Episode:Warrior

*****


 その男の武勇伝は、連ねれば嘘臭さしか漂わない。

 でなければ神話を適当にもじっているだけとしか思われず、まるで空想のような話ばかりだ。


 二十人の精鋭騎士を、馬もなく剣一本で切り伏せた“二十人斬りの先陣”。

 奇襲を交えてたった一人で殿しんがりをつとめ、亡霊なのではないかとすら噂されながら見事味方の撤退を成功させた“悪霊の撤退戦”。

 辺境の村を苦しめる巨体のオーガの夫妻を、食事用のナイフ一本で仕留めた“オーガさばき”。

 策略に落ちて魔術師に囲まれながら、その呪文詠唱の呼吸全てを読み切り、一発たりとも被弾する事無く十数人の魔術師を斬った事から“呪文盗み”と呼ばれた。

 そして戦場では無数の一騎打ちを制し、平時では幾度もの奇襲を跳ねのけて、申し込まれた全ての決闘に勝利を収めた。


 生涯不敗の“剣聖”の逸話はその全てが、事実だ。

 そして、彼は今故郷の村へ帰り、平穏な日々を過ごしている。


 ――――――最後に“剣聖”と呼ばれたのは、四十年以上前のことだ。



*****


 近頃は、うたた寝をする時間が長くなった。

 そう独りごちる事も、老人はもうしなくなった。


「おーい、カイ爺さん!」


玄関先で揺れる椅子に座ってまどろんでいると、人懐っこく無邪気な声がかけられた。


「んぁ……おう、何じゃあ、シオン。まだ日は高いじゃろうよ、畑の手伝いはええのか?」

「違う違う、爺さんに客だよ」

「むぅ……?」


 村はずれにある麗らかな丘の上に、“剣聖”と呼ばれた男の家はある。

 日当たりは良く、風も暖かく、何も言う事の無い牧歌そのものの風景を望む余生の城だ。

 そこにいるかつての“剣聖”は――――老いていた。


わしに客とは、間違いじゃろう。何も心当たりはないわい」


 色素が全て抜けきった白髪と、同じく色を失った髭が、積もった埃のように彼の姿を覆い隠す。

 顔の皮膚はたるんで皺が深く刻み込まれ、年経た老樹の幹を思い起こさせ、その表情はもはや鋭さの欠片もなく、とろとろと眠りかけているような優し気な微笑みを浮かべていた。

指は細く、鍛え抜かれていた往時の肉体はもはやどこにもない。

 かつては軽々と振るっていた波刃の長剣を持つ事は、もうない。

 木の匙を握っていてさえ重さを感じる有り様は、彼の武勇を知る者にとっては、もはや悪夢だ。


「つーワケだから、連れてきていい? たまには爺さんこそ若いヤツと話せよ、ボケちまうぞ」

「だから今、若いお前と話しとるじゃろ? シオンよ。……待て、“若い”とな?」

「ああ。爺さんの知り合いの子供とかじゃねーの? 強そうだったぜ」


 老人は、しばし考え込み……村の少年シオンへ頷いた。


「……まぁ、いい。今さら……決闘でもないじゃろうしな」


 そう呟き、戻っていくシオンの背を見送り、かつての“剣聖”はしばし瞑目し、来訪を待った。


ややあって少年が連れてきたのは、年若い一人の男だった。

顔を横断する魚の骨のような傷が刻まれ、刈り込まれた黒髪はごわごわとした荒削りの生気を放ち、獣のように鍛え抜かれた全身の筋肉は、鎧の上からでも透けるように見て取れる“戦士”だ。

 しかしその目は憧憬を抱いた青年そのもののようで……幾つもの修羅場をくぐっただろう体躯とは不釣り合いに輝いている。


「……先に言っとくが、若いの。儂は決闘なんかもうせんぞ。怨みなら随分買っておるから、儂が今斬られても何も怨まんよ。もうそんな感情に意味なぞないでな」


 窪んだ眼下の奥から、かつての剣聖の眼は彼の腰にある剣を見やる。

 抜かずとも、それが業物である事も、背負った盾もまた逸品である事も分かる。

 武具の輝きをどこか懐かしく思っていると、若き“戦士”は口を開いた。


「俺に……どうか、教えを」


 “戦士”はそう言って、その場に膝をつき、こうべを垂れた。

 それを見た老人は一度、困ったように髭を撫でつけてから喉の奥に呻きを漏らし、やがて答える。


「……とりあえず茶でもどうかな、若いの」


 老人は億劫そうに椅子から立ち上がり、家の中へと手招きした。


*****


「まぁ、楽にしなさい。若いの……」


 来客用と、自分用。

 ふたつしかない椅子に座るように促し、卓上の茶器を挟んで向かい合う。

 一人はかつての“剣聖”、一人は今を生きる若き“戦士”。

 老人はかつての自分を見るように生暖かい視線を送り、若者はそこに目指すべき境地の具現者が座っていると信じて熱く見つめた。


「やれやれ、今さら儂にとは……まず、どうして儂がまだ生きながらえた事を知ってなすったのだね?」

「……ギルドで」

「ふむ?」

「戦士ギルドで、小耳に挟んだのです。あの“剣聖”カイ・バールは今も存命だと」

「お主はそれを信じたのかね? 悪党には生存説がつきものじゃ。与太話よたばなしじゃろうて」

「悪党だなどと!」

「落ち着け、若いの。……血気に逸るも良いが、せっかく淹れてやったのじゃから一口ぐらい飲まんか」


 そう言って、声を荒げた若者に驚いた様子もなく、老人は茶を口に含めた。

 憮然とした様子で若者もそれに倣い、唇を湿らせる程度に留める。


「……訊ねておいてですが、本当に貴方は、あの……?」


 そう言って、若き“戦士”は室内に視線を走らせた。

 粗末なテーブルと椅子、棚に並んだ木の食器、寂し気な調度品は、無趣味な老人の蟄居ちっきょそのものだ。

 しかし――――ある物が、目を引いた。


「……あれは」


 暖炉の上に掛けられた、波打つ長剣。

 それは誰しもが伝え聞く武勇伝の登場人物、“剣聖”の得物、炎状長剣フランベルジュ

 炎のごとき波打つ刃、美しい形状のそれは……よく手入れされており、吸い込まれそうな佇まいを誇っていた。

 より相手に深手を与えるべく考案されたと言われる刃は、その複雑な刀身形状ゆえに研ぎも手入れも困難を極めるのに――――まるで、昨日打たれたばかりのように輝いていた。


「ほほっ、見られてしもうたか。お主が来ると分かっとったら納屋に仕舞っとうたわな」

「……では、貴方は……本当に」

「…………いかにも、儂の名はカイ・バール。剣聖なんぞと呼ばれとったのは、四十年も前の事じゃよ。今は耄碌もうろくした、くたばり損ないのじじいじゃ」


 そう言って老人……正真正銘の剣聖、カイ・バールは茶を啜り込み、木製のカップを置いた。

 その名乗りを聞いて、“戦士”は姿勢を正し、まっすぐ目を見て再び口にした。


「……どうか、お願いいたします。俺を……俺に、どうか教えを!」

「嫌じゃ」


 即答で拒まれてしまい、若き眼差しはしばし宙を泳ぎ、やがて……めげる事無く、もう一度。


「どうか! 俺を、弟子に……!」

「嫌じゃっつっとる。話を聞かんか、お前さんよ」


 溜め息混じりにそう言った老人は、若者を諭すというより……心底嫌気が差しているように、うんざりした様子で首を振った。


「たまにおるんじゃ、この儂が生きとると知ったら群がる輩が。こんな老いぼれに教わる事なんぞお主にはなかろ。地道に鍛えい。四十年前の剣術なんぞ知って何になる? どう考えたって今をときめくお主らの方が強かろうよ」

「し、しかし!」

「のう、お若いの。……儂はもう剣聖はヤメたんじゃ。粘り強さは買ってやるが、お主に儂は必要ないじゃろ。そもそも儂は弟子なんぞ集めとらん」

「お願いいたします! どんな修行であっても乗り越えます!」

「…………修行って、どんなじゃ?」

「え……?」

「そこがまず分からんのじゃ。修行なんぞした事も無いし、誰かにつけた事もないわ。儂に会いに来てくれたのは嬉しく思うが、そもそも“師匠”のやり方なんぞ儂には分からん」


 そう言って、老カイ・バールは立ち上がり、凝りかけた腰を伸ばすように反り返り、ぽんぽんと腰の後ろを叩いてカップを下げた。


「……もうじき日は沈む。とりあえず下の村で宿でも取れ、明日の昼にでも気が変わってなかったら来い。体力のないジジィに根比べなんぞ挑むのは、卑怯じゃぞ」



*****


 老人が目覚めたのは、朝日でも一番鶏の声ででもない。

 外から響く、ぱかん、ぱかん、という快音によってだった。

 元から寝起きは早くなっていたから、それが耳障りだと感じはしなかったものの……老人は起きてすぐ、髭をなびかせるような深い溜め息をついた。

 そのまま、薄物のぞろりと長いローブを羽織り、靴すら履かぬ裸足のまま、玄関を出た。


「……なぁにやっとんじゃ、お前さんよ」


 そこには昨日の熱心な“戦士”が鎧を脱ぎ、身軽な服装のまま薪割りに興じていた。


「おはようございます。……起こしてしまいましたか?」

「いや、良い。何のつもりじゃ、小遣いならやらんぞ?」

「そんな、滅相も……」

「……朝飯の後で良けりゃ、少しぐらいは話を聞いてやるわ。一点張りではなく、“きちんと”話すんならの。お前さんも来いや」


 老人は早くも二度めの溜め息とともに、家の中へ戻る。

 この若者の我武者羅さは、跳ねつけてもどうせ変わらないと踏んで。

 無視しても無駄ならば全て話を聞いてから、説得して帰らせた方が早いと。



*****


「…………それで、若いの。お前さんはどうして強くなりたいのだね?」


 食器も片付けないまま、昨日と同じように口を開いた。

 幾度見ても、目の前の若者は精悍な生命力を放ち、まばゆいばかりの強さを漲らせている。


「いや、そもそも……どうして剣で生きていこうなどと思ったのじゃ」

「……外道だと仰せになるのですか?」

「その通りじゃ」


 微かに曇らせた表情からの問いを、老カイ・バールは即座に断じた。

 揺れるその表情へ、追い打ちをかける。


「……儂を見よ。家族すらない孤独な爺の、まもなく最期じゃ。ともすれば、この村の民を除けば、お主が儂と――――かつて剣聖などと呼ばれてその気になった、愚か者のカイ・バールと最後に話した者になるのかもしれんな」


 “戦士”は、あまりにも自虐的な目の前の老人へ……逆に、激しながら問う。


「カイ・バール殿。なぜ貴方はそこまで自らを卑下なさるのです……。貴方こそ、何があったというのだ!」


 それでも、老人は涼し気に、身を震わせる事も無く出涸らしの茶を啜って返す。


「……何も。何もなかったのじゃよ、お若いの。さっきも言うたが、儂には何もなかった。……うぬぼれと受け取れ。儂は剣を極めはしたが、人の道には入り口にすらも立てなかった。剣技百般、などと標榜して……人たる全てまで斬り捨ててしもうたのじゃ。これは、“獣の生きざま”でしかなかったのじゃよ。儂は、畜生じゃ」

「答えになっていないぞ、カイ・バール!」

「随分と口が荒っぽいのぉ。……いや、若いのならその方がええ。へりくだる言葉なぞいらんわい」


 “戦士”の苛立ちは、老人の煙に巻く言葉だけではない。

 かつて憧れ尊敬した剣聖の口からは……死んでも聞きたくない言葉だったからに他ならない。


「俺は……貴方が覚えているはずもないでしょうが、かつて貴方に助けられた若き兵士の、孫です」

「ほう……?」


 顎髭あごひげをさすりながら“戦士”の顔を覗き込むも、やはり――――見覚えは無い。

 斬った相手の数も覚えていられなければ、肩を並べて戦った男の数ももはや星の数にのぼる。


「……小国の小競り合いでしたが、その頃の祖父には初陣でした。同期の兵士がくたばり、怒号と血煙の中で追い詰められ――――死の寸前に、貴方が現れ、救ってくれたのです」


 “戦士”はなおも、訥々と語る。


「烈火の如き長剣を振るい、旋風のように戦場を駆け抜ける男の姿を、祖父は何度も語りました。その男の行くところ、たちまちに道ができあがり……戦場の殺気は、その男の殺気の前に恐れを為して全てを差し出したようにまで見えたと」

「……詩人じゃなぁ、お主の祖父は。……して、何故お主がここへ?」

「一つは……貴方に、礼を」

「いや、及ばんよ」

「それと、もう一つ。……俺は、強くならねばならぬのです」

「……お主、何があったのじゃ? どうして、と先ほども訊いたではないか」


 そう訊ねると、“戦士”は椅子から立ち上がって武具を取って戻ってくる。

 テーブルの上から食器をどかせて、彼はそこへ、剣ではなく――――“盾”を、置いた。

 それも防御面ではなく、裏側。

 そこには、“名前”がいくつも彫られていた。


「……勲章、とは見受けられんの。まるで……誇らし気な様子はない書き味じゃ」


 字を見れば、その時何を考えていたかは分かる。

 剣聖としてというよりも、人生の老練ゆえに老カイ・バールは、それらが彫られた時の心境を思い描いた。

 “戦士”は唇を引き結び、重苦しく呟いた。


「……これは、俺の不徳ゆえに。未熟ゆえに失わせてしまった命の名なのです」

「……仲間じゃったのか?」

「いえ、それだけではありません。肩を並べて戦った仲間。我が後ろに隠れていた魔導士。今一歩間に合わず命を絶たれてしまった小さな子供。……残酷な世に絶望し、自らの喉を裂いた女。俺の……力及ばず失敗した依頼クエスト、その記録です」


 “戦士”の目から、涙が落ちた。


「俺は、弱い。弱すぎる……! 彼らを、助けてやれなかった! ただ戦う技の問題だけではなく……! 心では、彼らを弱者と断じてすらいた!」

「…………」


 老人は、黙って――――目の前の懺悔する若者と自分とに、それぞれ茶を淹れた。


「無論、彼らの仇は討ちました。同胞の命を奪った魔狼ワーグ、魔導士を狙った射手。さらった子供を手に掛けた魔物を倒し、人を食い物にする悪辣な咎人は今は牢の中。……だが、何も救う事など……できなかった!」

「……お主は、もし儂に師事して強くなれたとして――――その剣を、何のために振るう?」

「活かす、ためです」

「む……」


 “戦士”は吐き尽くした弱音を、決意へ変えて喉から絞り出した。


「もう、俺は…………後悔など、したくない。苦しむ者を背に隠し、苦しめる者あらば……活かすために剣を振るう。俺は……そうありたいと、思った。祖父を救ってくれた貴方に教えてほしい事が、いくつもあったから、ここに来たのです。俺は……この世界の残酷さへ、立ち向かいたいのです」


 それでも、老カイ・バールは困ったような顔で微笑み。


「……“生きよと念じて人を斬る”か。たいそうな矛盾を叩きつける若者じゃ。……じゃがその威勢、儂は嫌うてはおらんよ」

「では……」

「ならん。……なればこそ、お主は儂に教えなど乞うべきでは無いのじゃよ」

「……カイ・バール。どうしても……」


 茶を啜り、剣に全てを捧げた老人は更に独白する。

 それは、目の前の“戦士”に返礼を送るような、懺悔でもあった。


「儂の今は、因果の応報でしかない。己の剣以外の何も信じずたのまず、何かを育む事もなく、悪鬼羅刹あっきらせつの畜生道を、無頼ぶらいと称して己に酔うた。儂はお主の思うような人間では――――いや、そもそも人であるのかどうかも今や分からんな。若者よ。折角じゃ、いい物を見せてやろうかの」


 そう言って“剣聖”が取り出したのは、一本の薬の小瓶だった。

 青色の八角形の瓶に、呪符の貼られたコルクで栓がされており、中の液体は固まっても減ってもいないのが見て取れた。


「これは……?」

「これはの、“十年紀ディケーダ”と呼ばれる魔法薬じゃ。こいつを飲むと……十歳だけ。きっかり十年分だけ若返る事ができる。魔女の霊薬じゃの」

「そんなものが本当に?」

「さあの。何せ飲んだことなど無い。もう三十年以上前になるか……魔女に売りつけられたのじゃよ。今さら騙されたとして怒りゃせんわい、あの魔女のバァさんももう死んどるじゃろの」


 “戦士”が目を丸くして見つめていると、カイ・バールはひょいっ、と懐へ仕舞い込む。


「今お前さんが飲んでもガキになるだけじゃろう。やらんぞ」

「では、何故それを……俺に見せたのです?」

「自慢したかったのじゃ。……というのは冗談。儂はもう、これを飲む時期を逸した。儂が今さら十年若返って何になる? “爺”が、“ちょっとだけ爺”に変わるだけじゃ。じゃが、お主はまだ若い。もしも十年後……答えが見つからなかった時には、ここへ来い。もし儂がくたばっていたら、この家の跡地に埋めておいてやるわい」

「それを、俺にくれるのですか?」

「ああ。……もっとも、そうなる前に見つかる事を祈っておるぞ、お若いのよ」


 そう言うと、老人と“戦士”はしばし見つめ合い。

 やがてどちらともなく席を立つ。

 互いにもう、話すべき事はすべて終えた。

 盾に刻まれた名前ひとつひとつを改めて目で追えば、その数は七十に迫る。

 老いた剣聖がとうとう達しなかった境地――――殺意ではなく“生”の剣へ、この若者なら到達するのかもしれないと、老人は考えて。



*****


 “戦士”が村を去るのは、二日後の昼の事になる。

 だが、そこで――――思わぬ事態が起きた。



*****


「ではの、若いの」

「ええ。……カイ・バール殿も、お健やかに」

「何言うとる。きっと、お主とは今生の別れじゃろう。爺の方が先に死ぬわ」


 村の入り口まで、老カイ・バールは久しく忘れていた剣について語った、祖父と孫ほど歳の離れた“友”を見送りに出た。

 そこには、“戦士”を案内した村の少年シオンの姿もある。


「なんだよ、兄ちゃん。弟子にしてもらえなかったのか?」

「……ああ、フラれたよ。随分と身持ちの固い爺さんだったさ」

「ほほっ。言いよるわ、若造。……それはそうと、の」

「ええ」

「向かって来とるのは――――お主のお連れか?」

「……? おい、カイ爺さん。何の話だよ……」


 やがて、村の前を通る街道の奥から蹄の音高く、一頭の騎馬が近づいてくる。

 それを駆るのは兵士でもなければ、農民の姿でもない。

 布を粗末な縫製で無理やり仕立てたような、例えるなら囚人の衣装。

 その上に合っていない鎧を無理やり着込んだような、不格好な男。

 加えて言えば――――その馬は、不釣り合いなほどに毛並みが整う名馬だった。

 “戦士”、老人、子供。

 三人ともが直感し、警戒を強めた。


「おいっ! ……見つけたぞ、テメェ」

「……お主の客だったようじゃぞ、若いの。客の客とはこれまた……。シオン、下がりなさい」


 老カイ・バールが村の少年シオンをかばいながら下がると、その男は下馬して“戦士”へと近づいて行った。

 しかし彼は未だ抜かず、目の前の無粋な訪問者を力強く見据え、そのまま二人の傍観者へと説く。


「……この男は、“味方殺しのクライヴ”。強さは一級なのに依頼で得た金は全て酒と女へつぎ込み……どういう訳か、誰かと組むと必ずこいつだけが生き延びてきた。その真相を知ったのは、一度だけ……こいつが殺し損ねた者が命からがら伝えたからだ」

「はっ。全く、今でもアイツから殺しときゃよかったって思うぜぇ。あの野郎、弱ぇクセに脚だけは早いんだよなぁ」

「……こいつは戦士ギルドを破門され、賞金稼ぎとなった。ところがこいつの悪癖は治らず、あろう事か……護衛対象の女商人まで手にかけ、やがては逃亡犯となった。そしてこいつを無力化し捕縛したのは、俺だ。兵士に引き渡したのも。……投獄されるはずだと聞いたが」


 男――――“味方殺しのクライヴ”は反省する様子もない。

 そればかりか、ニヤニヤと笑いながら噛み煙草を嗜み……口の端から、やに混じりの唾液をだらりとこぼしていた。

 “戦士”はその悪辣な様子を睨みつけ、わなわなと拳を震わせていた。

 恐らくこいつは、またも誰かを殺したのだ。

 獄卒か、護送の兵士か、それとも――――。


「……立ち会ってやれ、若いの」

「無論……そのつもりです」

「あ? ……ジジィ、てめぇは何だよ」

「何、立会人だと思ってくれぃ。この勝負が卑怯な行いではなく、決闘の上だと儂が証明してやるわ。最も、お前さんが犯した罪については別じゃな。この勝負の事だけよ」


 凶相の男が舌打ちすると、やがて剣を抜いた。

 それもまた兵士から奪ったもので名剣の類いではないのに、その抜刀、視線の置き方、構えから老カイ・バールは内心で舌を巻いた。

 単なる悪漢ではない。

 人並み外れた才覚を持っていながら、その才覚を世のために向ける事はなかった……どちらかといえば、過去の己に近い性分のやいばだと。


 だが――――遅れて抜いた“戦士”も、劣ってはいない。

 大上段に構えたクライヴに対して、戦士は盾は使わないまま、正眼の構えでただ待つ。

 視線はぼんやりと置かれ、目の前の男の全てを押し包むように、しかし一挙手一投足までも逃すまいとしていた。

 ただし、その剣に――――先手を取る意思はない。


(……相討ちじゃぞ、これでは?)


 シオンを後ろに隠しながら、村の入り口に立って老カイ・バールは二人の行く末を見守る。

 久方ぶりに感じる戦場の殺気は、心ならずも老剣聖の細胞を蘇らせているようだった。

 どちらが優位かを見極め、いくつもの手筋を頭の中に組み立てる。

 だがその、どれでも――――同時に行動に移ったとして、最悪相討ちだ。

 攻め気と、守り気。

 吊り合っているのなら打ち消し合い、相討ちか膠着かのどちらかになる。

 それでも老人が相討ちだと踏んだのは、これもまた、戦場の“勘”だ。

 やがて……一陣の風が吹き、砂埃が舞う。

 先に動いたのは――――――。


「っ…………」

「スキ、ありいぃぃぃっ!!」


 踏み込んだのは、クライヴ。

 “戦士”の眼に土埃が飛び込んだ一瞬を見逃さず、頭を割るべく雷のごとく振り下ろす!

 しかし聞こえたのは脳天に刃のめり込む不快な音では無く――――打ち鳴らされた金属音。


「ぐ、くっ……!」

「イイ反応じゃねぇかよぉ。……だけどなぁ、手遅れだぜぇ!」


 頭上で刃を受け止め、鍔迫り合いの格好のまま、ぎりぎりと押し込まれる。

 すでにクライヴの剣は“戦士”の目の前に迫っており……次の瞬間どうなるかは明白だった。


「……手遅れはお前の方だよ、クライヴ」

「何だって?」

「うっ……おぉぉぉっ!!」


 ばきんっ、という音とともにクライヴの剣は根元でへし折れた。

 行き場を無くした“戦士”の剣はそのまま走り、目の前の悪漢の胸から腹を切り裂いた。

 遅れて――――ぱぁっ、と血の華が咲く。


「が、はあぁぁっ! ごぶっ!」


 剣を折られ、身体を裂かれたクライヴは断末摩とともに倒れ、天を仰ぎ、動かなくなった。

 紛れもない勝利のはずなのに――――“戦士”の顔は、浮かない。


「……見事。後の先を取る、言うほどたやすくはない。お主の勝ちじゃぞ、若いのよ」

「…………斬らねばならなかったのは、果たして……本当、だったのでしょうか」

「少なくとも殺さねばお主は殺されておったぞ。悩むのはいいが、今は生き延びたと喜べぃ。……さてと、役人にも伝えねばの」


 村の入り口で起こった決闘は、“戦士”の勝利に終わった。

 ――――かに、思えた。


「わああぁぁっ!?」

「シオン!?」


 クライヴは、立ち上がった。

 ただしその顔は怒りに歪み、口もとからダラダラと流れるどす黒い血は、致命傷だと示していた。

 様子を見に不用意に近づいたシオンの首を掴みあげ、折れて砕けた刀身の刃を握り締め、その喉元に突きつけて、死に際の凶相を老人と“戦士”に向けていた。


「クソッタレ……、ふざ、けるな……! お、俺……だけが、死ぬ、かよ……!」

「クライヴ! その子を放せ!」

「あァ……いいともよ。その、代わり……テメェが、死ぬんだ」

「何……!?」

「分かん、だろ……! テメェの剣で、テメェの喉を突け。さもなきゃ……!」

「っひ……!?」


 人質となったシオンの腹へ、切っ先が食い込む。

 少年は痛みに目を剥き、それが正真正銘の殺意である事を認識し、悲鳴の後に黙り込んだ。

 誰も、動けはしない。

 ただ一人――――“剣聖”を除いては。


「ジジィ、てめぇ……何のつもりだ?」

「ほう、見事なモンじゃ。綺麗に……刀身の根元から折れちょる」


 そんな緊迫した空気の中、老カイ・バールは折れたクライヴの剣の下半分、厳密に言えば柄と鍔しか残らない持ち手のみを握って、しげしげと眺めていた。

 その様子で、“戦士”のみならずクライヴまでもが呑まれた。


「……何のつもりかと訊ねるのは、愚問じゃろう。……これより、お主を斬る」

「……はぁ?」


 その剣には、刀身などひと欠片も残っていない。

 投げてぶつけるぐらいしか、もう……使い道などないのに。

 それでも、老カイ・バールは脱力するように構えた。

 窪んだ眼窩の奥に――――紛れもない殺気を漲らせて。

 やがて……老人の枯れ細った腕が閃き、大上段から、人質ごとクライヴを斬った――――ように、見えた。


「カイ……殿……?」


 その動きは、目では終えても――――受けられる気のまるでしない、渾身の一閃だった。

 込められた殺意は本物であり、決してこけおどしでは無い。

 数秒の硬直があり……やがて、今度こそ、クライヴの身体はシオンを解放し、仰向けに倒れた。

 剥いた目は、瞬きすらなく見開かれて……絶息して。

 なのに、シオンには当たり前なのに、傷一つなくピンピンしていた。

 それがどれだけ異常な事なのか……把握できたのは、“戦士”だけだった。


「スッゲェ! カイ爺ちゃん、何、今の!? 必殺技?」

「ああ、そうさな。……必ず殺す、と意念し剣を振るうたものな」


 信じ難い事に――――この老いた剣聖は、ただ殺気を込めて柄を振るっただけで、人を死に至らしめたのだ。

 もはや剣すら不要なほどに剣を極めた男が、そこには……確かに、いた。


「……気が変わったぞい、若いの」

「えっ……?」


 目を見張るばかりの神業に恐れを為していた“戦士”は、声の主へ目を向ける。

 幾度見ても……その握り締めた柄に、刀身などない。


「儂は、お主に偉そうに教えてやれる事など、やはりない。じゃから……儂の失敗を、学べ」

「何ですと?」

「ただし、一年。一年だけ……儂のもとにおれ。それ以上は生きていられぬでな。儂を悪い見本として学べ。その中に、何か使えそうなものがあるのなら……お主に伝授しよう。何も生みださなかった老剣聖、カイ・バールの屍からお主が掘り出し、作り出すのじゃ。お主の剣をな」


 “戦士”はただ、困惑し……やがて、目の前の老人へ。

 殺戮の剣技を極めた男、老カイ・バールの前にかしずき、一礼を捧げた。


「…………師父」

「そして、誓え。守るべきもののためには決して容赦などするな。不殺も、必死も、その時ばかりは忘れよ。必殺の意もまた……真の活人の技には必要じゃろうて」


 時は、奇しくも魔王降臨の一年前。

 世界に闇が訪れる――――ちょうど、一年前のことだった。







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