三悪人と、男の夢


*****


 都を離れていく馬車の荷台に揺られ、二人の若い男が互いの顔を見合わせ、自嘲しつつ笑った。

 木板に直に腰を下ろすだけの粗末な馬車、粗悪にガタつく車輪の揺れは容赦なく尻を突き上げ、一時間も座れば感覚はなくなってしまうに違いないと。

 馬車を先導するのは、鎧に身を固めた騎兵。

 後ろにつくのも、また数騎。

 

「ったく……運の尽きだ、こりゃよ」

「ああ、そうだな兄貴。……年貢の納め時だよ。今まで不払いがかさんでたもんな」


 片割れが口を開くと、もう片割れもまた冗談のように続ける。

荷台には二人を除いて、若者が数人と、少し年のいった、人相の悪い男が一人。

誰もが不安を噛み殺している中で……“二人組”は、笑い合う。


「まぁ、到着まではかかるだろうさ。寝ておこうぜ」

「ああ、兄貴。……俺達は、死ぬまで一緒さ」


 同乗者が彼らの様子を怪訝に思い、視線を向け……すぐに、気付く。

 今から向かう先の事を知らないはずなどないのに、あまりにも、晴れやかな様子をしている事に。

 せめてこの街の流れ行く風景を目に焼き付けることもせず、二人はすぐに目を閉じ、寝息をたて始めた。

 馬車のすぐ後ろについた騎兵も彼らのあまりの肝の太さを怪訝に思い、首を傾げ、困惑とともに隣の兵士に目配せする。


やがて――――街を抜けても、二人組はぐっすりと、座り込んだまま寝入っていた。



*****


「兄貴、今日は?」

「まずまずだな。食料も得られたし、しばらくは休業だ、バック」

「良かったー……これで当分はノンビリできるね、アレン兄さん」

「お前は気概ってのがねぇんだな。いつになりゃ慣れるんだ、ケイシー。黙って剣だけ持ってりゃいいのに、いらねェ脅しを入れて、しかもみやがったな。今日のメシはお前が作れよ」

「ご、ごめん……バック兄さん」


 山小屋の中で男が三人、テーブルの上に広げた“戦利品”を前に、その日の反省をしていた。

 三人とも粗末な衣類を身に着け、不揃いなベルトに長剣やナイフを差しており、どこをどう見ても堅気の者には見えない。

 二十歳を過ぎた程度の年頃だが、その三人の顔、厳密に言えばうち二人の顔は修羅場をくぐってきた事で目がギラつき、躊躇いのない剣呑さが瞳の奥に映されていた。

無気力な顔つきの長兄アレン、がっしりとした偉丈夫の二男バック、頼りない優男やさおとこの三男ケイシー。

 三人は――――社会的に分類するなら、野盗として食い繋いでいた。


 生まれは、ある都市の橋の下だった。

 三人そろって橋の下に捨てられ、孤児院へと送られて育った。

 一応は兄弟として育ったものの……実のところ、血のつながった兄弟であるかどうかすら定かではない。

 三人とも顔は似ていないし、体格もバックが最も立派で、ケイシーなどは都市民と比べてもひょろひょろとして頼りない。

 “順番”を決めたのは、孤児院を飛び出し、廃屋の中で送った最初の“三人だけの夜”の話し合いでだった。

 知恵が回り、読み書きのできるアレンが長男。

 体格が良くて喧嘩の強いバックが二男。

 頭も鈍くて体も小さい、おまけに意気地いくじもないケイシーは、末っ子。

 孤児院を抜け出す、と上の二人で話し合いをして決めた時、最後まで引き留め、それでも結局は「離れ離れはイヤだ」とついてきたのがケイシーだった。

 しかし、学もなく家もない孤児みなしごがまともな職につけるはずもなく、スリや空き巣、あらゆる“盗み”で糊口を凌ぎ続け、ある程度成長してからは追い剥ぎへと稼業を変えた。

 そして、都市での悪党生活の何もかもがわずらわしくなり……今は街道から外れた山小屋を拠点に、野盗として生計を立てていた。

 都市の暗渠には厳然たる、しかし暗黙のルールが多すぎた。

 顔すらろくに知らない“顔役”とやらに収穫の数割を献上せねばならず、縄張りを間違えて仕事をすれば命の危険があり、それで命を狙われたとしても衛兵に駆けこむ事などできない。

 理不尽が許容量を超えたと思い都市を飛び出し、今は兄弟三人、気ままな野盗の生活を送る身の上となった。


「それにしても……アレン兄さん、おかしくないか?」

「何が?」

「最近、あの街道を通る人が多いよ。それも、決まって……王都の方に向かってだけだ。今日の行商人だって、まるで……引き上げてくるみたいだった」

「……なるほど、言われてみりゃそうだぜ、兄貴」

「ふむ。確かに妙だ。しばらく襲撃はしないが……様子を見るか。こんなコトなら、あの行商人から日誌でもせしめるべきだったな。何か分かったかもしれん」

「何でそうしなかったんだ、兄貴よ」

「そりゃ、オメェ……日誌なんか盗ってもしょうがねぇだろ。どこそこで飲んだとか、どんな女抱いたとか、興味もねェよ。宝の在り処が書いてあんならともかく」


 “三兄弟”の中で最も臆病なケイシーの勘は、よく働く。

 良い流れを見分ける勘は無いものの、その逆……危険を避けるための勘だけは、不思議と冴えているのだ。

 “勝てるかどうか”を見るアレン、“勝つまでやめない”バック、“勝っているうちにやめる”ケイシー、大まかにこの三兄弟の性格を現すとこう分かれる。

 基本的に、彼らは襲撃対象の命を奪わない。

 なめられないために脅しを入れ、手足に斬りつける程度はしても、致命傷までは負わせずに、所持品だけを奪って……従順にするのであれば、見返りとして懐の中に当座の金は少し残してやった。

 あまり派手にやると狩り出されかねないため、長く細く、けちけち・・・・とやる。

 ドブネズミを同郷に持つ育ちが生み出した、生きるための貴重な教訓。

 褒められたものではない者達の社会で身に着けた、世渡りの極意によるものだった。



*****


 数日、様子を見ていると……ケイシーの指摘した通り、人の流れに偏りがある。

王都の方角へ向けてロバを引く商人、取るものも取り合えずいそいそと街道を上る一家、家財道具を荷車に詰めて曳いていく農民。

とにかく、王都の方角へ向かう者が目につく。

不思議に思い、旅人を装ったケイシーが彼らに話を聞くと――――奇妙な噂だけが手に入った。


“魔王”が、この世界へ現れて……王都の反対側から魔物が現れる事が多くなった。

 だから、少しでも安全を求めて……兵士すら駐屯しない農村を引き上げ、王都の近くで働き口を見つけようとしている、と語った。



*****


「で……お前はそれを信じたのか、ケイシー?」

「俺だって疑ったよ、アレン兄さん。でも、小馬鹿にすれば怒ったし、疑えば力説された。夜逃げの方便としては手が込み過ぎてるだろ?」

「……なるほどな。だが……魔王なんている訳がないだろ。その手がここまで伸びてきているんだったら、この辺りは今頃地獄になっているんじゃあないのか?」

「でもな……気になるよ、やっぱり」


 情報収集から帰ったケイシーが変装を脱ぎながら報告し、アレンはそれを粗末な椅子に座ったまま聞く。

バックは夕方の今でもまだ眠りこけており、奥の部屋からは高い鼾が聴こえ、二人の会話に雑音として容赦なく割り込む。


「魔王が実際いるとしてだ。その手が伸びているのならお国だって黙ってやしない。軍団を差し向けるはずだ。だが……そんなのは通ってない。迷信深いモンなんだよ、畑耕してばかりの田舎者かっぺどもは。おおかた、長老サマとやらが老人らしい錯乱を起こして、それを世間知らずのアホが本気にした。そんなとこだろう」

「そうかなぁ……」


 巧みな毒舌を織り交ぜたアレンの言葉に、ケイシーは納得していない様子だった。

 そこを訝しく思ったアレンは、葡萄酒で口を湿らせてから問いかけた。


「……ケイシー、おい、ケイシー。お前は何で疑う? まさか、魔王に本当にいてほしい訳じゃねぇんだろう?」

「まさか! 兄さんの言う通りだったらいいな、って確かに思うよ。魔王なんかいない方がいいに決まってるじゃないか」

「だったら何だ。歯切れが悪いんだよ。何かしたい事でもあるのか? 例えば魔物に扮して旅の連中を襲うか? それもいいな。痕跡をうまく擬装すれば……イヤ、討伐隊を送り込まれかねないな。一考しないとな」


 アレンがそんな悪だくみのアイデアを話している間にも、ケイシーは浮かない様子だ。

 帽子を脱いで、椅子を引いて腰かけて……テーブルの上に伏せてある杯を起こして、葡萄酒を注ぎ、一口含む。

 その渋みに唇が震え、吐きだしかけるのを堪えながら、彼は言った。


「……兄さんはさ、もしも魔王と勇者とがこの世界にいるとしたら、どっちに就く?」


 大真面目に、大人のはずのケイシーは訊ねた。

 追い剥ぎを共に営む一応の長兄、アレンへと向かって。


「お前……頭がどうかしたのか?」

「酔ったのかもしれないね。……で、どう?」

「知るか。……お前こそどうなんだ。魔王サマも勇者サマも、ドブネズミに興味なんかあるかよ」

「俺は、まだ分かんないな。でも、せめて……そうだな。人間でいたいよ」

「また、ワケわかんねぇ事を。酒入れたら寝ろ、ドブネズミ三号。アホ野郎の戯言に付き合ってらんねぇよ、こっちまで寝ちまいそうだ」


 アレンに一笑に付されながら、ケイシーは一度だけ、寂しそうに笑った。

 悪漢には決してなれない気弱な優男が、いつものマスクの下に、何かをしまい込むようにして。



*****


 二日後の事だった。

 三人は、アジトから少し離れて……街道を下り、仕事に出た。

 ぼちぼちと蓄えも底を尽き始め、追加の物資を略奪する必要が出てきたからだ。

 しかし見ていても、襲って割に合う獲物がなかなか見つからない。

 都市まで引き上げようとするしょぼくれた農民の一家を襲ってやろうとでも考え、行動に移した。

三人だけでの襲撃は、心もとない。

 だから立地をよく吟味し、数を悟られないか……悟られても逃げられない、そういう地形を選ぶ必要が常にある。

 見晴らしのよい場所はまず除外。

 前後を挟撃できる隘路に潜み、木立の中に何人も隠れているように見せかける工作をし、脅しを入れる。

 たっぷりと荷物を背負った行商人なら尚よく、素早く逃げる事も応戦する事もできないのを逆手に取れる。


 大人しく従うのなら、ぎりぎりで都市に辿りつける程度の食料だけは残してやる。

 そうちらつかせてやるタイミングを誤りさえしなければ……難しいことは、何もない。


「それで……兄貴。今回はどこで罠を張る」

「橋だ。少し下った所に、古びた石橋があるだろ。あそこで挟む」


 年季の入ったブロードソードを肩に担ぎ、バックは気合十分といった様子で作戦を訊ねる。

 応えるアレンもまた、ショートソードと二本のナイフをベルトに挟めた姿。

 その後ろからついて行く三男は、追い剥ぎとしては不似合いながら、彼の容貌にはよく似合って見える、どこで拾ったのか華美なハンドガードの付いたサーベルを腰に差す。

 兄二人に「キザったらしくてナメられるから止めろ」と再三の忠告を受けているのに、それでも手放そうとしないものだ。

 軟弱な顔をせめて誤魔化すために少しぐらいは武器で威圧しなければならないと、何度言ってもケイシーは不思議なほど頑固になってしまう。

 まるで……何かを目指すようにだ。


「ケイシー、そろそろ顔を隠せよ。お前のヤワな面相はただでさえ向いてねぇんだ」

「ああ、分かったよバック兄さん。……これでいいかな」


 せめて追い剥ぎに向かない優しげな顔を何とかするべく、彼はいつも口もとにスカーフを巻き、帽子も目深にかぶって恐ろしげに見せようとさせる。

 すると細いサーベルは腕に覚えのあるように見えなくもなくなり、ある程度の威圧効果は出せる。

 問題は、口さえ開かなければ、という点にそれがかかるという事だ。


「あー、チクショウ。肉食いてぇよ、肉。保存用のパンも乾きかけのチーズももうゴメンだ。エールが飲みてぇ」

「黙れ、バック。うまくいけば宿屋で酒ぐらい飲めるさ」

「兎ぐらいなら仕留められるけど……」

「うるせぇ、ケイシー。あんなの食える部分が少なすぎるだろうが。豚だ。豚が一頭手に入れば俺はゴキゲンだぜ、三日ぐらいはよ」

「よせと言ってるだろう。気を緩めるな」


 やかましく会話をしつつ、街道の様子を見ながら木立や岩陰を選んで歩いて行くと、何の変哲もない、石橋へと到着した。

 川幅五メートルほどにかかる苔生した石のアーチは、いかにも丈夫そうで、馬車が渡れる程度には広い。

 だがその三メートルほど下には岩が多く、落ちればまず無事では済まない。

 どこかの行商人が落としたのか、砕けた木箱が川の水で洗われていた。


「……何の変わった様子もないな。よし、少し隠れて待つぞ。バック、ケイシー、正面は任せた。俺はいったん向こう岸に渡って身を隠す。獲物が来たら合図するから、橋を渡り切る寸前で止めろ。俺が挟む」

「分かったぜ、兄貴。しくじんなよな」

「……見つからないでね、兄さん」

「誰に言ってる。いいか、俺が合図した奴だけを襲え。いいな?」


 バックとケイシーが正面から足止めし、アレンが後ろに回り込んで挟撃。

 可能であるならどちらかが人質を取る。

 いつものように淀みない、慎ましく・・・・人を襲う計画だった。

 作戦を伝えたアレンは橋をささっと渡り、すぐに茂みに身を隠す。

 大柄なバックにも、頼りないケイシーにも務まらないポジションは、いつしか彼が務めるようになった。


 ――――――そのまま、数時間。


 対岸のアレンの合図を見逃すまいと、バックとケイシーは隠れている。

相手がいるゆえに小声で雑談を交わせる二人は、ただ待つ時間を苦にしない。


「バック兄さん。聞こえる?」

「なんだ、ケイシー。合図か?」

「いや。……もし兄さんなら、魔王と勇者、どっちの味方になるかなって」

「……またその話かよ。兄貴に聞いたぞ、お前がくだんねぇ事考えてるってよ。訊いてどうすんだ、このウスノロが」

「……もしもこの世界がそうなら、俺は……せめて、兵士になりたいんだ」

「あぁ? 頭でも打ったか、このバカ。つーか兵士ってどっちの?」

「いやいや……。考えたんだよ。俺たちはさ、きっと……アレン兄さんの言ったように、ドブネズミみたいなもんだと思うんだ」

「分かってんじゃねぇか」

「だからさ。……きっと魔王の味方についても、ドブネズミなんだろうね。他の人たちにさえ軽蔑され続けた俺らが、魔王に大事にしてもらえる訳なんてないじゃないか」

「…………」


 イヤな事を言う奴だな、とバックは苛立ちながら、しかし反論はできずに言葉を飲み込み、沈黙を用いて言葉を促す。


「でもさ……せめて、兵士に、なれば。兵士として魔物と戦っていれば……せめて、人間らしく死ぬ事ぐらいはできるんじゃないか、ってさ。一度ぐらい、勇者を見る事ができるかもしれないな、って」

「お前……俺を説得しにかかってんじゃねぇだろうな?」

「違うよ、バック兄さん。……そもそも、勇者と魔王が本当にいるならって話だからさ」

「ンな世界じゃなくても兵士にはなれるじゃねぇかよ」

「分かってないなぁ。……魔王のいる世界で、兵士として、勇者のそばに立って魔王と戦うから意味があるんだよ」

「なんでぇ、結局フワフワした話かよ。……っと、おい、ケイシー。あれは何だ?」


 バックの言葉に、散々に夢を語った三男は長兄の方角を向いた。

 茂みの中にいる兄が――――何も合図を送っていない。

 それ自体は良いとしても、問題は、橋に向かってくるのがいかにもな農民の家族。

 継ぎの当たった服を着た男が二人。

 その後ろに、幼い娘を抱きかかえて足をもつれさせながら走ってくる、恐らくはどちらかの妻。

 彼らはまるで何かから逃げているようで……その形相は必死としか言えない。


「何だ、ありゃ……? とりあえず様子を見た方がいいみてぇだ」

「いや、兄さん……あれは!」


 橋の方へ向かって駆けてくる、四人の後方。

 彼らを追いかけてきているのは、山賊だった。

 人数は二人、そのどちらもが、アレン達よりさらにボロボロに擦り切れた、何日着ているのかも分からないような粗末な服だ。

 手入れを怠った髭はまるで野獣の伸びすぎた毛のようにもつれて垂れさがり、口の中に見える歯は黄色く濁り、見ているだけでも臭ってきそうなほどだ。

 斧はボロボロに欠けて血錆が浮き、使い込まれたメイスも、腰に差した手斧も、どれもが人を殺め続けた証拠をその物言わぬ鉄の体に宿している。

 血走った眼は――――前を行く農民の男二人ではなく、未だ可憐といっていい年頃の、子を抱いた女に向けられていた。


「おいおい、逃げてんじゃねぇ!」

「大人しくしてりゃぁ、明日の朝には帰してやるっつってんだろう!」

「はははは、どこまで逃げようってんだ!?」

「まぁ、男はいらねぇよ! お前らは逃がしてやろうじゃねえか!」


 口々に下卑た野次を飛ばしながら、必死に逃げる四人、厳密に言うなら一人を追い立てる。

 それはまるで追い込み漁だ。

 後ろから聞くに堪えない汚言を投げかけ、体力を消耗させる、お決まりの悪漢のやり口。

 どこの街道にも、どこの国にも、どこの時代にも、必ず存在する手合いだった。


「――――クソ、ややこしい事になりやがった! ケイシー、出るなよ。やり過ごすぞ」


 橋へと向かってくる一団を見て、バックはアレンが合図をしなかった理由を悟る。

 この余計な修羅場は、やり過ごすに限る。

 彼らを助ける理由は無いし、歴戦の山賊とやり合うのは避けたかった。

 ここでむしろ出ていき、山賊と挟み撃ちにしてやっても……取り分をくれるとは思えないし、そもそも哀れな彼らは金を持っているように見えない。

 “何もしない”のが、正解だ。


「クソ、見つからないでくれよ……兄貴」


 バックが、橋のすぐ近くに隠れている兄を見守っていると、とうとう一団が橋を渡った。


「あぁっ……!」


 疲労困憊した様子の男二人がさっさと橋を渡り、ケイシーとバックの近くを通り過ぎた時……運の悪い事に、橋を渡り切る直前、女はとうとう転倒してしまった。

 子をかばいながら倒れた拍子に足を痛めたのか、彼女は立ち上がれない。

 山賊達は、運が向いてきた――――とばかりに足を早め、彼女に近づき、服に手をかけた。

 その時、バックは気付く。


「……まさかこんなトコでおっぱじめんじゃねぇだろうな……ん!?」


 後ろに隠れていたはずのケイシーの気配が、ない。


「おい、アホ! 何してんだ!」


 叫んだ先には、倒れた女と山賊。

 そこへ剣を抜きざま走っていく、ケイシーの姿があった。


「なんだぁ、テメ……ぐわっ!」

「ぐぅっ……!」


倒れた女から子をひったくろうとしていた山賊の肩へ斬りつけ、アワをくったもう一人のむき出しの腹へ、切っ先を浅く突き刺す。

 最初に斬った山賊は女から離れ、もう一人はその場に膝をつき、傷の深さを確認していた。

 ケイシーは彼女と山賊の間に立ち塞がり、何も言わず……剣を向けていた。


「あ、あなたは……!?」

「いいから、立て! 逃げるんだ! 早く!」

「は、はい……!」


挫いた足を気遣いながら、片手を使って彼女を助け起こす……その、時だった。


「さぁ、早く……立……うぐあぁぁっ!!」


 背骨に沿うように、深々と斧が食いこんでいた。

 腹を刺された山賊が、片手で傷を押さえながら……残った手で、容赦なく斧を振り下ろしていたのだ。

 その目は怒りに燃え、斧を引き抜いてから……更にもう一度見舞うべく、振りあげた。


「このクソガキが! 何のつもりだ! ……うっ!?」


 しかし、振り下ろされる直前……山賊は、躊躇した。

橋の向こうに、抜き身のブロードソードを片手に走り寄る、二人目の大柄な男の姿を認めたからだ。

 ……それも、自身と同じく……怒りに燃えた形相で。

 

「ぐ、くっ……! おい、ズラかるぞ!」


 腹を刺された男が言うと、山賊二人は脱兎の如く逃げ、引き返していった。

 残されたのは、斧でえぐられた背中から大量に血を流す、帽子とスカーフ姿のケイシー。

 彼に助けられる形となった、子を抱く農民の女。

 駆け寄ってくるバックと、身を隠すのをやめたアレン。


「お、おい……ケイシー。バカ野郎が! なんだってあんなマネ……おい、兄貴! 助かるよな!?」

「…………」


 アレンは、答えない。

 うつ伏せに倒れるその背は、骨までも断たれており……流れ出る血も、多すぎた。

 薬も無ければ、回復魔法を使える者もいない。

 祈る事すらもできない。


「ケイシー。どうして出てきた? 合図を待てと言ったろう」

「は、ははっ……。わかん、ないや、俺。……ごめん、兄さん……オレ……ごめん……」

「……ケイシー」


 ゆるやかに凍り付くように、やがて、彼は全ての温もりを失った。

 帽子とスカーフの間から覗けるその目は、まるで……眠るように、薄く閉じられていた。



*****


 やがて、二人の兄は物言わぬ弟を連れて山小屋へ帰りついた。

 最後の夜をせめて三人で明かすべく、ベッドに寝かせ……その傍らで蝋燭を灯し、山小屋にもともと置いて有った聖典の写しを胸に抱かせてやった。


 アレンとバックは、古くなりかけた葡萄酒を含み、無言で何杯かを空けた。


「だから言ったのさ。ケイシーに追い剥ぎ稼業はムリだったんだよ、兄貴」

「……ああ、そうだな。慣れる……なんてのは、嘘だな。向き不向きは、慣れでどうにかなるものじゃなかったな。一つ学べたよ。次からは、そういう事を言う奴は笑ってやろう」


 身近な誰かが死んだ時、憎まれ口と、辛辣な人間評をその誰かへ向ける。

 胸にあるのが哀しみであると分かっているからこそ、人はそうやって少しでも和らげようと、時には皮肉な笑みさえ湛えて“誰か”を貶す。

 ましてそれが……悲嘆を表に出す事へ抵抗する、強く在らんとする男であればなおの事だ。

 育ちが悪ければ、更に。


「……どう思う、兄貴。あいつら、まだ仲間いるのか?」

「二人だけって事ァないだろう。十人いるかいねぇかってトコだろうな、相場では」

「ったく。悩みの種を残していきやがって。最後まで使えねぇ弟だったぜ」

「…………」

「なぁ、兄貴」

「……だな」

「ああ。許せねぇよ。許せねぇ。俺達の弟を、よくも殺しやがって」

「……ケイシーを、よくも殺しやがったな」


彼らは蝋燭が消えても新しく点けず、暗闇の中で酒を飲んだ。

互いの顔が見えないように。

ときおり暗闇の中で、どちらのものとも知れぬはなをすする音が響くのを、酒瓶の水音で打ち消しながら。


「バック。……奴らを、るぞ」

「ああ、兄貴。……やっちまおうぜ」


 夜が明けると同時に、二人は弟を山小屋の裏へ埋めてやった。

 その寝顔は、どれだけ目を凝らしても……皮肉なほど、安らかなようにしか見えなかった。


*****


 山賊のねぐらのおおよその位置は、あの時助けた女に訊いて、知っていた。

 加えて、逃げ去った方角からもアレンが割り出す。

 山賊はおおよその場合、洞穴などにアジトを作る。

 勤勉でもない彼らは小屋を立てる事などせず、せいぜい放棄された廃墟のマシな場所を取り合う程度が関の山。

 そして、そんな廃墟はこの界隈にない事も掴んでいた。

 二人だけになった兄弟は、やがて崖下の洞穴に行きついた。

 アレンの腰には、弟の使っていたサーベルとショートソード、ナイフ二本。

 バックはブロードソードと手斧に加え、一着だけあった革鎧を着込み、二人とも、その背に大量の荷物を背負ってきていた。


「……見えるか兄貴」

「ああ、いるな。……見張りはたった一人か。……どれだけバカだ、あいつら?」


 通常、二人は立てるべき見張りが、入り口には一人いるだけ。

 しかもそれすら酒瓶を片手の有り様で、危機感などまるで感じられない。

 たとえば一人が時間を稼ぎ、一人が応援を呼ぶ。

 そんな連携すらも、彼らは取らないのだろう。


「……奴をおびき出して殺せるか、バック?」

「おう。……兄貴も予定通りな」

「交代の時間がいつかは分からんし、あのアホどもが律義とは思えないが……まぁ、ケイシーが守ってくれるのを期待しよう」

「よせよ、兄貴。ケイシーに期待してもムダさ」

「それもそうか。しくじるなよ」


 バックが荷を下ろし、アレンが洞窟の入り口側へ迂回してゆき、工作の準備を始める。


 やがて、バックのいた場所へ物音に引き寄せられた見張りが向かい、微かな驚きの声のすぐ後に、ごきりっ、と首のへし折れる音が聴こえ……付近は、不気味なほどに静まり返った。

 やがてバックは見張りの死体を入り口から五メートルほどの場所へ置き、その前に、剣を抜いて悠然と突っ立つ。

 時間にして十分ほどで、洞窟の奥から、重い足音が響いてきた。


「おーい、待たせたなァ。見張り交代だ。ったく……あのバカどもの恨み節ったら耳にタコができ……っ、お、おい! なんだテメェは!? だ、誰か! 誰か来てくれ! 敵襲だっ!!」


 彼の無防備の横腹を取っていたにも関わらず、アレンは微動だにしない。

 全ての仕込みは終わっていても、今はその時ではないからだ。

 一人ずつ潰していくのも良いが、籠城されると厄介だ。

 あえて姿を見られているバックが姿を一人で晒し、囮になって巣穴の全員をおびき寄せる必要があった。

 そして――――罠にかける。


「くそがっ! テメェはあの時の……!」

「一人で何のつもりだ? おい!」

「なんでぇ、お前らの言ってたヤツかよ、こいつ?」

「構うかよ。ブッ殺して続きを飲もうぜ」


 仲間の死体、その前に立つバックを見ても、出てきた山賊たちはまるで哀しみの様子も、それに対する怒りもない

 バックは無意識に剣を握る力を強め、歯噛みした。

 ケイシーはまったくもって、不出来で使えない弟だった。

 だが……こんな連中に殺されるべき人間では、なかったと。


「……弟ってのは、厄介者だよな」

「あぁ!? 何言ってんだテメェ!」

「気に入らなくても、どんだけアホでも、能天気でも、ときには酷いケンカをしたとしてもよ。……弟がどっかのクソッタレに煮え湯を飲まされたんなら、兄貴がシメに行かなきゃならないらしいな」


 バックが続けて気を惹いていると、洞窟の入り口に回り込んだアレンが――――“仕上げ”にかかる。


「だから、俺と兄貴は……お前らを、カタにハメてやらなきゃあいけないんだとよ」


 瞬間――――火の手が上がり、対峙するバックと山賊達、そしてアレンを囲むように火の海となった。

 あらかじめ仕掛けて置いた罠は、松脂と油、よく乾いた枯れ枝の包囲網。

 退路を断ち――――地下へと進む洞窟に逃げ込ませる事無く、この場で勝負をつけるため、二人は自らの退路すらも残さず、炎の中で山賊へ躍りかかる。


「芸のないセリフだが、一応言うぞ」

「ぐぇっ!」

「弟が……世話になったな」


 ちりちりと焦げ付く肌も、肺腑が焦げそうな熱気も、二人の“兄”をたじろがせる事はない。

 慌てふためく山賊の胸にアレンの持つサーベルが突き刺さり、背中から刃が生えた。

 前蹴りで山賊の体から引き抜くと、今度はそれを投げつけ、別の山賊の太腿を貫く。

 その場に膝を折った山賊の頭蓋へバックのブロードソードがめり込み、続けてもう一人が斃れる。

肝をつぶし、逃げようとして火に巻かれた山賊が二人。


 火の粉の舞う中で、二人の“兄”は、血に染まった武器を握り直した。



*****


 数日後、ある街に二人組の男が訪れた。

 一人は、サーベルを腰に提げた中肉中背の気だるげな顔をした男。

 一人は、ブロードソードを提げた筋肉質の偉丈夫。

 ところどころが焦げ付いた衣服と、すすの残った顔は……彼らの潜った死線を物語った。

二人組は街へと入るなり宿屋を探し、腰を落ち着けた。


「……なぁ、兄貴。どうして、俺達は生きてんだ?」


 ブロードソードの男が訊ねると、兄貴、と呼ばれた男は杯のエールを飲み干し、答えた。


「さぁな。……偶然だろう。あのアホが気を利かせたなんて事はない。飲みたがってたエールだぞ、バック。飲めよ」

「ああ。……なのにな、妙にマズいんだ、こいつぁ」


 客や亭主に聞こえる事も厭わず、バックは声をひそめる事無く言った。

 だが――――二人を咎められる者などいない。

 焦げ臭さをまとったまま宿屋で昼間からエールを乾す、どう見ても堅気ではない二人の男を。


「強いて言えば……俺の仕込みの甘さのおかげだろうな」


 最後の山賊を斬り倒した直後に、洞窟入り口を包んでいた炎が急に立ち消え、避難路となった。

 半地下の洞窟の中へ滑り込み、山賊達の盗品を物色しながら一晩過ごし、その足でここへやって来たのだ。

 アレンはそれを偶然と断じたが、それが無意識に生き残ろうとした自分が為した事なのか、今は亡き弟がそうさせてくれたのか、考えあぐねていた。

 ひとまずは生き残れた事を噛み締め――――酌み交わすはずだった杯を、今は二人でだけ交わしている。


「思えばあいつもアホだな。魔王と戦いたい、なんてよ。そう思うだろ、兄貴?」

「……いや。どうも……そうじゃ、ねぇようだ」

「はぁ?」

「魔王だよ。……お前は便所に行ってたから知らんだろうが、今そこで衛兵が話してるのを聞いた。どうやら、実際に魔王が現れたらしいぞ」

「はぁぁぁぁ? おいおい、何だよ……あいつの夢、叶う寸前だったんじゃねーかよ」

「全くだ、ツキもねぇ、チャンスも掴めねぇ、ここまでどうしようもねぇヤツがいたとは」


 そしてバックは――――さらにまずさの増したエールを、喉の奥に流し込んだ。

 実際に魔王は存在したのだ。

 あの日、もしも飛び出さずにいれば……ケイシーの夢は、叶ったのに。


「……まずい酒はもうゴメンだ。出るぞ、バック」

「おう……分かった、兄貴」


 代金を置いて、まだ日の高い街の光景を見ながら歩いた。

 石造りの家、がなり立てる先触れ、行き交う市民達の顔は、穏やか……とは言い難く、少し曇っているようにも見えた。

 路地裏を見れば、いつかの自分たちと同じに見える“後輩”達が身を寄せ合っていた。

 恐らくはまともに食っていく事などできず、どこかでくたばる、ドブネズミのお仲間達。

 それが、アレンの自分たちへ対する評価であり、そうした者達への評価だ。

 人間には、なれないと。


「……これからどうする、バック?」

「さぁな。二人に減っちまったな、いっそ盗賊にでも転職すっか?」

「ああ。それはいい……かもな」


 身の処し方を考えても、まるで冴えない考えしか浮かばない。

 盗賊、傭兵、ごろつき稼業しか頭に浮かばない。

 そして正直――――アレンも、バックも、疲れ果てていた。


「繰り返す! この度の魔王出現により、兵士が不足している! 我こそはと思わん者よ、共に戦おう!」


 歩いていると、募兵官が街の広場で叫んでいるのが聞こえた。

 近づいてみれば、その文言の内容に反して……人は、あまり集まっていない。

 馬車と呼ぶのもおこがましい荷車には、若者が数人と、若者をやめかけている男が一人。

 訓練所へ護送する役目を持つ兵士達も、人の集まらなさに、浮かない顔をしている様子だ。


「そりゃ、集まる訳ないわな。一緒に魔王と戦いましょう、なんて……フツー行かねぇよ」


 バックが心底哀れんだ目で彼らを見て、せせら笑った。

 地獄への道連れを集めているようにしか、どうしても……見えなくて。


「……バック、本当にいいのか?」

「ああ。……俺達は兄弟だろ? 兄貴」


 孤児院を出たあの日、ケイシーをこの地獄へ引き込んだのは……アレンと、バック。

 だから――――今度は、似合わない善意を育ててしまった、あの弟に手を引かれてやるのが筋だと、二人は頷き合った。


「おい、兵隊さん。……二人分、席は空いてるか?」









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