海見るキツネ 北海道地球岬

白取よしひと

第1話 海見るキツネ

 日が傾き始め、北海道苫小牧とまこまいフェリーターミナルは乗船手続きをする人々が並び混雑していた。観光のトップシーズンから外れている為かトラックの乗務員が目立つが、時折待ち時間に退屈した子供たちの声が耳に入り旅の終わりを感じさせる。

 僕は連休が取れた事もあり仙台からバイクツーリングに来ていた。放置していたCBRをメンテして久しぶりの北海道を満喫したのだ。

 出航は21時15分。未だ17時に針は届いていない。バイクの積み込みにはまだまだ時間があるだろう。どこか足を伸ばせる所はないかとマップを見た。札幌方面から南下して来たので再び北上するのは気が引ける。千歳ちとせにあるさけの科学館は見たことがあるし、そう思いながら白老しらおい登別のぼりべつ、そのまま南へ海岸線に目を辿らせると地球岬の文字が目にとまった。地球岬は室蘭むろらんにあり断崖から臨む眺望が有名なスポットだ。そして想い出の場所でもある。苫小牧から多少距離はあるが道路はほぼ直線で、サンセットを楽しんでから夕食を摂っても充分積み込みには間に合うだろう。僕は煙草を揉み消し傍らのヘルメットを手に取るとターミナルを後にした。

 海岸が見え隠れする直線道路を室蘭に向けて走る。ヘルメットの風切りと4気筒の滑らかなサウンドが心地良い。こよみでは未だ8月だと言うのに日暮れが近くなると浜風は冷たく、長距離を走行していると次第に体が凍えてきた。途中、白老アイヌコタンで観光客を横目にホットコーヒーを飲みながら体温を回復して再びエンジンをかけた。白老からだと室蘭はすぐ傍だ。そうして暫く走らせると林立する工場の煙突が目に入って来た。

 室蘭は工業の街だ。大手製紙工場などが密集し港湾が隣接している環境の良さもあり発展している。その市街地を抜けて丘に向かうと間もなく鬱蒼うっそうとした濃い森に入り木々で狭められたワインディングとなる。重心を左右に振りながらカーブを抜けて行くと目の前を茶褐色の影が横切った。北キツネだ!

 幾つかカーブをやり過ごすと一人のライダーが先行していた。体型とヘルメットから出た長い髪で女性と分かる。あのジャケット!早希はマゼンタのレザージャケットの後ろ肩に猫のエンブレムを縫い付けていた。彼女が今ここを走っている筈はない。しかし僕はそのエンブレムを確かめたい衝動に駆られ車間を詰めていく。


- 二人でツーリングする時はいつもこんな感じで彼女を先に走らせていた。学生の頃から付き合っていたが、それぞれ就職して遠隔になった事もあり次第に疎遠になっていった。そして、あれだけ仲が良かった二人の交際はたった一本の電話で終わりを告げたのだ。 あれから三年。早希は元気でいるのだろうか。


 車間を詰めようとアクセルを捻るがカーブを抜ける度に離されていく。そして彼女は消えてしまった。丘を上り詰めるとそこは小さな広場になっており、以前来た時と同じ場所にバイクを停めた。ヘルメットを脱ぐと潮風が心地良く通り過ぎた。海に向かって歩き出すと次第に白亜の灯台が姿を現す。

- また来たよ!

僕は心の中で呟いた。眼前には視界に収まらない広大な海が水平線を盛り上げ美しい弧を描いている。圧倒的な質量感だ。勢いを失った陽に照らされる海面は深く蒼く、時折風に吹かれるのか微細な白のあやを作って僕を見上げる。その海へ没しようとする太陽が次第に海面へオレンジの路を通しこの地球岬に繋げようとしていた。水平線がざわめき始めた。水平線から燃え上がったオレンジが次第に薄くグラデーションとなり、それに空から沈殿した濃い蒼の色を重ねる。

 近くで海鳥が甲高く鳴き我に返った。左右に目を移し岬の断崖を眺めると無数の海鳥たちが群がっている。飛び立つものは崖を伝って湧き起こる上昇気流に身を委ね気持ちよく上昇しては下降を繰り返す。海鳥の鳴き声に思いを巡らしていて気がついた。遙か眼下では波が砕けており、その潮騒しおさいがサラサラと静かにこの丘まで届いているのだ。

 僕は崖の際まで歩きその草原くさはらに腰を降ろした。地球岬。想い出の地であり掛け買いのない北海道で一番好きな場所。あの時もこうして二人でサンセットを眺めたんだ。

 ふと視界の隅に気配を感じかたわらを向くと、そこに一匹の北キツネが座っていた。人を恐れる事もなく時折舌を出しは口角を上げて沈む夕日を眺めている。 まるで海を眺めながら笑っている様だ。

- お前かい?さっき僕を馬鹿したキツネは


 太陽は海を熱しながら沈み辺りは暗くなってきた。僕はバイクに向かおうと立ち上がるとキツネもまた後ろ足を立てて僕を見上げた。

- きっとまた来るよ。


 僕は現実に立ち返る様にエンジンをかけると苫小牧に向けて丘を下った。

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海見るキツネ 北海道地球岬 白取よしひと @shiratori

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