蠱毒の攻城戦
*****
彼らが木柵で囲われた前哨基地へ現れると、その場の全ての兵士は息を呑んだ。
ねばりすら持つように感じる、湿った生臭さがその一団から広がる。
さしずめ腐臭の漂う沼地の風景を
鼻、続いて視線が迷わず差した方角には――――“異形”の一団が整然と並び、司令官の幕舎へ向かうのが見えた。
先頭を音もなく歩く男は、なりは人間であってもその痩せ細った長身は常人の二倍はある。
直立していられるのが不思議なほどに細い体は黒衣で覆われ、薄暗く曇った昼下がりの空の下に、まさしく鈍い色の雲のような肌色を晒し、もみあげから顎にかけて“
その男は、兵士の視線に気付いたのか――――真っ黒く染まった眼を向け、存在しないといっても構わないほどに低い、穴が二つ開いているだけの鼻を蠢かせた。
「ひぃっ!?」
怯えた声を上げたのを見て、長身の男はニタリと唇を歪め、二又の舌をちらつかせる。
そして、彼の後ろに目を向けた兵士は……目を疑うばかりの光景を見た。
どぎつい体色の
その後ろには
足元にはその
姿も大きさも不揃いなリザードマン、フロッグマン、トカゲに見えるが鱗のない奇妙な亜人、そして、更には――――長大な蛇の半身を持つ美女までも。
「ラ……ラミアだって……? ま、魔物じゃないか……!」
「っ……悪夢、みたいだ……」
そして何より戦慄したのは、彼らは敵ではない。
“味方”として、ここにやってきたのだ。
それにも関わらず、彼らの巻き散らす粘着質かつ貪欲な気配は、彼らを遠巻きに眺める人類の兵士達を呑み込んでしまった。
「こんなに嬉しくない援軍なんて……初めてだ」
異形の一団を知る壮年の兵士は、喉仏を何度も引きつらせながら動かし、ようやく生唾を飲み込んだ。
傍らにいた若い兵士は、その様子を見て疑問を口にする。
「あ、あの……あいつらは一体何なんですか……?」
「……“美食の蛇”って聞いた事あるか?」
「有名なんすか?」
「いや、……悪名だ。奴らのせいで起きた戦すらある」
「え……」
「いいか、ションベンの時でも絶対一人になるなよ。今日は短剣を絶対に離すな。交代で見張りをしながら寝るぞ、分かったな」
「い、いやそんな……脅かし過ぎ、っすよ……?」
いくらなんでも――――と薄笑いを浮かべるが、若い兵士は身を強張らせた。
語る歴戦の兵士の険しい表情は、引き締めた迫力に満ちていたからだ。
その目は、少しも笑っていない。
「……以前、奴らと同じ戦地に配備された時の事だ。もっとも、相手は魔王ではなかった頃だがな」
「……どう、だったんです?」
「奴らが攻め落した砦からは、敵兵がきれいさっぱり消えていた。大鍋のスープも冷めないまま……敵兵だけが、な。今でも行方が誰一人として掴めていないんだ」
「っ…………く、食われちまった……ん、ですか……?」
「どうかな。せっかくだから訊いてきたらどうだ?」
「い、いや……その。でも……なんで、あいつら…………こんなトコに?」
「それなら、簡単だ」
壮年の兵士は立ち上がり、南の方角を見据える。
そこには、奪われた城塞があった。
「目には目を。……バケモノには、バケモノってこったろう」
いつ――――内側から門を食い破って怪物たちが放たれるか分からない。
間に合わせの大砲は全て、遠巻きにその城へ向けられていた。
ほんの少し前までは、そこは人類の領地だった。
だが、今となっては違う。魔界の“蟲”の跋扈する、魔の都。
そこが駐屯するはずの都市であったはずなのに、今ここにいる兵士達は中に入る事などできず、いつ魔物が溢れ出てくるか気が気でなく、その城壁の上から降り注ぐ複眼の視線を予感し、眠れぬ夜を過ごすばかりで消耗しきっていた。
*****
その日は――――地獄だったと。
城壁を乗り越えて現れたジャイアントスパイダー、穴を掘ってそこかしこの路地から這いずり出てきたスコーピオン。
蜘蛛の半身を持つ醜悪な
人間大の羽虫が麻痺毒の尾針で兵士達を捕らえると、そのまま連れ去り、引き裂いて地上へ落とした。
抵抗を試みても、焼け石に水だった。
駐留予定の軍団が到着した時には既に遅く、幾度か様子を見るべく送った
命からがら逃げる事が出来た数人の民間人だけが、目撃者だった。
降って湧いたように突如現れた“虫の魔物”の群れによって、身動きが全く取れない膠着状態を作り出されてしまった。
加えて、多少距離があるとは言え……あまりに、この城塞は王都に近い。
今ここで叩かねば――――次は、王都がこうなるのだ。
「……と、言う訳だ。できるか? “美食の蛇”、リーパー」
前哨基地司令官の幕舎の中に、異形が四つ。
黒衣の男、リーパーの後ろに侍るのは、傭兵団の各隊を仕切る三人の亜人と、一体の“魔物”。
一人は不敵な笑みを絶やさない、二足歩行する長身のリザードマン。
拳撃のための手甲には鋲が打たれ、更には尾にも一撃の威力を増すための装具が着けられていた。
頭長から長い首に沿うように刺々しく鱗が逆立ち、エメラルドグリーンの体表にはあちこちに目玉のような模様が浮いている。
縦に切れ込んだ瞳は、竜のような獰猛さで幕舎の内にいる者達を圧してやまない。
一人は、縦には大人二人分、横には五人分にも迫る身の丈と体躯を持つ、デコボコしたイボだらけの肌を持つ巨漢のフロッグマン。
その脚は異様に膨れ上がり、のそのそとした動きと中途半端な巨躯が……本能的な恐怖心を煽る、そんな存在だった。
背負った
ときおり喉を膨らまして、えずくような低音の声を発し――――そのたび、幕舎の兵士はぎくりとさせられていた。
最後の一人は、人類の太腿ほどまでしかない、先の者に比べれば親しみやすそうな小柄な軽装のフロッグマンだった。
肌の質感も滑らかで、くりん、とした目と愛想よく笑うような口もとは“かわいい”と評せた。
だが、その体色はどぎつい赤を基調に黒の織り交ざった、触れる事すらためらうような文字通り毒々しい警告の色。
現に、彼らが入ってくる時にすれ違い、そのフロッグマンとうっかりマントの裾が触れた兵士に向け、確かに言った。
――――「今、ぼくに触れた所。絶対素手で触っちゃだめだよ」と。
そして最後の“一体”は、蛇の半身を持つ女型の魔物――――“ラミア”。
幕舎からはみ出す蛇身は半分以上が外まで伸びており、入り口を固める二人の兵士は幾度も唾を飲み込みながら、鱗の生えた大蛇の体をちらちらと見る。
人間の姿をした部分は白いベールをかぶり艶めく黒髪を蓄え、穏やかに両目を
「くくくっ。話は分かったよ、
「…………状況が不明だ。王都からの増援も今はあてにできない。ほぼ出払っているんだ。そもそも……こんな前線から離れた城塞が急襲を受けるなど想定外だ。内地と言っても構わないような場所なんだぞ」
「火でも放っちゃえば?」
「貴様……!」
「冗談冗談。なるほどなるほど、だから俺達を呼んで汚れ仕事をさせようってんだな。くくくくっ!」
黒衣の長身の男、リーパーは高らかに笑い、鼻腔だけの存在するような鼻をひくつかせた。
「いいオッサン達が、“虫が出て、こわいから家に帰れまセーン”ってか? くひゃひゃひゃっ!」
「……ボス、下品ですよ、そりゃ」
「あァ、あァ……悪いな、ブロー。おもしろくってなぁ」
司令官と、その脇を固める補佐官達は歯噛みし、思わず睨みつける。
しかしリーパーも、今彼を咎めた小型のカエル“ブロー”も、他の二体もまるで動じる気配はない。
それどころか――――今にも無感情に襲い掛かりそうな圧力を発し、幕舎の中は緊張に包まれた。
「……悪い悪い、睨むなよ人類。くくっ。でも、まぁ……俺たちが来たからには大丈夫。よかったなぁ、俺たちに任せておけばもう安心だ。なめる様にキレイに掃除してきてやるよ」
「……いつ、かかれる?」
「ブロー、次の雨はいつだ?」
「今夜です。月が天頂近くなる頃」
「そんじゃ、今夜片付けに行くぞ。とりあえず、今は……腹ごしらえと行こうじゃねェか。腹が減っては……ってな。おい、何心配してる? 俺達を人喰いの怪物だとでも思ってんのか? 冗談だろ。筋ばったオッサンなんか食えるかよ、クソ不味いんだ。言ったろう、俺たちは“美食”だってよ」
*****
日の沈まぬうちから、彼らは火を囲み、出陣前の“食事”に
近くを通りがからざるを得ない兵士はそのたび、彼らの“食”にぎょっとして足早に去った。
「……スケール・ローチはガーリックオイル漬けが一番だ。おい、そこの人類。良かったら食っていかねぇか? 酒が進むぜ? 遠慮すんなよ」
「いやいや、やっぱり踊り食いだね。砂ウジに軽く塩を振ってさ」
「……カットスロート・スパイダーの……タマゴ。甘く、テ……とろっ、ト……しテテ……美味しィ」
「ユーリアはそれしか食わないんだな。
「お前も十分偏ってるよ」
黒光る虫のオイル漬けをリザードマンが噛み砕き、酒瓶から直に仰ぎ、流し込む。
毛のびっしり生えた脚がはらはらと舞い落ち、“食べかす”が地面に落ちた。
更には指ほどの太さの幼虫を生のままで飲み込む小生意気そうな水色のカエル男が主張し、一体だけいるラミア、ユーリアが巫女装束にも似た姿のままで拳大のクモの卵を口に運ぶ。
そして、リーパーとともに幕舎を訪れていた巨漢のカエルが、掴まえていたネズミを皮も剥がさず呑み込む。
それは――――魔物の晩餐だ。
その光景を見た兵士は、密かにこう思う。
“落とされた城の中では、こんな光景が広がっているのかもしれない”と。
彼ら……爬虫類、両生類の亜人は“魔物”として扱われていた歴史が長い。
知性は人類と同等でも、その生態は、あまりにも隔絶していたから。
胎生ではなく卵生、加えてその外観は哺乳類とは違い過ぎていた。
近年になってようやく“獣人”の一種として認識され始めていても、かつてはゴブリンやトロール、オーガといった人類に敵対する亜人と一まとめにされており、討伐対象とすらされていた。
この世界に“魔王”が降臨して尚も――――彼らは、鼻つまみ者と扱われる。
「で、作戦は?」
「うん。……ぼく達と……いつものメンバーは水路から侵入する。ユーリアとリザードマン達もいつも通り。大型のフロッグマンは待機。信号を待って」
「城内に生存者がもしいたら?」
「無事な生存者、なんてのがいたら保護しろってさ。全く、人類は相変わらずぼく達にムチャ振りばかりするよ」
「俺達を見かけた途端、問答無用で衛兵を呼ぶアホもいまだに少なくねぇしな。モンスター扱いだ」
「共倒れしてくれ、とでも思われてんど」
赤色のカエルの参謀、ブローの状況説明に相槌を打ちながらも彼らの食事の手は止まない。
甲虫を噛み砕く耳障りな咀嚼音と談笑は――――夜が訪れるまで続いた。
*****
水路へ繋がる地下道に、四体の怪物が徘徊していた。
その外観は、
腕として発達した前肢と、脚として発達した後肢の間に、槍のように鋭く尖った一対の肢が残る。
茶色の外殻はところどころが乾いていない血にまみれており……彼らは皆、先ほどまで“獲物”を分け合っていた事は疑う余地がない。
魔界から現れたその悪夢は、“
蟻そのものの社会構造を持ち、卵から孵化すると恐るべき速さで成長を遂げ、およそ産卵から三日で、人類の戦士に匹敵する膂力を持つ恐るべき兵士と化す。
一度に生まれる数自体は少ないのが唯一の欠点だが……それでも、女王を断たない限りは無限に生まれてしまう。
やがて、一体の蟻人が水路を覗き込み、しばしその場でしゃがみ込んだ。
『ギッ……ジジ……』
物を保持する事ができない、単純な鉤爪だけの“手”についた肉片を洗い落そうとした、その瞬間だ。
突如としてたゆたう水の中から長い舌が伸びて、蟻人の首に巻きつき、水中へ引きずり込んだ。
激しく揉み合う水音の後、更に水底深くまで引きずり込まれ――――やがて、大きな泡をいくつか立ち上らせてから、水面は赤紫色の体液で染まった。
異変を察した蟻人の残りが、恐るべき瞬発力で駆けつけ、付近を警戒するも……既に、遅い。
水路へ繋がる地下道、その天井にも、壁にも、暗がりにも……武装したフロッグマンがびっしりと貼り付き、粘着質な殺意、いや――――“食欲”を含んだ視線を、三体の“アリ”へ向けていた。
「侵入成功。
赤色の小ガエル、ブローがそう告げると、水路から更に続々と後衛が上がり込む。
小型~中型のフロッグマンに続き、イモリ、サンショウウオ、ありとあらゆる両生類の獣人がひたひたと不気味な足音とともに、地下道に散開する。
彼らが去った後に、地下道を警備していたはずの蟻人の姿は無かった。
*****
一方、地上でもまた――――はびこる虫の魔物達が、徐々にその姿を減らしていた。
「ケッ。……こいつらデカいだけじゃねぇか、ビビりくさって、人類めが。それに何だ、このゲロマズさは」
甲殻の隙間から毒の刃を突き刺すだけで、スコーピオンは痙攣して絶息した。
それを仕留めたリザードマンは脚の一本をもぎ取り、中に詰まった肉を
「食うのは後だ、テメェら。そろそろ……連中も気付くぞ」
侵入開始から、約一時間。
夜陰に乗じて片端から“害虫”を駆除してもまるで追い付かない。
今のところ生存者も見つかっていない。
ふと――――地上からの潜入を指揮していた長身のリザードマンが気配を感じ、背後にある井戸へ振り返ると、吸盤のついた手が縁にかかるのが見えた。
「やぁ、レプティーリオ。首尾は?」
「おどかすな、ブロー。見ての通りだ。想像していたよりも数は少ない」
「それは良かった。……こっちは難儀しているよ。蟻人の女王が見つからないんだ」
「分かった、俺達も捜索範囲を広げる。ところで、女王ってのは見たら分かるのか?」
「いや……見ても分からない、というかそもそも……とても結びつかないぐらいかけ離れた姿をしてるんだよね。同じ生き物には思えない」
「ほう? そいつは楽しみだ」
リザードマンの格闘士、レプティーリオは細い鳴き声で付近のリザードマン達へ命令を伝え、腕組みする。
井戸からひょっこりと顔を出したブローは、地下で得た情報を更に語り続けた。
「奴らがここへ現れた理由も何となく分かったよ。どうやら奴ら、地下を掘って王都を目指していたみたいだ。目測が狂って、ここを掘り当てたんだね」
「ならここを掃討したら次は巣穴を潰すのか?」
「それぐらいなら人類もやってくれるはずさ。だけどまず、今は――――」
「ああ、分かった。ポイントを確保して、本隊へ合図を送るぞ。予定通り南の目抜き通りでいいな?」
「うん。頼むね」
「……そろそろ、雨か? おっと」
ぽつ、と鼻面に降ってきた水滴を感じたレプティーリオが舌で舐め取る。
やがて、次の一滴、次も、と滴り落ちて……あっという間に、長く降り続きそうな雨に変わる。
「好都合だな。俺も行くぜ。また後でな、ブロー」
「アイアイ。何人か置いて行くから加えてくれ」
「おう」
ブローが井戸の中へ引っ込むと、入れ替わるように四人のカエルが這い出てきて……吹き矢と短弓を手にして、屋根の上へ飛び移り、雨の降りしきる街へと散って行った。
「……長い夜になるぜ、こりゃあ」
*****
街の一角、どこにでもある酒場の中は――――“貯蔵庫”に成り果てていた。
さながら無数の白いカーテンの下ろされた
その中には――――未だに蠢くものも、少なくない。
「う、ぶぅ……! だ、れか……だれか……たす、け……て……」
弱り切った声が糸の隙間から漏れだし、ささやかな空気を呼吸して助けを呼ぶ声がする。
吹き抜けのフロアを埋め尽くす蜘蛛糸のカーテン、その天井近くに吊るされた繭から漏れる声は、女のものだ。
今にも消え入りそうな声を聴いて――――階下にいた“彼女”は、その身を伸び上がらせた。
「……だい、じょ……ブ? 今……出シて、あゲルね」
「……え……?」
尖った爪が繭を切り裂き、その中に閉じ込められていた酒場の給仕娘は、驚きとともに助けてくれた者の顔を見つめる。
そこにあったのは、優し気に目が瞑られた、巫女装束の美女の姿だった。
だがその半身は、一階の床から、吹き抜けの天井まで直立させて届く、鎌首をもたげた大蛇のごとき姿。
しかし給仕娘は、それに気付くだけの判断力は奪われていた。
今はただ、ひたすら――――目の前に現れた、“聖女”の姿に涙を零す。
「あり、がとう……ありがとう……ございます……!」
「今……下ろス、カラ」
繭から救い出した彼女を優しく抱え、階下の床にそっと横たえた直後、背後で起きたカサッ、という物音で蛇女――――ユーリアは振り返った。
そこには張り巡らされた糸に脚をかけ、ゆっくりと下りてくる異形の影があった。
「オ、前……! ワタシノ、巣デ……ナニヲ……? ナゼ……“ラミア”ガココニイル?」
ラミアと似てはいても、その形相は美女とは程遠い。
大蜘蛛(おおぐも)の下半身を持ち、上半身は裸身の人間の姿だが、びっしりと生えた体毛と、六つの目がちりばめられた醜い老婆の顔には毒の
“アラクネ”と呼ばれる、本来は地下洞窟や人里離れた山林、打ち棄てられた炭鉱に生息するはずの魔物だ。
彼女らは魔王軍の尖兵に加わって、人々の苦悶する様を見て愉しむ狡猾な虐殺者と化していた。
もっとも、それは――――対峙するユーリアの種族、“ラミア”も同じだ。
「みんナを――――タス、けに、来タ」
言って、ユーリアは目を見開く。
縦に割れた瞳孔を持つ蛇の眼差しはまっすぐにアラクネに向けられ、射竦める眼光がその身を強張らせる。
同時にユーリアの両手の爪が伸長し、鋭いレイピアのような十本の爪が振り払われると蜘蛛糸のカーテンが裂け――――引っかけられていた繭がぼとぼとと地に落ちて、喘ぎが内側から漏れた。
「アナタを、倒す。ミんなヲ……助け、ル!」
蛇女は、蜘蛛女へと躍りかかる。
恐らく、この世のラミアでただ一体。
同族たちの蛮行を見かねて、ただ一体だけ――――“人類”の側へ帰化する事を選んだ、心優しきラミアが。
*****
ユーリアとアラクネがもつれ合いながら酒場の壁をぶち抜き、更に数棟の建物の壁を破りながら南の広場へ現れた時――――そこは、大乱戦の場だった。
「ハハッ! 何やってやがった、ユーリア! さっさと手伝いやがれ!」
レプティーリオの拳がスコーピオンの頭部を砕き、死に際の毒針の一撃を同じく尾で防ぎながら彼女へ呼びかけた。
その爪はアラクネの胸郭を貫き、全ての眼を切り裂いていたが――――相応の反撃を浴びたか、純白の服はあちこち切り裂かれ、血を滲ませていた。
「うン、分かッタ! ……ドーザーさん、タチ……ハ?」
「これから呼ぶんだよ! 出せ、信号! 出せ、早く!」
呼びかけに応じた真紅の体色のリザードマンがカチカチと牙を打ち鳴らし、地面へ向けて可燃性の痰を吐きかけると、ほんの一瞬で激しく燃え上がった。
その火へ小瓶に詰めた粉末を振りかけると炎から怪しく
そこは――――魔物同士の食らい合いのただ中にあった。
レプティーリオの蹴りの一撃、尾に備えた鉄甲の一撃が同時に二体の蟻人を砕く。
家の壁面に貼り付いたブローが放った吹き矢がジャイアント・スパイダーの関節の合間に突き立ち、ほんの数秒で脚を畳み、絶息した。
「ぐがっ!」
少し離れていたリザードマンの一体が、地を這う虫の反撃を受けて、尾のハサミで腰から真っ二つに切り裂かれた。
「ッ……タダで、死ぬかよ! クソがぁぁぁぁっ!!」
だが、彼は――――籠手に仕込んだ刃を展開し、毒液を滴らせながら死に際の反撃で虫の甲殻を貫き、更に腕の力だけで這い進み、蟻人の首へ噛みついて直に毒液を注ぎこみ、更に別の蟻人の体へ刃を突き刺してから、ようやく動かなくなった。
「お手柄だ、ビアデッド! 後で泣いてやるから安心して死んどけ!」
「負けんな、続け! ヤツらにどっちが食う側かミッチリ教えてやれ!」
斃れた仲間の亡骸をまたいで、更に意気を高めたリザードマン達が続く。
“美食の蛇”を構成する、ほぼ全員が有毒種の獣人だ。
散布、注入、矢に塗るなど様々な方法で、甲殻の隙間から、あるいは呼吸器を介して毒に侵す。
数では劣るはずの“美食の蛇”が街を埋め尽くす虫達の優位に立てているのは、徹底した戦術と、人類では叶えられない“毒”の効果による。
「おい、地面が……! 何だ、ありゃ!?」
「“女王”だ! 全員離れろ、早く!」
街の石畳を砕きながら――――蟻人の女王がとうとう姿を現した。
ぶよぶよとした長大な体に、オマケのような蟻人の体。
その体長は目抜き通りをほぼ埋め尽くすほどで……体のあちこちに、育てている途中の蟻人の幼生がくっついていた。
世界の全てを喰らい尽くすかのような堂々たる体躯は、悪夢そのものだ。
「くはっ! マジか、アイツ! 確かに同じ生き物と思えねぇぜ!」
「笑ってる場合じゃないよ、レプティーリオ! 離れよう! じゃないと……ああ、来た! ドーザー達だ! 頭目もいる!」
上空から降り注ぎ、蟻人の女王の体へ着弾するのは、跳躍してきた数十体の大型のフロッグマン達の肉弾攻撃だった。巨体のフロッグマンが金属の鎧を着て、重量級の武器を背負って降下する姿は……それ自体が、さながら攻城兵器だ。
「
「やったれァ! 潰してコネて朝メシにしたれ!」
「かかってこんかい、ゴラァ! 来い! ワシんとこ、来んかい!!」
背負った戦槌を、戦斧を、二振りのメイスを携え、大型のフロッグマン達が戦闘を開始する。
重量級の一撃が虫達を次々と血祭りに上げていき、蟻人の女王はものの十数秒で肉塊へと変えられた。
「クハハハッ! やべぇな、奴らの数は! これじゃ……俺たち全員、太っちまうなァ! 食いきれねェ!」
大型のカエルに便乗して乗り込んできた兵団の頭目、リーパーの周囲に動くものはない。
傭兵団最凶の毒をまとった投げ刃が突き立ち、ジャイアントスパイダーも、スコーピオンも、蟻人も、アラクネも、何もかもが死を迎えていた。
本能的に危険を察知した虫達は近づく事すら恐れ、遠巻きに彼を警戒する。
「オラオラオラァ! 逃がすんじゃねェ! ブッ殺せ! 一匹も逃すなァ!」
爬虫類系の亜人の中でも――――“蛇”の亜人は希少種であり、同時に最強種でもある。
尾は二つの脚へと変化して、這う事ができなくなった。
その代わりに毒腺は異常発達を遂げ、牙と爪から滴る毒は通常のリザードマンの数百倍の猛毒を宿す。
「さァさァ、害虫退治だ! 食い放題だぜ、テメェら!」
どちらのモノとも知れない毒液が飛び散り、地面と壁に触れて白煙を上げた。
大ガエルが舌で引き寄せた蟻人を飲み込みながら戦槌を振るい、更にスコーピオンを叩き潰す。
数体のリザードマンがアラクネの手足を全て抑えこみ、ねじ伏せる。
ラミアと大百足がもつれながら切り裂き合い、毒を受けた百足は徐々に石化していった。
更に彼女の身体の末端に取りついたジャイアントスパイダーを狙い、小型のフロッグマンが更に飛びついて毒矢を直に突き刺し、引き剥がす。
切り離された虫達の脚が飛び交い、防衛自切したリザードマンの尾もまた同様。
地獄の魔物の食らい合うような混沌とした戦場は――――もはや、手の付けられない悪夢そのものだった。
――――――やがて、夜が明けた頃。
――――――奪われたはずの城塞都市に、蠢く“虫”は一匹たりともいなかった。
*****
夜が明けて人類の兵士達が入城してきた時、そこに、虫の魔物の姿はない。
綺麗さっぱり一掃された城塞の中には、眠りこける“美食の蛇”達の無防備な姿があった。
長大なラミアの体に、安心したような寝顔とともに体を預ける生存者の人類達。
ユーリアはその中の子供の頭を撫でてやりながら、うつらうつらと舟をこいでいた。忌まわしい蛇の眼を、穏やかに閉じたまぶたの中に仕舞い込んで。
口の端からジャイアントスパイダーの脚をはみ出させるリザードマン、
生き残ったのは――――“
「よォう、人類。遅かったじゃねーか? 腹が膨れたら眠くなっちまったみてーだぜ、こいつらァ」
「……や……奴らを、片付けたのか!? そんな、一晩で……!?」
「ああ。巣穴は残ってるが……少し休ませろ。探して破壊するまでは手伝ってやるよ。カネも貰ってるしな。生存者も案外いたぜ。俺たちがいてよかったろう、サピエンス」
大量の蟲の死骸が、街のあちこちに転がっていた。
しかし、身体を裂かれて息絶えたリザードマンやフロッグマンの死体も少なくない。
それでも、彼らは仕事を果たして――――この城塞を、取り戻してくれたのだ。
「……ありがとう」
「アァ? 何に対してだ、そりゃ」
「……この街を。助けてくれた」
「間に合ってねぇだろう。イヤミかそいつぁ。……まぁ、イイ。爆薬の準備をしときな、人類。地下の穴を塞ぐんだからな」
雨の降った翌朝、ぬかるんだ土の上で。
返り血まみれで眠る姿はやはり薄気味悪い生き物に思えても――――今、人類の兵士達の目に
「……なぁ、スケール・ローチのオイル漬けってのはうまいのか?」
「ア? 好みによるんじゃねーか。俺は嫌いだよ。少なくとも人類が食っても問題はねェぜ」
兵士の一人が、“黒衣の蛇”にそんな問いかけをする。
「……奴らの巣穴を潰したら、一杯やろう。酒ならいくらでも持ってきてやる」
「…………そいつァ、いい。それなら、さっさと終わらせちまおう。……オイ、お前ら! さっさと起きろ、仕事の続きだ!」
リーパーが怒鳴りつけると、泥の中で伏せるように寝ていたフロッグマンが身を起こし、次いでリザードマン達も続き、半壊した民家の瓦礫の中から次々と這い出てきた。
「ブロー、発見した地下トンネルを塞ぎに行くぞ。ユーリアとドーザー達デカブツはここに残って人類と一緒に拠点を作ったら街の中を巡回しろ。まだ虫が隠れてるかもしれねェからな。レプティーリオは俺と来い」
もう――――そこに、垣根はない。
その晩の宴は、前夜の地獄とはうって変わり――――夜が明けるまで、笑い声が絶える事がなかったという。
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