黒死の海賊旗


 洋上に巨大な城門が現れた。

 商人がそう述べた時――――港町の者達は大いに笑った。

 港湾労働者も、酒場の給仕も、兵士も、娼婦も。

 だがそれも、その時限りだ。


 数日して、不吉なほどに凪いだ無風の海の上に立つ漆黒の城門を、ある商船の長が確かに見たと言った。

 先日の漂流者とグルになっている、おれ達をかつごうとしている、そう言って酒場の者達は笑った。

 だが、彼を笑っている時に酒場の扉を開けて、血相を変えて飛び込んできたのは……港で荷運びを生業とする若者だった。

 全身に玉の汗を浮かべた彼は、息切れしながらこう言った。


「――――海に怪物が現れた! 貨客船が襲われて、浜に残骸と死体が打ち上げられてる! 生き残りは数人しかいないぞ!」


 今度は、笑い声が酒場から消える番だった。



*****


「チクショウ!」


 木製のジョッキを乱暴に叩きつけ、漁師は安物のエールがこぼれるのも構わずに叫んだ。

 対面に座る同僚もまた、憮然たる表情でそれへ頷く。

 テーブルの上には酒肴は何もない。

 海に出られないから新鮮な魚が何も手に入らず、漁で身を立てる彼らの懐もまた寂しいから、肉も何も頼めないからだ。


「なんなんだチクショウ、あの門はよ! なんで……あそこから怪物が湧き出てきやがるんだ!」

「落ち着けよ……落ち着けって!」


 酒場には、その大声を咎める者はいない。

 城門と言う言葉を笑い、疑う者もいない。

 いつもは漁師や兵士、海賊、商人、行きかう船の間を縫って働く者達の活気で満ちているはずのこの酒場には、まるで葬儀場のような重い沈黙だけがある。

 海に出られない日々が、もう一月も続いてしまっているからだ。


「なぁ落ち着けよ、お前だけじゃない。ここにいる皆が腹が立ってるんだ。みんな……お前の気持ちが痛いほど分かるんだ。叫ばなくってもいい」

「……チッ。それで、あの城門は一体何だってんだよ」


 兵士も、海賊も、海に出る者達はそれを確かめに海に出た。

 そして、帰ってこられた者達はそれだけで恵まれていたと、誰もが口々に言うようになった。


 その門は、蝶番も城壁もなく、ただ船のように大きな扉だけが海に突っ立っていた。

 光を吸い込むように黒く、なのに夜の闇の中でもくっきりと浮かんで見えるような代物だ。

 数日に一度、ひとたびそれが開けば……怪物が、海へと解き放たれる。

 例えば無数の触手を持つ大蛸、スクーナー級の帆船を噛みちぎる巨大な魚、海の上を滑空して船に取りついてくる、獰猛な人喰い魚人の群れ。

 応戦すれば立ち向かえる事もあった。

 人喰い魚人はその数を減らしてやれた。

 だが……前述の二つは、まだ海のどこかにいる。


「あれは恐らく、魔王の軍団がもたらしたものでしょうね」


 高らかにそう告げたのは奥のテーブルにいた一団の一人だ。

 見れば、その一帯だけは妙な剣呑さに包まれていた。

 すっかり海賊たちも気炎を吐けなくなったのに、その一団、さらに言えば最も奥に居る黒髭くろひげの男だけが、目を爛々と輝かせていた。


「現在、世界の各地で謎の現象が確認されています。あれと同様のゲートが確認されているだけでもこの海を含めて九つ。……怪物が這い出てきている、と」


 その声の主は酒場だと言うのに酒も飲まずに、大樽の上で本をめくり、書き込みをしていた。

 学者のような眼鏡をかけ、整えられた髪をバンダナの裾から伸ばし、全体として妙に……少年のように細身だ。


「はん。くっだらねぇ。何が魔王だ。そんなん、おとぎ話さ」

「では、貴方がたはおとぎ話に出てくる危機感の無い哀れな船乗りですね」

「ンだと、てめぇ!」


 激高した漁師が立ち上がったとたん――――恐るべき速度で一団のうちの数人が銃を抜きつけ、向けた。

 よく手入れされたフリントロック、ホイールロック、銃身を束ねた三連装のピストル。

 どれもが確実に誰かの命を奪っている。

 漁師はピンで留められた虫のように硬直し、またすごすごと座るだけだ。

 そこで、ようやく……奥にいる黒髭の男が、口を開いた。


「面白ぇじゃねぇか、え? 魔王様が向こうさんからの出入り口をあちこちに作ってやがるってんだ。随分とマメな野郎だぜ。少なくとも、俺の知る限り……世界のどこの王様よりもマジメじゃあねぇか。そう思わねぇか?」


 男の笑い声で、目の前にあった蝋燭のひとつが消えた。


 この一団は、三日ほど前にこの港へ現れた。

 船べりにはくだんの城門から現れた人喰い魚人の死骸を絞首刑のように何体も吊るし、船首像の“狼”の口にまで銜えさせて悠々とこの港へ接舷してきた。

 そして何事も無かったように舷梯げんていを下りて、港長のもとで停泊の手続きをした。

 二角帽の黒髭の男はかなりの老齢で、たくわえた髭にはだいぶ白が混じってはいるが、目深にかぶった帽子との間に窪んで見えるその目は剣呑な迫力に満ちていた。

 後に続いて黒い肌を持つ巨漢が、首をへし折った魚人の死体を無造作に海へと投げ捨てながら下りてきた。

 何十人かの船員たちもまた、肝をつぶした様子もない。

 それどころかまだ息のある絞首刑の魚人の口へピストルを押し込み、眉すら動かさずに引き金を引いて、大股で娼館へ出かけた。

 船番たちへ指示をしてから最後に下りてきたのが、細身の少年じみた航海士だった。

 彼らは、あの城門が現れて海へと怪物たちが解き放たれている、魔の海域を抜けてこの港町へやって来たのだ。


「ところでよォ、漁師のあんちゃん。他にはどんな怪物がいるってんだ?」


 杯を片手に黒髭の男が、場違いにはしゃいで亡者をなぶる地獄の悪鬼のような調子で訊ねた。

 言葉と口調こそ気さくに思えるが、その実、いつテーブルの下で銃を抜いてもおかしくないような危険な陽気さだ。

 問いかけられ、最初に激高していた漁師の対面の男が、代わりに答えた。


「全部、知ってる訳じゃねぇですがね……牙を持つバカでかい魚が、昨日も船を襲いましたよ。寄港予定だったスクーナーがやられたそうで」

「ほう……おもしれぇじゃネェか。え?」


 黒髭の男は、何も楽しくなどないのに……それでも、笑った。

 それを見た航海士は――――さらに信じられない言葉を発した。


「どうします、船長。……やりますか」


 航海士は書き込みを続ける本から顔を上げず、しれっとそう言った


「そうこなくっちゃなァ。そんじゃ、オメェら、明日の朝に出港だ。船に戻って準備しようじゃねェか」


 船長と呼ばれた黒髭の男が腰を上げると、同時にその一団が全員立ち上がった。

 一団は他の客のテーブルの上に残っていた酒瓶を片っ端からひったくっていき、意気軒昂の様子でぞろぞろと酒場を出た。


「そういえば、ぶどう弾グレープショットが残り少ないぜ、砲術長」

「あの半魚人どもに景気よくぶっ放したのがまずいねぇ。樽と爆薬もいるよなぁ。どうなってんだ航海士よ」

「問題ないでしょう。デミカルヴァリン砲で通れば良いのですが。……ダグ。銛打ちボートを使う気じゃないでしょうね?」


 ダグ、と呼ばれた黒い肌の巨漢はじろりと航海士を睨み付けると、かすかに頷いた。

 それを受けた航海士は溜め息をつき、懐から革袋を取り出し、店主へ投げつけた。


「酒代です。余った分は、他のお客へ奢りますので」

「ま、待ってくれ! あ、あんた……あんたの名前を教えてくれ」


 最後に黒髭の男が店を出る時、ずっと拘わらずにいた店主が訊ねた。

 この男たちは、明朝……何かをやらかしに行くのだ。


「俺か? ……ジャック=エドワード船長だ。覚えなくったっていいぜ。それじゃァな。テメェらも、飲んだくれてねェでカミさんのカラダでもほぐしてやるんだな」


 そう言い残して酒場を出た時、酒場の男たちは、安堵し……次の瞬間、彼らに奪われ、そして振る舞ってくれるらしい酒の追加を頼んだ。



*****


 ジャック=エドワードなどという名が、本名であるはずはない。

 そもそも、どちらも“姓”ではなく“名”だ。

 だが――――海へ携わる者達と、彼らと携わる娼婦達は皆その名を知っていた。

 掃いて捨てるほどよくある二つの男性名、それを二つ並べて“船長”をつけると世界にたった一人の男を指すみ名になった。


 ジャック=エドワードという男は、海賊だ。

 彼は悪魔と取り引きをして、硫黄の混じった息を吐いて……火をつける事すら可能だとか。

 その船の乗組には、漆黒の肌を持つ人喰い族の巨人がいるとか。

 海の神秘の全てを見透かす魔眼の航海士がいるとか。

 杯を片手に適当に撃ったフリントロックが、数海里離れた敵船の船長の頭を撃ち抜いたとか。

 首を斬り落としてやった敵の船員が、自分の死に気付かず胴体だけで命乞いをしたとか。

 いくつもの狂気と恐怖を現す逸話が連なっている。


 彼は、故郷を襲った“黒死病”の災禍を生き延びた数少ない一人だった。

 ネズミと吸血生物を媒介する死の病が蔓延る中、少年は生き延びた。

 家族も友人も次々と倒れ、その身を黒く腐らせて死にゆく中を彼一人だけはその身を侵されながらも回復し、逃げ延びて船乗りとして働き始めた。

 十数年経ち海賊として旗を上げた時、彼が旗印として選んだのは懐かしい故郷の風景だったという。

 漆黒の旗に浮き出し、こちらを睨むドクロ。

 その黒は黒変した病人の肌の色とも、その合間を縫って動いたカラスめんの医者達の黒衣とも言われる。

 そこに乗ったドクロは――――あの地獄で腐っていった者達の怨念の具象と噂される。



*****


「上見張り員からの報告は?」

「何もないぜ、航海士。フォアマスト、メインマスト、ミズンマスト、どの見張りからも何も無い。今のところ魚影はナシ、残念だ」


 城門が出現した魔の海近く、そこを“海ゆく群狼号”は帆走していた。

 目的はただ一つ、海へと出現し、哀れな船を餌食とする怪魚を駆逐するためだ。


「……もしかすると、この海域を離れたのかもしれませんね」

「だったらつまんねェな。ダグ、テメェもそうだろう?」


 航海士からの報告を受け、ジャック=エドワード船長はそう言った。

 貴族のような傲慢な姿は、ただし闘志に満ちている。

 逃げる獣を追い立てて狩るのではなく、反撃を考慮した危険な闘争への覚悟だ。

 それを受けた船員たちは、みな伝播したような闘志をその身に宿す。

 黒人の巨漢は、待ちきれないとでも言うように無言で銛を研いだ。


「左舷! 十時方向に巨大な魚影アリ! 距離、近いぜ! 半海里!」


 フォアマストの上部見張り員からの声が上がった。


「クジラじゃねェんだな?」

「クジラだとした方が変ですよ、船長。この海を通ってきた時は、海鳥も魚群もいなかったのですから」

「ハっ、全くだ。ダグ、てめェのボートは少し待て。ひとまずヤツを拝んでやろう。全砲門、装填は済んでるな? 旋回砲は左舷注視、右舷砲手も油断するなよ。相手は魔界の魚だ。聞けば、大砲も何も効き目はねェとよ。……本当にそうなのか、確かめてやろうじゃねェか?」


 ジャック=エドワード船長の号令の元、海の無法者達は色めきだった。

 魔界の魚を討ち取るという気負いすらなく、ただ、ひたすら……いつものように。

 彼らに取って魔物は、獲物でしかない。


 上甲板からも目視できる距離まで魚影が近づいた。

 真下にそれを隠した水面みなもは不気味なほどに凪いで――――段々と、怪物の大きさが見て取れる。

 マスト上の見張り員は、あらためて目を剥いた。

 遠くに居るその影を遠眼鏡ごしに見ているだけでは伝わらず、勝手知ったる船体へと近づき、その大きさを比べる事ができるからこそ実感できた。

 さすがに船を一噛みで食い千切る、というほどではない。

 だがもしあれが噛みついて来れば、船体への損傷は無視できない事になる。

 そもそも――――牙があるのかどうかも水面下では分かりはしないのだが。


 水面が盛り上がると同時に――――怒号と砲声が、魔の海へこだました。



*****


 翌日の夕方、港は騒然とした。

 狼の船首像の海賊船――――ジャック=エドワード船長の“海ゆく群狼シーウルヴス号”が曳いてきたのは、船体とほぼ同じ体長の、誰も見た事のないような巨大な魚だった。

 兜のように堅牢な鱗を備えたその怪魚は腹に大穴を開け下顎を吹き飛ばされ、鱗の隙間に十数本の銛を執拗に打ち込まれて息絶えていた。

 流れ出る血は湾へ広がり、停泊していた船の喫水線を赤く染め抜く。

 代償もあったか、“海ゆく群狼号”の左舷にその怪魚の抜けた牙が突き刺さっており、船員も数人見えない。

 港へやってきた者達はみな、その海賊へ憧憬の視線を向けた。

 それは彼らを捕まえるべき立場に居るはずの、この港へ足止めを食らっていた兵士たちでさえも。

 忌まわしい海賊が為しえた怪物退治の風景は、人々を虜にした。

 だが、同時に……怪訝にも思った。

 なぜ彼は、危険を承知で怪魚に挑みにいった?

 この港へ来た時の魚人は火の粉を払っただけとも言えるが、残り少ない弾薬まで投じてわざわざ狩りに行く意味は何なのか、と。

 この男の狂気は今、どこを見ているのか。

 訊ねる勇気は――――誰も、持てなかった。



*****


「その城門とやら、ブッ壊してやろうじゃねェか」


 数日後、酒場で三本のラム酒を空けた老船長は、そう言った。

 周りに居る船員たちは、誰も逆らわない。

 船長である彼に異を唱える事などできないし、そうしたとしても彼の心は動かず、またそうするつもりも誰にも無かった。


 彼には、恐怖というものへの認識がまるでない。

 それらしき感情を抱いた事自体はあるのに、どこか冷めた心境で自分のそれを見つめ、口を歪めて笑って、ただ心の中でこうつぶやくのみ。

 “――――――こんなモノが、恐怖ってヤツなのか? 意外と大した事ねェな”


 ある者は言う。

 彼は黒死の地獄の中から生き延び、魂の彼岸から闇の真理を拾って戻ってきたのだと。

 その魂はすでに暗い悟りの境地に達し、何事にも動じる事無い暗黒の覚者かくしゃとなって世界の海を駆けているのだと。

 この男の狂気はもはや、人の世ならざるものへすらも向けられているのだ、と。


「実際に見てみないと分かりませんが……大砲で間に合うでしょうか」

「あの怪物にも、半魚人どもにも効いたろうが。効くさ。なかなかタフな野郎だったが不死身じゃあねェようだ」

「では……そのように」

「おい……ちょっと、いいか。ジャック=エドワード船長」


 航海士と船長とがやり取りしていると、カウンターの一角から声がかかった。

 その男は王立海軍の将校の身なりをしていたが、長く足止めを食らっているためか、くたびれた様相をしていた。


「何だってあんた、そんな事するんだ? あんた……海賊だろう。命が惜しくないのか。あんなの倒してきたって、儲けにもならないだろう。砲弾薬で赤字だ」


 そう指摘すると――――黒髭の船長はしばし考え込み、酒を流し込み、再び考え込んだ。

 まるで……本当に分からないかのように。


「……さぁ、分かんねェな。分かったら教えてくれや、兵隊さんよ」


 老船長はあの怪魚討伐の前日と同じく立ち上がり、飲み残したラムの瓶を片手に千鳥足で酒場を出た。

 取り巻きの船員たちと航海士もまた続き、彼らの背中を、酒場の全員が見送った。

 怪魚討伐の前夜は、狂人の集団を見送る侮蔑と驚嘆の視線だった。

 だが、今送る視線は……まるで、伝説にのみ語られる“勇者”の一行へ送るようなものだ。



*****


 ジャック=エドワード船長は、決して陸では眠らない。

 波に揺れ動く船長室で、軋む索具と水音、海べりの酒場から聴こえる酔漢すいかんの怒鳴り声と歌声を聴き、朝方には海鳥の声がする、一瞬たりとも静寂の訪れない中で眠りにつく。

 どれだけの長い航海の合間にも、大酒を干して女を抱いても、必ず寝るときは船へ戻る。

 その律義さはまるで歯車のようだと、誰もが言った。

 たまには娼館に泊まれ、きちんとした宿を取れ、と船員たちがいくら言ってもまるで聞き入れない。

 そう進言された事で誰かを罰したことはなく、むしろ頑として船長室のハンモックを使い続けた。


 扉を乱暴に蹴り開けて、船長は“寝室”へと帰ってきた。

 ラムを何本も空けた吐息には濃厚な酒臭さが溶けて、彼の持つ伝説どおり、火を近づければ燃え移ってしまいそうなほどだ。


「へっ……。我が家が一番、ってモンだ。えェ? そう……思わねェ、か。……ジャック……エドワード……よぅ」


 コートを壁から突き出た棒へ引っ掛け、二角帽を机の上に投げ込み、帯びたピストルも剣も下ろさずにハンモックへと横たわる。

 投げ出した脚からブーツが脱げて、片方だけが床へ落ちた。


 ――――――哀れで寂しい、孤独な酔漢。

 この様相を見た者は誰もがそう評するはずだ。

 魔物にも動じない豪胆の船員たち、素手で野獣を引き裂く黒肌の男、波の一つ一つまで見透かし計算する冷徹れいてつの航海士を従える恐るべき男だと、誰が思うだろう。

 船長室は、驚くほど質素だ。

 それこそ身寄りのない寂しい老人の家のように、何もない。

 机の上に書きかけの航海日誌といくつもの書き込みをした海図があり、いくらかの銀貨が袋からこぼれ落ちている、それだけだ。

 生活感などなく、海の覇者の面影もない。

 世を拗ねた男の生きざまは、きっといつの世もこうなる。

 少し掴んだ金はすべて酒へと化け、泥酔して正気を失ったまま家へと戻り、服を脱いだかどうかも定かでないまま寝所へ潜る。

 翌朝には恐るべき頭痛に加えて酒にむしばまれた全身の筋肉が痛み、迎え酒を浴びるか乱暴に水を飲むかしてふらつきながら立ち上がり、前日の事など何も覚えていない。

 悪名高きジャック=エドワード船長と、陸の世捨て人とは何も変わらない。

 違いはカトラスを振り回すか、船を持っているか、部下がいるか、それだけだ。



*****


 暗黒の城門へ挑んだジャック=エドワード船長は、けた。


 港へ帰還した“海ゆく群狼号”は、初めて寄港してきた時とは大きく変わっていた。

 本来はマストを支えるはずだった索具が外れてぶらぶらと揺れ、帆は裂けて垂れ、 船首に備えていた衝角しょうかくもへし折れていた。

 船体もガタガタに破壊されており、裏打ちした装甲板がなければここへと戻ってくる事すらできなかったはずだ。

 何よりも船員の数は半分ほどまで減っている。

 巨漢は全身に裂傷を追い、左手首から先がない。

 航海士の左目を隠すように巻いた包帯には血が滲み出て、折れた脚に添え木を当て、ありあわせの杖をついている有り様だ。

 船長の姿は、見えない。



*****


「くっそ……あの野郎! あのクソが出てこなけりゃよ!」


 重苦しくて味のしない負け酒を呷ると、若い船員の一人が怒鳴りつけた。

 今夜は、誰も酒場に出かけない。

 船員たちは船の補修もしないまま、完膚なきまで打ち壊された甲板の上で酒を流し込んだ。

 いつもは酒を飲まない航海士もきつい蒸留酒を煽り、咎めを受けるようにそのたびに顔をしかめた。

 巨漢は残った右手で酒瓶を掴み、木箱の上に腰かけて港の外へ広がる夜の海原を見つめていた。

 片手を失えば数日は高熱と苦痛で寝込むはずなのに、呪術めいた生命力は、焼き鏝の消毒と船医の乱雑な縫合処置だけで間に合わせた。



 ゲートまでは、すんなりと行けた。

 だが、到着とほぼ同時に……ゲートが開いて、新たな怪物が姿を現したのだ。

 例えるならそれは、水棲すいせいの巨人。

 全身の肌が不気味なほどにのっぺりと白くて、長く伸びた手には水かきがあり、下半身は尾が二股に分かれた魚のものだった。

 海上で直立するように身を起こしたそれは、マスト中段の見張りと目線を合わせることすら可能なほど巨大だった。

 ゲートへの砲撃を行う前に、それと一戦を交える事になり、結果、水棲の巨人を撃退したが……代償はきっちりと切り取られた。


「……申し訳ありません、想定外でした。あのゲート……まさか、こんなに早く開くなんて」

「周期が速まってるって言いたいのかよ」

「ええ。……それとも、私達を迎え撃つために速めた、か」

「……生キテ、イル」


 黙っていた巨漢が口を開く。

 そうすると――――甲板にいた者達は皆が黙った。

 この男が何かを口にすることは、皆無ではないが珍しい事だった。

 言葉を解さぬ訳ではないのに、喋る事はほぼ無い。


「アノ門、近ヅイタ……トキ、心臓ノ音、キコエタ」

「そ、そういえば……俺も聴いたぜ! 確かに何か変な音がしてやがった!」

「開く時、うめき声がしなかったか? あれ、てっきりあのクソ野郎の声だと思ったけどよ……」

「――――まさか、あのゲートそのものが……魔物だという事でしょうか?」


 可能性は、捨てられない。

 この世界へ現れた魔王の軍団へ常識は通用しない。

 事実、来る途中で倒した魚人も、狩った怪魚も、辛酸をなめさせられた水棲の巨人も、この海で今まで見た事の無いような魔物達だった。


「だったら、話は早ェ。ブッ殺しに行きゃいいんだろうが」


 不意に聴こえたその一声に、誰もが凍り付いた。

 その声は――――船を相手に商売をしていた時のジャック=エドワード船長のものだった。

 老成して酒に灼けた声ではない。

 明確な悪意と殺意のもとに海を睨んでいた、数年前までの悪鬼の声だ。


「俺達は、あいつらにナメられたんだぜ。海で俺達にたてつきやがった。……俺の船はボロカスにされ、俺の船員ガキどもを海の藻屑にしやがった。……許せるワケ、ねェだろうが?」


 呆気に取られた船員たちだが――――すぐに、杯に残っていた酒を一気にすすりこんだ。

 こうしている場合ではない、と。

 やるべき事が与えられた、と……気つけのように。


「オイ、被害状況は?」

「はい、船長。左舷の砲は……二門を残して全滅です。右舷は残り十門全て残っております。旋回砲は全て破損、砲弾は通常の円弾しかありません。各マストも四割がやられ、船体の損傷も無視できません。急がせても一週間」

「五日だ。大砲を調達できるアテは?」


 問われて――――航海士は、尻の下に敷いていた本を抜きだし、開いた。


「足止めを食らっている輸送船。あの積み荷は……信管方式の、最新型の榴弾だそうです。おまけに各種砲弾多数。武器商人です」

「ほう、そいつはイイ。で、肝心の大砲は?」

「心配いりません。その輸送船、……攻城用のロイヤルカノンを十門ばかり運んでいるとの事です」

「なるほど、それじゃ……ぜひ、お願いをしにいかねェとな」

「……奪いますか?」

「いいや、借りるだけさ。返さねェけどな」

「なるほど。……では、そうしましょうか。ついでに旋回砲も借りておきましょう」

「もちろんだ。だが、殺すんじゃねェぞ。強盗じゃねェんだからな、紳士的に行こうぜ」

「娼婦と港長に金を掴ませましょう。港湾の兵士を遠ざけ、輸送船に人を近づかせぬよう」


 月明りの下、ボロボロの甲板上で悪だくみは続く。

帆をどこから調達するか、索具はどう仕入れるか、残った船員たちでどう手分けするか。

 いくつもの耳を疑うような言葉が続く様は、彼らの稼業を顕著に表していた。


 ――――彼らは、海賊なのだ。



*****


 急ピッチで進められた補修と強化は、一週間もせずに終わった。

加えて砲門が増やされ、右舷側に……十門の攻城砲を含めた合計二十六門の大砲が据えられた。

 バランスを取るべくそれ以外の積み荷はほとんどが左舷にある。

 極度に偏った砲配置は――――“一撃”で、あのゲートを葬るためのものだ。


 補修を施したとはいえ、この船は未だ手負いだ。

長く航海する事はできず、だましだましあのゲートまで持っていくのがやっとだろう。


 “一撃”限りの、全門斉射。

 最悪の場合は船体崩壊を免れない、危険な砲撃だ。

 そもそも攻城用のカノンは運ぶだけでやっとの高威力かつ重量級の代物であり艦載砲ではなく、それをボロボロの船で十門並べて撃つなど……正気の沙汰では無い。

 だからこそ……船長は選んだ。

 常人から見れば狂気の沙汰だからこそ、彼は好む。

 そしてタチの悪い事に……彼の狂気は、どこまでも人を魅了してやまない深淵でもある。

 輸送船から大砲を盗み出し据え付けたのを見ても、何気なくぶらついた非番の港湾警備兵も、夜風に吹かれに出た酔っ払った漁師も、誰も騒ぎ立てはしなかった。

 誰もが、彼のなす事を見たがったのだ。

 海の魔物を屁とも思わず、あの城門にすらも挑みかかった暴虐の大海賊。

 唯我独尊の生きざまが、魔王すらもたじろがせるに違いない。

 そんな期待が、一度敗れた彼にすら注がれている。

 この男の奇妙で痛快、そして不気味な武勇伝がどこまで連なってしまうのか。

 それが、港町の者達の心情であり――――この暗黒に蝕まれていく世界への不安を忘れられる、キツい酒の一杯だった。


「さぁ、行こうぜ、ロクでなしども。抜錨! 湾を出たらすぐに帆を全て張りやがれ! 先方どのを待たせちゃ、“紳士”が廃るぜ!」


 ジャック=エドワード船長の号令は、海ゆく群狼号の乗組員達へ――――否、港町の路地裏にまで響き渡った。


 船出の準備をする漁師、旋回砲を盗み取られた王立海軍の兵士、積み荷をさっぱりとかすめとられた商人、宿の二階から窓を開けて見送る娼婦と客、食い残されてこの港町へと 流れ着いた漂流者。

 誰もが――――遠ざかっていく旗を、見送った。

 勝つのは黒髭の悪魔か。

 それとも、海上へ怪物を吐き出す闇のゲートか。

 “悪魔”と“魔門”の食い合いだ。


 ジャック=エドワード船長の操船のもと、海のならず者一行は、いつもそうする稼業のように、まっすぐに向かう。

 途中で嵐に遭い操舵輪が鉛の歯車のように重くなっても、彼は軋む身体で舵輪を捻り潰すように舵を切った。

 急ごしらえで補修した船体もまた彼と同期するようにギシリ、ギシリと音を立てる。


 二昼夜の後――――水平線へ、海へ浮かぶゲートが塵のような大きさで出迎えた。



*****


 数海里の間を隔ててもなお、漆黒の城門の禍々しさは……望遠鏡を通して伝わる。

 船長と航海士がそれぞれ取り出した望遠鏡を覗き込むと、船長は濃い黒髭を森をざわめかせるように動かし、航海士は息を呑んだ。

 ――――――あのゲートは、魔物を吐き出すたびに独特の咆哮を発する。

 それは港町にすら聴こえる不気味な開門の響きであり、そのペースを鑑みて襲撃の計画は立てた。

 しかしそれは前回打ち砕かれ、嘲笑うように目の前で門を開き、怪物を吐き出した。

 あれ以来、城門の響きは聴こえなかった。

 彼らが町に来るまでに何体の魔物が吐かれたかは分からないが、あれからは増えていない。

 

 距離、さらに詰まる。

 すでに海の奏でる音は聞こえない。

 右舷の二十六門の装填は、既に済んだ。

 規格外の攻城用カノン十門と元々積んでいた半カルヴァリン砲六門を下部の砲列甲板へ収め、盗品含めた残りの十門は上甲板へ無理やりに積んだ。

 加えて胸壁ブルワークに据え付けた対人旋回砲は左に五門、右に十門、合わせて十五門。

 こちらはゲート破壊だけが目的ではなく――――戦闘を行うためだ。

 あの忌まわしき海の巨人へ……“お礼参り”をするために。

 ゲートが大きく見え始め、もう少しで大砲の射程に入ろうかと言う時、メインマスト最上段の見張りから声が上がる。


「左舷八時方向! ヤツが来たぞ!」


 その一瞬で、船長以下すべての船員がビリッ、と空気を震わせた。

長銃身のマスケットやラッパ銃を構える者、左舷側の旋回砲へつく者、片手に索具を握り締めて緊張を誤魔化す者。


「右舷側でなくて幸い。左舷側なら……まぁ、やられても砲に被害は出ませんね」

「まったくだ。……テメェら。自分のタマを触れ」

「……はぁ?」

「タマを触りやがれ! 縮み上がらせてんじゃねェぞ、オラぁ!」


 航海士が訊き返したが――――何の事は無く、船長だけが吐く悪趣味な冗談だった。

 真に受けた船員の何割かが、実際にそうして……かすかな笑いが起きて、甲板上の緊迫感は和らいだ。


 やがて――――左舷の水平線上が凪いで、真っ白い何かが浮かび上がったのが見えた。

 かつて極地で見た真っ白いクジラにも似ていたが……あれをすら容易くしのぐ。


 風の音も、索具の軋みも、船体を叩く波の音も、この海に響くはずの全ての音が一瞬止み――――海面が盛り上がり、“それ”はぬめるようにして起き上がった。


 うつ伏せのままからぬらりと気だるく起き上がるように、かつて“海ゆく群狼号”を退けた、海の巨人が姿を見せた。

 海底に完全に足がついているのではないかとすら疑うような巨大さは、誰もが畏怖を覚えるだろう。

 鱗も甲殻も体毛も持たないぬるりとした青白い肌には不気味な色の血管が脈打つのが見える。

 見える範囲の上半身は、確実に人の形だ。

 だが手指の間には水かきが膜を張り、泳ぐ生き物だと言う事を物語っていた。

 メインマスト中段にまで届いてしまう顔、その両目はまぶたが存在しない。

 魚類のように表情の無い眼に加え、粘土の切れ込みのような歯も唇もない口は、頭部を半周してしまうほどまで裂けており、小舟ならひと呑みにしてしまうだろう。

 “知性”というものを……まるで感じない、純然たる怪物そのものだった。

 しかしその身体には、いくつもの傷跡が刻まれている。

 犠牲を払いながらも打ち込んだ砲弾の傷が塞がっていない。

 腹部からは内臓が飛び出し、打ち込まれた銛は今もまだ刺さり、ダグの奮戦により痛み分けに終わらせた痕跡が残っていた。

 少なくとも――――船体の損傷と相討ちには持ち込んでいた。


「よう……また会ったな」


 船長の嘲笑する声に応えるように、海の巨人は吼えた。

 不気味にくぐもった重低音の人間の声、それを溺れさせたような……聞くに堪えない声で。


「旋回砲、発射!」


 航海士の号令とともに、左舷側の五門が火を噴いた。

 その巨体ゆえ――――どう狙っても、当たる。

 着弾した瞬間、五つの砲弾は三つが胴体、二つが巨人の左肩へ着弾し、爆発した。

 武器商人の船から盗み出した小型の“榴弾”だ。

 通常の円弾や連鎖弾ではさしたる効果は得られなかったが……爆発する榴弾ならば、話は違う。

 巨人の絶叫を景気づけとして、甲板上の船員は銃撃を開始した。

 豆鉄砲ではあっても、殻も体毛も持たない怪物に、鉛の弾丸を防ぐ手立てはない。

 撃たれる度に血は噴き出て、針の一刺しほどには効く。

 続けて――マスト中段に備えていた黒肌の巨漢ダグは銛を構えた。

 婦人の胴体ほどに太く鍛えられた黒鉄くろがねの右腕に、綱のような筋肉が浮かび上がる。

 そして解き放たれた銛は、およそ人間が助走もなしに投じたとは思えない距離と速度のもとに、深々と――――完全に埋まってしまうほど深々と、巨人の左目を貫いた。

 ほとばしる青緑の鮮血と透明の粘液は……巨人の目が、完全に潰れた事を意味した。


「旋回砲、再装填! 速度はこのまま、“ゲート”へ向かいます!」


 左舷に怪物、彼方には魔のゲートに挟まれていながらもなお、誰一人怯まない。

 すべき事は、この怪物の駆逐とゲートの破壊。

 右舷側にゲートを捉え、“一発限りの全門斉射”を叩き込む。


「ヤツが潜りますぜ、船長!」

「よし、全員、衝撃に備え! 振り落とされても助けやしねェぞ!!」


 前に向けて倒れ込むように潜行する巨人、それを間一髪ですり抜けて前進する船。

船尾に受けた余波は大きく船を揺るがし、上甲板の物品が揺らぎ、どこかの板がへし折れる嫌な音が聴こえた。


「警戒を厳に! ヤツが見えた者はすぐに叫びなさい!」


 ゲートは前方へ、すでに一海里を割った。

 もう少しで、全ての砲弾を叩き込める。

 旋回砲の装填もじきに終わり、どこから来ても対処できる。

 船長は揺れる甲板をどしどしと踏みしめ、船首へ向かう。

 舵取りを任された航海士は、呆れるようにそれを見送った。


「船長っ! 正面です! ヤツが浮上します!」

「ほう。――――全速だ! 好都合じゃねェか、ラムでも振る舞ってやろう。 船首砲二門、用意!」


 ジャック=エドワード船長は引き抜いたカトラスを甲板へ深く突き立て、踏ん張りながら船首正面の沸き立つ海面を睨んだ。

 やがて巨大な水柱とともに再び立ち上がった海の巨人は大きく左手を振りあげ、フォアマストを薙ぎ払う構えを見せる。

 だがそれよりも早く、“海ゆく群狼号”の衝角ラムがその腹へ突き刺さり、メキメキと音を立てて折れた。

 それは船体の竜骨の軋みだけではなく、怪物の身体を貫く――――骨までも砕く音だ。

 次いで、船首砲二門が火を噴き……至近距離で、散弾グレープショットを炸裂させた。


「ビビるとでも……思ってんのか? えェ? ……どけよ、クソガキが。俺の航路を邪魔すんじゃねェよ」


 腹部、胸郭を吹き飛ばされ、脊椎を衝撃に打ち抜かれ、苦痛に呻く巨人の片目を覗き込みながら、老海賊はせせら笑うように言った。

 そして巨人は発狂するような雄叫びとともに構えていた左腕を払い、フォアマストをもぎ取り、海へとなぎ倒し、索具に巻き込まれた甲板員が海へと投げ出された。

 そのままの勢いで巨人は左舷側に流れ、再び潜行するが、その隙を逃すはずはない。


「左舷旋回砲発射!」


 航海士の一声が高らかに響き、左舷の五門が一斉に火を噴いて巨人を追撃する。

 二発は逸れたが三発は命中し、血肉を削ぎ落とさせた。


「野郎ども! ヤツはもういい、ほっといたってくたばるだろう。だが、もう目の前だぜ!」


 既に、ゲートは目の前、右舷一時方向に威容を見せていた。

 銃弾ですら届いてしまいそうな距離と言っていい。

 左に舵を切り、右舷の砲を全て撃ち込める角度を取った。

 

「ダァグ! テメーも下りてこい! さっきので砲手が何人か先に逝った! 航海士、テメーもだ! 後は慣性航行でいい! 舵取りなんか要らん!」


 その激を受け、片手でロープを伝うようにメインマスト中段の巨漢は甲板へ下り、航海士もまた呆れながら、砲手を失ったカルヴァリン砲と旋回砲にそれぞれついた。


 慣性での航行に任せるまま、砲術戦の間合いにようやく船は辿りついた。

 だが――――その時。


「船長! ヤツが、また来ます!」


 船とゲートの間へ――――死に損なった海の巨人が立ちふさがった。

既に胴体はちぎれかけ、片目は潰れて、口からは唾液とも血液ともつかない液体と、泡を吹く……死にもの狂いの形相で。

 この巨人もまた、何としてもこのゲートを守らねばならない事は分かっていた。


「くたばりやがれ。……全門斉射! 全門斉射っ!!」


 ジャック=エドワード船長が甲板へ突き刺さったカトラスを引き抜き、よたつきながらも振り下ろし、叫ぶ。

 攻城用ロイヤルカノン十門。

 デミ・カルヴァリン砲十六門。

 旋回砲十門。

 サッシュに残っていた、十数丁の拳銃。

 全てが……綿密に示し合わせたわけでもないのに、全ての砲声が重なり合う。

 

 ――――ジャック=エドワード船長が見たのは、吹き飛ぶ海の巨人と、粉々に砕け散る闇のゲート。

 そして……反動に耐えられなかった船体が砕け、自壊する光景だった。


「……ザマぁ、見ろ。俺の……モンだ。この海は、俺の……」


 海へと響く狼の遠吠えの後には……もう、何も残ってはいなかった。



*****


 海へと轟く咆哮を聞き、海軍の高速船が洋上のゲートを確認しに行くと……そこには、何もなくなっていた。

波間に浮かぶ生き残りは、原型をとどめた銛打ちボートに気を失っていた数人だけ。

 しかしそこに、ジャック=エドワード船長の姿はない。

港町の者達は、彼らとその船を弔い、その功績を語るべく酒宴を開いた。


 黒髭の海賊は、あの黒き門を打ち破った。

 伝説を聞いた海の男達はそれからこぞって彼の旗を真似て掲げるようになり、その旗には名が与えられた。

 漆黒の旗に、見るものを威圧するドクロが描かれた……黒き門へと死を与えた男の旗印。


 人々はその黒死の海賊旗を――――いつしか“ジョリー・ロジャー”と呼んだ。







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