天頂の島の隠し姫

*****


 崩れ果てた古き街並みの中を、“彼”は飛ぶ。

 もう誰も行き交う者のない市場の跡地を、声一つ聞こえない瓦礫で埋め尽くされた大通りの中を――――風のように。

 過ぎ去る風景は白く煤けて、そこには命の息吹も、風の煌めきもない。

 無音、無風、死そのものの風景はどれだけの羽搏はばたきを経ても変わらなかった。

 その身は大理石のように白く、かんばせは天使像のように端正だが血の気は通っていない。

 四本の腕は指先までも、鍛錬した踊り子のような力強いしなやかさを備えていた。

 そして、“四本腕の天使像”の背には、三対六枚の、浅葱あさぎ色に輝く光の翼が生えていた。


 無人となった通りを抜けると、翼を一打ちするたびに鋭い風が巻き起こり、翼の音は高らかにいつまでも残響する。

 林立する尖塔を紙一重で滑翔して抜け、再び羽搏き、揚力を得て舞い上がる。

 やがて上空で静止し、見上げれば――――ときおり黄金に輝く、無色の光の壁が彼を留めた。

 光の壁の向こうに見える空は、寒々しいほどに青い。

 見下ろせば、光の壁はドーム状に街を覆い、その街を乗せる“土台”の下には流れゆく雲海うんかいが広がっている。


 閉じられた世界を見下ろし、“天使像”は瞑目し――――やがて、その中心にある“城”を目指し、降りて行く。


 だんだんと近づいて行き、見えてきたのは、花の咲き乱れる庭園だった。

 世界の全てから遠ざかった事で、世界の理から外れたかのように。

 季節も何もかもを無視して、世界中のあらゆる花がそこに育っていた。

そして花たちに見守られるように、鳥かごを想わせるつくりの白亜はくあのガゼボが建っており――――中には、この地に残った唯一の“命”がある。


 鳥かごのガゼボの中には、テーブルが一つ、椅子が二つ、置かれた本が数冊。

 ひっそりと、しかし背筋を正して座る深窓の手弱女たおやめが一人。

 琥珀色に染め抜いた絹のシュミーズには乱れ一つなく、すそから覗く足首から先の素足は、白亜の床の上にあってもなお負けじと白い。

 やがて、一切の風の吹かないこの閉じられた庭園に、風が流れ――――彼女の白銀の髪を揺らすと、うたた寝から覚めて目をゆっくりと開いた。


 潤むような碧眼、精巧な細面は今彼女の膝の上に開かれていた本の挿絵に描かれている“姫”すら上回る美貌。

 小鳥の止まる小枝のような指は、触れるだけで硝子がらすのように砕けてしまいそうな儚さを宿す。


「おかえりなさいまし」


 彼女が――――亡国となった地の姫君、プリシラ・エル・モンガルフィエが視線を向けた先、ガゼボの外には“四本腕の天使像”が佇んでいた。


「もう、よいのですか?」

「風の匂いがしない空は、退屈なだけだ。……何度目になるかもはや分からぬが、今一度言おう」


 ふたつに重なり合う聖歌のような、荘厳な声で――――“天使像”は、幾度となく彼女へ向けた言葉を再びぶつける。

 それは怨み言とはほど遠い、諦めかけた願い事に近い言葉。


「この壁を解け。私を――――自由にしろ。哀れなりし“隠し姫”」


 対して、プリシラの答えもいつも同じ。


「だめです」


 にっこりと、どこまでも優しい微笑みとともに開いていた本を閉じて言い放った。

 それ以上追及を諦めざるを得ないような……子供を諭すような言い方で。


「この私の命ある限り貴方を自由にはさせません。お諦めに」

「……ふん。そうは言うが……お前の命はあとどれほど残っている? 鳥かごの中の鳥かごで、どれほど生きていられる?」

「……そう長くはないのでしょうね。ですが、ご安心を。あと二年はこのまま、私と二人きりでいましょう」

定命じょうみょうの者の二年とは、随分と振る舞うものだな」

「ええ。もはや……私にできる事はこれしかないのですから。全ては手遅れ。ならば……手遅れになった世界で、それでも私は手を尽くすのです」


 この、天空に浮かぶ古都の島が現れたのは、一年前。

 さる小国の古都が、くり抜かれたように消えたのも、一年前。

 魔王に侍る四人の最上位魔族の一角が小国を急襲し、そして――――姿を消したのも、一年前。


 プリシラ・エル・モンガルフィエと四天王が一角、“飛天ひてん”との――――鳥かごの中の根比べが始まったのも、一年前の事だった。


「さて。今日は……何をおしゃべりしましょう?」


*****


 払暁ふつぎょう近くなった空をいくつもの流星がはしった時――――王国は、既に手遅れだった。


「この空は――――私のものだ」


 強襲した魔族は、たったの一体。

 翼から放つ無数の光弾がふるき王国を撃ち抜き、建物ごと罪なき市民を貫いていった。

 応戦すべしと放った矢は、どれほどの密度で放っても空を自在に飛び回る彼にかすりもせず、逆に薙ぎ払われた矢が射手たちへ跳ね返って来てしまった。

 街のあちこちから火の手が上がり、かすかに残ったか細い悲鳴すら、業火の中に消えていくのみの地獄の惨状だった。

 炎と煙で視界すら通らず、通ったところで高空から襲い来る疾風の翼は捉えられない。

 ごく稀に地に降り立つ事があったとしても、強力な魔法と強靭な膂力の前では、白兵戦すら成り立たない。

 圧倒的な暴威のもとの“虐殺”。

 まるで歯が立たず蹂躙されるばかりの、災害そのものだった。


 そして、プリシラ・エル・モンガルフィエはその日も、光の届かぬ地下にしつらえた牢獄の私室にいた。


 プリシラは、国王の実の娘でありながらも、王位継承権がなかった。

 存在そのものを秘められて、彼女は一度たりとも城の外に出た事がなく――――そればかりか、城中でも彼女の存在を知る者は少ない。

 そのはかなげな美貌は、どの姉妹たちよりも優れていた。

 その深遠まで見通す知性は、いかなる大臣よりも優れていた。

 その心は――――彼女を取り巻く全てを見比べると、落涙を禁じ得ないほどに優しく、穏やかで、聡明だった。

それでも彼女が存在を隠され、存在しない“隠し姫”とさせられたのには理由がある。


 彼女の内に眠る、強大な“魔力”の存在だ。

 生まれた瞬間、産声とともに魔力の煌めきが光の洪水となって産室さんしつを覆い尽くした。

 取り上げた産婆は恐れをなし、彼女の母――――すなわち妃は気を失い、立ち合った王侯貴族もまた、目をくらませて数日の間は光を失っていた。

 魔力の震えは、大気を揺るがして……魔の心得のない者達の感覚さえ揺るがしてしまうほどだった。

 彼女の力を恐れた国王は、いつしかその力を有用に使えると判断し……存在を隠したまま、密かに城の地下で養育する事を決意した。

 そして、彼女は外の空気を一度たりとも吸えないまま十四年間を経て――――今に、至った。


 光弾に撃ち抜かれた城は原形をとどめている事すらも不思議なほどで、国王は玉座の間で胸を貫かれて息絶えていた。

 近衛兵達もまた同様で、“飛天”に立ち向かい、皆殺しにされてしまった。

急襲から、ほんの……一時間もしないほどの間の出来事だった。



*****


「……この程度か。定命の者達。……“星喰ほしばみ”ではなく私の手にかけられた事を、せめてもの救いとしろ」


 全てを殺し尽した“飛天”は、沛然はいぜんたる豪雨に打たれ、火の気も落ち着いた古都を見下ろした。

 そこにはもはや、市民も兵士も、貴族も王族も、一切の区別なく死が訪れていた。

 浅葱色に輝く翼にも、天使の如き姿にも、一筋たりとも傷がない。

 古都の兵士達は、ほんの足掻きすらも……できなかったのだ。

やがて、飛び去ろうとした“飛天”は、城跡にみなぎる魔力の流れを感じ取る。

 全身の皮膚が粟立つような感覚。

 悪寒と呼ぶそれを――――彼は、“魔王”の軍門に下った時以来、はじめて感じた。


「な、ぐ……うおぉぉぉ!!」


 “大地”が弾けて、重力に逆らって迫ってきた。

 彼は自らが墜落しているのかと錯覚して空を裂いて渾身の力で羽ばたくも――――地面からの距離が、少しも遠ざからない。

 やがて、彼は気付く。

 古都が――――地盤ごとえぐり抜かれ、はるか上空へ向けて、ぐんぐんと上昇していく。

 重力に負けて建物は崩れ去り、ぼろぼろと砂糖細工さとうざいくのように崩れていく城。

 その中で迫りくる地面から逃れるべく必死で羽ばたき――――やがて静止した頃、そこはすでに雲の上へ突き抜けていた。


「……何、が……起きたと……?」


 視線を走らせれば、古都は丸ごと浮きあがり、雲海へ浮かぶ天空の島と化していた。

 島を取り巻くように黄金に色づく魔力の壁が組み立てられ、その内側は一切の風も吹かず、建物の崩壊が治まれば、全くの無音となった。

 どれだけの魔力をぶつけても、その障壁は微塵も弱まらなかった。

 四天王の魔法を以てしても、出られる事のない――――“鳥かご。”


「――――あの、魔力は……どこから……?」


 魔力の根源を探し出すと、すぐに分かる。

 今しがた破壊したばかりの王の城、その庭園の中心にしめやかに存在する、鳥かご型のガゼボだ。

 その中で悠然と、幾度となく読み返されただろう年季の入った本をめくり、降り立った“飛天”に笑顔を向けていたのが――――亡国の隠し姫、プリシラだった。


「……ごきげんよう。初めまして。私の名は」


 ガゼボごと亡き者にせんと放った渾身の閃光魔法は、呆気なく散らされてしまった。

 島の外側を覆う魔壁と同質の魔力が張り巡らされ、彼女を触れられざる鳥としていたからだ。


「私の名はプリシラ・エル・モンガルフィエ。以後、お見知りおきくださいましね」

「……貴様、何のつもりだ?」

「まずは――――私のご無礼をお許しください。貴方には、私の命尽きるその時まで……ここにいていただきます」



*****


「早いものですね。……“飛天”様。あれから、もう一年ほども経つのでしょうか」

「……く死ね。貴様は……私を封印でもしたつもりか?」

「ええ。離しませんよ?」


 王国の崩壊から、一年あまり。

 彼女は眠る事も食事をとる事も無く生きながらえて、“飛天”を鳥かごの中に閉じ込めたまま、自分自身をも小さな東屋あずまやに閉じ込めたままで……風も吹かなくなった、世界から切り離された庭園でひとり孤独に戦っていた。


 時折訪れてくれる母の姿を思い出して。

 とうとう顔すら忘れてしまった父の姿を、思い出そうとして。

 食事を運んでくれて、身を清める手伝いをしてくれていた世話係の微笑みを支えに。

 優しい彼女と交わしたささやかな“世間話”を――――大切に抱えて。


「貴様」

「私は、“貴様”という名ではありませんよ?」

「…………プリシラ・エル・モンガルフィエ。秘匿されし、哀れな姫のなり損ない。貴様はなぜ、私を封じる? 何故、この世界のためにそうまでしようと思うのだ」


 閉じられた世界に吹く風は、“飛天”の羽ばたきによって生まれるのみ。

 四天王としてのも全うできないまま、彼は、この天空の島に閉じ込められ、その術士たるプリシラとの対話ばかりを重ねていた。

 ――――でなければ他に、この死都を気まぐれに飛ぶ事しかできなかったから。


「……“飛天”様。私は……貴方のお考えとは違います。私は今……嬉しいのです」


 プリシラは、血の気の感じられない白い顔でそう呟いた。

 地下に長く閉じ込められ続けて、彼女は色素をほとんど失って――――それでも、魔力だけは漲らせたまま、今日この日に祝う者なき十五歳の誕生日を迎えた。


「私は、この空を見る事ができました。私は、この世界の役に立てている。私には、生きていた価値が少しだけ、あったのです。……それが例え、“魔王”四天王の貴方の足に、ほんの少し縋りついただけだとしても」


 崩壊の日に、プリシラは初めて外の世界を知った。

 “花”がどんな匂いなのかを、初めて知った。

 風はどう髪と頬を撫で、それが届ける命の香りが、どう命に沁み渡るのかを、“魔王”の四天王の襲来によって、初めて知る事ができた。

 そして、それが――――己の命の全てを懸けてでも、守るべきものであるという事も。


「それに……貴方たちの恐れる者。“勇者”様が来てくれることも、信じておりますから」

「有り得んな。そんなモノ……おとぎ話に過ぎん」

「でも、“魔王”は紛れもなくおります。“勇者”の伝説だけがおとぎ話である事など、有り得ましょうか?」

「フン。縋りついていろ」

「ええ、仰せのままに。……でも、これはこれで。“勇者”様を待つ身も、悪くしたものではありませんよ。私は……今、充実した気持ちでおります」


 プリシラの膝の上の一冊は、“絵本”だった。


 世界を混沌へ陥れる魔王が現れ――――勇者は、冒険の旅の果てにそれを討つ。

 囚われた姫君を救出し、溶岩の山脈に眠る竜の力を借り、世界中のあらゆる人々の助けを得て、救いを成し遂げ、そして――――魔王を、倒すのだ。


 プリシラ・エル・モンガルフィエは、かつて母に読み聞かされた絵本を友として、時を待つ。

 風を司る四天王、“飛天”を鳥かごの中に封じ込め、その中の鳥かごで、命を削りながら孤独に戦う。


 ――――“勇者”に、いつしかその身を……たすけだしてもらえると、信じて。







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