第71段 神の斎垣 【万】【斎宮】
昔、ある男が伊勢の斎宮に勅使として出向いたとき、その斎宮御所に仕えている色好みの女房が、こっそりと
神の斎垣を越えて、大宮人に会いに行きたいものだ
と男に言って寄越した。そこで男は
そんなに恋しいのならば来てみればよい。神が諫める道ではないのだから。
と返した。
【定家本】
昔、男、伊勢の斎宮に、内の御使にて参りければ、かの宮に、すきごといひける女、わたくしごとにて、
ちはやぶる神のいがきも越えぬべし大宮人の見まくほしさに
男、
恋しくは来ても見よかしちはやぶる神のいさむる道ならなくに
【朱雀院塗籠本】
昔男。伊勢の齋宮に內の御使にてまいれりければ。かの宮にすてこすゝ子一本といひける女。わたくしごとにて。
千早振 神のいかきも こえぬへし 大宮人の 見まくほしさに
おとこかへし。
戀しくは きてもみよかし 千早振 神のいさむる 道ならなくに
【真名本】
昔、男ありけり。伊勢の斎宮に、
恋
【解説】
斎宮御所にいる女官が、中から外へ、斎垣を越えて、勅使として赴いている大宮人に会いたいと言い、その勅使の男が来たければ来てみよと言っているわけである。
『万葉集』 11-2663 。
『古今六帖』 「今は我が身の 惜しからなくに」
『拾遺集』「今は我が身の 惜しけくもなし」あるいは「ちはやぶる 神のやしろも 越えぬべし いまは我が身の 惜しげなければ」
11-2656 天飛ぶや
11-2657 神なびに ひもろぎ立てて
11-2658 天雲の 八重雲隠り 鳴る神の 音のみにやも 聞きわたりなむ
11-2659 争そへば 神も憎まず よしゑやし 世にそふ君が 憎くあらなくに
11-2660 夜になべて 君を来ませと ちはやぶる 神の社を
11-2661
11-2662 吾ぎもこに またもあはむと ちはやぶる 神の社を
11-2663 ちはやぶる 神のい垣も 越えぬべし 今は吾が名の 惜しけくも無し
『万葉集』が一番古い形であろうが、これらの一連の歌を見ても、「名が惜しい」「命が惜しい」の両者がすでに見えることがわかる。また「神の斎垣」「神の社」どちらも見える。
いろんなバリエーションがあるということは、つまり、この文字がなかった時代に、割と広く知られていた歌だった、ということだろう。
ここで「名」は「世の中の評判」という程度の意味である。もちろん後世の武士の名誉とか名声の意味ではない。「恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ」「かひなくたたむ 名こそ惜しけれ」の「名」である。名を惜しむというのはどうもこの時代、女性に対する(色恋沙汰についての)世間の評判のことを主に言うらしい。
『万葉集』によれば、「わぎもこが」などと言っているので、どうもこの歌を詠んだのは男であるように見える。しかしながら『伊勢物語』では神の斎垣の中にいる女が詠んだ歌ということになっている。
この話、どうも、第69段ともとは同じなのではないか。つまり、斎宮に仕えていた女が、都から来た大宮人、狩りの勅使の正使に逢いたくて、斎垣を越えて男のところへ一晩泊まりにきた。という話ではなかったか。
「いがき」の「い」は「斎」「忌」と同根。
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