Colossus Tale

*****


 その日、ある港街から“冗談”が消えた。



*****


 海に面したその街には――――世界の誰もが一度は訪れる事を夢見る、名物があった。


「すっげ……いつ見てもでけーなぁ……」

「おい。……エミール、いつまで見ているんだ? 毎日見ているだろう。準備はできたのか? そろそろ出発するぞ」

「あ、はい……父さん」

「きちんと剣は持ったな? 砂漠では喉が渇いてなくとも水を飲むんだ。フードも下ろすなよ、脳ミソがうだって発狂するぞ」

「わかってるってば! ……ったく、もう少しゆっくり見せろってーの」


 裕福そうな商家の少年が、白い外套ローブに袖を通しながら名残惜しく、窓の外へ憧憬とともに視線を注ぐ。

 三階建ての屋敷の窓から覗ける大広場には、“巨人”が立っていた。


「……飽きないのか? エミール。“守護神兵しゅごしんぺい”なんていつでも見られるだろうが」


 巨人像は、国のみならず、この世界の名所のひとつだった。

 その身の丈は灯台を縦に二つ並べてもなお届かず、立つ“脚”はそれこそまるで灯台のそびえるようだった。足の小指ですら大人の背丈を凌ぎ、衛兵に叱られながらも、登って遊ぶ子供は後を絶たない。

 姿は房付きの兜をかぶり、胸甲と腰鎧を着こんで小剣グラディウスを高々と突き上げた、古の兵士を模した巨像。

 ところどころこけ生し、日光と風にさらされ続けて変色してはいるものの……風化も腐食もない。

 街のどこにいても見えて、そればかりか……入港する船からでさえ、水平線の向こうから頭が見えてしまうほどの圧巻の威容を誇る青銅の巨人は、いつしか“守護神兵”と呼ばれ、親しまれていた。


「父さん、覚えてるか? 俺をダマしただろ、昔」

「ふむ? 何の事だ」


 着替えを終え、前日に渡された剣を腰帯へ差し込みながら父へ視線を向け、少年エミールが不機嫌そうに口を尖らせて訊ねた。


「“実は、あれは動くんだ。もし敵が迫って来たら動き出して戦うんだ。本当だぞ”ってさ。だいたい敵ってなんだよ、ワケわかんねぇ」

「ああ、あれか。……根に持っているのか? あれは子供に吹き込むこの街伝統のジョークだ。父さんも、お前のジジィにそう言われて育ってきたんだよ」

「……じゃあ、俺も同じ事していいのか?」

「もちろんだ、ぜひ継いでくれ」


 「お前は橋の下から拾ってきた子だ」と同類の――――いわゆる“親のジョーク”のひとつがそれだった。

 この国に生まれた子供はほぼ例外なくそれを吹かれて信じ込み、大人たちでさえふざけ合って“あれは動いて戦うんだ”と交わす、罪のない冗談を振り撒くシンボルでもあった。

 しかし、誰も。

 少なくとも、この港町の大人は誰もその守護神兵の本当の由来を知らないのだ。

 この街、いやこの国が出来た時にはすでにあったという説を信じる者も少なくない。

 神話の“何か”を模しているとも言われているが、到底それが何なのかも分からない。

 それほどまで、説明されていない――――謎が謎を呼ぶ、奇怪な巨像だった。



 *****


 今日も今日とて、港ではありとあらゆる物資が取引されており、交易都市としての機能を如何なく発揮していた。

 異国からやってきた船乗りが行き交い、港長に注意を受けて口論し、それも名物のように荷運び達は重い木箱を担ぎながらひょいひょいと身をかわしながら桟橋を歩いて行く。


「はぁ!? 停泊するだけなのにそんなに取るのか!?」

「混み合っているんだ。嫌なら沖に停めてボートで乗りつけてくれ。見ての通り西大陸までの輸送船団が準備中でな、キツキツなんだよ」

「だからって、あんた……!」

「それと――――よそ者にはしばらく取り締まりがキツくなるぞ」

「ど、どうして……?」

「二週間前に訪れたジャック=エドワードがまた悶着もんちゃくを起こして三人撃たれた。とんでもない修羅場だったそうだ」

黒髭くろひげジャックか……? あのジジィ、こんな時まで海賊やってんのかよ!」

「こんな時だからだろう。さ、分かったらカネを出すか、邪魔にならない沖に停めて」

「……地獄に落ちろ、ボケが!!」


 吐き捨てた男がさっさと船に乗り込み、停泊の準備を進めていた船員達に当たり散らしながら船を出す準備を進め、その間にも港長に怨みの視線を何度もぶつけていたが、港長は慣れっことばかりにそちらを見る事も無く、別の船へ向かう。


「あんたも大変ッスね、ボフミールさん」

「無駄口を叩いてないで働け。それと、港長と呼べといつも言ってんだ、カルロ」


 その途上で、港長に声をかけたのは若い船大工の一人だった。

 頭を覆うように巻いた黒いバンダナのよく似合う、どことなく軽薄な顔をしている――――どこにでも、誰の知り合いにでも、一人はいるような締まりの欠けた男だ。


「へいへい、ボフミール港長。見てましたが、ありゃあ無い。いくらなんでも言い負かしすぎッスよ」

「船着き場に余裕がないのは事実だ。お前こそ何やってるんだ、こんな所で。油売ってんじゃない」

「いえ、それが。輸送船団の話で……外殻強化用の鉄板がまだ届いてないんスよ。あと一隻半の分が終えられなくって。何か知らないッスかね、ボフミールさん」

「何だと? ……ちょっと待て、あれなら昨日の午後には届くはずだったのに!」

「……“遅れてる”んならいいんスけどねぇ。最悪なのは、沈――――」

「黙れ、カルロ。そこから先を言うのは許さんぞ」


 港長ボフミールの鋭い視線を浴びて、喋りすぎたカルロは慌てて言葉を引っ込めて咳払いで誤魔化した。

 何気なく泳がせた視線の先には、十隻からなる大型船で構成された輸送船団がある。

 そのうち半数以上は出港の準備を済ませていたものの、今カルロが言ったとおり……船体の強化は一隻が手つかず、一隻はやりかけのままだ。


「分かってもらえましたかね? 決してサボってる訳じゃあないんスよ。困ってるんス。いやぁ、参ったなあ、いやー……」


 口ではそう言いつつも、口もとにはニヤニヤ笑いが貼り付いていて……ガリガリと頭を掻く仕草もわざとらしさを隠す気配もない。

 ボフミールはそんなカルロの有り様を見もせずに、しばし俯いたのちに答えた。


「分かった。……俺が何とかする。お前はとりあえず港に居ろ、帰るなよ」

「えぇぇぇぇ……!? そりゃないッス。これからランチ後の昼寝……」

「暇なら縫帆職人ほうはんしょくにんの手伝いでもして来たらどうだ。大工仕事ができねぇんなら、ここにはいくらでも仕事がある。手はいくらあっても困らんからな。もう一度言うが、帰るなよ!」

「うぇーい……」


 大股で歩き出すボフミールを見送って、カルロはとぼとぼと桟橋を引き返して作業所へ戻る。

 踵を返したカルロの目に最初についたのは――――やはり、高々と剣を掲げる青銅の巨人像だった。


「……アンタはいいッスよねぇ、何もしねーで済むんだから。俺たち人間は、てんやわんやッスよ、このご時世」


 恨みがましく見つめても、愚痴をこぼしても、はるか遠くにいる巨人は何も言わず、水平線の向こうを見つめていた。

 カルロもまた、例外では無く――――“あの冗談”を親から吹き込まれて育って、からかわれていた事を悟ったのはとうに昔の事だった。いわばこの港町で生まれ育った者の、通過儀礼。


「アンタも……手伝ってくれやしませんかねェ、実際のところ。本当……手が足りてないんスよ、人間界おれたちは」


 ふてくされながら、カルロはそれでも――――ひとまず、荷運びの手伝いでもするか、と倉庫へ向かった。



*****


 その日は、ある港町から冗談が消えた日だった。


「あーあー……ったく、何なんスか、結局作業できねーし……」


 日が沈み、とばりの落ちた街をカルロは酒場を目指して歩いていた。

 とうとう、積み荷は届かず――――輸送船団はさらに無駄な足止めをくらう事になり、その苛立ちはカルロを含めた船大工と職長、さらには港長にぶつけられて修羅場に変わり、最悪なことに兵士と職長が掴み合いになって――――必死で職長にしがみついて引き剥がそうとした拍子に肘が当たって鼻血を噴いた上に前歯の一本が折れてしまった。

 服の胸元は血で染まり、はたから見ればケンカに負けたとしか思えない惨憺さんたんたる有り様のまま、カルロはせめて酒でも、と馴染みの安酒場やすさかばを目指して歩く。


「いってぇ、な……ちくしょう、何て日だ」

「おう、カルロか。……一日見ねぇ間に、いい男になってんじゃねぇか」

「ういっす、マスター。くっそ痛ぇんで、何か強いのくれッス。さっさと酔いたいんで」

「ああ。適当に座ってろ。蒸留酒スピリッツでいいな」

「あい、よろしく」


 そこそこに賑わう酒場の一角、ぼろぼろに朽ちかけたテーブルにつくと、すぐに給仕の看板娘がとびきりキツい蒸留酒を片手にやってきた。

 酒を置いて去る彼女の尻を眺めつつ、杯を傾けると――――切れた口の中に強烈にみてしまい、激しく咳き込んだ。


「げほ、ぶへっ! いっ、て……! ちょ、キツ過ぎっスよマスター!?」

「あぁ? おめーが頼んだんだろ、カルロ!」

「何でよりによって今日は混ぜモン無しで出すんスか!? ちゃんとしてくださいよ!」

「ちゃんとしたモン出してんのにその言い草は何だ! それよりおめーはツケをさっさと持って来い!」

「平和になったら払うっスよ!」

「……最悪な先延ばしですね、カルロ」

「おう、いいぞー兄ちゃん! もっと言ってやれ!」


 いつものようにマスターとやり合い、看板娘に呆れられ、酔漢の無責任で下品な野次が飛び――――いつものように更けていく港町の夜、のはずだった。



*****


 夜が更けていき、酔漢達の姿がチラホラと少なくなってきた頃。

 だいぶ酒の進んだカルロは、うつろな目でカウンター席に座ってクダを巻いていた。


「だからねー……俺ァ、言ってやったっスよ。『あんたらは、俺らが好き好んでサボってると思うんスか!? あんたらだってどうせ魔物と戦ったことなんて――――』って……」

「さっきから三度も同じ話してます、カルロ。そろそろ帰ったらどうでしょうか?」

「いやいや、こっからがね。……それとも眠いっスか? コンセ……コンスタ……」

「コンスタンツェです。酒が入ると呼べなくなる名前ですみませんね」


 すっかり客の引けた店の中、給仕の看板娘コンスタンツェが一人残ったカルロの、繰り返される愚痴を聞いてやっていた。彼女は隣の椅子に座り、酒を注ぐように要求するカルロを止めながら迷惑そうに付き合う。


「……俺だってねぇ、頑張ってんスよぉ。俺だって、いっしょけんめ戦ってんスよぉ。剣も魔法も使えないし、できる事なんて船の修理ぐらいなんスけどねぇ。……俺だって、“魔王”と戦ってんス。それを、まるで……楽してるみたいに言われちゃってさぁ……酷いっス……」


 港での悶着で、最初に声を荒げたのは――――実は、カルロだったのだ。

 寄港予定の船が来ず、船体補強用の金属板が受け取れず、仕事を進められなかった。

 その事で船団の兵士に詰め寄られ、売り言葉に買い言葉で怒鳴り返してしまったのだ。

 ――――言ってしまった後で我に返り、自身よりも先に殴り合いを始めようとした職長を必死で止めて、今に至った。


「分かってんス。あいつらだって必死なんだ、って。仲間に補給物資を届けたくて仕方ないんだ、って。俺たちだって……足止めなんか食わせたくないッスよ……なんでぶつかっちまうんスか……」

「互いに真剣だからでしょう。……為すべき事を為そうとする、立場の違う人間が二人いたらぶつかり合いますよ、それは」


 いかなる時も落ち着きはらった給仕、コンスタンツェがにべもなくそう告げた。

 刃を抜いた凶漢の目すら覗き込み、萎れさせるほどの彼女の豪胆もまたこの安酒場の看板でもある。

 スッパリとした物言いがむしろ、カルロを諭すことに効果を上げたか――――湯冷ましの水を一杯だけ飲み、彼は席を立った。


「……ごめんッス。もう帰ります、お勘定……」

「ツケでいい、カルロ。それより、まっすぐ帰って家で寝るんだ。コンスタンツェ、外まで送ってやんな」

「はい、マスター」


 よたよたと歩きながら店を出るカルロを、コンスタンツェが肩を貸しながら送り――扉を押し開け、外に出た直後の事だ。


 ――――港の方角から、轟音が鳴り響いた。


「っ!?」


 一瞬で酔いが醒めたカルロが港の方角を見ると、そこには――――炎上する船の影と、その中でのたうつ異形の影があった。


「え、……な、何ですか!?」

「な、何が起こって!? コンちゃん――――伏せるッス!」


 身をかがめた彼女を庇うように覆いかぶさると、酒場の向かいの建物に――――小砲艦しょうほうかんが逆さまに降ってきて、飛散した家屋の破片がカルロの身体を打った。


「あっでっ……! 何が……あ、あれ……何……!?」


 背中に跳ね飛んだ釘が刺さってじわじわと血が流れているのに、今のカルロにはその痛みを意識する暇がない。

 火の海と化した港の光景に目を奪われるあまり、痛みすら感じなかった。


「おい、なんだ! カルロ、大丈夫か!? コンスタンツェ!」

「私、は……平気です……けど……」


 そう答えたコンスタンツェの二の腕にも防ぎ切れなかった木片が突き刺さり、白い袖に、“赤”が広がっていく。


「な、何スか……ありゃ……?」


 港に停泊していた大型の輸送船に絡みつき、いともたやすくマストをへし折るが見えた。

 更には、補強したはずの船体を真っ二つに砕いて海中へ引きずり込み、進路を開いたと判断したか――――その“本体”が海中から這い出てきた。

 それは、さながら色素の抜けたヒゲクジラのような外観だが……青白い巨人の前腕を生えさせ、背からは大海蛇サーペントのごとく太い触手が何対ものたくり、奇怪な事に……その口内には、濾過捕食ろかほしょくの為のヒゲではなく、獣のような歯列がある。

 その歯の隙間に“食べかす”が挟まっているのを見てしまい、コンスタンツェは思わず目を伏せ、びくりと震えた。


「レ……海魔レヴィアタン……!?」


 通りに出てきた男の一人が、思わず――――異国の教典に記された魔物の名を呼んだ。

 泳ぐだけで波を逆巻かせると言われる、長大にして重厚な、神話上の生き物だ。

 海に生息する大型のモンスターも珍しくはない。だが……そこまでの巨躯を誇るモンスターなど、存在しない

 港から離れているというのに――――その姿が、はっきりと見えてしまったのだから。

 振り下ろした前腕が、更に一隻の輸送船を叩き潰し――カルロの施した仕事が、また一つ海の藻屑と消えてしまう。


「に、逃げ……逃げ、ないと! マスター、コンスタンツェちゃん!」

「あ、ああ! でも……逃げる、って……! どこにだよ!」

「わかんねッスよ! とりあえずここにいるのはマズいッス!」


 店主とコンスタンツェの腕を引いて、港から離れるべくカルロは駆け出した。

 背後から聴こえる轟音と、応戦を試みる兵士達の怒声がその背に追いすがり、いくつもの悲鳴と絡み合う。

 新月の夜にも関わらず道が明るく見えたのは、港湾で上がった火の手が高く舞い上がっているからだ。

 振り返ってみれば……その海の魔獣は、炎の吐息をも吐き出していた。

 それによって火の手は更に燃え広がり、海面に照り返した炎が、港町を昼のように明るく紅蓮ぐれんに照らし出していた。


「はっ……はっ……! す、少し……やす、ま……せて……」

「休んでるヒマなんて無いッスって!」


 力任せに魔獣が投げ飛ばす瓦礫が散らばり、潰される者も珍しくない。

 煉瓦造りが崩れて、塞がれてしまった道ばかりで――――もはや港町は、怪物に追われるための迷路だ。

 だが、怪物はその巨躯ゆえ壁など意に介さない。

 息の切れ、意識も失いかけたコンスタンツェを半ば引きずるように二人の男は走るも、やがて――――彼らも、体力を使い果たし、脚をもつれさせるように転げた。

 そこは、奇しくも……“守護神兵”の鎮座する、街の大広場だった。


「……お願い、します……私……置いて、行……て……!」


 持てる力を使い果たしたばかりか、走り続けたせいで腕からの出血が広がったコンスタンツェはそう懇願した。

 彼女はもう、走るばかりか……突っ伏していてさえ、体力を消耗する有り様だ。

 カルロもまた同様で、体力は今少し残っていても、走る事はもう叶わない。

 酒場の店主は年齢と、恰幅のよさのせいでそうなり……堪えきれない吐き気を、しているところだった。


「置いて、いく……体力も、もう無いス……」


“レヴィアタン”は港の岸壁から這いあがり、街の中腹で目に着くものを片端から食らっていた。

 振り返って見たその姿は……酒場の前で見た時より、遥かに大きく映った。


「もう……ダメ、ッスね」


 とうとうその場にへたり込んだカルロの視線の先には――――レヴィアタンが、炎の海もものともせずに地を揺るがし、近づいてくる。街の中心にある巨人像に意識を惹かれたか……まっすぐに、三人へ向けて。

 地響きは段々と強まり、世界の終末を知らせるにふさわしい威容で。


 突如――――レヴィアタンを見上げるカルロの目の前に、“柱”が現れた


「――――え?」


 直後、強烈な突風とともに強い揺れが襲い、カルロも、コンスタンツェも、胃液を吐き尽くした店主も、その場に手をついていることすら困難になり、その身を石畳の上に投げ出す事になった。

 いち早く体を起こせたコンスタンツェが状況を把握するべく、レヴィアタンのいた方角を見る。

 そこには……“足”が、ある。


「しゅ……守護神兵、が……動いてる……」


 この港町に住む者達なら、必ず知っている“足”が。

 あるはずのない場所へ、動くはずのない“足”が、力強く踏み下ろされていた。

 見上げれば守護神兵は三人をまたいでいて、青銅の皮膚は煌めき、光の粒子を撒き散らしながら、更に一歩、更に一歩、と……三人の目の前で、レヴィアタンへ向けて“巨人”は、確かに……自分の足で力強く地を踏み慣らし、行進する。


「ウソだろ……あいつ……動いて……」

「いや、それより……何、する気なんス……か……?」


 青銅の巨人は、答えない。

 だが、その手には――――青銅のグラディウスが今も握られている。

 広場へ近づきつつあったレヴィアタンは、予想もしなかった巨大な敵の出現に驚いたか……足を止め、自分より高い場所にある巨人の頭を見上げた。


『……オォ…………ォ……』


 強風にも似た唸り声を上げたのは、レヴィアタンではない。


『オオォォォォォォォッ!!』


 この街にずっと口を閉ざし続け、屹立し続けていた守護神兵の雄叫び。



*****


 その日――――ある港街から、“冗談”が消えた。



*****


 誰もがその姿を目撃した日から一ヶ月になる。

 瓦礫の片付けも未だ終わらない街の中は荒れ果ててしまっているが、そこには奇妙な熱気、活気が溢れていた。


「おい、カルロ!」

「あれ、ボフミールさん!? 生きてたんスか!?」

「生き埋めになりかけてたけどな。お前こそ無事か!」

「あんまり……無事って感じじゃないッス。まぁ、仕事はできますよ」

「ならいい。何度でも言うが……手が足りてないんだからな」

「あ、痛、痛たたたたっ……スミマセン、まだちょっと……」

「うるせぇぞ。……コイツでさえ働いたんだ。サボりは許さん」


 “守護神兵”は今――――広場では無く、港を見下ろしていた。

 頭はもぎ取られ、左腕も肘から先がなく――――残る右手に、半ばで折れた青銅の剣を、今もまだ握り締めて。


「……結局、こいつ……何だったんスかね」

「さぁなぁ。全く……夢でも見たみてぇだが、実際……こうなっちまってるしさ。その内誰かが調べるだろう、こんなハデな一件がありゃな」


 動き出した“守護神兵”は、レヴィアタンと壮絶な相討ちを演じ、その頭部を叩き潰してしまった。


 その正体は――――かつて“魔王”の現れた時代、当時の人類が使役した魔導ゴーレムだ。

 魔王の消滅後、術士は魔王の再臨に備えてこの地に最後のゴーレムを遺して世を去った。

 いつしか人々がここに街を築いてからも、“守護神兵”と名付けられた青銅の巨人は在り続け、いつ来るとも、本当に来るとも知れぬ魔王の軍団と戦うべく備えていたのだ。

 だが、それをカルロが、ボフミールが――――知る由はない。


「ボフミールさん、それより……無事再会できたって事で飲みに行かないスか?」

「……酒場なんかどこにある」

「いえ、それがね。行きつけの店があったんスけど、よーやく酒を瓦礫の中から掘り出せたらしいんス。地下室から。酒さえありゃ、青空酒場あおぞらさかばが開けるじゃないスか?」

「……呆れたな、お前ってヤツは」

「いいじゃあないスか。あ、それに……そこの女の子可愛いんスよ」

「それを先に言え、カルロ。ただ夕方までは働いてもらうぞ。まだ日は高いからな。遅れを取り戻すぞ」

「ういーっす」


 港町を見下ろしていた巨像は、今はその顔すら失って港に佇む。

 軽薄な敬礼を巨像に送ってから、カルロは、無事に残っていた船へ向けて歩き出した。

 数千年前の“誰か”からの贈り物の代償は、たった一つ。


 その街では――――もう、お決まりの“冗談”が使えなくなってしまった。





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