Episode:Sorceress

*****


 魔法使いを、少年は初めて見た。

 地面まで届きそうな丈の長いマントに身を包み、宝石のはまった魔法の腕輪をいくつもつけ、見た事も無いような上質の革の、膝までかかる踵の高いブーツ。

 今まで嗅いだことも無いような甘くて幽玄な香りを放つ、不思議な木で作られた魔法使いの杖。

 実用と装飾を兼ねたいくつもの魔法の紋が刺繍された、上質なスカートと上衣。

 さらに腰には緑色の宝石が鞘にはまっている、金色に輝く短剣。

 そして――――挿絵でしか見た事の無い、つばの広い、魔法使いのとんがり帽子。


 少年は、その日初めて魔法使いと出会った。



*****


 幌馬車の中で、帽子を目深にかぶって俯き、黙ったままの“魔法使い”を少年はじっと見つめた。

 長い杖も、ローブも、帽子も、気になって仕方がない。

 それは、正真正銘の……“おはなし”に出てくる魔法使いの風体そのものだったから。

 恐らく生涯働いても、彼女の腕輪ひとつすら買えない。

 そんな事を子供心に察しながらも、その腕輪が欲しいとか、触ってみたいだとか、そういう事は考えられない。

 ただ――――それすらも、少年にとっては神秘だった。

 自分の想像を越えた秘宝がこの世界にはあり、それを巡って旅を続ける、不思議な職業が存在していると。

 ふいに、少年の目が……脚を折り畳んで座る、“魔法使い”のふとももに引き寄せられた、その時。


「……なぁに見てんのよ、エッチ」


 眠っていたと思しき“魔法使い”が……低い声でそう言った。

 慌てて視線を逸らすも、視線の行き場所はどこにもない。

 少年は積まれた荷物の隙間に身を押し込むようにして、荷の様子を見ながら父の操る馬車に揺られていたからだ。

 そして正面には、無防備な姿の“魔法使い”がいた。


「あ、い……ね、寝てたんじゃねーのかよ!」

「寝てたけど、あんたの視線で起こされたのよ。刺さるのよねぇ、そういう視線って」


 ぐいっ、と押し上げたとんがり帽子のつばの下には、恐ろし気な妖婆ようばの顔はない。

 その顔は、小生意気な少女のものだ。

 歳のころは二十にもならず、しかし吸い込まれそうな鳶色の瞳、その奥には深遠な力が渦巻いている。

 睫毛は長く、鼻も高く、ほっそりとした輪郭を更に隠すような肩までの栗色の髪は、馬車の振動に揺れていた。


「あーあ、ヤダヤダ……こんなエロガキと同乗なんて。こちとらか弱い魔法使いよ?」

「うっさいな! だったら降りたらいいじゃんか!」

「はァ? しかも歩かせるワケ? 優しくないわ。そんなんじゃ村の女の子にもモテてないんじゃないの?」

「……早く着けよ! 早く! 父さん、ムチ入れろよ!」

『まだ遠いんだよ! うるせぇからお前も寝てろよ、ジャン!』


 ぐぐっ、と言葉に詰まって視線を馬車の後ろへ滑らそうとして、途中で“魔法使い”の得意げな顔が刷り込まれ、幌馬車の少年、ジャンは黙りこくってしまった。

 “魔法使い”は、厳めしさも話しかけづらさもない。

 その自信に満ちた顔にふさわしく、不敵で、やかましく、そして……歳の離れた姉に似ていて、そこがまたジャンの苦手なところだった。


「……だいたい、何してたんだよ……あんなトコで」

「んー? 依頼の帰りだったって言わなかった? 内容は言えないんだけどねー。で、帰りのアシが無くて……転移の魔法で帰ろうかと思ったけどあれ、疲れんのよ。で、そこにアンタ達が通りかかったってワケ」


 “魔法使い”はどうやら、近くで何らかの依頼クエストを達成してきたようだった。

 何かを採集するのか、討伐するのか、その詳細はギルドと彼女の間の秘密があるようで訊けず。

 偶然、村を出発したジャンの幌馬車がそれを見つけ、街まで彼女を載せていく事になったのだ。


「まぁ、無賃乗車はしないわよ。ちゃんと働いて返したげるわ。で、アンタ、それ何?」

「は? それって……」

「そいつよ。木の剣?」


 “魔法使い”が目敏めざとく見つけたのは、ジャンが腰の後ろに隠している、木材から荒く削り出したおもちゃの剣だった。

 持ち手の部分には革ひもが巻かれており、すり切れて馴染んでいる。

 ジャンは、それを見られた事を恥じると思いきや、むしろ、誇らし気な様子だ。


「なんだっていいだろ。特訓中なんだよ!」

「まぁ、どうだっていいんだけどね。男の子って棒を振り回すのが好きよね」

「そっちだって!」

「将来は兵士にでもなりたいの?」

「……違うよ。兵士じゃない」

「…………ふぅん」


 それきり、ジャンは黙り……“魔法使い”も、追求しなくなった。

 そのまま幌馬車は車輪を軋ませ、夜になりつつある街道を走る。



*****


 彼女が魔法を覚えたのは、十歳の時だった。

 灯りの呪文に始まり、それが火球の呪文へ変わるのにそう大した時間は必要なかった。

 独学、我流で更に魔法に傾倒し、薬草学と錬金術の知識をも貪欲に飲み込んでいき、今となっては……冒険者ギルド、魔導士ギルドにも登録した、折り紙付きの魔導士になった。

 旅を続けるうちに、彼女が十七歳を迎えたのがつい先日。

 彼女はすでに名実ともに、魔法使いとしては名が通っていた。


*****


 旅路の中、馬車を止めての休息を行っていると、ジャンの父親が“魔法使い”に声をかけてきた。


「それで……魔法使いさんよ。あんたはどこへ行くんだね」


 街へ――――と答えたのは、彼の馬車に乗せてもらう時だったはずだ。


「街って言ったでしょ。ギルドに報告を入れて、報酬を貰わなきゃならないのよ」

「ああ、それは聞いたよ。……で、その次はどうすんだ?」

「次、って……。そうねぇ。とりあえず宿屋でも取って休むわよ。あとは魔導士ギルドに顔を出すのも悪くないわね。それとも、海を見に行こうかしら」

「ははっ。それはそれは楽しそうじゃねぇか」


 馬に水を飲ませてやりながら、彼はそう相槌を打った。

 続けて、独白する。


「あいつなぁ。……あんたみたいな魔法使いを見るの、初めてなんだとよ。“人間”しか見た事ねぇのさ」

「ふぅん……。アンタらの村がどこか知らないけど、行商のハーフリングだとかが来ないの? エルフやドワーフは?」

「ないない。厳密に言えば俺はハーフリングとイヌの獣人は見た事あるが、それだってジャンが生まれる前の事さ。あいつは、知らないんだ。世界には魔法があり、ドラゴンがいて、様々な種族がいて、凶暴な魔物がいて。……なんて事を、知らない」

「それで、あたしの事をもの珍しそうに見てたワケね」

「だろうなぁ。あんたみたいな、絵に描いたような魔法使い……俺だって見るのは初めてだな。たぶんあいつは、村に帰ったら自慢するんだろうぜ」

「……あのね、言っとくけど。“まほー”を使って見せるなんてイヤよ? 見世物じゃないし、何より危ないんだから」

「分かってるよ。……さ、もう少ししたら出発するぞ。ジャンを呼んできてくれよ。向こうで遊んでんだろ」

「はぁ……あたしに行かすの?」

「旅は道連れだ。呼んできてくれりゃそれでいいさ」

「はいはい、りょーかい」


 そう言って、再び馬に馬具を取りつけながら彼は出発の準備を始めた。

 “魔法使い”は杖を手に取り、片手をポケットへ入れつつ、少し離れた木陰に向けて歩いて行く。

 近づくほどに、荒く切れる息遣いと、びゅん、びゅん、と風を切る音が聴こえる。

 身を隠す事も息を殺す事もせずに近づいて行くと……そこに、ジャンはいた。

 木剣を振り回し、見様見真似の剣術らしき事を、脇目もふらず、ただ必死でなぞる。

 体格にしては妙に長い木剣にむしろ振り回され、幾度も体軸のバランスを崩しながら、突き、払い、つたない足捌きの真似事。

 やがてジャンは“魔法使い”に気付いたのか、木剣を下ろして、ばつの悪そうな顔をして、口を開いた。


「……んだよ。笑えよ」

「どうして? ……中々いいんじゃない? でももう少し、周りは見えてた方がいいと思う。敵は前にだけいるわけじゃないし、一対一の戦いなんてそうそうないわよ。人間の兵士相手でも山賊相手でも、ゴブリンでもトロールでも、まず大勢いるんだから」


 ジャンは、きょとんとした顔で“魔法使い”を見た。

 てっきり笑われるものと、囃されるものと思っていたら……飛んできたのは、ただの助言だったから。

 今度は照れ臭く感じて……またも、黙りこくってしまう。


「……そうそう、呼んでたわ。もう出発するんだってさ。置いて行かれるわよ、このままだと」

「は、早く言えよ!」

「いやー、邪魔したら悪いかと思っちゃってさ。……ああそうだ、ジャン」

「何だよ」

「どうせもう少しかかるんでしょう、この旅路。あたしが見てあげよっか?」

「え……?」

「あたしだって斬り合いは専門外だけどさ、アンタよりは強いわよ。心配しなくても魔法なんか使わないから安心しなさい」


 言って、“魔法使い”はくるんっ、と杖を振り回し、二回転させてから小脇に挟み、構えて見せる。

 魔法の使い手だからといって、常に魔法だけを一方的に撃てる間合いで戦えた訳では無い。

 距離を詰めてきた相手をとりあえず受け止め、距離を離すまで刃の間合いでしのぐ事も少なくない。

 本職の戦士とは斬り合えずとも、実戦での体捌きはジャンと比べれば天地の差だ。


「まぁ、無理になんて言わないわ。次の小休止まで考えときなさいな」


 彼女が振り返り、馬車の方角へ歩いて行く。

 そしてジャンは、小走りに駆けて追い付き……彼女の背を追った。



*****


 街までの旅は、続いた。

 一日に何度か挟む休憩のたびに、なまった体をほぐすように、ジャンは“魔法使い”と稽古を積んだ。

 細身の“魔法使い”の杖さばきは、ジャンに一発たりとも打ち込ませない。

 しかし、一方的に打ちのめすような事もしない。

 ジャンが疲れ始めた時、彼女は一度だけ隙をつくって思いきり打たせてやり、それを杖で受け止めた。

 そうして自信を持たせてやるように仕向けながら、手は抜かない。

 ゴブリンの棍棒やトロールの石斧せきふを受けてもへし折れることの無い魔法樹の杖は、ジャンの木剣では決して折れない。

 見た目は細い木製の杖でも……込められた魔力は、鋼の盾に等しい粘り強い硬さを宿す。


 通算して八回目の小休止、八回目の稽古の終わりに。

 とうとう……“魔法使い”は、尻を地面につける事になった。

 ただしそれは、打ち負けたからではない。

 足元にあった枯れ葉と、その下にある枝に気付かず……滑って転んでしまったのだ。


「いっ……たぁぁ……! 何なのよ、もうっ!」

「ちゃんと周り見なきゃダメって言ってなかったっけー?」

「うっさい! ったくもう……ツいてないわ」


 打ちつけた尻と腰をさすりながら立ち上がるも、鈍い痛みはまだ引かない。

 何とか杖を拾い、姿勢を正そうとしても……それは、まだ無理だった。


「……ま、いいわ。アンタの勝ちにしといたげる。戦いだったらあたしの負けね」

「やったー!」


 偶然とはいえ、剣を持つ相手を前に転べば死、すなわち負けだ。

 彼女はそれを素直に認めると、ジャンは喜び、木剣を振りあげて歓声を上げた。

 そして……どうしても訊きたかった事を、口にする。


「それで、ジャン。アンタ……結局、何になりたいの?」

「え? ……ああ、あれかー」

「兵士じゃないって言ってたわよね。剣振り回してなれる仕事って他に何よ?」

「……笑うなよな」

「笑った事なんてないでしょ」

「勇者」

「……ん?」

「俺。……早く大人になって、勇者になりたいんだ」

「勇者、って……あの勇者?」


 誰もが知る、伝説であり……おとぎ話だ。

 世界の全てを焼き尽す魔王が降臨した時、必ず現れる伝説の存在。

 その指は雷を呼び、勇気のもとに振るう剣技は何物をも切り裂き、倒す。

 世界のどこかに魔王が現れた時、勇者もまた現れる。

 彼の冒険をつづった物語は、世界の誰しもが子供の頃に聞き、憧れる。

 だが――――ジャンは子供ではあっても、その憧れを胸に抱き、勇者の存在を信じるには少し大きい。大きいが――――勇者の存在を信じたくなる者は、今はもうこの世界で笑われる事はない。

 実際に……その伝説の“片方”が、現れてしまったのだから。


「勇者、って……大きく出たもんねぇ」

「俺、聞いたんだ! 大魔王が出てきたって! 山の向こうのずっと向こうじゃ、なんとか王国の“そうこうほへい”が魔王と戦ってるって!」

「あー……そうねぇ。北方王国のね?」


 魔王は、すでにこの世界に降臨していた。

 西の果てにあると言われていた小国は滅び、無尽蔵に現れる魔物達は隊伍を組んで進撃し、世界中の魔物は活性化し、世界各地に伝えられる不吉な伝承は次々と実在を明らかにした。

 西の王国は激烈な消耗戦のただ中にあり、北方王国は“絶対防御の悪魔”と呼ばれる装甲歩兵師団を投入し、魔王の軍勢との戦争の火蓋は落とされている。

 魔王がいるのなら――――勇者は、いるはずだと。

 人々は、口々にそう言っている。

 勇者の存在を信じても、今はもう誰も笑わない時代だった。


「なぁ。……どうやったら勇者になれるんだ?」

「ん? んー……難しい事訊くのねぇ。うーん……?」


 様々な知識を持つ彼女にとってすら、それは難問だった。

 伝え聞く剣技はどれもが荒唐無稽たるものだ。

 光の柱となる剣、敵と定めたものにだけ落ちる無数の雷霆らいてい、結界の魔法を破壊すると言われる波動、闇を切り裂く轟雷の魔法の数々。

 どれもが、まるで人間の修める術の域を超えていた。

 少なくとも目指してなれるものではないだろうと。


「……分かんないわねぇ。調べて分かる事とそうじゃない事があんのよ、世の中」

「ちぇー。……魔法使いのくせに知らねーのかよ」

「アンタ本当、いい加減にしなさいよ?」

「ま、いいや。村に帰ったら、魔法使いに勝ったって自慢してもいいよな?」

「……もう好きにしなさい、もう。それにしても……ねぇ」


 世も末だ――――と、彼女は心の中で唱えた。

 子供が早く大人になりたがるのは、いつの世も変わらない。

 だが、その理由が……自由や酒、贅沢で気ままな暮らしではなくて、戦うためだとジャンは言った。

 大人になり、魔王と戦いたい、とジャンは言った。

 それは途轍もなく哀しい言葉だ。

 この少年が今まで生きてきた人生と同じだけの時間、世界から魔王は去らないと思っているのだろうか。

 少年が青年になっても、まだ、魔王の恐怖はこの世を席巻しているのかと。

 “魔法使い”はそんな事を口には出さず、ただ困ったように、言葉を濁す事しかできなかった。


「ま。……そんなのが、本当にいればいいんだけどね」


 そう結論づけて街道の馬車へ戻った時……出発の準備は整っていたが、ジャンの父は空を仰いでいた。

 続いて二人が見上げると、行く手の方角に煙が上がっているのが見える。

 まるで悪魔の角のような黒煙は、そこで何かが激しく燃えている事を示していた。


「あれは……何の煙だ?」

「あまり近寄らない方がいいのは間違いないわね。向こうから近寄ってこないとも限らないけれど。少し様子を見ましょうか。ジャン、アンタは馬車に乗ってなさい」

「えー!?」

「いいから乗っとけ、ジャン!」


 彼女だけでなく父にまでそう言われ、ジャンは渋々といった調子で木剣を引きずりながら馬車に乗りこみ、ふてくされながら荷物の隙間に身をねじり込んだ。

 “魔法使い”は短剣の所在を確認しつつ、杖を握り締める。

 軽く帽子のつばをはね上げ、街道の彼方にある煙の発生源を見やると、時折不規則に揺れていた。

 風など無いにも関わらず、火元付近が激しく揺れているのか、煙が拡散する。

 直後、煙を割って何かが空へ舞い上がった。

 黒煙の中に舞い散る、鮮血がぬめって光る無数の羽根。

 直後に聴こえる、甲高い、しかし常識外れた声量の鳥の鳴き声。

 風を切る羽音はまるで、竜の羽ばたきだ。

 それを認識した“魔法使い”は杖を強く握り締め、前面に構えながら叫ぶ。


「アンタも隠れて! あれは――――グリフィンよ!」


 舞い上がった黒影は、更に運の悪い事に……段々と大きくなる。

 速度はさほどではないものの、馬車で逃げられるほど甘くはなかった。

 見晴らしの良い街道で進行方向から飛んでくるグリフィンは、戦う力を持たない者にとっては“死”そのものだ。

 だが――――今日は、違った。


「……まずいわね。馬に引き寄せられてこっちにまっすぐ来てる。牝馬だから殺されはしないと思うけれど……あたし達はオヤツにされるのは確実ね。後に残るのは、ヒッポグリフを孕んだ牝馬が二頭。壊れた馬車とあたし達の死体」

「ど、どうすんだ! 逃げられねーのか!?」

「逃げられないんなら、仕方ないじゃないの。諦めましょ」


 “魔法使い”の言葉に、幌馬車から顔を出したジャンが絶望しかけたとき。

 すぐに、その表情を拭い去る言葉が紡がれた。


「逃げるのは諦めて……仕方ないから、さくっと倒しちゃうわよ」


 刻一刻と近づくグリフィンの羽音へ向け、彼女は軽やかに歩み寄り、馬車の前面を庇うように立った。

 ジャンが幌の間から顔を出しているのをちらりと見て、“魔法使い”は片目を閉じてウィンクを送り、すぐさま帽子をかぶり直して、杖を虚空へ躍らせた。

 放つ低い呟きは、呪文の詠唱。

 魔法を使うための、契約と誓約の言葉。

 もはや、馬車ほどもあるグリフィンの巨大な風切り羽根の一枚一枚すら数えられる距離。

 血走った鷹の目と血に染まった上半身の鉤爪、新鮮な血をすすった鉄床かなとこのように巨大なクチバシには、馬のたてがみらしき物も、肉片とともにこびりついていた。

 だが、見れば――――その血は大部分、グリフィン自身のものであるようにも見えた。

 体表にいくつもの傷が刻まれており、深々と何かが突き立っているのも見えるが、固まった血のせいで何かまでは見えない。

 馬車馬が怯え、いななくのと同時に……“魔法”が、できあがった。


 十数本のまばゆく輝く光の矢が解き放たれ、横隊に広がる弓兵の斉射のように正面からグリフィンを迎撃する。

 見ればその矢は一本一本が、まるで意思を持つかのように空中を曲がりくねって、徐々にグリフィンへと引き寄せられていくようだった。

 空中には光の粉の軌跡が残り、黄金の粉を撒き散らすような光景の中で、とんがり帽子の“魔法使い”が杖をグリフィンへ差し向けている。


「すっ……げ………」


 この日、ジャンは本物の“魔法”を見た。

 迫るグリフィンへ臆さずに立つ、光の中で微笑む正真正銘の魔法使いの姿を。

 魔物へ向かう、いくつもの魔法の矢を。


「キョアァァァァァァッ――――!!」


 眼前から殺到する光の矢に驚いたグリフィンは急上昇して逃れようとするも、乗り過ぎていた速度は、そう殺せるものではない。

 約半数の光の矢がグリフィンの体表近くで爆発し、羽根を脱落させ……痛みに喘いで鈍った瞬間、残りの矢が獅子のような下半身へ追いすがり、爆発する。


「あたし特製の魔法矢マジックミサイルのお味はいかが? 触れなくったって、近づけば炸裂するのよ。飛行生物相手にチマチマ狙ってらんないのよ」


 続けて、頭上でひゅんひゅん、と杖を回し、石突いしづきの部分で地を叩く。

 左前方に一度逃れたグリフィンは、再び速度を載せて、“魔法使い”の身体を引き裂くべく突進してきた。

 その頑強な爪は先ほどの爆発で一本が吹き飛ばされていたものの……彼女の華奢な体を裂くには、充分すぎるだろう。


「続いて、これが“魔法の盾”」


 しかし、その爪は弾かれて――――そのまま、何かに沿うようにグリフィンは後方へ飛び去る。

 気付けば魔法使いのみならず、すっぽりと馬車まで覆うような、薄紅色の楕円形の“魔法”が馬車を守っていた。

 摩擦を起こしたグリフィンの身体が焦げる匂いが、ジャンと父親の鼻を刺激する。

 抜け落ちた羽根は魔法の盾の上でバチっ、と幾度も弾かれて踊っていた。


「そして、せっかくだから見せてあげる。あたしの“必殺技”」


 “魔法の盾”が解かれ、宙を舞っていたグリフィンの羽根があたり一面に降り積もる。

 羽音は馬車の直上へ移動しており――見上げたジャンは、遠くともその魔物の目が怒りに燃えている事を見て取り、思わず唾を飲みこむ。

 怒り狂ったグリフィンの目を覗き込む、その感覚は熟練の冒険者でさえも怯むものだ。

 だがそれでも、不思議と怖くはないと感じていた。

 何故ならば、目の前に本物の魔法使いがいたから。


 魔法使いの杖は手元を離れ、彼女の頭上でひとりでにくるくると回っていた。

 やがて、その速さが増していき……速さのあまりに、ゆっくりと見え始めた時。

 魔法使いが両腕を広げると、はめている魔法の腕輪が、輝き始めた。

 空を仰ぎ、グリフィンを回る杖ごしに見つめた彼女の目が、金色の光を放った時――――――杖から、光の線が真上に伸び、それは一瞬の後、極太の光の柱と化してグリフィンを飲み込んだ。

 “閃光の魔法”の後に――――もう、グリフィンはいなかった。

 羽音も叫びも聴こえず、空から羽根が舞い落ちてくる事もない。

 回転を止めた杖を受け止めた魔法使いは、長く息をついて、落ちていたグリフィンの羽根をひとつ手に取り、弄ぶ。

 まだ幌の間から見ていたジャンの視線に気付いた彼女は、振り返ると……にやり、と笑った。


「……どう? 勇者じゃなくったって、魔法使いも中々いいモンでしょ? 勇者にはなれるか分かんないけど、魔法使いにだったらなれるわよ」



*****


 一日後、やがて街につく寸前に兵士の一団と街道ですれ違った。

 手負いのグリフィンが近隣で目撃されたため、これより向かうのだという。

 ジャンも、父親も、彼女も、何も言わずに通し……そのまま街に入ると、“魔法使い”は馬車を下りた。


「さてと、乗せてくれてありがとね。お礼してなかったわよね」

「い、いやとんでもねぇよ! あんたがいなかったら俺達はどうなってたか……!」

「そういう訳にはいかないわよ。……じゃ、そうね。いいこと教えてあげる」

「え?」

「この道の奥に、魔法具の店があんのよ。そこにグリフィンの羽根持っていきなさい。結構いい値段で売れるはずだと思うから、それがあたしからのお礼って事にしてちょうだい」


 拾い集めたグリフィンの羽根は、麻袋二つ分にもなった。

 本当ならグリフィンの身体は魔法の触媒に、武具にと余さず使えるはずだったが――――跡形も残さず倒してしまった。

 それでも、これだけの羽根があれば、辺境の村人の一家、いや村そのものが潤うだろう。


「し、しかしだな……助けてもらった上にそんな事までしてもらっちゃ……!」

「いいのよ、気にしなくて。結構楽しかったわ」


 そこで、父親とばかり話していた“魔法使い”は気付いた。

 父親の傍らにいたジャンが、俯いたままだという事に。


「……なぁ、また会える?」

「生きてりゃ必ず会えるわよ。世界はこんなに広いんだけど、“魔法”だって実在したでしょ? 出会いは神の御業、別れは人の仕業、なら再会は――――意思の必然、って事にしときなさい」

「むずかしい言葉いわれてもわかんねーよ」

「……あー、つまりね。意思さえあれば、必ず再会できるってこと。で、あんた……今でも勇者になりたいかしら?」

「……大人になってから考える。なぁ、ひとつ約束してくれない?」

「何を?」

「もし、本物の勇者に会えたらさ。どうやってなるのか……訊いといてくれよな」

「会えたらね。まぁ、いたとしても……いや、約束するわ。会えたら訊いておく」


 ぽんぽん、とジャンの頭に軽く手を乗せ、ひとまずの別れを告げる。

 少年は今もまだ木剣を握り締めていたが、その持ち方が違っている事に、彼女は気付く。

 持っているのは柄ではなく、その上……刃の根元の部分を持ち、柄を上に向けた、“杖の持ち方”に。


「それじゃーね、また会いましょ」


 何度か振り返りながら、魔法使いは立ち去る。

 その度に二人は手を振ってくれていて、若干の後ろ髪を引かれる思いもした。


「……勇者に会えたら、ねぇ。……どうしよ、すっごい無理難題ふっかけられちゃったわ」


 冒険者ギルドを目指して歩きながら、彼女はぼんやりと考える。

 もし勇者がいるのなら。

 もし、魔王討伐の旅などというのが本当に行われるのなら。

 そこに――――自分の入る余地はあるのか、と。


「ま。……今は、勇者の存在を信じてもバチの当たらない時代か」


 軽やかに歩く彼女の視線は、雲に覆われ、それでも青さの透けて見える空に、まっすぐに向けられていた。







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