食堂兵団


*****



「くそっ……次の補給……いつだ……?」

「さぁ……」


 迫るオークの歩兵隊を片付けた兵士達が、砦へ向けて歩を進めていた。

 厄介な飛行生物は混じっておらずオーク達も消耗しており、何よりこちらの装備も充実していたから人員の損失はない。

 だが武器はあっても、無いものがある。

 突如、百数十人の兵士達の足音に、それでも打ち消されないほどの――――低い唸りに似た音が混じる。

 重なり合ったその音は誰が出したものなのか、誰も追及はしない。

 それは、兵士達一人一人の代弁であり、総意そのものだったからだ。


「……腹……減ったなぁ……」


 耐えかね、とうとう一人の兵士がぼやいた。


「なぁ……いつから、食ってねぇかな……」

「昨日の……昼、からだな」

「軍馬も減らせないぞ、これ以上。……でも、なぁ……」


 備蓄の食糧が、少なすぎた事に全てが始まる。

 限界まで切り詰めて、軍馬の肉まで食べて、それでもとうとう尽きてしまったのだ。

 武具は揃っていても、腹に入れる食糧が無いまま今日は出撃する事となり、勝利を収めはしても、とうとうなけなしの体力まで使い果たしてしまった。

 もう何が起こっても、動けない。

 攻め込まれれば戦うしかないが、そうする体力も残っていない。最悪の場合は残りの軍馬に手をかけるしかないが、そうすると――――いよいよ、最後の手段すらなくなる。

 砦を放棄して撤退する事もできなくなる。

 今空腹をしのいで後で死ぬか、今からじわじわ飢え死にするか

 選択の中で、兵士達は揺れていたが……脱走する、という選択は誰も浮かべていない。

 恐らくそれは、“誇り”と尊ぶ感情によって。


「……おい、あれ、何だ?」

「え」


 最先鋒の兵士の一人が、砦の方角を見て呟いた。

 つられて顔を上げた隣の兵士が見たのは、砦から上がる、いくつもの煙。

 しかし――――落城した様子では無い。それどころか。


「この……匂い……」


 同時に漂ってきたのは、紛れもない。

 脂身たっぷりの肉が焼ける、鼻腔をくすぐり、疲れ切った体に火を入れてくれるような強烈な芳香だった。


「肉、だ……誰かが……肉を焼いてるぞ」


 全ての力を使い果たしたはずの兵士達の歩みは、だんだんと速さを増した。

 跳ね橋に差し掛かるころには駆け足となり、その頃には肉だけではない、ありとあらゆる匂いが立ちこめていた。


 焼き立てのパンのふんわりとした芳しさ。

 暖めた葡萄酒ぶどうしゅのえもいわれぬ甘酸っぱさ。

 振りかけられた野の香草ハーブ

 それらは、全て――――肉の匂いに負けていない。


「おう、お疲れ、兵隊さん達よ! まぁ、食ってけ! “セーフリムニル食堂兵団”、参上ってなもんだ!」


 兵士達を出迎えたのは、赤毛を逆立てた壮年の巨漢。

 上に子供が乗れそうなほど、でっぷりと突き出た腹はまるでトロールにも似ていて、茂ったヒゲはさながら、栗のいがだ。

 その強面こわもてに、屈託のない笑顔を浮かべる男の背後には、夢でも見るような光景があった。


「何ボサっとしてるんだ? ほらほら、さっさと並びな。なくならねぇから慌てるなよ」


 火トカゲサラマンダーの皮で作られた耐火性の手袋をはめた男達が、鉄皿に載せられた豚の丸焼きを奇妙な金属馬車から運び下ろしていた。

 皮までも美しい飴色あめいろに焼けており、テーブルへ下ろした衝撃で、パリッ、と割れた。

 鉄皿に敷き詰められた香草の香りと、皮の裂け目から溢れ出た脂と肉汁の香りが織り交ざって……それを嗅いだ兵士達が生唾を飲む音が重なり合った。

 二頭、三頭と次々に下ろされるまるまると肥えた豚の丸焼きは、戦士たちをもてなすための宴の様相だ。

 更には別の金属馬車から、ふっくらと焼き立てのパンが取り出され、砦の中庭にしつらえたテーブルに並べられていく。

 葡萄酒のたるまで並べられ……もはや宴会場どころか、食糧庫の様相を示していた。


「ほ、本当に……いいのか?」

「ああ、精をつけな! だが、きちんと手を洗えよ?」


 最初に列に並んだのは、ことさらにくたびれた様相の兵士だった。

 頬には生々しい切り傷が走っていて、血が止まって間もない。

 鎧には泥と返り血がすすけており、死地からの生還者だと誰もが分かる。

 兵士、一等卒ブラドフォードは籠手を外して手を洗い清めると、差し出されるままに、皿いっぱいのズシリと重い肉の塊を受け取った。


「それ、じゃ……」


 大口を開けてかぶりついた肉は――――硬く締まっていた。

 ハーブの香りはすぐに消え、雑に振った塩粒の辛さと、ごまかし切れていない豚肉の臭みが口いっぱいに広がった。

 歯が跳ね返されるような弾力と厚みは、疲れ果てたブラドフォードには到底噛み切れるものではない。

 それなのに歯を食い込ませていくアゴの力は、強まるばかりだった。

 口の中に波打つ野趣やしゅの強い、火傷やけどしそうなほど熱い肉汁が、閉じきれない唇の端からだらだらと流れ落ちて彼の顔をまるで赤ん坊のように汚した。

 やがて――――まさしく獣のようにむさぼる勢いのままに、手のひらほどの厚みの肉を噛み千切り、幾度も、幾度も咀嚼してから飲み込む。


「う……うめぇ……!」


 彼の涙すら浮かべながらの感嘆に、兵士達は我先にと、列に並ぶ。


「肉だ! ほら、そこ……皮も頼む!」

「パンなんて何週間ぶりだ!?」

「何だ、このスープ!? も、もう一杯くれよ!」


 山羊乳を練り込んだパン。

 豚の骨を煮立てて、惜しみなくニンニクを注ぎ込んだ特製のスープ。

 カリカリに焼き上げられた皮。

 分厚く、臭みも消えていなく、恐ろしく雑な味つけとその硬さゆえに活力がみなぎる肉。

 舌つづみを打つ兵士達の勢いは、止むところを知らない。


「慌てんな! いくらでもあるって言ってんだろう! そっちも何ボサっとしてんだ! ありったけの肉を出して並べろ! 酒もだ! 蜂蜜酒ミード!」


 “食堂兵団”の長の激。

 兵士達の歓声と、給仕する“食堂兵団”の大わらわ。

 もはや、そこに――――疲弊しきった兵士などいなかった。


 高くひるがえる、火にかけられた“骨付き肉”の紋章旗。

 それが、セーフリムニル食堂兵団の旗印だ。


 男は、今のこの地、西大陸から海を隔てた氷壁諸島ひょうへきしょとうと呼ばれる極寒の島々で生を受けた。

 その島々を表現するのなら、苛烈の一言に尽きる。

 かつて“白吟竜はくぎんりゅう”と呼ばれた伝説のドラゴンが棲んでいた氷の大陸にほど近く、季節によっては日の沈まぬ夜すらある、およそ西大陸の者達の常識では計り知れないほどの、人が住んではいけない場所とも思えるような地だった。

 息を吐けばたちまち氷のしずくに変わり、吸えば鼻毛は凍りつき、睫毛まつげにも霜がおりて視界を奪う。

 戦いにおいては鉄がろくに産出せず、また手に貼り付いてしまうゆえに剣ではなく、木の柄を持つ斧が彼らの武器だった。

 その地に住むのは、生命を拒むほどの自然環境にも負けぬ戦士たち。

 叫べば島々を揺るがし、斧の一撃は岩盤を砕き、生半なまなかな武器では逆に刃が欠けてしまうほどの屈強な骨身を宿す北海の支配者達。


 そんな場所へ、男――――食堂兵団長、トーヴァルドは生まれた。

 今、彼の手にあるのは斧ではなく、分厚い肉切り包丁。盾ではなく、まな板。

 海を渡ってやってきた男は、西の大陸で存分に腕を振るい、破滅をもたらす魔軍と戦う勇敢な戦士たちの血肉を補うため、日夜奔走していた。



*****


「……食堂兵団ってのは分かるが、“セーフリムニル”って何なんだ? 誰かの名前か?」


 ひとしきり腹を落ち着けた男達の話題は、それだった。

 食堂兵団というのも半ば揶揄されての呼称で、実際にはもう少し固く、そそられない響きの正式な部隊名がきちんとある。

 トーヴァルドは、そんな疑問を呈した一人の前にスープを置きながら答えた。


「セーフリムニルってのはな、あんちゃん。俺の故郷の伝説にある、いくら食ってもなくならねぇ豚だ」

「豚……?」

「ああ。俺の故郷じゃ、勇敢なヤツがくたばると戦神せんじんれられて、神々の国で食い放題飲み放題、ケンカもやり放題、別嬪べっぴんもよりどりみどりなんだとよ。セーフリムニルってのはそこで食える、いくら肉を切り取っても元通りになる豚の名前なのさ」

「はぁ……。そりゃ、気の毒な豚だな」

「ハハハハッ! まったくだ! たまったモンじゃねぇな!」


 豪快な料理の数々と、トーヴァルドの痛快な笑い声は、兵士達の心にあるものをもたらした。

 ――――それは。


「俺……生きてんだな。酒も、肉も……まだ、食えるんだよな……」


 最悪な想像ばかりがたくましくなる、魔王降臨の時代。

 今この瞬間、王都はあるのか。

 世界にはまだ、自分たち以外の人間が残っているのか。

 本当はもう魔王に祖国は滅ぼされてしまい、急使すら送れないまま王都は魔都へ変えられてしまっているのではないか。

 口に出さずとも、この砦の兵士の心を埋め尽くす漆黒の闇。

 それを――――食堂兵団の来訪と、振る舞ってくれた肉と酒がすっぱりと切り払ってくれた。

 親しんだ宿屋の亭主さながらのトーヴァルドの存在感は、まるで照らしてくれる太陽だ。


「おう。あんたは生きてるし、みんなも生きてる。まだまだ魔王なんかにゃ調子に乗らせてねぇぞ。……それはともかく、まだ料理ならあるぜ。食え食え、腹が減っちゃあなんとやら、ってな」


 ほのかに肩を震わせ、声に嗚咽を混じらせる兵士へ――――見て見ぬふりをしてやりながらトーヴァルドはその場を離れ、備蓄用食料の荷下ろしの指揮へと戻った。



 *****


 トーヴァルドの生家は宿屋を営んでおり、暖かな蜂蜜酒と焼き上げた肉の香りが立ちこめる中、連日押しかける大男達へ酒と肉を給仕しながら幼少期を過ごしていた。

 充分に広い一階の食堂は、大男で埋め尽くされており……どれだけ肉を焼いても追い付かず、その中を縫って歩く事ですらも困難だったほどだ。

 ある日、トーヴァルドは常連の船乗りに……子供らしく、ある質問をぶつけた。


「なぁ、ヤルケルおじさん」

「おう? 何だぁ、トーヴ。俺になんか用か?」


 顔の下半分を覆うヒゲにしみた蜂蜜酒の匂いをぷんぷんと漂わせる、海賊めいた老境の船乗り、ヤルケルはトーヴァルドの生まれた時からの付き合いだった。

 そんな彼に、トーヴァルドは折からの疑問をついにぶつけた。


「おじさん達って……英霊団エインヘリャールなのか?」

「ぶほっ!」

「うわっ!? なんだおい、きたねぇぞヤルケル!」

「肉にかかったぞ、バカ野郎! お前さんの払いで追加だ!」


 唐突な質問に、ついヤルケルは含んでいた酒を噴き出し……テーブルの上に載っていた料理がいくつか蜂蜜酒のを食らう事になった。


「……何だって、トーヴ? 英霊……? どうしてそう思う?」

「だって……毎日肉食って、酒飲んで、戦ってるだろ」

「あー、ウム……そうすると、トーヴ。お前の母さんは戦乙女ワルキュリャか?」

「ないなー。うちの母さん、クジラみたいだし……」

「ハハハハ、言うようになったな。……でもまぁ、残念だが俺たちはまだ英霊団じゃない。戦場で散った真の戦士だけが迎え入れられるからな。俺たちはまだ……修行中ってこったよ」


 そう答えられ、トーヴァルドは残念そうに俯き、口を尖らせる。


 エインヘリャールとは、氷壁諸島の神話に刻まれる、戦神せんじんに選ばれて彼の一団に加わる事を許された戦士の中の戦士たちの事だ。

 死後にその魂は彼の国へと運ばれ、そこで決してなくならぬ肉と酒を楽しみ、美しい戦乙女たちにもてなされ、決して死なぬ体で互いの腕前を高め合う極楽に住み――――神々の破滅の時、戦神の軍団として戦うほまれを得るのだという。


 酒場に入り浸る船乗り、兵士、屈強な男達がそう見えたのも――――十歳を迎えたばかりの少年には無理からぬ事だった。


 やがてトーヴァルドは強い男へ育ち、海を渡って西の大陸へ渡り、給糧兵となった。

 英霊団のごとき戦士たちの酒宴の光景が忘れられず、戦う者達を支える事を生きがいと変えて。

 一風変わった補給部隊を率いる、がらっぱちな男の敵は“飢え”と“絶望”。

 時にはみずから猪や鹿を獲りに出かけ、本当に無限に肉を産み出すように、行く先々で“満腹”と“希望”を配給していた。


 ときには――――こんな、風に。



*****


 難民達が、這うように街道を遡っていた。

 全身を鉛のような疲労に苛まれ、垢と泥にまみれながらも。

 この先に行けば、逃げられる。

 そう信じて続けた旅路は、なけなしの体力をほぼ尽きさせるほどに長かった。


「おじ、ちゃん……まだ……?」

「我慢しろ、ニコラ。……もう、少し。ほら……見えてきたぞ……」


 少年、ニコラの家族はもういない。

 焼かれた村の中で、父も、母も――――生家ごと失ってしまった。

 彼の目は、いたいけな少年と思えないほどにどんよりと濁り切っていた。


「……あれ?」


 その時、ニコラの鼻は確かに芳香を捉えた。

 ずっと俯いていた顔を上げれば、そこには小さな砦があり、そこへ至る橋のたもとに槍を手にした兵士達が門番として立っている。

 だが、大人たちの間に走った緊張は、すぐに消えてなくなった。

 兵士は左右に分かれて、彼らを迎え入れる姿勢を示したからだ。


「入れ。後で詳しく話を聞くが……疲れただろう。水もあるぞ」

「え……? い、いいんですかい?」

「いいから入れ、農民。ぼさっとしていると……なくなるぞ」


 促されるままに、ニコラを先頭にして難民達は砦の門をくぐった。

 その中には、圧巻されるばかりの光景が広がっていた。


「おい、そっち……足りてるか!?」

「足りてない! さっさと次のを焼け! 隊長からの許可ならどうせ下りる!」

「だと思ってもうやってるよ!」

「じゃあ訊くんじゃねぇ、バカが!」


 砦のあちこちで、豪勢な酒宴を上げている戦士たちがいた。

 彼らに食事を供するべく、白衣の男達がその中をせわしなく動き回っている。

 肉の焼ける音、薪の爆ぜる音が止まない。

 あちこちで上がる炊煙からは、えもいわれぬ香りが立ち上り、入り交じり、やがて――ニコラの腹は、“声”を上げた。

 この喧騒の中で聴こえるはずなどないのに、それでも何かを感じたのか、巨大な鉄杭に刺さった肉の塊を包丁片手に削ぎ落としていた巨腹の男が、ニコラを呼ぶ。


「おう、坊主! 腹減ったろう! こっち来な、うまいモン食わしてやるよ!」

「えっ……あの、俺……おかね、なんて……」

「んなモンいらねぇよ、坊主。ほら!」


 大人たちの困惑をよそに、ニコラは引き寄せられるように巨腹の男――――食堂兵団長トーヴァルドのもとへ、ほんのわずかに輝きを取り戻した目で近づいて行く。


「災難だったな、坊主! まぁこいつでも食って元気出しな! 命さえありゃ、なんとかなるもんだ!」


 何も訊ねないまま、トーヴァルドは薄い無発酵のパンに、傍らにある大人の胴ほどあるこんがり焼かれた肉の塊からちまちまと肉を薄く削ぎ落として載せていく。

 仕上げに、傍らの大鍋からすくい取った赤く煮え立つソースをかけて、くるくると巻いてからニコラへ手渡す。


 焦げ目の付いた生地の中から、たっぷりの薄切り肉と――――匂いが目にしみるような真っ赤なソースが顔を出している。

 今度こそ……ニコラの腹がぐぅぅっ、と唸りを上げ、それはトーヴァルドに確かに聴こえた。


「冷めちまうぜ。坊主、お前さんの胃袋はもう待てねぇって言ってるぜ。ガブっと行きな!」


 促されるままに、ニコラは、肉とソースを巻き込んだ奇妙なパンへかぶりついた。

 瞬間、口の中にもっちりとしたパンの食感がまず広がる。

 歯に貼り付くような柔らかさは、麦の甘さを芳醇に含んで、ニコラの苦々しかった口の中を癒した。

 食べ進めば、次は――――目の前で鉄杭に刺されて焼かれていた、薄切りの肉。

 目の前で削ぎ分けられた肉は、厚みも幅も不揃いで……噛み切れないほど厚いものまで混じっていた。

 一気にしみ出す脂はパンの中で混じり合い、火を放つような辛さと、新鮮な酸味の入り混じったソースの味わいとともに口内を満たす。

 そして気付けば、確かにあったはずのパンは目の前から消えていた。

 だが――――ニコラの腹は、もう一度、うらめしげに低く鳴った。


「お……おっちゃん! もう一つ!」

「そうこなくっちゃな。食って寝りゃぁ治るさ、何でもな。ほら、どれでも好きなのを取っていって食えよ。見えるか?」


 トーヴァルドが指し示した先を見て、ニコラは目を疑う。

 そこには……テーブルの上一面に、いくつもの豪勢な料理の大皿が載っていた。

 豚の丸焼き、鶏モモ肉のロースト、瑞々しい果物の数々。

 そこに群がる兵士達は皆が笑顔で、鎧を着たままで存分に喰らい、語らっていた。


 渡された二つ目の、薄切り肉のパンを食べ終えても……空腹は収まらない。

 ニコラの小さな体は、再び、“生きるための力”を――――“活力”を、求めていた。


「お、……おっちゃん。これって……?」

「ああ……こいつらはな、明日出撃するのさ。だから今日は英気を養って、パワーつけなきゃならないんだよ。坊主、お前……」


 聞かされたニコラの目は――――かつてのトーヴァルドが、宿屋の酔客に向けた目と同じだ。

 食堂兵団の男は、やがてもうひとつ、気付く。

 この稼業に込めた願いは、もうひとつ……自分の中に、根差していたと。


「……そうだな。ガキってぇのは……そういうモンなんだよな」


 独りごちても、もうそこにニコラはいない。

 つい先ほどまで死んだ目をしていた少年は、目の前にうず高く積まれた料理に目移りさせる一方で、立派な鎧を着て、使い込まれた武具を持ち、鍛え上げられた体に火を入れて行く男達の姿に夢中だった。


 ――――故郷であの屈強な男達に見た憧憬を、この世界の子供達にも見せなければならない。


 もう一つだけ増えた“動機”に気付き、トーヴァルドの手はいつの間にか止まっていた。


「なぁ、おいちゃん。オイラにも食わしてくれよな」


 テーブルの下、かろうじて頭頂部だけが見える次の客から催促がかかる。


「おう……? あ、スマンスマン。……って何だ、随分と小さいお客人だな、小僧」

「小僧じゃねぇよ、ハーフリングだ! オイラはたぶんおいちゃんより年上だぞ!」

「ハハッ、そりゃ悪いな、小僧」

「分かってねぇだろ? ……とりあえずそこの肉。丸ごとくれ。んで、それと……豚の丸焼きも一頭まるごと欲しいんだよ。酒も。ああ、あとそこのパンをとりあえず八枚と……」

「ハハハっ、随分と食うじゃねーか小僧め。いいさ、食え食え」


 そうして注文をつける、狼のような野性的なハーフリングの後ろに、異様な機械式クロスボウを背負ったフードの女が立ち、声をかける。


「……ネロ、とりあえず食べ終えてから追加を頼んだら」

「え? ……何だ、フランかよ。おどかすない」

「嘘。驚いてなんかいないでしょう。私の接近にあなたが気付かないはずがない」

「買い被りだ、そりゃ。気付いたのは十歩前の時点でだよ。なかなかやるじゃん」

「それはどうも。……で、ネロ。収穫は?」

「まぁ、そこそこね。フランは?」

「私もそこそこ。積もる話は食べながらにしましょう。私も昼過ぎには出発しなきゃいけない。“七小人の工房”に向かうから」


 ハーフリングに続き、奇妙なクロスボウを背負った女、少し遅れて二人組の獣人の女。

 兵士、難民のみならず、王国に雇われた冒険者と傭兵までもが行き交い――――ニコラは興奮冷めやらぬ様子で彼らへ熱い視線を向けていた。

 トーヴァルドはそれを微笑ましく眺めながら、再び、調理に戻る。


「さぁ、食ってくれ! 心配するな、肉ならいくらでも持ってきてやる! 魔王なんか蹴散らしてやんな!」


 その男の振る舞う料理は、“無限”と評された。

 本当に無限に肉を産み出す事はできずとも――――無限に食えてしまえそうなほどの、熱い生命力に溢れた肉料理を供するから。


 男の名は、セーフリムニル食堂兵団団長――――トーヴァルドと云った。






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