいだった。

 旗槍を振るって突撃し、近づく者あらば片手の小剣で斬り伏せる女傑として名を馳せ百人を超える部下を統率する立場にあった。

 彼女が戦場を去る事になったきっかけは、今の彼女を見た通りの事。

 ある戦で勝利を収め、敵軍の降伏が受け入れられた、その瞬間――――敗北を受け入れられなかった敵の将兵が腹立ちまぎれに放った砲弾が折悪おりわるく至近で炸裂し、彼女の右目に破片が突き刺さり、左腕を吹き飛ばしてしまったのだ。

 それで済んだのは若い部下に庇われた結果であり、その部下は半身を失い即死だった。


 ふたつの道を迫られた。

 ひとつは退役し、微かな保障を受けて市井の暮らしに戻るか。

 ひとつは前線を退き、訓練教官としてその経験を如何なく発揮するか。

 迷わず彼女が選択したのは――――後者。


 そしてクラリッサは、“鬼教官”の名で呼ばれる事となった。



*****


「――――先生、ただいまお時間よろしいでしょうか?」


 夕食を取っていたはずの訓練兵の一人が、通りかかった彼女へ臆さず声を掛けた。

 五十の訓練兵を受け持つクラリッサは、その声、その呼び方だけですぐに主が分かる。


「ロジャー・フィッツロイ。何度言えば分かるのか。教官と呼べ」


 振り向いた先には、訓練兵の中でも最も不出来な――――ひときわ童顔の訓練兵、ロジャーがいた。

 くしゃくしゃと巻いた金髪、生白なましろい肌、眠たげな碧眼は兵士として全く似つかわしくなく、どちらかといえば鼓笛隊にならば居場所のありそうに見える、小柄な青年だ。

 ロジャーは、昼魔にさんざんしごき抜かれ、痛罵つうばを受けた後だと言うのに少しも動じず、いつものようにクラリッサへ、笑顔すら浮かべて話しかけてきたのだ。

 他の者は彼女の高い靴音を遠く聴くだけで身を竦ませるのに、彼だけは――――緊張感の欠片もなく、人懐っこさに任せて積極的に彼女に質問をぶつける。


「あ……申し訳ありません、教官」

「それで、用とは?」

「はい。次回の休日の事ですが……僕はここに残っていても構いませんでしょうか」

「好きにしろ。営内に残るのであればいちいち私に許可を求める必要はない。話は終わりか、ロジャー」


 彼女は、ロジャーの無神経ともいえる無垢さが、“世間ずれのなさ”が苦手だった。

 どこか、厳しい訓練を受けて戦う力を蓄えているという境遇に酔うようなふしが見受けられ、好き好んで苦境を背負い込み、自分を追い詰め、貴重な休み時間にも体を休めようとしない。

 オーバーワークに苦言を呈してもどこ吹く風とばかりに、ロジャーは走り込む。走り込むが――――まるで、身につかない。

 まして、もはや戦場に赴く事の叶わない身体のクラリッサに、それは毒だ。

 いつか戦場に出て華々しく戦い、王国のために尽くせると信じる新兵の姿が――――クラリッサには、苛立ちを募らせていく。

 あの日、往生際悪く撃ち放された大砲で身を抉られ、負わずに済むはずの傷を負って、もはや戦う事は叶わなくなってしまった彼女には――――ロジャーの純粋さが、毒だった。


「はい……それでは、失礼します」

「……ロジャー。貴様はなぜ私を“先生”と呼ぶ」

「は……?」

「“先生”と呼べる何者かなど、貴様にいたのか? 確か貴様は木工職人の出だったハズだ。父以外に師事した事などあるまい。剣術を学んだ事もな」

「え? ええと……」

「示しがつかん。……次からは罰則を申しつける。営庭を走りたくないのなら態度に気を付けろ、訓練兵。貴様はたるんでいる」

「は、はっ! 失礼いたします、先……教官どの!」


 小走りに駆けていくロジャーの後ろ姿を見て、彼女は何度目かになる溜め息をついた。

 その後ろ姿は、これから戦場に行くとして生き残れる気配がまるでない。

 典型的な――――真っ先に死ぬ男の姿だった。

 あと一ヶ月の訓練期間を終えた彼が、いつどこの戦場に赴く事になるか、知る事など到底できはしない。

 どこかの国と開戦するかもしれない。野盗退治かもしれない。反乱の鎮圧かもしれない。それとも、街道に巣くう魔物の討伐かもしれない。

 ただ、クラリッサには確信に近いものがある。


 彼は、“初陣”で死ぬと。



*****


「足運びを意識せよ! 敵は常に正面だけにいるのではない! 周りの兵士の動きも気を配れ! 味方の槍だろうが、弾き飛ばされて飛んで来ぬとも限らん! 周囲全てが敵の刃と思え!」


 白兵訓練の間を縫い、クラリッサは激を飛ばして見回る。

 五十人からなる訓練兵が組に分かれて、晴天の下で木剣と盾で打ち合う快音が響き渡る。

 曇天の日が続いたゆえか、訓練兵達はどこか覇気がみなぎり、思う存分、憂さを晴らすようにいつにもましてキレのある動きを見せていた。

 だが、その中にあって――――ロジャーはやはり、頭一つ、落ちている。


「……お前、真剣にやってんのかロジャー! 何で今のが防げないんだ!? どこ見てたんだ!」

「ってぇ……! わ、悪い……」

「悪い、じゃなくてさ……きょ、教官!」

「え?」


 クラリッサが見たのは、相手の大上段を避けきれずに直撃を受けるロジャーの醜態だった。

 むろん、それが戦場であれば言うまでも無く脳天を割られて即死だ。

 五ヶ月の訓練を、それでも乗り越えてきたとは思えないほどの醜態を晒した事へ――――クラリッサはただ、無言で二人を交互に見つめた。

 そして。


「……どうした続けろ。それとも休むのか? ロジャー・フィッツロイ訓練兵」

「いえ先生! あ……その、教官! 自分はまだやれます!」

「そうか、ならやれ。……貴様も手加減はするなよ」

「はい……続けます!」


 痛む頭をこらえて先に構えたのは、ロジャーの方だった。

 そして、また……一方的な打ち合いが続く。

 打ち込み、足さばき、盾の使い方、どれもが彼は二流ですらない。


 そのまま、日が高くなり続け――――ふと、鐘が打ち鳴らされた。

 それが昼食の合図でないと気付いた者は――――我武者羅な訓練兵の中にはいない。


「……全員、止め! その場で待機せよ!」


 クラリッサは妙な胸騒ぎを覚え、訓練教官の宿舎へ向かう。

 その扉の前には既に他隊の教官達が到着しており、訪れた伝令を取り囲んでいた。


「いったい何事か!?」


 その凛然とした声に訓練教官達は振り向き、互いに目配せして歯切れ悪く頷き合うだけだった。

 彼女はおよそ、こんな空気を作り出すような事態に出くわした事は無い。

 戸惑いを覚えていると、やがて――――伝令が、重々しく口を開く。



*****


 報告を受けたその晩、彼女は眠る事ができなかった。

 夜が白む中、片方しかない目が煌々と冴え渡り、断ち切れた左腕の断面がひたすら熱くむず痒い。

 それは、彼女の無力感を責め苛むように、あの日傷を受けた瞬間を追うように、感覚は暴走していった。

 やがて……無いはずの右目が貫かれたように痛み始める。

 が――――激痛を生んだ。


 “魔王”が、この世界へ降臨した。

 既に西の果てではいくつかの小国が為すすべなく滅亡し、魔物の軍団は大陸を席巻するべく進撃している。

 伝令が発されるのと時を同じくして既に軍団が西へ向けて放たれ、魔物達を迎え撃つべく準備を進めているという。


 そしてクラリッサは――――何もできない自分を、ひたすら呪わしく思っていた。


「……! 何故、今なんだ……! 私、が……こんな……!」


 目を奪われ、片腕を奪われた今。

 彼女は前線に出る事が叶わない。

 王国の、世界の危機に際して彼女は何もできる事が無いと感じていた。

 訓練兵達を送り出す事が関の山だが、それは――――残酷な結果になりかねないとも、分かっていた。


 本来なら訓練を終えた彼らは、軍団へと編成されて更に新兵として洗礼を受ける筈だ。

 だが、本当に魔王が現れたとなれば――――そうは、きっとならない。

 悠長な時間は、ない。


 訓練期間はあと、二週間。

 二週間後、彼らは毛も生えそろわぬうちに、実戦を経験する。

 それも、言葉が通じ投降も叶う人間との戦いでは無い。

 人を食らう、悪辣な魔物との。

 魔物を統べる、魔王との戦いを。



*****


 そして、残りの訓練の日々が終わった時、五十人いたクラリッサの受け持つ訓練兵のうち、十六人は去っていた。

 “魔王”との戦いの重責を、受け止めきれなかったからだ。

 あと二週間で終わる訓練の日々、それを――――刑の執行までの日数と、受け取ってしまった。


 時の抜け落ちたような感覚は、訓練兵達とクラリッサの共有する唯一のものだ。

 気付けば――――今、この時。

 訓練を終えた“新兵”達との、最後の課業の時が訪れていた。


“鬼教官”クラリッサの顔に、表情はない。

 幽鬼のように青ざめた顔は、つらい訓練を乗り越えた新兵たちへの祝福を浮かべはしない。

 何故なら、今この瞬間から彼らの運命は――――およそ予想のつかない、地獄の日々となるしかないからだ。


「――――よく、ここまで耐えた。貴様らに贈る言葉ももはやないが――――最後にひとつ、訊ねたい」


 三分の二にまで減った訓練兵達の顔は、晴れ渡っていた。

 空もまた嫌味のように晴れ渡っており、彼らの往く地獄への前途を、これ以上なく照らしているようにしかクラリッサは思えなかった。


「……は、悔やんでいないか」


 訓練兵達が、かすかに顔を曇らせた。


「これからお前達が向かうのは、怪物どもとの戦いだ。死ねばその身体は引き裂かれ、食われる。お前達は……死んでも、死体としてすら故郷に帰っては来られんのだ。奴らに勇敢なる者への敬意があるはずもない。……生き延びたとて、また地獄。同胞が食い殺される様を、お前達は見る事になるだろう」


 新兵達は、沈黙する。

 顔を伏せるクラリッサはそう一息に言い終えると、そんな脅しの言葉しか出ては来なかった事を自省し、次の言葉を選ぼうとした。

 彼らを送り出せる言葉が。苛酷な日々を乗り越えた事への褒め言葉が。彼らの前途を祝う言葉が、何一つ出てはこない事に気付いて、吐き気をこらえる。

 何より彼らは戦場に向かうというのに今自分は、不満足の体ゆえに支えてやる事すらできはしない。

 そんな自分が、彼らの健闘を祈る言葉を搾り出したとしても――――それは、欺瞞ではないのか、と。

 目頭すら、熱く滲んでしまうほどに。


「――――違いますよ、先生」


 だが、クラリッサは――――その言葉を。その声を聞いた時、ふと持ち上げられるような感覚を覚えて顔を上げた。

 そこには、新兵の最前列に並ぶあの不出来なロジャー・フィッツロイの姿があった。


「確かに、俺は。俺たちは、輝かしく華々しい戦場でどうせなら死にたいです。……でもね、俺達の敵は北方王国の巨人でもない。草原の民でもない。“魔王”の軍団なんですよ。そりゃ……怖いです」


 口ではそう言いながらも、声は震えていない。

 背筋をまっすぐに立て、クラリッサへ視線を向け。気付いて見れば――――他の新兵達の顔にも、曇りは無い。


「俺は、父さんと母さんのため。姉さんのため。その辺のガキのため。――――あの恐ろしい魔王から、凶暴な魔物どもからみんなを守るために戦うんです。これ以上……これ以上の理由なんて、どこにもないんですよ」


 次の言葉は、彼の隣に立つ新兵から。


「あいつらに思い知らせてやります、教官。俺たちの、力を。この国を、この世界を守るために俺たちは生まれたんです」


「――――ありがとうございました、先生。俺たちを……強く、してくれて」



*****


 魔王降臨から。最初の新兵達を送り出してから一年。

 そして、また――――新しい訓練兵が、この訓練地へやってきた。

 訓練兵達の顔には、緊張、不安と、使命感……入り交じるそれらが浮かべられていた。


 隻眼、隻腕の女教官は、その顔を一つずつ焼きつけるように、睨みを聞かせながら激とともに練り歩く。


「――――私が貴様らの訓練教官を務めるクラリッサ・レイヴンクロフトである! これより半年間、貴様らには呼吸と心拍以外の自由は存在しない! 貴様らウジ虫どもがどこの誰であろうと、興味は無い。マンティコアの歯糞はくそになりたくなければ死にもの狂いでついてこい! 半年後、貴様らがしぶといになっている事を期待する! ――――そこの貴様、名は!」


 大の男も震え上がらせる覇気は、彼女がかつて戦場に身を置いていた頃より更に磨きがかけられていた。

 彼女に鍛えられた者は、皆が口々に言う。

 “もしクラリッサ教官に鍛えられていなければ、死んでいた”。

 “あの日々があったから、俺はまだ生きていられる”。

 “どんな上官でも、クラリッサ教官に比べれば聖人だ”。


 彼女に鍛えられる訓練兵は、辛さに弱音を吐きはしても、自ら除隊を選ぶ者は――――“最初の一団”以降、一人もいなかった。

 それほどまで、彼女の行う調練は……死地からの生還を確信できるほどのものだったからだ。


 彼女には、ひとつ戒めがある。

 たとえ目の出ぬ新兵であっても――――決して、見捨てはしないと誓った。

 あの不出来な新兵、ロジャー・フィッツロイは――――ほどなくしてを駆け上がった。

 ただし、初陣でではない。

 ベヒモス迎撃作戦において右前脚を破壊する支援作戦に従事し、成し遂げた。


 彼は――――確かに、いしずえとなったのだ。

 そしてもう、“先生”と呼びかけられることはない。


 だがもう、彼女に迷いは無い。

 訓練兵たちに、自分の培った“眼”を。

 訓練兵たちに、自分の培った“腕”を。

 その身に持てる全てを教え尽くす事こそが、彼女の戦場だった。


 空高く、痛罵と激が消えていく。


 それは、やわな鉄を、粘りある鋼へ打ち鍛えるべく火を噴くと鉄鎚の唸りだった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る