小さき者達、胸を張る

*****


 ――――――“死体が消える戦場”の調査が、彼らの任務のはずだった。


「くっ……! な、何がっ!?」


 調査部隊の一人、パトリシアは叫んだ。

 すでに味方の半数はやられ、残っているのは自分を含めた四人だけだと、彼女はまだ知らない。


「円陣! 周辺を警戒しろ、早く!」


 副隊長の号令に従い、残された四人は松明を放り投げて背中を寄せ合い、全方位を警戒した。

 木立に囲まれた森の中、多少開けた場所であるのに……襲撃者の姿はまるで見えない。

 揺れる火に照らされて見えるのは、首を裂かれて即死した二人。

 胴体から両断された一人と、ダートを胸に深々と突き立てられた隊長の死体だ。


「何なんだよ! 何も見えないっ……! どこだ、どこにいる!?」

「落ち着け、デンバー! 声を出すな、狙われるぞっ!」


 取り乱す同僚と、落ち着かせようとする副隊長の声をどこか遠く感じながら、パトリシアはマフラーを巻き直しながら、剣を下ろさず周囲に目を走らせる。

 その森は今にも飲み込んできそうな闇をなみなみと湛えており、それらすべてが敵のようにさえ感じて、彼女は息を呑む。

 姿の見えぬ敵の視線が、しかし確実にどこかにある。

 今自分が生きている事でさえ偶然に過ぎないのだと、彼女は悟る。


(どこっ……!? どこにいるの? そもそも、一体……何……と……?)


 汗で波打ち、もつれた栗毛を振り乱しながら周囲を窺うも、何も情報は増えない。

 何に襲われたのかすら、定かでない。


「こっちだ」

「っ!?」


 声は――――彼女の、した。


「ぐっ……!」


振り返ろうとした瞬間、パトリシアの首に長い腕が巻き付き、そのまま。


「ぐ、げっ……かふっ……っ!」


 みし、みしっ、……と頚骨が軋みを立て、振りほどこうともがくが……完全に極まってしまった締めは、ほどけるものではない。

 一瞬遅れて、背中を預けていた三人の体が立て続けに倒れる音が聴こえる。

 血流と酸素を遮断された彼女は、森の闇に呑まれるようにして、やがて倒れた。

 投げ出される身体に激痛を感じながらも起き上がる事は、できない。


「……始末したのか?」

「いや。彼女は残そう。こいつらが何か知ったとは思えないが、殺す前に口を割らせてみても遅くはない」

「分かった。任せるぞ」

「よし」


 気を失ったパトリシアの体を担ぎ上げ、何者か聞き慣れぬ男の声二つは、松明も拾わずに森の中へ戻っていった。

 打ち捨てられた炎に照らされた肌の色は――――暗褐色。

 そして、ヒトのものではない長く尖る耳をしていた。



*****


 その戦場からは、死体が消える。

 人間の死体も、ドワーフの死体も、馬の死体も、ゴブリンの死体も、魔狼ワーグの死体も、バラバラに砕けたスケルトンの残骸ですらも消える。

 死肉をついばみに来るカラスすらも見かけず、そのカラスの死体すらも消えているのではないかと噂されたほどだ。


 幾度となく小規模な戦闘が起きて、人類も魔物も死んでいるのに……夜が明ける頃には、死体は綺麗さっぱり消える謎の戦場だった。

 消える瞬間を見てやろうと思った者は姿を消し、それならと集団で夜通し目を光らせていたら、何も起きない。

 それなのに、彼らが去った次の日には死体が消えていた。


 この噂を不気味に思った者達は、周辺を探索して手がかりを集めるべく、調査隊を組織したのが……噂が立ち始めて一週間後のことだ。

 死体はどこに消えるのか。

 食われているのか、何かに使われているのか。

 後日現れた魔軍の中にスケルトンを見かける事はあっても、消えた死体の総数に比べて明らかに数が合わない。

 

 やがて、調査隊は少し離れた森の中で、若干の腐臭を感じ取り――――そこへ分け入る事となる。

 彼らが取り出した地図で示されていたのは、森の奥にある古い館だ。

 もしや、と直感し森へ侵入し、野営の準備をしようかというところで……襲撃を受けたのだった。



*****


「もう一度訊くぞ。何を知った?」

「ふんっ……あんたは拳の握り方がなってないって事を今知った。腰が入ってない」

「…………ご指摘、感謝しよう。こうかね」

「ぐぅっ!」


 装備を取り上げられ、天井から吊り下げられたパトリシアの腹に深々と拳がめり込む。

 鳩尾に拳を受けた衝撃で息が詰まり、再び……彼女の意識が遠のきかけた。

 鎧も剣も、ブーツに隠していた短剣も取り上げられ、鎧の下に着こんでいたシャツとズボンだけの姿でパトリシアはただ一人、森の奥の館で苛烈な尋問を受けていた。

 髪をまとめていた紐も最中で抜け落ちてしまっていた。


「げっ……ごほっ、……! は、やっぱり……。うち、の、姪の方が……いい、パンチしてる、よ……」


 壁にかかった燭台の灯りに、“拷問官”の姿が浮かぶ。

 腰まである銀髪、ひいでた額、冷徹そのものの表情を浮かべた、長身のダークエルフの男だ。

 前髪は垂らさず後ろへ撫でつけているせいで、そのゾッとするような冷たい眼差しはまっすぐにパトリシアを刺し続けていた。

 背中に背負った大剣グレートソードは、黒い無光沢の刃を持つ……何でできていたものか、まるで分からぬ業物でもある。

 人間の外観にして、皺の浮きかけた迫力ある壮年の姿をしてはいても――――その年齢は、恐らく桁を二つ足さねばならない。


「頑迷なのも美徳だろうが、限度はあろう。お前を助けに来る者など、居はしないぞ。…………こちらとて、哀れな下等種族の女をいたずらになぶり殺しにする趣味などないのだ。私の心痛も理解してはくれまいかね」


 長く残る溜め息をついて、ダークエルフの男は嫌味のようにそう言った。

 数日にわたって痛めつけられたパトリシアは、それでもまだ気力を残したまま、睨みつける。


「……の、かよ」

「ふむ? 何か言ったか」

「もし、私が……話したら、助けてでもくれんのかよ」

「申し訳ないが、それはできんな。もし話せば……楽に殺して差し上げよう。痛みなど感じぬようにな」

「へっ。……あんたこそ、やっぱりヘタクソ。殺されるって分かってて吐く奴があるか」

「このままだと地獄の苦痛の中でじわじわ死ぬと分かっていて、なお吐かぬのも愚かだとは思わんかね。度し難いぞ、下等め」

「上等なお方が女縛ってパンチの練習? あんたの口ぶりにはビックリだ」

「……私こそ、お前の口の回り方には驚かされるぞ。私とて一歩譲らねば・・・・・・ならんようだ」


 言って、ダークエルフの男は彼女の眼を間近で睨み付けたまま、片足を持ち上げ――――ヒールを、パトリシアの右足の甲へ向けて思いきり踏み下ろした。

 彼女の体内を、ぱき、ぱきっ……という不快な音が駆け巡り、それを追うように激痛が走り抜けた。


「あ、ぎぃぃぃっ! い、だっ……!」

「……言っておこう。打撲も骨折もいつかは治るが……切断は治らんぞ。私たちでさえ、手足が生えてくるなどという事はないのだよ」

「ぐあぁぁぁぁっ! 足、どけろっ……!」


 折れ砕けた右足を嗜虐的に踏みにじりながら、更にダークエルフの男は続ける。


「明日からは鈍速切断どんそくせつだんだ。執拗に指先から切り刻まれてもなお通せるのならぜひ見せてくれ、お前達、下等の意地をな。……今日はゆっくり休みたまえ。もっとも、眠れるものであるのなら」


 男はそういって背を向け、壁の蝋燭を吹き消してから、部屋を出て……扉を、閉める。

 窓もない部屋の中は暗闇そのものへと変わり、パトリシアを呑み込んだ。


「くっ……! う、うぅ……!」


 全身に走る耐えがたい鈍痛に、パトリシアはようやく呻いた。


「い、痛っ……痛い……痛い、よぉ……」


 ようやく一人になれた事で箍が外れたか、こらえ続けた痛みをようやく口に出す。

 彼女は、まだ――――二十一年しか生きてはいない。

 未だ、新兵と扱われるべき時期でありながら彼女がここまで意地を見せたのは、魔王の手先となり果てたダークエルフへの反骨心ゆえ。

 そして……この時代に、戦える年齢を備えていた使命感。

 世界を守るべく、魔王の軍団と戦う事への誇りがそうさせた。


(くそっ……何も、知らないのに……何も……掴んで……)


 調査隊は、何も掴めてなどいない。

 何も知らない。

 だがそれを言ったところであの男は信じないだろうし、何も掴めていないのだから適当にでっち上げて介錯かいしゃくを期待する事もできない。

 このまま――――なぶり殺しにされるしか、なかった。


「死に、たく……ない……」


 ぽつり、と呟いた一言は、不用意で……とうとう、パトリシアの心を決壊させ、涙を浮かべさせてしまった。

 口にしてしまったから押さえつけていた未練と、弱音が噴き出してしまう。

 こんな時こそ気を強くもたねばいけなかったのに。

 だが、誰も彼女を責められは、しない。

 浮かべた涙はやがて、静かに落ちていった。


「じゃ、逃げよっかー?」


 暗闇の中で――――声は、確かに聴こえた。

 それも、遥かに低いところで。

 まるで無邪気な子供のような……場違いな声が。


「えっ……!?」

「シーっ。静かにして。……今からロープを解くから。大声を出しちゃだめだよ」

「!?」


 二つ目の声は、天井の梁の上から聴こえた。

 やがて、結び付けられていたロープが解けると、右足を砕かれていたせいでバランスを崩して倒れかけるも……何者か、妙に背の低い誰かに受け止められた。


「ごめんねぇー、すぐ助けらんなくって。……逃げるよ。ピノ、首尾は?」

「任せときなよ、ドロシー。抜け道なら作った」

「それってぇ、この人類さんでも通れるー?」

「こんだけ痩せっぽちなら大丈夫だよ」


 謎の二人がひそひそと声を掛け合い、少しして部屋の片隅から、がこっ、という音が聴こえた。

 暗闇の中、そこからは風が確かに吹き抜けていた。


「あたしが先導する。ピノ、あんたは一番後ろね」

「あいさ」

「お、お前達は……?」

「逃げてからにしてー」


 痛む足を引きずりながら、狭い抜け穴の中を這って、数分すると……あの幽閉部屋とはまるで違う新鮮な空気……ではなく、腐臭が漂ってきた。


「ぐっ……」

「ガマンしな、人類。僕が後ろに居るんだから、吐いてくれるなよな」


 “ピノ”と呼ばれた何者かに釘を刺されても、耐えがたいものがあった。

 濃すぎる腐臭は、生き物の死体がいくつかある程度とは考えられない。

 それが、どこから漂ってくるのかも分からないまま、風の流れてくる方角へ進み続け――――やがて、抜けた。


「とーちゃーく。シャバの空気は……あんまりおいしくなーい」


 前を進んでいた何者か、“ドロシー”は飛び出すように抜けて、草の上に降り立った。

 這い出たパトリシアが空を仰ぐと、そこには満月が浮かんでいて……振り向けば、地図に示されていた、謎の館が見えた。

 そして――――二人の協力者の正体も。


「は……ハーフリング? どうして……!?」


 二人とも、パトリシアの脚の付け根までしか背丈が無い。

まるで子供のような背丈と、ドワーフほどの筋骨の逞しさはない体格。

それらが示すのは、彼らに並ぶ種族――――すなわち、“ハーフリング”だ。


「どうしてもなにも……あたしらも別口から依頼されたのよねー。死体の消える戦場、調べて来いって。そしたらあんたがあそこで捕まってるの見えたから……助けたのね」


 間延びした喋りをする女のハーフリング、ドロシーの身なりは独特だった。

 髪の毛を分けて組み紐のように編み込み、それらを後ろでポニーテールのように一まとめにした奇抜な髪型をしていた。

 革鎧と短剣を帯びて、背中には妙な筒を背負い、ロープや薬瓶をベルトにくくりつけている。

その一方、もう一人のハーフリングの男、ピノも似たような装備だが……やはり髪型には凝っているのか、ニワトリのトサカに似せて逆立てて、横側は短く刈り上げていた。

 ハーフリングはヒゲがまず生えない分、とにかく髪型には凝る種族性があるからだ。


「……そして収穫はあった。ボク達は、見たんだ。フレッシュゴーレム作ってたんだ、あいつら。……ネクロマンサーも何人かいた」

「フレッシュゴーレム……!? 今どき、そんなものが?」

「今の時代だからこそ、でしょー。死体があるなら使わない手はない。あんたも練り込まれちまうはずだったんだよねー、あのままだと」


 屍肉フレッシュを寄り合わせて作るゴーレム――――フレッシュゴーレム。

 岩石や鉄のゴーレムほどの頑強さは無いものの、厄介さはそれ以上だ。

 死体をこねて作るため疫病を撒き散らし、そのおぞましさは直視すら躊躇ためらわれるほどであり……何より、場所によっては素材の調達が驚くほど容易だ。

 良質な岩石も、粘土も、大量の鉄もいらず、死体さえあれば製造可能。

 それらのゴーレムに比べてというだけであって、耐久性もパワーも一般の兵士では歯が立たない。

 肉体が腐り落ちても、新たな肉体を補充すれば元通りという、悪夢の永久機関だ。

 だがその製法は、時と共に失われたはず、だった。


「……あんたの調査隊は残念だった、遅れてごめんねぇ。ひとまず、逃げよ。あの陰険なデクアルヴァーダークエルフが追って来たらまずいよぉ」

「あ、ああ…分かった……っ!」

「そうだった。ほら、これ飲んで。治りはしないけど……歩けるぐらいにはなると思うよ」


 踏み出した足の激痛に表情を歪めると、ピノが薬瓶を差し出した。

 パトリシアがそれを受け取り、一息に飲み干すと……体力が、ほんのささやかながらも回復する。

 走る事はできずとも、引きずりながら歩ける程度、には。


「こーしちゃいらんないよー。逃げよ逃げよ。あいつへのお礼参りは別の日にしなね」



*****


 光源など何も無いに等しい森の中を、ハーフリングは何の迷いもなく進んでいく。

 その足取りは、もはや夜目などという生易しいものではなく、別の知覚を使って歩いているとも思えた。


「人類さんー。数メートル先に鳴子がある。踏み越えたらハサミ罠。あたしの後をちゃんとついてきなー」

「……わかった」


 ダークエルフ達が張り巡らせた罠の数々を、この二人組の小さなローグは看破していく。

 現に、一度たりとも罠へかかっていない。

 全ての配置を知っているかのような……さながら、掴まえる事の決してできない妖精のような身のこなしだった。


「それにしても、何でこんなに罠が? 奴らのテリトリーだからというのは分かるけど……」

「デクアルヴァーどもが暗黒魔術に精通しているなんて半分ウソだよ、人類のネェさん」

「え? ……今、何て」

「あいつらは確かに陰険な魔法や寿命を削る転移術も修めてる。でもそれより傾倒しているのがトラップ作成。何が起こったか分からないまま毒矢を受け、落とし穴に落ち、爆死し、潰される。……それからかな、アイツらが暗黒の呪術を使うなんて噂が流れたのは」

「……私をさんざんブン殴ってくれたあいつ、何者なの?」

「さぁ。……でも、ボクは見覚えあるんだよなぁ。どこだったかなぁ。あちこち行ってるから……魔王降臨以前の事だったかな」

「……シッ」


 先頭のドロシーが立ち止まり、聞き耳を立てる。

 ちょうど、木立ちの合間から満月の光が差し込み、彼女のハデなまとめ髪と、うなじにびっしりと生えた、微細な毛を照らした。

 うなじの毛はまるで風にざわめく葉のように、そして猫のヒゲのように――――ぴくぴく、さわさわ、と不思議に揺れていた。


「っ……気付かれた、追手が来てるよー。それに……まさか、これぇ~……」


 館の方角から、高く――――複雑に絡み合った、金切り声の合唱というべき絶叫が聴こえた。

 一体の生物ではなく、しかして大群でもない。

 耳をつんざくような叫びはあまりに不吉で……パトリシアは勿論、ドロシー、ピノの二人も身を硬直させた。


「まずいね、フレッシュゴーレムが起動したっぽい。……人類のネェさん。たぶんあんたを追ってくるよ」

「え? ……ど、どうして!?」

「あんたの手がかりしか残されてないからだよ。髪の毛も血も、あんたのを頼りに追ってくる。誰かの手引きも薄々感じてはいるんだろうけど、ボク達は手がかりを残してない。だからあんたを追ってくる。単純でしょ?」

「そん、なの……ど、どうにかできないの!?」

「できないねぇー。見捨てて逃げたりしないから、安心してー」

「でも……追い付かれたら……」

「大丈夫大丈夫、今は逃げよ」


 そう言って、二人は更に……心なしか、足を速めて再び森の中を進んでいく。

 呑気な口調ではあっても――――それはきっと、ハーフリング同士でしか伝わらない緊張を共有している。

 現に、笑い声は一度も起きていない。

 底抜けに陽気で明るい、ともすれば子供のように小うるさい種族であるはずなのに。


「……そういえばぁ、ピノ。訊き忘れてたけど」

「んー? 何、ドロシー」

「フレッシュゴーレム、どれくらいいたの?」

「“素材”とは別で? そうだねぇ……確か……“二十体”ぐらいかな?」


 更に、十分ほど進んだところで……ドロシーとピノが同時に何かを察知し、木陰へ身を隠し、二人は揃ってパトリシアの腕を掴み、引き込んだ。


「わっ!?」

「身を隠すんだ! 何か飛んできてる!」

「うわっちゃぁ……ヤバい手を使うねェー」


 パトリシアにも、確かに聴こえた。

 何か大質量の物体が、空気を切り裂きながら迫ってきている。

 それも――――林の木立ちの上を、腐臭を撒き散らしながらだ。

 やがてそれは“着弾”し、轟音とともに木をへし折り、大きく地面を陥没させた。

 距離はおよそ、三人の前方、十メーターほど。

 行く手を阻まれた恰好になり、迂回を試みた三人だったが……それが動いている事に、気付く。


「な、何……あれ……?」

「……投げるかなぁ、普通―」

「手あたり次第に投げた……な。投石機まで隠してたのか……」


 続けて、森のあちこちから同様の轟音が立て続けに聴こえる。

 二人が冷静に判断する反面、パトリシアだけは眼前、落下した地面の中心でのたうつそれに目が釘付けだった。


『う゛あ゛ぁぁぁぁぁぁ……』

「い、っ……きゃああああぁぁぁぁっ!!!」


 とうとう、彼女は耐えかねて叫び声を上げてしまった。

 森のどこにいても聴こえるような、絹を裂くような声は……二人のハーフリングがとっさに口を抑え込んでも、手遅れだった。

 だが、誰も彼女を責められはしない。

 目の前に居る“それ”は……大の男が見てさえ、そのおぞましさに気がふれかねない代物だったからだ。


 肉塊――――と呼ぶしか無かった。

 大まかな人型のフォルムをしてはいても、その四肢は、無数の死体を繋ぎ合わせて形だけを整えたに過ぎない。

 剥がれて貼りつけられた人類の顔面が叫び、体表にそのまま露出させた魔狼の顔は、鼻をすんすんと鳴らして、未だに命を持つかのように振る舞っていた。

 部品として使われただろう手足がいくつも体表からはみ出しており、人間のもの、ゴブリンのもの、更には馬のものにいたるまで……ありとあらゆる生物の肉を張り合わせた、死肉の巨人だった。

 それは陥没した地面の中心でゆっくりと立ち上がろうとするも……腐肉の脚では、自重を支え切れずに手をついた。

 その時折れて裂けた脚からは、もはやどの生き物のものかも分からない腐敗した体液が漏れだし、パトリシアはついに堪えきれずに嘔吐し、ハーフリング二人が察して手をひっこめたのは間一髪の事だ。


「っ……立って、逃げるよ、ほら!」

「ご、めん……ごめん……なさ……」

「謝らなくていいからぁ、逃げるわよー」


 戦意を喪失したパトリシアを立たせようとしたのも、束の間だった。

 その時――――満月が落とした“フレッシュゴーレム”の影から、二人組の影が飛び出してきて……三人を左右から挟んだ。


「見つけたぞ、下等種族。……よもやハーフリング風情と共謀したとはな。浅知恵も良い所だ。さて……明日の予定だったが、今ここで処すとしようか」

「……遊ぶなよ、ヴォルンドグ」


 右には、パトリシアへ拷問を加えた大剣のダークエルフ。

 左には、針のように跳ねて尖った銀髪を持つ、年若く見える双剣のダークエルフ。


「……思い出した。ヴォルンドグ、って……“切り裂きがらす”のヴォルンドグか。どうりで見覚えがあったわけだよな」


パトリシアを庇うように右側へ出たピノが、短剣を引き抜いて大剣の男と対峙する。

大剣のダークエルフ……ヴォルンドグは背負った剣に手をかけながら、かすかに目を剥いた。


「ほう、知っておるのかね、私を」

「会ってるよ。……もっともその時は、ボクに気付きもしなかったよな」

「……背が高いものでねぇ。小さな動物は見えづらいのだよ」

「ピノ、こいつ……知ってる、の……?」

「ああ、知ってる。……悪名だけどね。絵に描いたようなダークエルフさ。ボクは嫌いだ」

「ほほう、言ってくれるな。……さて、そろそろやろうではないか?」


 二人が武器を構え、左右のダークエルフと対峙するも……その身長差も、武器の差も歴然だ。

 加えて、フレッシュゴーレムまでがいて……体を引きずりながら、じわじわとパトリシア達へ向けて腐肉を散らしながら這い寄ってくる。

 戦えば――――二人のダークエルフも、フレッシュゴーレムも、それぞれだけで三人を殺してしまえる。

 どうあがいても、勝てはしない。


『う゛るるるあぁぁあぁぁぁっ!』


 フレッシュゴーレムが叫び――――更に一歩寄ってきた、瞬間。

 林の中から飛来した何かが立て続けにその腐った肉体へ突き立ち、白煙を上げた直後――――発火し、フレッシュゴーレムを炎が包んだ。


『ぎぎぃぃっ! きぃあああぁぁぁぁぁっ!!』

「何だと!?」

「キサマら……味方がまだいたのか?」

「……まぁ、ねぇー。本当に来るとは思わなかったけどねぇ」


 森の中を――――何かが走り寄ってくる。

 炎上してのたうち回るフレッシュゴーレムに照らされて見えたのは、小さな……本当に小さな人影が矢のように駆けてきて、木々を蹴りながら加速をつけて飛びかかり。


「そーらぁっ!!」

「ぐぁっ……!」


左側にいたダークエルフの反応の遅れた無防備の腰を蹴りつけ、吹き飛ばす姿だ。

 “それ”は宙返りをうち、音もなく三人の前に立った。


「よーぅ、ドロシー。相変わらずチビだなー。ちゃんとメシ食ってんのか?」

「忙しくてねぇ。一日五食しかしてないよー」

「かぁ、少ねーなー。オイラみたいに一日八食は食えよな。ピノ、お前も元気だったか?」

「それなりには。……ネロ、今投げたの何? 何で燃えたの?」

「あー、今のは……東国の隠密が使ってる武器だよ。“シュリケン”ってんだ。火のエンチャントを施しといたのさ。で、そっちのゲロ吐いてる姉さんはだれ?」


 侮辱的な呼び方とともにパトリシアへ目を向けたのは……小さな、ドロシーと比べてなおも背が頭一つ小さい、ハーフリングの男だった。

 革鎧の背に、巻いた地図を背負い、両腰には彼らの手に合わせたショートソードが二振り。

 胴回りにいくつも備えたインベントリには、薬瓶、巻物、鉤付きのロープに加え、今彼が説明した“シュリケン”が収まっていた。

 その髪型はまるで野生の狼のようにボサボサながら、どこかそれ故に洒脱な雰囲気をまとう。

 長く生え揃うもみあげと、うなじに生えた毛は……さながら、獣の体毛だ。


「歓談中に申し訳ないが、誰かね?」


 ヴォルンドグが訊ねると、そのハーフリングは面倒くさそうに顔を向け、溜め息とともに両腰のショートソードを逆手に抜いた。


「オイラを知らねーのかい。ネロだよ。ハーフリングのネロ。知らなくたってぇいいけどさ」


 その名を聞くと表情は険しくなり、反応の遅れた事を悔やむように、ゆっくりと大剣を抜く。

 腰を引く構えは、彼が既に戦闘準備を整えた事を示す。


「……“冒険王”ネロ。何故ここにいる」

「なんっだっていいだろー? ドロシー、ピノ、それと人類の姉ちゃん、ここはオイラに任せて逃げな。……こいつらには、オイラがヤキ・・を入れるからさ」



*****


 人類にも、エルフにも、ドワーフにも“英雄”がいるように、ハーフリングにもそれはいた。

 その一人で、今もなお存命の人物となれば……真っ先に名が上がるのは、“冒険王”ネロ=ジュエルシーカー。


 種族の特徴たる敏捷性そのものの化身。

 旺盛な冒険心と探求心、刺激スリルを求め続ける性癖は天性のもので……とにかく、ひとところに留まるという事がなかった。

 生まれて十歳で故郷を飛び出し、野を駆け、砂漠を巡り、森に枕し、おもに密航によって船に揺られていくつもの国々を遍歴し、いくつものダンジョンを踏破した。

 そのフットワークの軽さは、同時に二つの場所で目撃された逸話まであるという。


そして今――――彼は、魔王軍との最前線、そのまた先の土地を巡る斥候兵として切り込み、各国軍へその情勢を伝える大役を負っていた。

それも……好奇心、ゆえにだ。


 加えて、ハーフリングはドワーフや人間ほど肉体的な強さへ対する執着は無く、日々を面白おかしく生きていければそれでいい、と考える種族だ。

 しかし、もしも彼らに“最強のハーフリングは誰か”と訊ねれば、必ず答えは揃う。

 誰もが、“冒険王”ネロの名を口にする、からだ。



*****


 三人が離脱し、運動性を失ったフレッシュゴーレムが動かなくなった時、二人のダークエルフは彼を左右から挟んで立つ。

 その身長差、大人と子供……それも立つ事を覚えたばかりの、よちよち歩きの子供だ。

だというのに二人のダークエルフは武器を抜いたまま、仕掛ける事もなく、無視をして三人を追う事もなく、微動だにせず“子供”へ注意を向けている。


「……何故だ? 何故お前は我々の前に立つ?」

「知れてるだろ? 魔王の世界なんてつまんねーんだよ。変化があるから楽しいんだ、この世界は。それに言っとくが、オイラ達ハーフリングの誰に訊いても答えは同じだぜ。オイラ達は、人間こっちにつく。まぁ……今オイラが言いたいことは、ただ一つだ」


 ショートソードを持つ手を左右に広げ、二人のダークエルフへ向けて人差し指を突き上げ――――ネロは、挑発するように指をくいくいと曲げた。

 隙のない眼光を左右に一瞥させ、更に一言。


「……テメーらは終わりだ。かかって来い、ネクラどもが」


 その小さな体に。

 高く子供のような声に。

 獰猛な闘志をみなぎらせて――――小人は左右の“敵”を捉えた。



「はっ!」


 最初に動いたのは右手側のヴォルンドグ。

 ほぼ片手の力のみで長大な剣を下段の横薙ぎに振るうも、それを読み切るネロは垂直飛びで悠々と避け――――直後、左手側のダークエルフへ向け、背後にあった木の幹を蹴って飛びかかる。


「ほらほらっ! そこっ!」

「っ、く、ぐっ……!」


 空中での五回に渡る突きは、その全てが重く――――体格では遥かに勝るはずの双剣のダークエルフは、辛うじて全てを防ぐが、体勢が崩れる。


「離れろっ!」

「おっとぉ、あぶねぇっ!」


 苦し紛れに放った蹴りは、ネロの身体の芯を捉える事はない。

 それどころか、交錯する一瞬でその脚を踏み台とし、宙返りとともにダークエルフに更に二度の斬撃を加えてから離脱した。

 そのうち一閃は、ダークエルフの左手を捉え――――中指から小指まで三本の指が落ちながらも、彼は剣を放そうとはしない。


「遅い遅い遅い! そんなんじゃぁ一生かかっちまうぜ、デクアルヴァーダークエルフさん達よぉっ!」

「くっ、……貴様ァっ!」

「シアスール! 小さいから素早いように見えるだけだ! 貴様は遅れていない!」


 ヴォルンドグがそう制した事で、機先を制された双剣のダークエルフ、シアスールも平静を取り戻す。

 指を斬り落とされた事実を受け止めながら、その怒りはやがて脚に込められ、斬り結ぶネロとヴォルンドグを殺気とともに見た。

 体格差などないかのように、飛び跳ね、宙返りをうち、時には空気を蹴って跳んでいるようにも見える体術で、大剣を手にした長身の種族と互角に渡り合う、小剣を手にした小人の種族の姿があった。



「はっはぁ! 遅い遅い! オイラにビビりすぎじゃあねぇの!?」

「っ……減らず口を!」


 無傷で凌ぎ続けるのは、ヴォルンドグ。

 絶え間ない猛攻を加えるのはハーフリングのネロ。

 腕前が互角だ、というのは――――両者の差を鑑みれば、恐るべし事だ。

 ネロからすれば長身のヴォルンドグは攻撃を当てやすく、ヴォルンドグからすれば当てづらい。

 ショートソードとはいえ急所へ一撃加えれば十分な深手になる一方、威力に勝るグレートソードは確かに馬すら両断できるが重く、小さくすばしっこいハーフリングへ対してはとにかく向かない武器だ。


 そして、何より恐ろしきは――――ヴォルンドグが先ほど叫んだ通り、素早さ自体はそう変わっていない。

 脚の長さも、手の長さも、何もかもが違うのに……それなのに、両者の剣速も足さばきも拮抗していた。

 “切り裂き鴉”ヴォルンドグも、その称号を持つだけあって黒刃の大剣を軽々と振るい、空気を裂いてネロを切断しようと傲然と剣を振るうのに。

“冒険王”ネロの体へ、かすりもしない。


「ほいやっ!」

「ぬっ……!?」


 着地した瞬間、衝撃をそのまま活かすように瞬時に踏み切り、ヴォルンドグの頭の高さまで一瞬で身体を跳ねさせ……一撃を加える、刹那の事だ。


「むんっ!!」

「うはっ……!?」


 ヴォルンドグがくり出したのは――――単純な頭突き、だった。

 ガードが遅れたネロの身体は弾き飛ばされて木の幹へ激突し……そこへ追撃、渾身の突きが繰り出される。


「へっ……バーカ」


 ざわっ、とうなじの毛が逆立った瞬間、ネロの身体が再び敏捷な閃きを見せる。

 その一瞬で体躯は舞い上がり、突き出された刃の上を、回転草かいてんそうのカサカサと転がるような動きで伝い、ヴォルンドグの手元で身体を起こし――――


「ぐあああぁぁぁぁぁっ!」


 小さな手に握られていたショートソードが交差するように、ヴォルンドグの顔面を切り裂き……顔に大きなバツ印を刻むように両目を潰し、一瞬遅れてから鮮血が噴き出た。


「ヴォル……うおぉぉっ!?」


 更にそのまま、苦しむヴォルンドグの顔面を蹴りつけながら反転。

 双剣のダークエルフ、シアスールの懐へ潜り込みながら鼻息混じりの三連撃を加えた。

 しかしそれも、間一髪の冴えによって全てを防がれた。

 着地したネロは悠々と両手の剣を構えなおして、小憎こにくらしい挑発も欠かさなかった。


「あんたの目はおっかなすぎる。それでちょうどいいんじゃねーのかい? きっとモテるぜ」

「ぐ、くぅぅぅっ……このっ! この……下等種族があぁぁぁぁっ!!」


 辺りの空気が震えて――――ヴォルンドグの切り裂かれた双眸そうぼうに、青白い炎が灯る。

 それは……“生命感知”の魔法の輝きだった。


「オオオォォォォッ!」

「うわわっ!? 何パワーアップしてんだ!?」


 視力のないはずの大剣の一撃は、ネロの身体のある位置を正確に狙い、振り下ろされ、慌てて回避する。

 むろん、視力が回復したわけではない。

 生命のきらめきを直接感じ取り、付近の生命体を、精神で直接知覚する単純な魔法の一種で、せいぜい“いる”か“いない”か程度の精度しかない。

 だが、それは……人間が使えばの話だ。

 魔力も充実し、人間よりはるかに霊性の高い妖精種族――――ダークエルフが使えば、強大な逃れがたい霊感となる。

 それは……視力など、不要なほどに。


「とっ!」


 回避し、苦し紛れのシュリケンを投じるも……それは呆気なくヴォルンドグの脚へ刺さったが、痛みに揺らぐ事もなければ、彼の備える高い魔術耐性のせいでエンチャントも発動しない。


(……うーむ……距離取ってちまちまやればいつかは倒れるだろうけど、時間ねーなー……)

「そこっ!」


 シアスールの素早い双剣の一撃を、ネロは背を向けたまま回避する。


「オイラ今考え中なんだ。つっかけてくんなよ」


 うなじにびっしりと生えた毛で風の流れを感じ取り、避ける。

 それもまた、ハーフリングだけが持つ微細な感覚器だ。


「……近づけば猛反撃、飛び道具じゃ時間かかる、逃げたらシャドーステップで追っかけてきて無差別攻撃、オイラ以外全滅。……どーすっかな……」


 その時、ネロの目は……腰に提げたロープへ引き寄せられた。

 瞬間――――よどみかけた瞳に弾けるような生気が漲り、即座にブーツを脱いでネロは木の幹を垂直に駆け上った。


「なっ……!? の、逃すか!」


 大剣を振り回すヴォルンドグから逃れるように、ネロは木を駆け上がる。

 ハーフリングの毛は、足の裏にも生えている。

 強靭な足の力と併用し、樹皮へ突き刺し、掴むように――――そこに重力など働かないかのようにネロが走り、シアスールがそれを追って跳躍する。


(イチかバチかだ。……まぁ、いっちょやるか)

「ッ! 何処だ、何処に消えた、ネロオォォォッ!」

「真上だ! 着地を狙え、ヴォルンドグ!」


 ヴォルンドグの剣の範囲から逃れ、数本の枝の間を走り抜け――――やがて、充分に高さを稼いだと判断すると樹皮を蹴って跳び、向かってくる双剣のダークエルフへ向けて反転する。

 その左手に、剣は無い。


「!?」


 重力の加護を受け、更に地へ向かって加速をつけたハーフリングの動きを追う事はできず――――シアスールの胸に、深々とショートソードが突き立てられた。


「がぶっ……!」

「もう半分!」


 ぐりっ、とショートソードを一ひねりし、即座に地上へ向けて鉤付きのロープを投げかけ、もう片端をシアスールの身体へ結わえ付ける。

 生命のない――――鉤突きロープで作られた輪が、ヴォルンドグの首へかけられる、その直後!


「んっ、ぐっ! げふっ……か、……ぐえっ……!」


 枝を支点として――――絞首台が完成した。

 刑に処される者の名はヴォルンドグ。

 執行者の名はネロ=ジュエルシーカー。

 おもりの名は、一足早く息絶えたダークエルフ、シアスール。


「か、げっ……影、が……遠っ……ぐっ!」


 息を求めて、影を求めて、必死でばたつくヴォルンドグの姿は……罪人、そのものだ。

 影と接していないから影の歩みシャドーステップで転移する事もできず、息を吸う事もできない。大剣も取り落としてしまった。

 復讐心に曇るあまり、生命感知の魔法に頼り過ぎた男の、それが末路だった。


「おまけっ!」


 数拍遅れてネロが飛び降りてきて、シアスールの亡骸の上に降り立ちながらロープへ掴まり、体重をかけた。

 その瞬間、ロープの先端から……ごぎんっ、と嫌な音が聴こえて、それきり、ヴォルンドグの喘ぎも聴こえなくなる。


「……ピーン…………なんつってね」


 弦を奏でるようにロープを弾き、勝ち名乗る最後の一瞬に至るまで――――“冒険王”ネロは、涼し気な笑顔を絶やさなかった。



*****


 後日、パトリシア達の報告によりフレッシュゴーレムの製造術が復活した事を知り、討伐隊が編成され、差し向けられた。

 精鋭の聖騎士団を主戦力とした討伐部隊が館へ到着するも、もぬけの殻で……森の中で見つけて討つ事ができたゴーレムは、五体程度。

 大量の死体を浄化し、館ごと焼却するのが精一杯だった。

 フレッシュゴーレムの秘術を知るネクロマンサーも、完成したゴーレムも、取り逃してしまった。


「……くそっ……せっかく、せっかく……!」

「おいおい、酒が荒れてんぞぉ、ゲロ吐き姉ちゃん」

「うるさい!」


 酒場の一角でパトリシアを囲んで宴を行っているのは、三人の小人。

 ドロシー、ピノ、そして、“冒険王”。


「みすみす逃してしまった! これでは、ムダだ……」

「え、……ムダってぇ……何がー……?」


 骨付きの鶏モモ肉を頬張りながら、まとめ髪のハーフリング、ドロシーが不思議そうに訊ねる。

 パトリシアは毒気を抜かれたように、呆然と彼女を見つめた。


「ムダじゃないじゃん。ボク達が情報持ち帰ったから、討伐隊を組めてあの館を潰して、置き去りのフレッシュゴーレムも片付けて、何よりみんなに警戒を呼びかけられた。十分じゃん?」


 トサカを立てたハーフリング、ピノはエールを傾けながら続ける。


「そーいうこった。これ以上望んじゃバチだぜ。まぁ、飲めよ。オイラ達の勝ちなんだぜ、こいつはさ」


 歴戦のダークエルフ二人をたやすくあしらったネロはそう言って……飲み込むようにパンをひとつ平らげてしまった。


「……人類と! ハーフリングの勝利に、乾杯!」


 立ち上がり、ジョッキを片手に声を張り上げたパトリシアに三人の小人が続き、遅れて酒場の全員が声を合わせた。

 ささやかでも――――確実な勝利を祝って。


この世界の時間を少しでも稼いだ事に、感謝を捧げ、そして――――誇らしげに。






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