三人の女神の物語

*****


 男達は、聴き惚れていた。

 神託を受けるように――――戦地帰りの兵士と、戦地へ行く兵士が、一人の女に耳と目の全てを預けていた。


「――――セ、テ――――」


 男達と、給仕と、その他にも――――姿を忍んで訪れた男女問わずの貴族も、少なくない。

 舞台の上で、翼を広げるような身振りで歌う、ひとりの女がいた。

 腰まで届く清流のような銀髪を背の中ほどで束ね、蝋のように白い素肌はまるで鏡のように灯りを照り返す。

 歌声は天上の聖霊の奏でる祝福にも似て、彼女へ視線を注ぐ観客達のみならず、通りの外で偶然その声を拾った者達も――――思わず足を止めた。

 歌声を聴いているだけで、疲れ果てた戦士たちは心を休め、戦地で魔王軍と戦う恐怖を忘れた。

 これから赴く者達は、いずれ襲い来るだろう恐怖を忘れ、代わりに思う。

 死んでしまったら二度と、彼女の歌を聴けない。

 それが闘志と変わり、若き兵士達は彼女の歌に涙し、決意を新たに、気を引き締めた。


 もう一度――――彼女の歌を、聴くためにと。


 一曲目が終わると、割れんばかりの拍手が彼女へ贈られた。

 そこには、猥雑な怒声もない……純然な、心からの称賛だけがある。


 やがて拍手が落ち着くと、彼女は再び腕を広げた。

 見渡す限りの男達の抱擁を求め、そして抱擁を施すように。

 胸の前でゆっくりと閉じ、交差させると……“歌姫”は、次の歌を奏でた。



*****


「いやぁ……お噂はかねがね。見事なものですね、“歌姫”オルフェリア。まさしく熾天の玉石の如し美貌と、女神の歌声」


 調子の良い口調で、彼女の着くテーブルに近寄る吟遊詩人の姿があった。

 高価でない服ゆえに洒落の利いた着こなしを見せる色男だが、どこかその目には油断ならない覇気が爛々と輝いており、それをうわべだけの軽妙さで隠そうとしているように、言葉は軽い。

 その腰には吟遊詩人としての確かな実績と力量を物語る“白吟竜はくぎんりゅう”の意匠を施したメダルが下がっている。


「……ありがとう、ございます。貴方あなたは……いいえ、当ててみせましょうか? かの名高き吟遊詩人、ロラン様ですね」

「いかにも、私めでございます。それにしても……いや、お美しい。かの神仙の美竜、“虹鱗竜こうりんりゅう”の加護を受けたかのようで」

「あら、……お上手ですのね。私には、通じませんよ?」


 忍び笑いを漏らして、歌姫オルフェリアは、杯についばむように口を付け、唇を湿らせた。

 その仕草にすらロランは見惚れて、瞬きすらも忘れてしまうようだった。


 西王国の首都、“魔王”の軍団にすら抗い、押し留めてみせる歴代最強の王の膝元。

 その一等地に、彼女の歌声の響く“劇場”はあった。

 造りは広く、声がよく通り響くように作られてはいても、そこは酒場だ。

 三階までの吹き抜けの構造は、一人でも多くの客が彼女の姿をよく見られるようにする為。

 そして、彼女の変わっているところは――――気取らず、出番が終わってもすぐに控えの間に引っ込む事もなく、訪れた客達との談笑の場を持つべくこうして広間に居座る点だった。


「ところでロラン様。何か、新しいものを書いておられるとか……」

「ええ。……書き上げはしたのですがパッとしなくて書き直し、今は気分を変えてネタ探しでもしようかと。出演者にもいつか渡りをつけたいのですが……そうだ、オルフェリア嬢。目処が立ったあかつきには、是非とも私の脚本による舞台に出演してはいただけませんか?」

「ええ、無論。お力になれるのであれば、喜んで」


 半ば、やけ気味に訊ねたロランはあっさりと承諾を得られた事に目を白黒させた。

 彼女――――オルフェリアの眼差しは、まっすぐに見つめてきていた。

 煙に撒くでもなく、彼女は二つ返事で引き受けてくれた。

 用意していた説得の言葉が出番を失った事に名残りを惜しむことなく、ロランは。


「ほ、本当ですか!? き、聞きましたか皆さん!? 確かにオルフェリア嬢は、私の舞台に女優として出演してくださるそうですよ!」


 立ち上がり――――遠巻きに見つめる聴衆に語りかけた。

 酒場は沸き立ち、あちらこちらで歓声が上がる。


 その狂乱が落ち着いてから、改めて――――ロランは、もう一つの噂を訊ねた。


「いや、夢のようだ。それで、ですね……オルフェリア嬢。もう一つ、お訊ねしたい事が」

「はい、何でしょう?」

「貴方は、公言している事があるとか。何でも……」

「私の婚約の事でございましょうか?」

「ええ」

「まぁ。……佇まいのお美しく洗練されているだけではなく、勇猛でしたか?」

「いえ、まさか。私は剣など握れませんよ」


 歌姫オルフェリアは、正式に掲げている事が一つある。

 それは。


「――――この魔王との戦乱。それが終えられた時、最も多く私の歌を聴いて下さった方に身も心も捧げましょう。最も多く戦地より生還し、最も私の歌を聴いてくださった方の愛を、御受けいたしましょう」


 彼女は、今まで訪れて愛を囁いた男達へのものと同じ言葉を綴り、ロランの瞳を覗いた。

 それが――――西王国の歌姫、“オルフェリアの誓約”だった。

 若い新兵にも、熟練の精兵せいへいにも、若く精悍な貴族にも、醜悪な容貌の豪商にも、彼女は求められれば言葉を交わし、その誓いを立てて口にした。

 結果、戦地へ赴く兵士は彼女に顔を覚えてもらい、生きて帰った兵士は彼女に顔を見せ――――そうしてこの時代を生きていくための活力と希望を得て、救いとしていた。


「……で、本当は?」


 乙女の誓約などどこ吹く風、とばかりにロランは白々しく帽子をかぶり直し、口もとに不敵な笑みを切れ込ませ、訊ねた。

 するとオルフェリアは、酒場の喧騒を倦むように手招きして立ち上がる。

 その桃色に潤んだ薄い唇にも、ロランの浮かべたものと同じ――――いや、それ以上の意図を含んだ妖し気な笑みをうっすらと浮かべて。

 オルフェリアに導かれるままに、ロランは立ち上がると、拾い上げたリュートを背中に回してついていく。

 そこは――――王都の夜景と、星々を望む“劇場”の屋上だった。

 オルフェリアのためだけに作られたベランダで、二人は話の続きを始めた。


「――――本当は、とは……はたしてどのような?」


 オルフェリアは、刃のようにとがった三日月の浮かぶ夜空を見上げて問いかけた。


「……いえね、私の気のせいであれば良し。どうも……貴方の眼は、澄んでいたので」

「まぁ。それは……光栄、でよろしいのでしょうか?」

「そう。あまりにも真っ直ぐ私を見つめてきたもので……逆に、胡散臭いのです。ひねた男とお思いでしょうが、騙され慣れたものでして。男は目を逸らして嘘をつき、女は見つめて嘘をつく。……そもそも私を言いがかりとお思いなのなら、ここまで案内はしないのでは? “歌姫”オルフェリア嬢」


 オルフェリアからの返答はない。

 やがて、空を流れ星がひとつ滑り下りたのをロランが見つけた時。


「……私は愛されたいのですよ、ロラン様」


 その声は麗しい小鳥のさえずるような響きゆえに――――底冷えのする闇夜のような怖気が宿る。

 振り向いた彼女の顔相かんばせにもまた、舞台に立っていた時と同じ、聖女の如き深みを宿した微笑みがあった。


「いい気持ちなの。とても……いい気持ち。恐れしらずの男達が、私に会うためだけに戦い、生きて帰ってくる。私に、とろけそうな熱い視線を贈る。魔物を斬り倒したその豪腕を振り立て、力強く魔王軍を見つめたその目に熱情を宿して、ただひとりの私を見つめる。なんて……嗚呼ああ、なんと愛しいのかしら。うふふふっ……たまらないの、凄く」


 その瞳は、澄み切っていた。

 生き物の棲めない、鉱毒の溶けだした原色の泉のように。

 瞳の奥にある、混じりけなしの毒が――――邪視じゃしのように、ロランを突き刺した。


芸術の女神ミューゼに誓って、私は嘘などついていないわ。私は最も多く私に会いに来てくれた勇士のものになる。その逞しい腕に抱かれると、どんなにか幸福でしょう。百、千、万の男達が私を争い、勝ち残った者はどんな子供のような歓喜を浮かべるでしょう? 私は愛されたいのです。私は、愛したいのです。私は――――最も強く私を愛してくれた者にこの身を捧げ、最も強く愛します。それは、女として冥利に尽きる幸福ではないかしら?」


 危険なほどに真っ直ぐ、それ故に立ち上る漆黒の愛の吐露が、ロランを射抜く。

 だが、それでも――――彼は、たじろがない。


「成る程、成る程。毒婦どくふであっても、悪女あくじょでなし。混沌ではあれ、悪でなし。偶像アイドルに徹する、と?」

「ふふっ。……私が舞台裏を見せたのは、貴方もまた舞台に生きる者だから。吟遊詩人に秘密を語るのは無謀だけれど……それを歌い広めるほど、命知らずではないのでしょう?」

「…………してやられましたね」


 今聞いた事を歌にしても――――誰も信じはしないだろう。

 彼女はそこまで、階下では清浄なる歌姫を演じていたのだから。

 ロランが深く溜め息をつくと、オルフェリアは満面の笑みを浮かべ、月を背負って更に語りかける。


「私はね、この世界を愛しているの。だから、この世界のために戦う男達も愛しているわ。その証拠に、私は一人一人の顔を全て覚えている。だから……そんな男達の愛を独り占めにできるのなら、私は他に何もいらないの。全ては……私の、モノ。私は、幸せになりたいの」


 ロランを置いて、すれ違うように彼女は広間へ戻る。

 澄み渡った瞳に、もはやロランへ向けた狂気はない。

 愛を求める毒婦は、再び“歌姫”へと還り、その偶像を演じるべく。


(女は魔物、とは。つくづく……上手い言葉を編み出すものだな。嫉妬してしまうよ)


 そう、心の中で呟くロランの手は……今さらになって、オルフェリアの邪視の眼力に震えを起こしていた。



*****


「おい、ジェシー」

「あ?」

「あんたが娘可愛いのはいいんだけどさ。――――ちったぁ、嫁を構いな! 誰が産んだと思ってんだい、この馬面うまづら亭主!」

「でっ……! 蹴るな、ヒルダ!」


 最前線から生きて帰った一等卒ジェシーは、翌日の朝からずっと……生まれたばかりの我が子を起きていれば抱いて、寝ていれば見つめて、妻、ヒルダが乳をやっていればそれもじっと見つめて。

 ――――それも、妻の乳房にはまるで興味も示さず、“娘”の顔だけを見ていた。


「だいたいあんた、槍を何本もブッ刺されたってんじゃないか。寝てな、寝てな! 帰って来れたんだからゴロゴロしてたってバチなんか当てないよ、バカ」


 何歳か上の姐さん女房、ヒルダはずっと彼を待っていた。

 臨月近くに膨らんだ腹を置いて、魔軍との戦いに赴いた夫を待ち、家を守り、そして――――無事に娘を産み落としたのは、彼が帰ってくる少し前の事。


 夫へ向けて出した無事の出産を伝えた手紙、その返事を届けてくれたのは、輸送隊の若き騎士だった。

 彼は、手紙を受け取った際のジェシーの号泣ぶりさえ聞かせてくれた。


「……にしてもよぉ、お前……子供嫌いだって言ってなかったかぁ? ヒルダ」

「あん? 言ってたっけ、そんな事」

「言ってたよ。“懐いてくるのが嫌いだし、ズケズケ物言ってくるのも憎たらしい。間違っても子供なんか欲しいと思わない”って」

「……あんたがそんな詳しく言えるって事は、本当に言ったんだろーなぁ、あたし」


 軋みを上げるロッキングチェアに腰かけ、生まれたばかりの娘を抱いてジェシーは言う。

 ヒルダはもとより子供嫌いで、とても、母になれるような気はしなかった。

 母親をやれる人間を心から尊敬する、とぶつくさ言っていた。

 貧しい生まれで抑圧されて育ち、母親の愛を知らなかったヒルダのそれは懸念でもあった。


「……不思議なもんさ。そら、乳をやる時間だ。あたしによこしなよ」


 ジェシーは席を立つと、座ったヒルダへ娘を預けた。

 服の片膚かたはだを脱いで、“母親”の姿のヒルダは更に続ける。


「……何も怖くなんかないんだ」

「……何が? どういうこった?」

「この子のためなら。あたしは……何も、怖いもんなんかない。魔王なんか、なんだってんだ。あたしはね、ジェシー。……この子のためなら、どんな事だってできる。どんな事だって……さ」



*****


 その一団は、敗走していた。

 騎馬が六頭と、粗末な馬車が数両。

 先頭を行く若き騎士の顔は汚れていても覇気に満ち、ひたすら、ひたすらに――――丘を駆け上る一団に声をかけ続けていた。


「頑張れ! もう少しで我が領内だ! そこまで引けば、さしもの“水”も追っては来ないだろう!」


 先頭の精悍な騎士の名はパーシヴァルといった。

 若いながらも武勇に優れ、そのさが勇敢にして謙虚、誰しもが思い描く、気高さと優しさを兼ね備えた英雄の器を宿す青年だった。

 ともに駆ける五騎のうち、四騎は領内から連れて来た手勢の生き残り。

 粗末な荷車に乗っているのは、振り落とされまいとするので精一杯の、裸の老若男女だった。

 彼らに毛布の一枚も、ぼろ布の一枚も渡せない不甲斐なさを悔いながら、パーシヴァルは馬を飛ばす。


 そして、ともに駆ける最後の一騎は――――産まれた時から付き従う、老魔法使い。


「若。追い付かれますぞ」

「クッ……! アンネロッテ、どうにかならないのか――――あれは!?」


 パーシヴァルが体を捻って振り向くと、彼の一団を追撃しているモノがほとんど視界一杯に広がった。

 その正体は――――緑の平地にあるはずもない、水の塊だった。


年波としなみにも勝てぬ私には、ちと荷が重うございます。……減速はしておりますが……止まるかどうかは」


 まるで、湖がそっくりそのまま意思を持つ水の群体と化したように一団を飲み込もうと追いすがる。

 大型のスライムにも思えたがそれは粘性など持たず、はるかにしなやかな流動性を以て襲い来る、“水”の塊だった。

 その内部には飲み込まれた木々、岩、運悪く逃れられなかった野の獣、そして――――人間と馬が、もはや物言わぬ水死体となって漂っていた。


「……“湖”に追われるなど、余人には得られぬ経験でしょうな、若。実に希少でございます」

「どう思う、アンネロッテ!? あれは……まさか、あれもまた魔物だとでも言うのか」


 輝きを失った白髪、深く多く刻まれた皺はアンネロッテの生きた時の長さを物語る。

 パーシヴァルの大祖父の代から仕えた忠臣であり、彼の父のを替えた事すらあるほどだ。

 霊樹の枝から削り出した杖は、長年の愛用によって丸みを帯び、黒光りして彼女の背を守っていた。

 回復魔法、攻撃魔法、解呪、幻惑、あらゆる魔法を知る老魔法使いは、いつの時もパーシヴァルの強い味方として傍らにあった。


「もはや、有りえぬ事など有りえぬ世。全ての悪しき神話は常世のものとなりて闊歩し、湖も、森も、岩も、何もかもが我々全ての敵となる。……む」


 アンネロッテの耳が捉えたのは、ここまで酷使してきた馬車馬たちの荒い息。

 口を割り、唾すらも枯れかけ、その足取りももはや怪しく蹄の音も乱れていた。


「……このままでは」

「若。このアンネロッテめと、いくつかこの場で約束をしていただけますかな」

「何だと? こんな時に!」

「ひとつ。……若。この先どのような困難が待ち受けていようとも、決して、“これまでか”等という言葉はゆめ発しまするな。絶対に……諦めてはいけませんぞ」


 最後方を固めていた一騎が、剣を振るうも虚しく、水塊に取り込まれて溺れるのがパーシヴァルには見えた。


「ふたつ。……どうか、若。御屋形様おやかたさまのごとく、強く、誇り高く、そして……優しい男に、なられませぃ。……アンネロッテは、この場で失礼仕しつれいつかまつる。約束ですぞ……若」


 パーシヴァルが弾かれたように視線を戻した時。

 隣に駆けていたはずの老臣は速度を緩め、杖を片手に後方の追撃者へまっすぐ向かっていた。


「アンネロッテッ!」

「立ち止まってはなりませぬ! 進むのです! 若様、どうか――――後は、お頼み申し上げますぞ!」


 振りあげた魔杖には、その木目に従って光の筋が浮かび上がる。

 手綱を握る手にも手袋越しにも分かるほどの輝く紋章があった。

 パーシヴァルはその、小さく背の丸まった後ろ姿を見送り、いつまでも頭を戻せなかったが、やがて。


「――――総員、全速だ! この場を離脱する! 振り返るな!」

「――――それで良いのです。若。……おさらばです」


 アンネロッテの解き放つ魔力の輝き、炸裂。

 その爆風と光を受けて加速するように、一団は丘を駆け上り、走り去っていった。


 ――――――――そして、パーシヴァルの率いる一団が見えなくなった頃。

 動きの鈍くなった水の塊は――――おもむろに、その形を変えた。


 ごぼ、ごぼ、と音を立てて変化していき、一点に凝集してゆくのをアンネロッテはじっと見ていた。

 前面に構えた杖もそのままに、馬上から油断なく。


 やがて、湖ほどもあった水塊は、蒼く透ける水死体のような肌色を持つ、一糸まとわぬ女の姿を取った。

 たゆたうようにうごめく髪の毛の一本一本にいたるまでが仄暗い湿気を纏う魔力にあふれ、濁った瞳は暗黒へ繋がるように淀んでいた。

 そのよどみ果ててなおの美貌はさながら――――女神の水死体だ。


「……依代の術かい。巻き込んだ人馬の肉を媒介に受肉したね。……依代に憑依し、なおそのバカげた魔力。……名乗る気はあるかい、小娘」


 油断なくアンネロッテが訊ねると、その答えは、流暢な人語で放たれた。


「――――四天が一柱。“水麗すいれい”。……わらわを今、小娘と呼んだのか? そなた」

「ああ。聴こえているようでよかったよ」


 アンネロッテの服の下から八面体の水晶が四つ、輝きを放ちながら飛び出して浮遊する。

 守護精霊を封じ込めた水晶はそれぞれが魔力を宿しており、アンネロッテの意のままに追撃の魔法を放つ、強力極まる魔導器だ。


「そなた、何のつもりか。ただ一人ここに残って、何が変わるというのじゃ? ……妾の供物を横取りしておきながら、妾が三千年の魔力を、欠片とは言えそなた程度が止められるなどと思うまい。」

「勘の鈍いコだね。……生きて帰るつもりなんかないんだよ。ばばぁを甘く見るもんじゃない。私はもう唱えたよ。死にたくなきゃさっさと呪文を使いな、小娘」


 魔力の杖を大地に突き立てると、生暖かい風が吹いて――――やがて、ゆっくりとそれは二人を取り巻くように強まっていった。


「……無駄な抵抗ぞ、定命じょうみょうの魔法使い。年老いた眼にも映ってはおろう。もはやこの世は、此方こなたのものなのだと。もはや、実は落ちた。後は地に落ち、潰れ果てるまでのほんの一時でしかなかろ」

「ならその一時。引き延ばしてやろうってんだ。……確かに、私はもう老眼さ。魔術書だって、手もとの細かい字がまるでボヤけて見えやしないんだ。でもね――――遠くのモノは、よく見えるのさ」


 アンネロッテと“水麗”を取り巻く踊る風は、段々と吹き荒れ、火の粉すら舞わせていった。

 老魔法使いの持つ最強の魔法。

 焔嵐ファイアストームの前兆だった。


「ほう。……遠くしか見えずここで死ぬそなたの老いた眼に、何が見える?」

「……若様の幼き頃の姿。英雄、いや……“勇者”を目指していた、あの若く弾けるような御姿。それと――――私らの勝利だ」

「……何とな?」

「聞こえなかったかい、小娘。この戦いは。この時代は。この世界をかけた戦いは――――人類わたしたちの勝ちだ」


 大気に満ちた炎のエレメントは発火した。

 アンネロッテを取り巻く四つの水晶も呼応して魔力を放ち、二人を、二度と逃げられない炎の渦の中へ閉じ込めていった。

 天にも届く火柱は、炎の竜巻と化した。


「――――吹き飛びな、四天王」



*****


 ひとりは、勇猛な男達の愛を独り占めするため。

 ひとりは、内から湧き出る愛を惜しまず注ぐため。

 ひとりは、これまでに信じ注いだ愛が、必ず芽吹いて光となると信じて。






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