魔王の騎士と俺の意地

*****


 くすぶる火が白煙を上げ、むせ返るような血の匂いを放つオークの野営地に数人の男の姿があった。

 放棄された砦に住みついたオークの数は、およそ四十。

 送られた男達の数は、八人。

 二人が殺されたものの、引き換えにオークは……今から最後の一体が死に、全滅する。


「ヒッ……ヒギッ……!」

「……人間相手なら、尋問でも拷問でもできんだろうけどなぁ」


 他の者達が倒れたオークの死を確認している中、一人は、まだ意識のあるオークの喉に槍の穂先を突きつけている。

 その目は倦んで眠たげに閉じられかけ、無精髭を生やした灰色の髪の男だ。

 老いて見えるような髪の色は地毛であり、年齢はおよそ三十の手前。

 二振りの短剣を両腰に提げている以外特徴はなくどこか茫漠とした印象を与える、掴みどころの無さそうな中肉中背の傭兵だった。


「……しかもカネも持ってそうにねぇ。俺の槍は高ェんだぜ、まったくよ……」


 だが――――その槍は、違う。

 上質であっても業物とまではいかない変哲の無い槍は、傭兵の中でも崇敬を集める。

 この砦に住みついたオークのうち、十六体は彼の手にかかり、そのほとんどが一突きで息絶えた。

 “その一振り、一突きは一枚の金貨に値する”と称される傭兵。

 通り名は、“金貨槍きんかやりのバルザック”と言った。


「ッ……ウグ……」


 壁際に追い詰められ、喉をちくちくと穂先で小突かれながらオークが目を落とした先には、自身の使っていた手斧がある。

 だが……バルザックはそれを見逃すはずもない。


「あ……今、お前何か見てたな? 何しようとしたんだ? ん? おじさんに言ってみろ、怒らないから」


 ぎくり、と身を強張らせるオークは、言葉が分かった訳では無い。

 正確に言えば人語自体は解するものの、聴いて言葉を理解するまで数秒かかる。

 それでもオークは、気付く。

 自分が今、取り返しのつかない失態を犯したと。


「怒ってねぇけど……まぁ、死ぬよな?」


 そして――――止まったままの状態から、槍は一瞬で加速し、オークの口腔から喉を貫き、後頭部から穂先が突き出た。

 脊椎との繋がりを断たれた頭部は異常な角度を一瞬描くと、豚の亜人は倒れて……重力に任せて、槍が抜けた。


「やれやれ、オークは財宝貯めこむ習性もねぇから困る。ボーナスにもできねぇ」


 バルザックが槍を払い、血を振り落としてぼやく。

 一人で半数近くのオークを倒したにも関わらず、息の一つも上がってはいない。



*****


「……いらっしゃい、バリー坊や。まだ生きてたんだ、あんた」

「おめぇこそだ、ユーナ。……いつものエールをよこせ。まっずい混ぜ物してるお馴染みのヤツだよ」

「はいはい、ドブ川エールかよ、また。……ふところ温かいくせに貧乏な飲み方だよ、相変わらず」

「まじぃ酒飲んで、口の悪い給仕女に感じ悪く接客されてぇ時もあんだよ。さっさとよこせ」


 仕事を終えた彼は、いつも通りの馴染みの酒場へ顔を見せた。

 名物は“ドブ川”と呼ばれるエール。

 粗悪な原酒に密造酒とその辺で摘んだようなハーブを混ぜ物に使った、飲んでいるうちにタチの悪い頭痛のしてくる、酒と呼ぶにもはばかられるような液体だ。

 しかし酒精が強いせいで酔えるまでが早いのが唯一の長所で、ここに通いつめる者達は肌が黄ばんで、白目の部分まで黄色く濁り、ひどく肝臓を傷めつけている人生の落伍者のような者ばかりだ。


「……ほらよ、お待ち。あんたのお好きなヤツだよ」

「おう。……さてと、まずいエールとムカつく給仕女に乾杯だ」

「さっさと酔って帰んな、バルザック」


 恐ろしい色をしたエールをぐびぐびと飲んでいき、バルザックはささくれの目立つジョッキを乱暴に置いた。

 薬臭さと密造酒のエグみと、微かな原酒の麦の味。

 それが――――彼の歪んだ楽しみであり、日々の数少ない癒しだった。


「ぶっはぁ……いやぁ、相変わらず死ぬほどマズいわ、これ……隠し味はハルピュリアの毒液か?」

「ありがとよ。おかわりは?」

「ああ、くれ」


 傭兵、“金貨槍のバルザック”と、このうらぶれ酒場の給仕女ウェイトレスユーナは、同郷の幼馴染だった。

 かつて村ではよく遊んでおり、遠く離れた開拓地へバルザックの一家が旅立つまで一緒だった。

 時は流れてバルザックは傭兵となり、ユーナは辺境の都市で酒場の給仕となっており、再会はほんの一年前。

 奇しくも、この世に魔王が降臨したころの事だった。

 再会は二十年以上も隔てていたのに、互いに一目で分かった。

 バルザックの生まれながらの灰色の髪と覇気のない眼。

 ユーナのゆるく波打った赤毛と透き通った水色の眼。

 どちらも変わってはいなかったからだ。


「……んで、あんた、ケガはないの?」

「しないよ。たかだかオークだぜ? 準備運動みてーなもんだ」

「なんだ、残念。どっか切り傷でもありゃ、酒をぶっかけてやれたのに」

「ははっ、そりゃ悪いね。俺は女の願いにゃ敏感な方なのにな」


 会うたびに、こんな調子で軽口の応酬を見せる。

 どちらも口がよく回り、はたで聞く分にはヒヤヒヤするような、半ば口論のような冗談合戦なのに、どちらも相手を怒らせはしない。

 特にユーナは人情の機微きびを嗅ぎ取る事に長けており、はすな物言いの中にも暖かみがあった。

 そのキレの良い毒舌を聞きたくて店に通い詰める者も、決して少なくない。

 横柄な貴族にも屈せず、タチの悪い酔客にも動じず胸の谷間を覗き込む客にもぴしゃりと跳ねのけ、後ろから抱きつかれようとすれば熟練の舞踏家のように身をかわす。

 バルザックとは違う形で、彼女も強く賢く成長していた。


「そんで、バルザック。金払いはどうだったんだい?」

「あ? 何で気にすんだよ。ツケた事なんかねぇだろ」


 ちびちびと二杯目の“ドブ”を吸い込みつつ、肴に出された塩漬けの肉にもろくに手を出さず。

 そうして楽しくなさそうに仕事の疲れを癒す彼に、ユーナが話を振った。


「そうじゃない、別にあんたの懐なんか訊かなくても分かるんだ。連中の懐の話をしてるんだよ」

「ああ、そうね。……俺は今のところ買い叩かれてねーな。だが同業連中には荒れてる奴も混じってる。おめぇも気をつけろよ」

「そりゃどうも。正規兵ならともかく、傭兵にまで責任感や同族意識に訴えちゃもう終わりだかんね」

「違ぇねぇや。王様が来たらそう言ってやれよな」

「何言ってんだ? 王族サマにこの店の敷居を跨がせるかい。酒が不味くなる」

「それも違ぇねぇ」


 “世界に魔王が現れた”。

 その事実は看過できず、いずれ誰もがその恐怖を味わい、ある者は挑み、ある者は逃げ、ある者は強いられて挑む。

 国の正式な軍隊であれば無論拒めず、魔王の侵攻を阻むための戦線へ向かわされる。

 それでなくとも多くの者、特に若い新兵は血気盛んで、“魔王”と戦うためとなれば躊躇はしない。

 人類の士気は、依然として高いのだ。


 だが、傭兵は違う。

 彼らの多くは守るべき国もなく、還るべき故郷も見限った。

 戦う動機は、“金”と“自分の命”のつり合い。

 いくら金が良くても、敗色濃厚な戦場や、勝てそうにない怪物を相手に回す依頼クエストは避ける。

 もらえる金と、状況判断と、自身の強さの客観的指標。

 これらを加味して仕事を選ぶ、それが傭兵の生き方だった。

 敗軍につく傭兵はなく、勝ち馬には必然殺到し、しかしそればかり乗れば一人当たりの給金は薄まる。

 現実主義者の集団が、“傭兵”という職業なのだ。


「でも、まぁそうだよね。“金貨槍のバルザック”はまだ賞味期限か」


 ユーナが一人ごちる。

 彼女は――――バルザックと再会する前、既にその名は聞いていた。

 もっともそれが自分の知る幼なじみだと気付いたのは、この店に来た彼と話してからだった。


 さる戦場で、彼は一騎討ちでの勝利を収めた。

 相手は近隣国に勇名轟く男、“双斧槍ツインハルバードのラインハルト”。

 隙間ない赤黒の甲冑に身を包み、その身の丈は多くの男を超える。

 一節ではその鎧はもとは白銀だったとも言われ、数多くの戦場を回るうちに返り血の色が落ちなくなった、と語られていた名高き武将だ。

 ほぼ互角の戦場で、バルザックは――――それを討ち取った。

 はたから見れば余裕の勝利だったと言うものの、バルザックは「運が良かった」「相手がしくじった」とだけ言って回った。


 その日から、“金貨槍のバルザック”の名は売れた。

 振れば相手の喉を裂き、突けば二人は葬られ、槍一振りあたり金貨の一枚を支払っても決して惜しくはないとされる。

 さして高くも業物でもない槍でも、彼が握ればそれは黄金の槍へ変わると言われ、相手方の将校の中には、戦場に彼がいると分かったとたんに寝返りの交渉を打診する者もいた。

 だが、それはバルザックでなくとも決して乗らない話だ。

 “多寡にかかわらず、先に金を払って契約した者へ従う”事が傭兵の不文律。

 美学でもあるが、何より“金ですぐ裏切る”と噂が流れた者へは、もう仕事がない。


「……俺の一番嫌いな理屈なんだよ。戦うか戦わないか、命賭けるか賭けないか。そいつを強いて空気を読ませて戦場に送るなんてのがな。おめぇだってそうだろ」

「そうさね。“世界の存亡がかかっているんだぞ”なーんて言われてもね。あたしらなんて、まず今日生き延びられるか分かったもんじゃないんだ」

「そこを奴らは分かってないんだ。……“命を賭けずに済む日がある”なんて、夢のような話だって事をな」


 それでもバルザックには、この酒場でユーナと交わす厭世的なユーモアがかけがえのないものだった。

 数少ない――――癒し、そのものだ。

 三杯目の“ドブ川”を乾すと、彼は金貨を一枚だけ置いて、店を出た。



*****


 世界に魔王が現れ、全ては変わった。

 国家同士の戦いは形を潜め、平等に迫りくる絶望の軍勢との戦いを余儀なくされた。

 国々が手を取り合う姿は、かつて戦乱の世で力無き人々が夢見たものだろう。

 だが――――敵は、あまりに強大すぎた。

 あの幾度もの休戦を挟んで戦い合った数百年の確執が今は恋しい、とこぼす者も決して少なくない。

 その中で働き口を大量に手に入れられたのが、傭兵達。

 残党狩り、偵察、前線での立ち回り。

 日頃は頭の回る人類相手に戦っていた彼らに取って、いくら賢くなりつつあっても低級な亜人を相手にするのは容易い。

 およそ正規兵士や騎士には考えつかないような戦術で、彼らは戦う。

 ――――目的は、金のため。



*****


 “金貨槍のバルザック”は一ヶ月の後に、再び酒場を訪れた。

 遠い地で猛威を振るうミノタウロスの兵団を迎撃殲滅する作戦に駆り出され、そこで彼は数十のオーク、二体のミノタウロスを葬り、砲撃までの時間を稼ぐ事に成功した。

 相応の反撃でこちら側にも相応の死傷者が出たものの、殲滅作戦は勝利に終わる。

 彼が得たのは、十八枚の金貨。

 破格であっても……くぐった死線に比べれば、いくぶん安すぎる。

 ろくに怪我もしなかったため医者代で食われる事のない分が儲けになるのが、せめてもの救いだった。


「……お? 何だ、こりゃ」


 久しぶりにくぐったその店の空気は、奇妙だ。

 いつもは安酒で潰れている酔客、ユーナ目当ての男達との饐えた熱気があるのに――――どこか、だれたような空気が漂う。

 しかし居心地悪くはない、妙な生ぬるさが同時にある。

 カウンター席のいつもの場所――――の隣に先客がいた。

 およそ見た事のなかった、整えられた金髪で仕立ての良い服を着た、若い男だった。

 入った途端にユーナと目が合ったものの――――逸らされた。

 バルザックは何となく、いつもの席を避けて入り口近くのテーブル席へ座る。

 注文を取りに来たのはユーナではなく、店のマスターを務める禿げた初老の男だった。


「らっしゃい、注文は――――」

「いつもの。……おいマスター、この空気は何だよ? どういうワケだ、俺が何かしたのか?」

「いえ、そうじゃないんです。……実は、うちの給仕のユーナが……婚約したんですよ」

「え――――?」


 咄嗟に、視線はカウンターの男を捉えた。


「何でも、あの男。辺境伯へんきょうはくの末子だとか。往来で悶着を起こして絡まれていた処をユーナに助けられたとかで。それからぞっこんだったそうで」

「……見かけてねぇぞ、あんな奴」

「そりゃ、あなたは夜にしか来ないでしょうから……」

「……そっ、か」


 マスターと気のないやり取りをしながらも、視線はカウンターの男に夢中だ。

 ろくに筋肉のついていない身体は細く、あつらえたはずのシャツもベストも生地に遊びがある。

 脚も細く、蹴れば両方まとめて折れそうで――――嫌みなほどピカピカに磨かれたブーツも、短剣で簡単に両断できそうだ。

 安物の葡萄酒ぶどうしゅを傾けるその手は白く、細く、切り傷など作った事もないだろう。

 そんな風に粗探しをしている自分を恥じながら、バルザックは更に彼を見定める。

 だがもっとも目を引くのは、そんなところじゃない。

 その辺境伯の末子と言われる男は――――とても、優しそうだった。


 酒場に入り浸る男達のように、濁っていない。

 戦場に入り浸る男達のように、血生臭くない。

 とぼけた顔をしてはいても、とても……優しそうだった。

 ユーナへ時折向けるその目も、はにかんだ表情も、所在なく立てられた頬杖も。

 歳は、彼女よりいくらか下だろうか。

 不思議と、バルザックは彼に敵意も持てず、悔しさも持てず、ただ……生ぬるい視線へ、自分の視線が変わる事だけが分かる。


 ふと、その時……男は杯を飲み干して、店を出る。

 テーブルの横を通った時、バルザックは座ったまま彼に会釈を送ると、彼も返した。

 どう見ても育ちの悪い流浪の傭兵にすら、彼は――――そうした。

 戸口の外へ彼を見送って店内へ戻るユーナへ、“ドブ川”を片手にバルザックは声をかけた。


「よう、聞いたぜ。……結婚するって?」

「……ああ。祝い金ぐらいくれたっていいんじゃないのかい?」

「あぁ、そのうちな。……いい男じゃねぇの、アイツ?」

「っ……縋りつくようだったんだよ、アイツ。何度、こんなガラ悪い店に来るなって言ってもあれだよ。頭がおかしいんじゃないかね」

「まぁ、久々だ。久々に……希望の持てる話じゃねぇの」

「あんた、そんなに世の中に絶望してたのかい?」

「いや、俺じゃない。酒運んで客に毒づく育ちの悪い給仕女でも、貴族の末っ子をダンナにできる。世のあばずれ女の希望の星だ、おめぇは」

「ブッ殺すよ?」

「冗談、冗談」


 いくらいつものように言葉を交わそうとしても、そうはなれない。

 どちらも気がなく、キレがない。

 だらだらと交わす酔漢の雑談そのものだ。


「……祭礼は挙げるのか?」

「あぁ、来月……ね。そうハデにはやれないよ。何せあたしはこれだし、アイツだって貴族っつっても末席の末子さ」

「……まぁ、さっきも言ったけど、少しは弾んでやるよ、祝い金」

「アテにしないで待っとくさ」


 それきりバルザックとユーナは言葉を交わさなかった。

 今日は。

 ――――そして、もう二度と。



*****


 辺境伯の末子――――ルーカスと結ばれるべくユーナが発つ日、バルザックは戦場に居た。

 送り込まれたのは傭兵を組み込んだ二千の兵士。

 何の変哲もない、消化試合のような局地戦だったはずなのに。

 たった一騎の魔軍の将が最後に立ちはだかった。



*****


「くっそ……! なん、だ……アイツ……!」

「いったい、何しやがった……!? 魔法、か? だが……」


 陣形は一撃で崩された。

 ただ剣を振り下ろしただけなのに、遅れて無数の爆発が巻き起こり、塹壕も、そこに構えていた傭 兵達も、正規兵達も、そのほとんどが吹き飛ばされた。

 魔術師の唱える、指定地点に小爆発を引き起こす魔法。

 それを数段強化したものが、数十、数百と同時に炸裂し――――地形が変わるほどの大爆発となった。

 詠唱も行わず、魔力の揺らぎも感じることはなく。

 傭兵は、ほんの一瞬で……十数人にまで減った。


「何だ、ありゃ……!?」


 その中で奇跡的に、ほぼ無傷の状態で生き残ったバルザックが立ち上がる。

 彼が見たのは、もうもうと立ち上る粉塵の中でなお輝く、三本の横長に細い眼光。

 ずしゃっ、と死体の腕を踏み潰して姿を現したそれは――――神々しいほどの威容を放つ、“魔騎士”そのものだ。


「……何だ、お前……いったい……」


 神聖で触れがたくすら感じる、魔界の騎士。

 身の丈ほどもある大剣と、城門を持ち運ぶような大盾を、その者は易々と振るう。

 剣も盾も不気味に脈打ち、さながら身体の器官であるかのように不気味な蒼白い光を放ち、見るものを威圧する。

 一切の継ぎ目のない甲冑もまた体の一部なのか、突き刺す隙が見当たらない。

 正面から見えるのは、右半身の背に生えた四枚の小ぶりな翼と、左背の大きな一枚の翼。

 まるで――――何者かの巨大な“右腕”だ。

 魔界の騎士は、兜そのものの頭部に走った三本のスリットから眼光を放ち、傭兵達のいた陣地を睨みつけた。


「……逃げるのなら、逃げよ。俺は追わぬ。背を斬るものか」


 魔界の騎士はそう言って、構えていた盾を下げた。

 取り囲む傭兵達は遠巻きに見ていたものの、すぐに武器を構え、じりじりと近寄った。

 その中でバルザックは……手を、下ろしたまま。

 本能が告げていた。

 勝てない相手だ。

 いつか現れる伝説の存在“勇者”であっても、容易ではない相手だと。


 魔騎士の一閃は、ひどく遅く見えた。

 しかしそれは遅かったのではない。

 声を上げようにもバルザックの顎は重く、喉から空気が出て行くのもまた遅い。

 すくんで動けなかったのではなく――――視覚と意識が加速し、神速の一閃を追う事だけができたからだった。

 傭兵達の体が両断され、鎧など無いかのように消し飛ぶ。

 人形ですら、もう少し重さを感じるはずだ。

 残った兵士は、バルザックを含めて数人。

 もう、誰も武器を持ち上げない。


「――――次は?」


 その声は……どんな勝ち鬨より、蛮声より、はるかに心を容易く折るものだった。

 残された者達が逃げ行く中、彼は返しかけた踵を再び返し、その場に独りだけ残った。


「逃げぬのか? 槍兵」

「まぁ、な。逃げちまったら……あんた、進むんだろ?」


 その手には、斬爆撃で壊滅した正規軍の――――今彼が身を置く王国の紋章を染め抜いた旗槍はたやりが一振り。

 しかし、先の攻撃でくくり付けられた旗は半ばから焼け焦げてしまい――双頭のわしは、半身しか残っていなかった。


 魔騎士は、更に足を進める。

 脚甲が立てる金属音も、蝶番の軋みもない。

 それは即ち、彼の姿が――――甲冑を身に着けているのではなく、それ自体が彼の皮膚だという事を示す。

 その外皮の下は筋肉で、兜にしか見えない頭部は紛れもなく彼の“素面しらふ”なのだと。


「槍兵。貴様は何故俺の前に立つ?」


 問いかけに、圧するかのような物はない。

 答えを求め、何かを得ようとしていた。


「……そうさな。世界平和、ってヤツか……ねっ!」


 踏み込み、刺突の一閃を放つ。

 狙いは魔騎士の喉を穿つ。

 半身を覆う大盾の縁と擦れた穂先がちりちりと火花を起こすものの――――いかなる反応速度によるものか、そのまま槍の軌道を押しのけ、狙いは外された。

 リーチを稼ぐために槍の柄尻近くを片手で保持していたため身体は伸び切り、絶好の反撃の機会となった。

 そのはずなのに……魔騎士の右手の大剣は微動だにしない。

 かの斧槍の武将“ラインハルト”を絶命させた必殺の一撃にも関わらず、外され、挙句に見逃されてしまった。

 だがそれを恥辱と感じるほどに、バルザックの感性は青くない。


「本心を話せ、槍兵。貴様の今の突きは称賛しよう。……虚言とともにあれだけの突きを放てる蒙昧さもだ」

「……はははっ。おいおい、あんた……俺を買いかぶり過ぎじゃないのか」

「もう一度問う。……貴様の戦う理由とは、何だ」


 手もとまで槍を引き戻し、小脇に構えて半身のまま魔騎士と再び相対する。

 次の一撃を見舞える隙を見計らいながら。

 そして――――本心を吐露して。


「……惚れた女が、俺の知らねぇ場所で、俺の知らねぇ男と、似合いもしねぇドレスに着られながら式を挙げるためかな」

「それが……貴様が命を賭す理由になるのか?」

「ああ、あんたもそう思う? ……どうせこんな時代なんだ。誰も幸せにはなれやしねぇよ。あんたみたいな危ない奴が“魔王のイヌ”としてウロウロしてんだ」


 その言葉に……魔騎士は微かに身じろぎする。


「勘違いだな。俺は……魔王に忠誠を誓ってなどいない。あんな奴など知った事か」

「ははっ。……じゃあ、何だってんだ?」

「……我が身の永劫を終わらせてくれる刃を求めて」

「それこそ意味が分かんねぇな。……でもまぁ、いいんだ。意味なんて、誰にも分かんなくていい。何なら、そんなもんなくたっていいんだ。分かるか? 騎士もどき」


 時計回りに足を運び、盾に阻まれない――――しかし人類の用いる盾以上に幅広の剣が待ち受ける右手の側へ回る。

 今自身が生きているのは、魔騎士が反撃を行わなかったからだ。

 もしその剣が振るわれたら……“金貨槍のバルザック”といえど、風の前の塵だ。

 どれだけ他の傭兵に比べて腕が立つとしても、この存在の前では五十歩百歩だと理解していた。


「……俺達には、意味はねぇが意地はある。分かるか? 俺が逃げねぇのもそんなもんだ。俺じゃ……いや、誰もユーナを幸せになんて、してやれねぇ。相手が悪すぎる。だってお前ら……魔王、なんだぞ、俺達の……相手は……」


 穂先近くの焼け焦げた旗は、戦場に吹く血生臭い風に揺られた。

 風は段々と鋭く吹いて……魔騎士の強烈な殺気が匂い漂って、バルザックの体を包んだ。


「……だが、時間なら稼げる。ユーナが……不幸に、なるまでの……時間だ。ちょっとぐらいなら……伸ばせるんだぜ、きっとな。俺みたいな……弱っちい奴でも、さ」


 そして――――槍と剣は交錯する。

 金属音、金属音、金属音、そして肉体の爆ぜる音。

 その後に立っていたのは、魔騎士。

 ただしその右肩には、深々と……穂先が根元まで埋まるほど、槍が突き立っていた。


「……弱敵など、いるものか」


 剣を下ろし、その槍を抜こうともせず魔騎士は独白する。


「俺の剣より速く、貴様の槍は俺を刺した。……はやぶさの如き刺突。“楽勝”であったはずも無し。……俺と剣を交えた者は、例外なく強敵ともだ」


 呟き、魔騎士は戦場の空をただ独り生き残り、見上げた。

 何者かに討たれる事でしかその生涯を終える事のできない、呪われし魔界の種族。

 かつては種族そのものの名であったのに今はただ一人の生き残り、彼を差すだけだ。

 その種族の名は“魔界騎士”。

 “決着の種族”とも呼ばれる――――誇り高き戦士の種族だった。


「……さらばだ、槍兵。貴様を討ち取った事を、俺は生涯の名誉としよう」


 ずぶずぶと筋肉に押し出された槍は、青白い血液に洗われながら、地へ墜ちる。

 もはや誰も動く事の無い地を、魔界騎士は後にした。


 胴から両断されたバルザックの半身は、空を仰ぎ、眠るように目を閉じていた。

 瞼の内に見える風景が何なのか、知る者は――――ない。





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