019 天雲のよそ【有業】

昔、ある男が宮仕えしていた女あるじの女房だった人と親しくなったが、すぐに疎遠になってしまった。同じところにいるので、男の姿は女の目に付くのだが、男は女のことなどまるで気にしないかのようである。女は


 どういうことかしら、目の前にいる人なのに、まるで天雲の外にいるようになってしまった。


と詠んだので、男は返して、


 ずっと天雲の外にいるのは、私がいようと思う山の風が早くて、吹き飛ばされてしまうからです。


と詠んだのは、女には噂で他に多くの男がいると言われていたからだった。


【定家本】

むかしおとこ、宮づかえしける女のかたに、ごたちなりける人をあひしりたりけり。ほどもなくかれにけり。おなじ所なれば、女のめにはみゆるものから、おとこはあるものかともおもひたらず。女、

 あまぐもの よそにも人の なりゆくか さすがにめには みゆるものから

とよめりければ、をとこ返し、

 あまぐもの よそにのみして へる事は わがゐる山の かぜはやみなり

とよめりけるは、又おとこある人となんいひける。


【朱雀院塗籠本】

昔男。みやづかへしける女の方にごたちなりける人をあひしれりけり。ほどもなくかれにけり。おなじところなりければ。さすがに女のめには見ゆるものから。男はあるものにもおもひたらねば。をんな。

 天雲のよそにも人のなりゆくか流石にめには見ゆる物から

とよめりければ。おとこ。

 行かヘり空にのみしてふることは我いる山の風はやみなり

とよめるは。あまた男ある女になむありける。


【真名本】

昔、男、宮仕へしける女の方に、児達ごたちなりける人をひ知りたりける、ほども無くれにけり。同じ所なれば、女の目には見ゆる物から、夫は、ある物とも念ひたらず。女、

 天雲の よそにも人の 成り行くか さすがに目には 見ゆるものから

と読めりければ、夫、返し、

 天雲の よそにのみして ふる事は やまの 風はやみなり


【解説】

『定家本』「とよめりけるは、又おとこある人となんいひける。」は『真名本』には無く『朱雀本』では「とよめるは。あまた男ある女になむありける。」。

『定家』なら「他に男がいる女」、『朱雀』なら「多く男がいる女」。

「あまた」か「また」か。『朱雀本』に沿って訳しておいた。


『業平集』「紀有常が娘にすみけるを、うらむることありて、ひるはまかりて、くるればかへりのみしければ、女」。業平の返しは


 ゆきかへり よそにのみして ふることは わがゐる山の かぜはやみなり


『伊勢物語』と『業平集』では解釈はかなり異なってくる。『業平集』に従えば、業平は紀有常の娘の家に住んだのだが、恨むことがあって、昼はいなくなって、暮れればまた家に帰るようになった、となる。恨むことというのは女に他に男ができたからだろうか。この話は第21段につながっているようにも思える。

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