人はそれを、絶望と呼んだ

*****


 依然として、物質世界はその存在を保っていた。

 大陸西の王国は北方の旧敵と連合を組み、むしろ――――優勢、だった。

 漆黒のゲートから現れる魔の軍勢を押し返し、魔界の生物達への有効な戦術を開発し、そして今――――ゲートを中心として組みあげられた、魔軍の前哨基地へ人類は迫っていた。


「恐れるなっ! 進め!」

「魔導士隊、目標、前方の投石巨人! 迫撃火球フレイムモーター詠唱開始!」

第一列ピェールヴィ二列、フタロィ三列トリェーチ防御ザシチータ! 羽虫一匹たりとも通すなッ!!」

「踏ん張れぇぇっ!!」

「その程度か――――豚面スヴィニヤどもがっ!」

「通すものか! 盾の悪魔の名にかけて!」


 前面に展開した連合軍の背後から、数人の魔導士が力を共鳴させて放つ巨大な火球が敵陣へ次々と降り注ぐ。

 緩慢な速度を持つ火球は空中で弾けて火の雨となり、オークを、トロールを、魔軍を構成する亜人達を呑み込み、焦がした。

 北の装甲歩兵は一枚の防壁と化した強固な隊列を乱さぬまま進み、圧殺するようにじわりじわりと迫る。

 もはや――――魔軍の打ちたてたバリケードの向こうにあるゲートは、誰の目にも見えていた。


 鬼気迫る魔軍の後方に、禍々しく組みあげられた壁がある。

 それはありとあらゆる生物のものを使って文字通りされて、合間へ分けた腑肉ふにくを詰め込み、溶けた金属を流し込んで固めた忌まわしいオブジェだ。

 はみ出し、白く光る突き出た骨は人類のものか、倒れた魔物のものか、判然とせず、リントヴルムの長い蛇のような体がさながら大理石に混ざり込む化石かせきのようにクッキリと浮き上がっていた。


(……あんなもの、強度に期待できる訳ない。あれは……ただの悪意よ)


 その激戦の様子を彼らの発った本陣のテントの中から遠隔視する一人の女魔導士。

 彼女を中心として、いくつもの水晶球が星々のように浮き上がり、天体の運びをそのままなぞるようにゆっくり自転しつつ、各部隊ごとの様子をその中に映し出す。

 そして、今――――水晶球の一つが黒ずみ、ふっ、と支えを失うように地へ落ち、砕けた。


「っ……魔装歩兵……先鋒、中央左、キャラウェイ隊が壊滅」


 その水晶球には、棍棒を振りかぶるトロールの喜悦の表情が最後に映った。


(あと、ひと押し……! あとひと押しなのに!)


 彼女は手元にある羊皮紙へ、現在の戦況を書き記していく。

 フードの下で歯噛みする魔導紋章官まどうもんしょうかん、カレンの役目は戦況の把握、そして記録。

 状況は即座に王都へ転送され、受け取った者が報告書を軍上層部へ具申する。


(何て、事。北方王国の重装歩兵がいて、やっとのことで“善戦”!? あの亜人達が、あんなに強いはずがないのに!)


 声に出せば王都の術者へ届いてしまうため、カレンはただ心の中でだけ叫んだ。

 今こうしている間にも、戦場の様子が映し出された百にも及ぶ水晶の中では血で血を洗う闘争が繰り広げられ、蛮声、怒号、金属音、不快な打撲音や断末摩が、かすかにだが確かに届いていた。


「……魔導士隊、詠唱開始。迫撃火球、第三射開始。着弾……今」


 それでも、彼女にできるのは水晶越しに戦場を見届ける事。

 砕いてしまいそうなほど強く、手の中に王都へ繋げるための水晶球を握り締めながら、眼前に浮かぶ無数の水晶越しに貼られた地図を食い入るように見つめた。


(……お願い、勝って……勝ってよ……!)


 細面ほそおもてにびっしりと脂汗を浮かべた妙齢の魔導士は――――水晶の中で戦う者達を、ひっきりなしに体を揺すりながら、祈るように、届かぬ声をひたすら送る。



*****


「グラアァァァァッ!!」

「ははっ! どうだ、いい火加減だろう!?」


 空中で炸裂した火球のを受けたオーガが錯乱し、燃え盛る体をばたつかせて暴れ狂う。

 巻き添えでゴブリンが潰れる事もいとわず、必死に火を消そうとするが――――魔術で編まれた炎は、絡みつくように燃え続ける。

 それによって崩れた一角へ食らいつき、広げるように突入する一隊――――西の王国の軽装歩兵。


「今だ、食いつけ! この機を逃すなよ!」

「隊長に続け! 走れ、走るんだ!」


 鍔まで削り落とした片手剣とバックラー、短剣と、喉や胸の急所にだけ革を当てた布鎧クロスアーマー、強度よりも動きやすさを追求した編み上げのブーツ。

 彼らが身に着けているのは、ほんのそれだけだった。

 西の王国の軽装歩兵の中でも最も俊足を誇る部隊、“オーウェン小隊”には一つだけ厳密な規則が定められている。

 それは――――“可能な限り、身を軽くする事”だけ。

 レザーアーマーは着ずブーツも替え、ボタン一つにいたるまで可能な限り取り外し、剣を納める鞘も切っ先と刀身の根元と半ばだけを隠す、食い残した魚のような肉抜きを施してあり、更には髪や爪、ヒゲすら伸ばしてはならないという念の入れようは仲間からも薄気味悪がられていた。


「遅いぜっ!」


 二十人弱にまで減った小隊は、眼前の敵をしゃにむに斬りつけながら駆け抜け、場を荒らす。

 ゴブリンの顔面を切り裂き、オーガの股下を抜けながら膝の腱を浅く薙いで、一陣の風が吹き抜けるように亜人の戦列を食い荒らし、揺さぶりをかける。

 斬られた亜人が気を取られて振り向きかければ、本隊がオーウェン小隊の後に続き、“やり残し”を仕留める。

 ここまで魔軍を押してこられたのは、彼らの俊足と、その戦術のおかげだと誰もが認める。


「ははははっ! 一番乗りィ! 遅ぇーぞ、装甲歩兵さんよぉ」

「煽らないで下さい、隊長! あいつら怖いんですから」

「だってよ……うぉっ、危ねっ!!」


 足以上に口の回るのも早い隊長、オーウェンは間一髪でオークの斧の一閃を避けると、空いた脇へ刃先を滑らせるように斬りつけ、背後へ回り込む。


「ブギィッ!!」

「おっと……振り向くもんじゃねーぞ、オイ」


 またしても頭に血が昇って無警戒に振り向いてしまった亜人の背へ無数の槍が突き立ち、その命を絶つ。

 前のめりに倒れたオークの背後には、巨躯の兵団の戦列があった。


「……誰が遅いと? 西の小バエめ」

「……そういや、そうか。お前ら、一歩がデカいんだったな」

「ふん。ちゃんと飯を食わんからだ、西の王国人」

「じゃあ俺達におごれよ。お前らの国には、いくら食ってもなくならない魔法のブタが棲んでんだろ?」

「それは我々ではなく、氷壁諸島ひょうへきしょとうの蛮族の伝承だ。そんなものがいると思うか」

「魔王がいるんだから、いるだろ?」

「……おかしくは、無いな」


 彼らが冗談の応酬を繰り広げる事ができたのは、もはや漆黒のゲートと、悪意にまみれた骨の砦が目の前に無防備にあったからだ。

 もう――――砦を守るべく集結していた亜人族の軍団は、いない。


「壁を破壊するぞ! 全員、備えるんだ!」


 連合軍が再び隊列を組み直すも、既にその数はここへ向け出発した時の半分にまで減っていた。

 後方支援の魔導士も連続での呪文詠唱による疲弊が色濃く、顔色はもはや土気色で、ひつぎの中を彩りかねないほどにまで沈みこんでいる。

 後方から馬に引かれてやってきた十数の大砲の準備を整え、壁と、その先にあるゲートを破壊すべく装填を行っていき、魔導士も飲み残したマナ・ポーションを最後の一滴まで惜しむように飲み干した。


「撃てっ!!」


 堪えきれず抜刀した指揮官が振り下ろすとともに、温存されてきた大砲は一斉に火を噴き、骨と肉で組みあげられた悪意の壁を吹き飛ばし、大穴を穿つ。

 だが、その土煙が晴れる間もなく、その中から巨大な影が五つ。

 彼らは――――“門番”だった。

 恐ろしく緩慢、鈍重な一歩が踏み下ろされると地は揺れ、前面を固めていた“盾の悪魔”達は思わず大盾に体重をかけ、杖代わりに身を支えた。


「させね……ど……オェ、達……門……守る……!」


 全身が黒変した人型の魔物は、あえて言うならオーガに似ていた。

 受け口の下顎、脂まみれのもつれた体毛、だがその巨躯は通常のオーガの倍以上あり、もはや違う種類の魔物、“巨人”に近い。

 五体のどれもが、人間の兵士の鎧を繋ぎ合わせたスケイルメイルに見えない事も無い防具を身に着け、握り締めた巨人の大腿骨には、剣や斧が無造作に鋲がわりにくくり付けられており、それが“メイス”の機能を求めたものである事は明白だった。

 そして……首飾りとして、腕輪として、ベルトとして、縄を通した頭骨をいくつも連ねて巻きつけていた。

 その冒涜の身なりを見て、北方王国の装甲歩兵も、西王国の兵士も、遠隔視の紋章官も――――戦慄より先に、沸き立つ感情を持つ。


「ぶがっ!?」


 後方から放たれた無数の火球が直線で殺到し、一体目の“黒鬼”の全身を打ち、ぜた。

 よろめいたのを見て――――前線の指揮官が叫び、その号令を待っていたとばかりに“門番”へ男達は突撃する。


「かかれぇぇぇっ!! 目標は、魔門は目の前だ! あれさえ壊せば、奴らはこちらの世界へ入ってこられない!!」


 地を震わし、呼応する声が怒りの土石流へと変わり、五体の魔界種のオーガへ向かう。


「防御! 衝撃に備えろ、来るぞ!」

「ぐっ……うぉっ……!」


 横ぶりの棍棒を受け止めた装甲歩兵の二人が大きく宙を舞い、飛ばされる。

 刃は防げても、突撃は防げても、オーガが力任せに振るう打撃の一発は殺せない。

 盾と鎧で命はあっても、どちらも戦闘不能に陥り、墜落すると同時に昏倒してしまった。


「崩れるな! 第一列右端、二名前へ進め!」


 第二列が第一列へ、三列が二列へ、四列が三列へ。

 即座に穴を埋めて前進し、盾の防壁でオーガを押し包み、合間から槍を突き出すが鎧の“蓑(みの)”だけではなく、その下にある皮膚すらも通常のオーガとは比較にならぬほど硬い。

 だが、装甲歩兵達の槍は――――微力であっても、無力ではない。

 引いた槍の穂先には、紛れもなく血液が付着している。


「千本の槍で死なぬのなら、一万の槍を突き刺せ! 一万滴いちまんてきの血を流せばヤツとて弱る! 押せっ!」

ダーッ!」


 装甲歩兵の士気は――――決して、落ちる事は無い。

 皮膚の一枚、血の一滴、剥がせる鱗のかけら。

 手応えを感じる限り、彼らは諦めない。

 それは、西の王国の兵士達も同じく。


「俺達には連中ほどの腕っぷしはねぇ! だから、早く――――!」

「っぐ、は、離……離れっ……! 人間めぇぇっ!」

「つれなくすんなよォ、デカブツ! 今剥いてやるからよォ!」


 オーウェンの率いる軽装歩兵の小隊はオーガの身体に貼り付き、革帯を掴み、脚をねじ入れ、物理的に鎧の蓑を剥がそうと試みていた。

 亜人達の力で締め込まれた縄へ幾度も剣を振り下ろし、ぎこぎこと鋸引のこびき、歯がこぼれれば次は短剣へ切り替え、続ける。

 何名かが掴まれ、捻り殺される中、彼らは臆す事無く身を翻して避け、一枚一枚と引き剥がしてゆく。


「っオェ、の鎧……さわん、じゃ、ネェェェェェェ!!」

「テメーのじゃねぇっ……! テメーが、着てんじゃねェ!!」


 やがて――――オーウェンの振りあげた剣が折れるのと引き換えに、鎧の蓑を束ね、締め込んでいた縄がついに切れた。


「いけェェェェ!」


 裸になり、防御を失った魔界種のオーガへ兵士達が肉薄する。


 ――――――奮戦の後、彼らの総数が更に半分になったのと引き換えに、最後の門番までもが、とうとう斃(たお)れる。

 そして。


「砲兵、魔導士隊、攻撃開始! 目標、“魔門”!」


 砲弾の雨、分裂しない火球、弓兵の放つ矢が、砦の中に不気味に浮かぶ漆黒の城門へ次々と着弾してゆく。

 そのたび聴こえる不気味な呻き声は、まるで城門それ自体が発しているかのように兵士達の耳をつんざいた。


「行け、行け、行けェェェェッ!」

「オオオオオオオ!」


 待ちきれぬ、とばかりに――――装甲歩兵達が投げ放った槍が城門に深々と突き立つ。

 そして……とうとう、城門全体に亀裂が走る。


 次の瞬間放たれた一発の砲弾で、あっけなく、城門は砕け散った。



*****


「やっ……た……」


 死闘の全てを見ていたカレンは呟き、やや間があってから、ようやく……水晶越しに見える戦場で、勝ちどきが上がる。

 今、彼らは紛れもなく――――魔軍を押し返し、魔界へ繋がる漆黒の城門を破壊したから。

 その声は、テントの中にいるカレンの耳にすらも、水晶越しでは無く直接届いたほどだった。

 もはや、彼女の眼前に無数に浮かんでいた水晶球は、その数は半分以下にまで減り、床面の上はもはや砕けた水晶の欠片で足の踏み場もない。

 だが――――彼らは、無駄死にでは、なくなった。


「じょ……城門、破壊! 繰り返します! 魔門、破壊成功です!」


 呆けていた意識を取り戻し、彼女はすぐに手の中の水晶へ語りかける。

 それだけで、王都にいる術師と、固唾を飲んで見守る将軍たちに届いた。


『本当か? ……本当に、破壊したのか!?』


 聴こえてきた声は術士のものではなく、その誰かの怪訝そうな調子の声だ。

 その問いかけに、彼女は力強く答える。


「間違いありません! 敵軍は全滅、砦は破壊! 魔門は間違いなく破壊いたしました!」

『お、おぉ……! で、では……!』

「はい。――――我々の勝利です!」


 もう一つの――――王都へ繋がる水晶からも、歓声が上げられた。


(や、った……やった……私達は、勝った! 勝てるんだ、“魔王”にも! 勇者じゃ、なく、ったって……やれ、るのね……!?)


 今はまだいない、“魔王”と対なる存在。

 その誇り高き存在の名を胸中に去来させ、カレンはただ一人、勝利に酔い痴れていた。


『っ……何っ……だ……あれ……?』

(――――――え?)


 戦場を映す水晶球の中から……そう、確かに聴こえた。

 カレンが手を躍らせ、特に大きな水晶球を目の前へ引き寄せ、魔門のそびえていた地の風景を映し出すと。


「何……? これ……?」


 先の兵士と同じ呟きが、カレンの口から漏れた。

 見開かれた目、拡大した瞳孔が映し出すのは先ほどの勝利を映していたはずの蒼天。

 そして。


『魔導紋章官? カレン・エンブリー魔導紋章官!? どうした、報告しろ!』

『答えろ、何だ!? 何が起きている!?』


 カレンの目に、水晶球越しに見えているのは。


 ――――空に空いた。

 ――――無数の、“扉”。


「――――魔門が、出現。数は――――不明」

『な、に……?』

「数えきれません! 数え切れないほどの魔門が、空に――――! な、何あれ……!?」


 空に浮かぶ無数の魔門は、砦にそびえていたものよりは小さい。

 だがその数はあまりに多く。

 砦の上空に、奇妙な雲を形成するように寄り集まり、不吉に軋んだ音を高らかに響かせながら、ゆっくりとバラバラに開いて行った。


 その中から――――無数の、翼の生えた悪魔達。


『な、何だあいつら!? 空、飛んで――――ぎゃああぁぁぁっ!』

『くそ、防御! 落ち着け、隊列を、ぐああぁぁあっ!』

『来るな、来るな、来るなああぁぁ!!』

『もう、魔力が……! ポーションだって……!』

『大砲もダメだ! 砲身が裂壊して……もう……』


 ぱりん、ぱりん、ぱりん、と――――各隊とリンクしていた水晶球が、次々と黒ずみ、落ちていく。

 まるで、しゃぼん玉の消え去るように。

 次々と、次々と、次々と。

 聴こえる惨劇に、とっさに耳を塞ごうと試みたカレンに――――後ろから、抱え込むように手を回す者がいた。


「――――覗き見かい? こんな所で、君だけ?」


 声の聴こえた左側を振り向けば――――そこには、“魔”があった。

 外見こそ細身の人間に見えるが、その肌はところどころが鉱物のように変異しており、顔の上半分は結晶の塊をくり抜いただけのような仮面に覆われている。

 カレンの首に気安く回した腕、その指先の爪は全てが違う宝石でできていた。

 その“魔”の何者かは、口もとを醜く歪めながら、大水晶の中を覗き込む。


「僕の名は、――――まぁ、いいか。君たちの親愛なる敵、“魔王”の四天王の一人とだけ言っておくよ」

「そ、外にいた……兵士は……?」

「兵士? ああー……いたっけなぁ、そんなの。いたなぁ、うん……いたかな?」


 人差し指の先端、金剛石ダイヤモンドの爪で顎の肉をように裂かれながら、カレンはひたすら歯を食いしばり、乱れた呼吸を整えようと試みる。

 だが、それも――――無駄な事だ。


「僕がここに来たのは、他でも無い。ぜひ、美人と一緒に見たいものがあってね。喜ぶといい、恐らく、これを見られる人類は君だけだ」

「え……?」

「ホラ。そろそろ……出てくるよ」


 それでも、翼の生えた悪魔達へ応戦していた兵士達がいる。

 魔導士達は既に引き裂かれ、砲兵は空中で取り合うように八つ裂きにされていた。

 残る兵士は、百にも満たない。

 浮かぶ水晶の数は、たったの五個。

 やがて大水晶の中で、暗雲の如き魔門の塊の中から――――常軌を逸した巨大な“あし”が現れ、踏み下ろされる。

 その衝撃は今カレンのいる基地にすら、届いてしまった。


「きゃあっ!?」

「おっと……大丈夫かい?」


 倒れ込む事すら許されず、カレンはすぐに引き起こされる。

 それを、“絶望”を見せられるためだけに。

 残っていた水晶球は、全て落ち――――砕けた。


「……“ベヒモス”。広大な魔界にすら二頭しか生息しない、永劫に彷徨う不死身の怪物だ。世界を踏み潰す魔獣の姿を……君は、その目で見られるんだよ」


 巨大な怪物は、魔門の雲を破壊しながらその全容を明らかにした。

 砦を数歩で踏み壊してしまえるほどの――――神々にも迫る、圧倒的な異様。

 長い首をもたげれば、その先にあるはずの顔は霞んで見えた。

 魔獣は――――初めて見る物質界の光景を眺め、初めて吸う物質界の空気を味わってから……歩を進める。


『カレン・エンブリー!? 応答しろ、早く! 応答するんだ! 何が起きている!?』

「に、逃げて……逃げて……! 巨大な魔物が……出現……逃げ、て……!」

「逃げる? ひょっとして……君たちは……まだ分からないのか?」


 “四天王”の腕の中に抱かれていたカレンの首がへし折れ、その手からこぼれ落ちた水晶がその前へ転がる。

 彼は拾い上げると、哀れむように覗き込み……遠く離れた王都の将軍たちへ、ゆっくりと語りかけた。



「“魔王”からは、逃げられない」







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