コンテスト期間中だったけどこれは言わなきゃと思った分

俺たちのあの思い出は どこかに消えてしまった まるで儚く溶ける雪のように

 これは一応「街エッセイコン(正式名称は忘れました)」というのに出していて、まだ選考中のはずだ。もう一次審査とかは終わっていたら関係ないけど、そういうアナウンスがあったという記憶は俺にはない。


 だから本来はこういうことを書くべきではないと思う。

 少なくとも、2000字という規定はたぶん超えるだろう。

 でも書かなくてはならない。


 ほかでもない、あなたのためにだ。


 「街の魅力」がまた一つ消えたことを、この冷たく暗い大地にわずかに灯る明かりが消えたことを報告するということは、とてもさびしく憂鬱なことだ。


 それでも俺は言わなくてはいけない。

 それはこれを「作品」として提示した俺の責任だと思うからだ。



 俺たちのあの店はどこかに消えた。


 

 こう言うと、そうか、商いというものは時にうまくいかないことがあるのだなあ、とあなたは静かに哀悼の意を注いでくれるのかもしれないが、残念なことに――ほんとうに、心の底から残念なことに――店はまだある。

 店がまだある、ということは、時々、店がなくなることよりも真に残酷だ。


 店はまだある。

 あるのだ。


 それでも、俺たちの「あの店」はどこかに消えた。そう言わなくてはならない。


 予兆は確かにあった。

 島野菜の天ぷら、というわりに定番のメニューがある。雪塩を付けて食べるのがお勧め、ということになっている。ただ「お勧め」というものは、ある意味では店の都合で、たとえば鰹の刺身にマヨネーズをつけて食べる権利は万人が有するものであり、そこがたとえいかな格式高い懐石料理の店であっても、本来優先されるべきは、マヨネーズをつけてこの鰹を食べたいという客の心であるべきだ。その心が正しいかどうか、あるいはそう思ったとしてそう言うことが正しいかどうか、は別として、もっとも優先されるべきは心だ。それが行動になるかどうかは別として。

 ところがその日、めんつゆは同時に供されなかった。そして――雪塩は一皿しか供されなかった。


 めんつゆについては、あるいは俺の狭量さが問題であったのかもしれない。

 しかしそこに二人人がいて、雪塩が一皿というのは――いやこれも俺の狭量さが問題であるのかもしれない。でもしかし、それは確かに予兆ではあったのだ。


 続いて俺たちは米が食いたくなった。たぶん、もしそこまでの工程に暗い影が射してさえいなければ、たぶん俺たちは麻婆豆腐を注文しただろう。しかしどこかに不安があった。その時俺たちは気づいていなかった。どこかに不安があるということはすべての終わりを意味するということに。


 いや自分をごまかすのはやめよう。正直に言おう。

 たぶん俺たちは気づいていた。

 気づいていたからこそ、俺たちは麻婆豆腐を注文しなかったのだから。


 そういう訳で、俺たちはデフォルトのメニューに存在する、「ラー油ご飯」を注文した。めちゃくちゃマズそうな名前だが、うまいんだ。いや、んだ。ラー油以外にもいろいろなものが入っている。当たり前だが。


 ところが、一杯目のそれは――ただ辛いだけの代物だった。びっくりした。二人で顔を見合わせて、どうしよう、と目と目で会話した。


(これはおいしくない)

(確かに)

(どうしよう?)

(……残して帰ろうか)

(しかし、チャンスは与えるべきでは)

(ある意味では、これがチャンスのつもりだったんだ)

(分かる。でも、我々はここにずいぶんお世話になった。山岡士郎だって、岡星のじゅんさいの違いを見抜けなかったり(おかげで金城に優位に立たれる羽目になってでも)、弟子が作ったハモを文句も言わず食べたりしてるじゃあないか)

(なるほど)


 という会話を複雑な眼球運動によって行い、俺は意を決して店員を呼んだ。

「あの……これ、その、味が辛いだけなんですが」

「え?」

 と店員は言い、すいません、と言ってラー油ご飯を一口すすった。そして言った。

「あー、すいません、すぐに作り直します」


 俺たちはほっとした。

 そうだよね。年末だもんね。忙しいからね。ちょっとした手抜かりが重なることもあるだろう。そうやって自分をだまそうとした。本当はそうでないことを、たぶん知っていたのに。


 二杯目のラー油ごはんは、米が硬かった。


 俺たちは心で泣いて、そしてどちらともなく黙祷を捧げた。無理やりラー油ごはんをねじ込み、そして、会計を済ませた。


「またお願いしますね」

 と店長が言った。

「ええ、また」

 そう答えながら、俺たちはひそやかにこの店に別れを告げた。


 

 俺たちのあの店は無くなったんだ――。

 そう思うと心にぽっかり穴が空いたような気持になった。

 すべてが暗く閉ざされ、冷たく日の射さない海の底に沈んでいくような気分だった。


 俺たちは無言で帰路についた。

 お互いに言葉を交わすことはなかった。二人とも、相手が大切なものを失ったことを知っていたからだ。互いが互いにかける言葉を持ち合わせなかった。


 それでも、別れ際、最後に何か言わなくてはいけないと思った。

 だから、絞り出すように俺は言った。

「でも」

「……なに?」

「でもさ」

「うん」

「でも。まだ南はあるから」

「そうだね。南はあるね」

「南はある」

「うん」

「南はあるよ」

「そうだね」

「沖縄だって南にある」

「その通りだね」

 最後にようやく笑顔を浮かべて、俺たちは別れた。


 そういうわけで、北の方は、無くなりました。

 札幌で食べ歩こうと思っている皆様には大変残念なお知らせですが、そういうことです。悲しいですね。

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