城塞都市の守護者:地下水道の異変

*****


 その日も、西方王国の城塞都市は賑わいを見せていた。

 市場には威勢のいい掛け声が交錯し、城壁のすぐ外の畑から運び入れた野菜や、遠い地から仕入れた果実が屋台に並び、太さも製法も様々の腸詰めを所狭しと並べた店には人だかりができている。

 広場では先触れの声が張り上げられ、運河を動き回る荷運び達の怒声も、いつものようにどこかから聴こえる。

 目を閉じていたら歩けなくなりそうなほどの音の洪水が、今日もそこにある。


 そんな城塞都市の一角、市場を外れから優しげに見つめる者が一人いた。

 曇り一つない鏡のような肩当てと胸甲を身に着け、仕立ての良い白と緑を基調にした燕尾の礼装を着こなし、下肢はぴったりとしたズボンに、膝丈の革ブーツで包まれていた。

 手甲部分に紋様の入った薄い金属板を留めた革の手甲、金剛石ダイヤモンドで装飾された、白銀の長剣。

 一切の歪みのないベルトと留め具をふんだんに用いられた、一般市民が三ヶ月も働いてようやくブーツの片方が買えるか、というほどの逸品ばかりだ。

 そして、何より――――


「市内の見回りですかな? 騎士様」


 腰の曲がった老人が、“彼女”に声をかけた。


「いや、大したものではないよ。……それよりご老体、朝の空気はまだ堪えるのではないか?」

「まだ寒うございますな。ですが、老体にこそ運動は必要ですからな」


 顔なじみとなった老人とやり取りをする“騎士”は、女だった。

 身分の良さを感じさせる血色の良い肌、よく手入れされた光輪すら見える金髪、ほっそりとした幼さも未だ残していながらにして、凛として整った顔立ち。

 力のこもった両目には、ただかたくななだけではない柔らかな光も宿して街行く人々を見守り、しかしその中に他者の財布を抜くものがあれば即座に見とがめる構えも怠らない。


 従者もつけず市井しせいを見回る女騎士の名は、アデルミラといった。

 王都から派遣され、数日前から同胞の騎士とともにこの街へ赴任していた。

 その名目は治安維持、ならびに衛兵隊の視察とされていた。


「それはそうとご老体。最近、どうなのか?」

「いやはや、恐ろし気な話ばかりでございますな。昨晩も、西の商業地区で強盗が二軒もあったとかで。街の外から流れてくる旅人も吟遊詩人も、不景気そうでした。全く、彼らもお若い身空でしょうに……若者の浮かない顔とは、こうも堪えるもの」


 歴史を誇る城塞都市は、西方王国の守りを成す一角でもある。

 国境際にある事もあり、人の流れも絶えず、他国からの旅人が訪れる事も多い。

 その城塞都市に――――このところ、奇妙な噂が起こり始めた。

 どれもが荒唐無稽ながらも、市民の不安も無視できぬという事で……彼女の所属する騎士団から十数名の騎士と彼らの従騎士が、衛兵の増員とともに送り込まれる事となった。

 その中でも彼女は街を直に歩き回り、市民たちと交流を持つ事で、少しでも事態を把握しようと努めていた。

 馬も使わず、従者も宿舎へ待たせ、情報収集の日々。

 城塞都市を震わせる数々の怪し気な伝聞の正体は何か。

 他国からの間諜が流布した、敵地へ盛る毒薬のような“噂”なのか。

 それとも本当に起こった怪現象、出会うはずのない魔物と出会ってしまった旅人の命からがらの証言なのか。

 その中でよからぬ輩の視線を感じる事もあったが、それもまた欲する“情報”だった。

 向けられた視線が、身に着けた金品へのものか、彼女自身へのものか、それとも貴族へ向けた怨嗟のものか。

 視線の“性格”もまた、貴重な情報になりうる。

 流布された噂の目的を推理する上でも、役立つ。

 アデルミラはその身をあえて晒す事で自ら情報を集めて回り、市民たちと直に話し、彼らの不安を解消すべく、時間の許す限り街中へ出ていた。

 車輪を道の凹みに引っ掛けてしまった馬車があればこれを助け、馬が言う事を訊かず困っているようなら血気に逸る馬を落ち着かせて手綱を引き、揉め事が起こっているならば仲裁し、両方の言い分に耳を傾けてなだめた。

 結果、三日もする頃には彼女への、ひいては共に訪れた騎士達への態度も軟化し、今となっては世間話にすら応じてくれるようになったのだった。


「さて、私はこれで。ご老体、風邪など召されるなよ。この時期に体調を崩すと長引くからな」

「ご丁寧にどうも。騎士様こそ、ご健勝を」


 老人へ一礼し、彼女はその場を後にする。

 ブーツの踵が石畳を叩く音を刻み、石造りの古都へ響き渡った。

 彼女の足は迷いなく、衛兵の詰め所へ向かっていった。



*****


 広場の一角にある衛兵詰め所のひとつへ顔を出すと、そこには――――数人の衛兵が、午前の見回りから戻ってきたところだった。

 詰め所にいた一人、髭面の“小隊長”が、顔を見せたアデルミラへ、いきなりの苦言を呈する。


「卿。何度申し上げればお分かりになるのですか。市中の巡回に出られるのなら、誰かに一言……せめて、お一人ではご遠慮ください」

「どうか許せ。急に思い立ったものでな。それより皆、疲れてはいないか?」


 詰め所の主でもある小隊長以下、今この場に居る衛兵達の顔には疲れが浮かび上がっていた。

 気遣うと彼らは目配せし合い、それを小隊長が咳払いとともに睨むと、なりを潜めた。


「すまない、何かあったのか? 私は市場側を見回っていたのだが……」

「ええまぁ、卿。実は……明け方、いや深夜から……妙な通報が街のあちこちで。この地区だけで三ヵ所から……」

「ほう……。教えてくれ。妙な、とは?」


 小隊長が椅子に腰かけ、対面に座るようにアデルミラを促した。

 勧められるままに座ると、小隊長がうんざりしたような表情で、苛立たしげに口を開いた。


「どこからともなく妙な音が聴こえた、と。それも複数の種類。文字通り地の底から響くようなうめき声であったり、低く囁く呪文のような声であったり、カタカタと鳴り響く音、金属音等。現場を調べて見ても、何も怪しいものはなし」

「ふむ。場所は?」

「……おい、地図だ。地図を持って来い!」


 籠手を外したばかりの衛兵の一人が、壁に掛けてあったこの地区の見取り図を剥がして、小隊長へ渡す。

 そこには、真新しく書きつけられた×印が、ちょうど三つ記してあった。

 ×印の傍らには、今日の日付け。更に視線を落とせば、違う日付の×印がいくつか。


「見ての通り、それ自体は今日が初めてじゃないんです。ただ、問題は……今日に限っては、三ヵ所。これまではせいぜい数日に一回だったんですがね」

「何故黙っていたのだ? 報告を上げてくれと言ったじゃないか」

「変な音が聴こえた、なんて珍しくもないからですよ。たいていは酔漢か薬物中毒の声、でなきゃ聞き間違い。ましてや最近は変な噂ばかり流れています。さかりのついた野良猫の鳴き声だって魔物の声に聴こえてしまうんでしょう。……現に、この三ヵ所。現場を見ましたが何もなかったとの事ですから」

「ふむ。なるほど……。この三ヵ所、何もなかったのは分かったが……何か気付いた事は無いのか? どういった者が住んでいるか、とか」

「さぁ……。ここ、一つ目の印は古い倉庫の裏。二つ目は街中。三つ目は……運河をまたぐ橋の下の、下水溝ですね。おかしな住民はいない場所ですよ」


 場所はばらばらで、今のところ共通する部分はない。

 テーブル上の水差しからぬるまった水を注ぎ、一口飲むと、小隊長は溜め息を吐いた。

 彼もまた衛兵としての職務に燃えてはいる男なのに、今は肩透かしの疲れが強い。

 ほぼ詰め所に泊まり込むような生活をここ最近送っており、目の下の隈は濃くなるばかりだ。


「分かった、小隊長。済まないが、この地図の写しを貰っても良いか?」

「ええ、まぁ……ご自由に……」

「ありがとう。……何かあれば、どんな些細な事でも、一言でもいい。我らの宿舎へ届けてくれるようお願いする」


 そう告げ、アデルミラは立ち上がり、燕尾を払って衛兵詰め所を出た。


*****


 その夕方、街はにわかに震えた。

 “四回目”が起こり、衛兵隊が運河べりへ殺到し、これまでにない緊張を持って当たらざるを得ない事態が起こっているからだ。

 アデルミラがそれを知ったのは宿舎の自室にいた時、従者からとなる。

 彼女はすぐに出ると馬を走らせ、その現場へと向かった。


 運河に面した下水溝から、不気味な声が――――今も聴こえ続けている・・・・・・・・、と。


*****


 現場へつくと、馬を降りて人だかりを掻き分け、衛兵達が槍を構えて遠巻きに見ている、問題の下水溝を見つけた。

 運河へ吐きだすように作られた横穴の下水溝は、騎馬のままでも侵入できそうなほど広く……妙なことに、据え付けられていたはずの鉄柵が外されていた。

 

「ウゥゥゥオォォォォォォ……」


 その声は、到着したアデルミラの耳にも確かに聴こえた。

 地の底から湧き上がるような、怨嗟の声。

 彼女はその声を吐きだす存在を、知っていた。

 松明を手にした衛兵も、集まった野次馬も、運河に面した建物のテラスから身を乗り出す市民たちも、震え上がっている。

 彼女はその恐怖に慄く包囲の中に、昼に話した小隊長の姿を認め、近づく。


「小隊長? 状況はどうなっている?」

「来てくれましたか、卿。さっきから……ひっきりなしに聴こえてきます。あれは何なんですか?」

「……“人”でないのは確実だ。それで、前回の地下水道の“浄化”はいつだった?」

「先週執行したばかりです。司祭に浄化を頼んだのですが……」


 城塞都市の地下には、整備された水道が走る。

 数十年前に海の向こうの某国で発生した“黒死病”の報告を聞き、王政が速やかに各都市の衛生管理を徹底させるべく行った事業によるものだった。

 糞便や使用済みの生活用水は下水へ流し、魔導士ギルドの開発した浄化装置により、その溜まった汚水を可能な限り分解、浄化してから運河へ流す。

 そうする事で運河への悪影響も抑えられ、魚も泳ぐ清浄な水を保てる。

 だが、彼女が言った“浄化”とは、意味合いが違う。


 文字通り――――教皇庁の人間を呼び寄せ、地下水道そのものを、神聖呪文で浄化する。

 よどみ溜まった悪しき気を、想念を祓い、城塞都市の地下、暗渠にはびこる邪気を押し流すのだ。

 その日ばかりは運河で働く者達は休みとなり、決して近づかない。

 実際に……これを怠った時には地下水道に打ち捨てられた、もしくは迷い込んだ浮浪者の死体がゾンビになり、呻き声と腐臭を発して問題になった。

 その時を教訓として、月に一度、もしくは場合によって二度、教皇庁から派遣された司祭によって地下水道を浄化する儀式が執り行われるようになったのだ。


「……認めたくはないが、地下はどうしても悪漢の根城になる。死体を闇に葬る事も、少なくないだろう。だから浄化の必要が出る。無念の死体はゾンビになり、肉が落ちてスケルトンになり、やがてレイスになってもおかしくない。グールまでもが現れてしまいかねない」

「聞くところによると、この都市には元から旧時代の遺構があって……どこかで、交じりあってしまっていても、おかしくはないそうです」

「そうなると……もはや、迷宮だな。そんなものを足元に抱くと言うのは、何とも心細いな」


 さながらダンジョンのように口を開けるそこへ、アデルミラは迷いなく近づく。


「ふむ……。では、入ってみよう」

「え!?」

「入ってみねば、何が起きているのか分からないだろう」

「いえ、しかし……危険ですよ」

「今は危険じゃないと言うのか?」


 その言葉に小隊長が黙り込んだのと同じくして、他の騎士達がアデルミラから遅れて到着した。

 誰もが白銀の肩当てと胸甲を着け、隙のない身のこなしで排水溝の前に億する事無く立つ。

 松明の炎に照らされる彼らの瞳は、使命感と自信を漲らせ、曇りなく地下水道の闇を見据えていた。


「ここから入るのは私一人でいい。諸卿は違う開口部を固めよ。地下水道の概略図は渡した通りだ。衛兵隊は協力せよ」


 アデルミラは、振り返る事無く騎士達に“命令”を下した。

 ただそれだけで、彼らは胸の前で敬礼を行い、再び散って行った。

 城塞都市のあちこちにある、同様の、“何か”が這い出てくるにふさわしい下水の出口を固めるべく。


「さて、聴こえたな小隊長。何人たりとも通すなよ。すぐに戻る」


 そう言って――――アデルミラは段差へ足をかけ、皺一つない騎士団の礼装をまとい、松明を手にして城塞都市地下の“迷宮”へと挑んでいった。



*****


 流れ込む汚水、駆け巡る鼠、糞便の悪臭と、生活用水の饐えた異臭。

 それは――――彼女のような立場にある者が、身を置いていい場所では無い。

 彼女はそんな事も意に介さず、上質のブーツに汚水が沁み込むのも辞さず、歩き続けた。

 息をする事さえ苦痛に感じそうな地下水道は、思いのほか、広い。

 横幅は成人男性が三人ほどゆとりを持って並んで歩けそうなほどで、天井も女性にしてやや長身な彼女の背丈を突っ返させるほどでもない。

 何かが現れれば剣を抜き、振るう事も可能だろう。

 戦場のような足運びはできぬにしても、戦う事はできる。


(……声はこちらか? だが……分かりづらい。奇襲を受ければコトだな)


 歩いている間にも、あの奇妙な“声”は聞こえる。

 狭い下水道に反響してその発生源は判然としない。

 先ほどよりは近づいているが、その正確な距離までは掴めない。

 ――――――あくまで、“音”では。


「オォォォォォ……」


 やがて、アデルミラの嗅覚が、“死臭”を捉えた。

下水道にはびこり、絡み合ういくつもの悪臭の中にあって、ひときわ異質で忘れ得ぬ者――――人間大の、死体の臭い。

 馬や牛がここで死んでいるはずがない。

 大きな動物が死ぬことによって生まれる、大量の臓物の腐臭、たかる蝿の羽音も必然多くなる。

 ある程度近づきさえすれば、“それ”は捉えられた。

 アデルミラの前方、十字路の左側から――――それが、聴こえ、嗅げた。

 右手が差し伸ばされ、長剣を抜き放つ。

 刀身は炎に照らされて月光のように蒼白く輝き、下水道の闇を切り裂いた。

 やがて……それは、緩慢な動作で姿を現した。


曲がり角の石壁を掴んだその手、指先は……死体に特有の、誰も羨む事のない血の気の失せた白さを映す。

だがその爪は腐り落ち、内側に蠢いていた蛆虫がぽとり、と落ちた。

勿体ぶることなく、“それ”は一気に姿を見せた。


腐り果ててなおも彷徨う、不浄の存在アンデッドの中でももっとも名高いもの。

往時の魂は既に旅立ち、今、その亡骸を動かすのは彷徨える霊魂。

自らの死を信じず、この世での未練を果たすべく……しかし、その未練が何であったのかさえも見失った、おぞましき死者。

――――“ゾンビ”だ。


ゾンビは振り向くと、片方しか残っていない白濁した眼球で、アデルミラを見た。

抜け落ちた歯、鼠に齧られてなくなった鼻、破れた皮膚なのか衣類だったのかすら分からない、黄色く染まった布を体に垂れ提げた、骨になりかけた痩躯。

残酷なほどに対照的な、金髪の女騎士アデルミラへ投げかけたその視線は、何を含むか。

しかし、あくまでアデルミラはその死者を目の当たりにしても、引かない。

瞳を揺るがす事も無く、ゾンビを見つめ、剣を握り締めた。


「そなたの無念、私が祓おう。安らかに、眠れ」


 ゆっくりと向かってくるゾンビ、その胸へと向け――――彼女は、救いを突き立てた。



*****


 最初に出会ったゾンビから、更に進む。

 アデルミラの服に、髪に、横合いの下水管から不意に飛び出た汚水が散り、穢していた。

 燕尾の裾は汚水に浸かり、吸い上げて変色させてもいる。

だが彼女はそれを気にかける事も無く、なおも進む。

 ゾンビを倒しても、未だ――――下水道の奥から、不吉な唸り声が止まない。

 更にその後二体倒しても、まだだ。

 途中で脇道に逸れ、主要排水溝のひとつ、その鉄柵越しに同胞の騎士と衛兵に簡潔に状況を説明した。

 ゾンビと出くわし、倒した事。しかし唸り声もやまず、妙な重苦しさが今もあるという事。

 このまましばらくは探索を続けるが、本格的に夜が深くなる前には一度打ち切り、出るという事も。

 差し出された革袋から水を飲み、それを返すと、再び彼女は薄暗く湿った闇の中へと身を翻した。


(妙だ。先週“浄化”をしたのに、なぜゾンビが複数発生する? 死体があるのはおかしくないとしても、宿る悪霊はどこから?)


 本来であれば、施した浄化の効果は二ヶ月ほどは続く。

 念には念を入れて一ヶ月に一度施していて、以来アンデッドの騒動はこの城塞都市では起こっていないのに、今日は……これだ。

 それも、一週間で。

 何かの外的要因が加わっているのは、間違いなかった。

 この城塞都市にある旧時代の遺構が地下水道と混じり、そこから何かが起きた可能性。

 であれば、彼女一人では対応できはしない。

 全ては推量であり、手応えも手掛かりも、今はない。

 彼女は松明を片手に、地下水道の走行を書き込んだ地図を照らしながら、ひたすら進んだ。

 

(……ん?)


 行く手の奥に、光が見えた。

 揺らぐ炎は、通路の両脇に二つ。

 近づけばそれは、松明の火だと分かった。

 更に奥には広い空間があり、山積みの“何か”と、机、蝋燭の灯り、小さな書架も見える。

 傍らには――――人影も。

地図をしまうと、警戒しながら、しかし剣は抜かずに進む。

 人影は椅子に腰掛けもせず、腰を曲げて、机の上で何事かを書き留めていた。


「失礼する! 貴公はそこで何をしているのか?」

「ひっ!?」


 その空間に踏み込み、誰何すると人影は震え、羽ペンを取り落として、くぐもった悲鳴を上げつつこちらを向いた。

 深い紫色の……いや、もはや黒と言ってもいいようなローブを着込み、浅くかぶったフードから怯えたような表情を見せる、若さから遠のきかけた年齢の、中年ともつかない小男だった。

 むき出しの足は酷く汚れ、机にぶつかった拍子に落ちたのは……数片の人骨。

 当然、アデルミラはそれを見逃さない。


「もう一度問おう。貴公は、ここで、何を、している?」


 厳しさを増したアデルミラの問いは、小男に松明を突き付けながら、場へ緊迫感を溶け込ませる。

 男はひどく狼狽しながら、抵抗する様子は見せず……彼女へ、助けを乞う。


「ち、違う……! 私、私は……ただ……」

「貴公がまず何者なのか言え。とはいえ……予想は、つこう」


 アデルミラの松明に照らし出されたのは広場の中心に集められた、大量の――――人骨。

 少し離れて、死体。

 それも死んで間もないだろうものばかりだ。

 状況証拠だけで、もはや充分にこの男の素性は知れた。


「貴公、死霊術士ネクロマンサーだな? 現在、当局は特に取締の対象としてはいないが、この状況は別だぞ」

「あ、あ……あぁ、違う……ちが、違うんです……!」


 ひたすらに死を冒涜する魔術の一系統。

 それが、死霊術ネクロマンシー

 かつては西方王国が取り締まり、魔術師狩りの対象としたのも、それを修める術士達……すなわち、ネクロマンサーだ。

 今となってはその壮絶な“死術士狩り”も書物の中の存在となり、術士達もその存在を歓迎はされずとも、身を潜めて人里離れた場所で生きるようになった。

 街中でひっそりと、地下室で明け暮れる者も……そう珍しくはない。

 墓荒らしや殺人、傷害さえ伴わないのなら、死霊術そのものは今では罪ではない。


「先ほどからそう申しているが、何がだ? 詳しく話すのだ」

「き、聴こえるんですよ……! 頭の、中で……!」

「聴こえる、と?」

「あ、あぁ……ほら……そろそろ……だ……! 王国に、王国に……滅び……新しい、王……!」


 小男のネクロマンサーが激しく痙攣し、耳を――――まるで頭蓋を押し潰すような勢いで、塞ぐ。

 ぐらぐらと揺れる頭は何かを振り払うようで、白く泡立った唾液が床に飛び散り、しゅうっ、と不可解な煙までも立てた。


「待て、貴公……何を言っている? 王国? 滅びだと?」

「……す、すみません……! わた、私は……ただ……気付いたら、ここにいたんです。お願いします……見逃してください、私は……何も、分からないんです……」


 落ち着きを取り戻した……ように見える小男はそう言って、一転して落ち着いた様子で、そう言った。

 その目は臆病ではあっても、決して狂気は宿していない。


「……済まないが、それは無理だ。下水道に住みつき、死霊術に明け暮れる男。見逃せんよ。ひとまずは神妙に縛につけ。衛兵詰め所で言い分を聞こう。むろん、私も立ち会う。貴公に決して手荒な真似はさせぬと誓おう」


 そう言うと小男は観念したようにフードを下ろし、うなだれた。

 この状況、騒動まで起こしてしまった以上、アデルミラでなくとも見逃せない。

 彼に詳しい話を聞いてから、全ての処遇を決める必要がある。


「信じてください。私は……誰も、殺してない。その死体も、もともとここにあったんです」

「信じよう。だが、少し調べさせてもらうぞ。後に人も遣って更に詳しく検分するがな」


 アデルミラが、白骨の山の傍らにある真新しい死体へ近づく。

 とうてい信じられる言葉では無かったが……ひとまず、調べなければならない。

 その死因、可能であれば身元、最低でも身分。

 死体は二つ。どちらもうつ伏せのままで、男女のものだ。

 見る限り、外傷はない。そのうちの一つ、男の死体を転がして仰向けに変えると、その胸が背中の皮膚を一枚残すばかりにぽっかりと溶け消えて、傷口の周囲に黒いアザが生々しく残っていた。

虚ろな目はもはや何も見てはおらず、口からは赤黒い体液が漏れだし、乾いて筋を残している。

 死因はその傷だが――――何によってもたらされたか、分からない。

 何より、その傷口……胸郭を消し飛ばしたような傷口からは、何の臭いもしない。

 内臓の臭いもなく、虫もたかる気配がなく、死臭すらも。

 物言わぬ死体の中に、“死の世界”がぽっかりと空けられた。

 覗き込めば引きずり込まれそうな、虚無の傷口だった。

 続けて、女の……恐らくは平民階級の年若い娘の傷も、また同様。

 これは、何らかの魔術による傷だ。

 

 彼に質問しようと立ち上がったその時――――低い囁き声に続いて、空気を震わす何らかの“力”を感じ、とっさに振り向きざまに左腕で身体を守った。


「ぐっ……!?」


 小男が放った魔術が左腕へ粘りのある漆黒の汚水のように絡みつき、覆い隠していた。


「あ、あ……違う、違うんです……ただ、私は……! コ、ロ……」

「貴公、やはり……!!」

「そう、殺し……たかった……! 試したかった! でも、堪えられて……たのに……!おかしい! もう……我慢、できない……殺したい! 蘇らせたい! 死体を繋ぎ合わせたい! もう無理だったんです……! あなたを……切り刻みたい」


 左腕にへばりついた“闇”はなおも蠢き、アデルミラの左腕を溶かし、食らい、その断面から彼女の命を啜り尽そうと、意思を持つようにうねっていた。

 小男の目に、もはやかろうじて残っていた臆病な正気はない。

 あるのは狂気に駆り立てられた、よこしまな術士の眼差し。

 黒魔術を学ぶものは、いつしか必ず戦う事になる。

 学んだそれを、試してみたい。

 仄暗い欲望を抱え続けねばならない葛藤は、人である以上抑えられないものだ。

 だが、それ以上に――――その目に宿るのは、およそ人のものであるとは思えない。

 既に、彼の双眸は真っ黒く染まっていた。


生憎あいにくだな」


 彼女の左腕を覆っていた“闇”は、逆を辿るように……段々と縮んでいき、小粒の宝石ほどまで押し固められていった。

 その下から現れた彼女の手甲は、依然曇りなく輝き……彫り込まれた魔法文字が白く光り、取り落とした松明をしのぐ光源となり、下水道の闇を祓う。


聖騎士わたしに、闇の魔法は通じない」


 左手を払うと、小粒に固められた“闇”は水滴のように振り払われ、石の床に小さな焦げ跡を残し、消滅した。

 アデルミラはゆっくりと――――魔導銀ミスリルの長剣を抜き、切っ先を向けるように両手で構える。


「我が名は教皇庁司祭位階にして聖騎士団副団長、聖騎士アデルミラ・ヴァスケス!」


 身に着ける全てから光が迸り、地下水道の闇を打ち消した。

 周囲の通路から姿を見せ始めたゾンビも、たじろぎ……地下水道のネクロマンサーもまた、身を震わせて止まる。


「縛につく意思は無しか。……なれば、致し方なし」


 ネクロマンサーが次の魔術を放とうと、詠唱を始める。

 呼応して人骨の山が渦を巻き、アデルミラの背後で次々と床に落ち、組み立てられて一体、また一体と“スケルトン”が出現した。

 今しがた調べていた二つの亡骸もゆっくりと起き上がり、“ゾンビ”へと変わった。


「我が身をよろえ、聖域よ」


 切っ先を地へ落とし、一回転。

 ミスリルの長剣で描かれた円が光を放ち――――不浄なるものを寄せ付けぬ、白の防壁を成す。

 この円の中には、アンデッドは決して踏み入る事ができない。

 再び剣を構えて向き直ると、ネクロマンサーは再度の暗黒魔法を解き放ち、アデルミラを撃つところだった。

 今度は、防がない。防がずに――――迎え撃つ。


 ネクロマンサーへ向けた剣の切っ先から、光の矢が放たれ……暗黒の魔法を消滅させ、その胸を貫いた。

 瞬間、彼の目、口、鼻、耳、穿たれた胸から漆黒の靄が噴き出して……地下水道の広間へ、溶けてなくなった。


(……何だ? ヤツは……死に際、何を吐き出した?)


 逡巡もつかの間、剣で描いた聖域はスケルトンとゾンビに囲まれ、その内側にいるアデルミラの肉体を引き裂き、噛みちぎり、その臓腑までも餌食にしようと殺到しているところであった。

 今すべきは、考える事よりも……生き延びる事。

 そのために。


「この不浄の場に留まりし、悪しき想念。行き場を失いし魂。全てを慰め、浄めたもう」


 彼らを討ち祓い、今一度、この地下水道に静寂を取り戻す。

 そのために――――彼女は剣を地へと向け、十字架へ縋るように、祈りの姿勢を取った。

 聖騎士のたまわる力のひとつ……“浄化”を、施すために。


 やがて、白銀の光が波を打ち、アデルミラを中心に広間を、地下水道を、その枝分かれの一つ一つにいたるまで、覆い尽くした。

 街中にいくつもある地下水道へ続く開口部から光の洪水が漏れだしてとっぷりと日の暮れた城塞都市を奇跡のように照らし、街のあちらこちらから光の柱が上がり、それを見た住人たちは驚き、歓声を上げる。

 地下で起きた一切の戦いなど、知らぬように。

 それを奇跡と信じて。


 ――――彼女を囲んでいた亡者達は灰へと変わり、雪のように、祈る彼女の姿を眩く映した。



*****


 翌々日。

 街中いたる所の下水溝から光が噴きだした事件の衝撃も忘れ、城塞都市の民が生活を思い出した頃。

 賑わいを見せる朝の市場を見守る女騎士の姿が、今日はそこにあった。

 王都でも、この城塞都市でも、その賑わいをしばし見つめるのが彼女の密かな楽しみであり、決意を新たにする瞬間だった。

 主君である王と、その子らたる国民を護る。

 叙任の折、そう誓った。

 その誓いを胸に……彼女は、生きる。


「やぁ、騎士様。このような所で……何を? 広場にご同輩の騎士様達が集まっておりましたが」

「どうも、ご老体。しばし見られぬ、と思うとこの賑わいが恋しくてな。すぐに向かうさ」


 数日前に出会った老人が――――今度は、孫娘を連れて通りがかった。

 齢は五歳へかかる頃か、頭巾とややサイズのあっていないチュニックが妙に似合う、ゆるく巻いた栗毛に愛嬌のある娘だった。

 その手には……よく実った麦がひと房、まるで魔法使いの杖のように握られている。


「変わっておりますの、騎士様。市場を眺めていて、何が楽しゅうございますか?」

「そうだな。……考えてみると、何が楽しいのだろうな。自分でも分からんよ」


 これより、アデルミラ・ヴァスケス麾下の聖騎士団は王都へ帰る。

 城塞都市で起こり、鎮圧したネクロマンサーの一件、彼の不審な死に際について、国王へ、騎士団長へ、教皇庁へ報告し……指示を仰ぎ、検証せねばならない事ができた。

 彼の正気を蝕んだ者が何であるのか。

 凶行に至った動機、彼の吐き出した謎の瘴気、その事件の一切を、彼女は報告書にしたためる必要がある。

 もし必要があるのなら……再び、この城塞都市へやって来るために。


「さて、そろそろだな。流石にこれ以上彼らは待たせられん。それではな。体を冷やさぬように。……そちらのお嬢さんも」


 市場を訪れた客たちの押し合いが、一区切りついたのを見て……アデルミラは踵を返して、広場を目指した。

 引き連れてきた騎士達が出発の準備を整え、彼女の従者と騎馬が待ちぼうけているはずだ。

 王都へは、少し長い旅になる。

 通りに面した窓はすべて開け放され、市民は見送りの準備もしている。


 朝の街を吹き抜ける風がアデルミラの金髪を揺らし、朝日が照らし出す。

 聖騎士アデルミラは、この日――――後に再び訪れる事になる城塞都市を、発った。







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