女子力大学院5

不死身バンシィ

化粧ファッション学部博士課程三年、吉川瑞希

 「…ふう、さっきから色んな人が声を掛けてくれるけど、肝心の認定試験会場には

着けないままだわ。さすが都会の大学は広いなあ…」


 福岡県宗像市、女子力大学。

「宗像市都市再生プロジェクト」という、要は人口減少に歯止めをかけられない地方都市の悪あがきによって創立されたこの「女子力大学」の敷地が広い理由は、単に郊外の僻地に立っているからにすぎない。

 本当に都市部にある大学は逆にキャンパスを分散させる事で都市圏内にその身を割り込ませているものだが、最も大きい建物が生徒十人未満の木造校舎、最も早く移動する乗り物が牛である山奥の農村から出てきた坪居佳奈にとってそれは想像の埒外であった。


 「早く試験会場に着かないと。もし遅刻なんかして女子力博士になれなかったら…」


——貴方、男でしょ


 「ううん、今からそんな弱気でどうするの!女子力の高さは姿勢に出る、高女子力ガールはいつだって背筋を伸ばしてモデルウォーキングだって教わったもの!そう、あの人みたいに!ってうわあ」


 佳奈が決意も新たに勢いよく顔を上げると、丁度キレッキレのモデルウォーキングでこちらに向かって歩いてくる女性が目に入った。

 その美しさと華やかさたるや、レンガ舗装の道をパリコレのランウェイに錯覚させるほどであり、周囲の半端な女子力しか持たぬ者たちは彼女のウォーキングから放たれるFoJ(フォース・オブ・ジョシリョク)に圧倒され、跪いてスマホを掲げ写真を撮るばかりであった。両翼にフラッシュの嵐を従えながら闊歩してくるその見事なハイ・フェミニティスト(特に女子力が高い女性の尊称)っぷりに佳奈は一瞬素に戻った。


 「貴方が坪井佳奈さんね。随分探したわ」


 明るめの紺のスーツスタイル、持って生まれたスタイルの良さを生かす無理のない高さのヒール、小顔に見えるひし形ボブスタイルに緩くウェーブを掛けたオリーブ色の髪。

 これまで渡り合ってきた女子力大生とはワンランク違う、大人の女子力を全身から漲らせながら、その女性は真っ直ぐに佳奈の目を見て声を掛けてきた。


 「あ、はい。ええと、そちらは」

 「私は化粧ファッション学部博士課程三年、吉川瑞希よ。先程からキャンパスを

不案内に歩き回っている人がいると聞いて来てみたのだけど、案の定だったわね。

女子力博士認定試験当日にそんな風にフラフラ歩いていたら余計なトラブルに巻き込まれても仕方ないわよ。こっちにいらっしゃい、私と一緒に行けば早々厄介ごとには巻き込まれないわ」

 「わあ、ありがとうございます!もうあんまり広くて、どこに行ったらいいのか

さっぱり分からなくて」


 このパターンはこれで5回目なのだが、佳奈はノータイムで信用した。女子力の

高い人間が人を騙したりするはずがないからだ。

 迷うことなくカツカツと音を立てながら、しかし早すぎない女子的模範速度で歩いていく瑞希のあとを何の疑いもなくペンギンのようにヨチヨチ付いていく佳奈であったが、少しすると瑞希が敷地の外れに向かって歩いている事に気付いた。


 「あのう、試験会場ってこんな離れたところにあるんですか?」

 「そうよ、少し待ってね」


 気付けばそこは僻地に立つ大学にありがちな、敷地を取り囲むように広がる藪の前であった。しかしよく見ると、瑞希の立つその一角だけ周囲と植生が僅かに違っている。

 

 「一定の女子力を持つ者にしかわからない、山ガールの隠れ家的スポットよ」


 そういうと瑞希はサマンサタバサのバッグからクレンジングオイルを取り出し、手の平に広げる。そしてオイルまみれの両手を前に掲げ、両足を肩幅に開いた。


 「ハァッ!!」


 一喝。

 ハイ・フェミニティストにのみ可能な、両手からのジェット女子力噴射。

 高圧で噴霧されたクレンジングオイルによって隠れ家的スポットに施されていた

偽装が解除され、グリーンカーテンで覆われたヒーリング力の高そうなアーケードが現れた。

  

 「さあこっちよ、付いてきて」

 

 木漏れ日の差す道を、瑞希と横に並んで歩く佳奈。こうして並ぶとスタイルの差は

一目瞭然であり、瑞希の顔を見るには少し見上げねばならなかった。

 おぼろげな陽光に照らされる瑞希の顔を肩の下から眺めていると、佳奈は軽いデジャヴに襲われた。

 幼い頃、田舎の山林を手を繋いでともに歩いてくれた、父の顔。


 「着いたわ、ここよ」


 声を掛けられて幻視から立ち返ると、そこにはコンクリート打ちっぱなしの立方体に、日光を取り込むための丸窓がつけられている、デザイナー性の高い建物が建っていた。

 

 「ここが、認定試験の会場なんですか?その割にはなんだか人のいる気配が…」

 「そう、ここが試験会場よ。貴方専用のね」

 「私、専用…?」

 「そう。日本裏千家ちょい悪オヤジ道家元坪井道三郎の娘、坪井佳奈。貴方にのみ与えられた試練の場」

 

 瞬間、佳奈の空気が変わった。土の匂いがするカントリー娘の柔らかさが消える。

 肌がざわつく。

 束ねられた毛量の多い黒髪の三つ編みが逆立つ。

 名前。

 その名前は。

 自分の人生を覆う呪いの影であるその名前は。


 「…父を、知ってるんですか」

 「さあどうかしらね。詳しく知りたい?」

 「はい、何としてでも。私はそのためにここに来たんですから」

 「では、まず目の前の試練を乗り越えることね」


 瑞希が建物の中に入っていく。

 佳奈は、すぐには追えなかった。

 

 「やっぱり、ここにいたんだ…」


 少ししてから、己を奮い立たせるように大地を踏みしめ背筋を伸ばす佳奈。

 両開きのガラス扉を開け建物の中に入ると、そこは予想外に広い空間だった。

 外見からは二階建てに見えていた建物だったが内部は全て吹き抜けになっており、

30m四方の空間にフロアリングの床が見渡す限り広がっている。

 内装はなく、コンクリート壁に設えられた四方の丸窓と巨大な天窓から陽光が差し込み、明るさと温度で空間が満たされていた。

 先に入っていったはずの瑞希の姿が見当たらない。


 「どこを見ているのかしら。私はここよ」


 突如、コンクリート壁から浮かび上がるように瑞希が姿を現す。


 「極限まで高められた女子力ゆるふわメイクをもってすれば、コンクリ壁に溶け込む程度、造作もないこと」

 「そう、女子力メイクの極意は『己を輝かせ、しかし悪目立ちしないこと』。自己のポテンシャルを最大限に発揮しながら周囲の空間に違和感なく溶け込むのがその奥義」

 

 今度はフロアリングの床から音も気配もなく瑞希が立ち上がった。

 

 「貴方のように、周りの空気も読まず野暮ったい格好で堂々歩けるその神経では理解できないでしょうね」

 「しかし、それでも貴方はここまで4人のフェミニティストを退けた。貴方にも、私達には理解できない未知の女子力がある」

 「その正体、ここで確かめさせてもらうわ」


 更に入り口のガラス扉から、天窓から、佳奈の足元の影から、何もない空間から、あらゆる場所から無数の瑞希が次々と現れる。


 「こ、これは一体!?」

 「驚いてくれたようね。でも安心して、本当の私はただ一人。それ以外は全て私の後輩よ」


 確かに意識を凝らしてよく見れば、それぞれ微妙に輪郭や体形が違っていた。しかし高度に洗練されテンプレート化された女子力メイク&コーデによりそれらは圧倒的なまでの没個性集団になっており、無数のスーツスタイルの群体がうごめくその空間はさながら合同就職説明会だった。


 「女子力ファッションメイク術奥義、ナチュラルメイク・イリュージョン!さあ本当の私を探り当ててみなさい。もし出来れば貴方の知りたがっていることを教えてあげるわ…!」


 そう叫ぶや否や、無数の瑞希が高速で空間内を動き回りシャッフルし始めた。最新の雑誌に掲載されたメイクの集団が場を満たすことによって、空間内の女子力密度が

指数関数的に跳ね上がっていく。

 このまま飲み込まれてしまえば、自分も瑞希の女子力の一部になってしまう。

そう悟った佳奈はまず目を閉じる事で外界を遮断した。しかしこれは一時的な措置に過ぎない。例え視覚情報をシャットアウトしてもここまで空間内の女子力密度が高ければ、いずれ肌と気道から浸食されてしまう。

 この高密度女子力フィールドを打ち破る方法。佳奈に残された手段はもはや一つしかなかった。


 「あれをやるしかない…!でもあの力を使えばまた私は…!」


 ——貴方、男でしょ


 「ううん、違う!私は絶対に、女子力博士になるんだから…!」


 佳奈の三つ編みが弾け飛ぶ。解かれた直後の三つ編みはウェーブが掛かるものだが、異様に髪質が硬い佳奈の黒髪はそのままストレートに。

 さらにセルフレームの黒縁眼鏡も外す。元より農村育ちの佳奈にとって視力の矯正は不要。この眼鏡はそもそも伊達眼鏡であり、元より佳奈に備わる特質を隠すためのもの。手入れのされていない太めの眉毛がより一層存在感を際立たせる。

 パーカーを脱ぎ捨て、マキシマスカートも外す。これまで佳奈を覆い隠していた全ての迷彩が消えていく。より純粋に、根源に、原始に佳奈が近づいていく。


 「そ、それは!その姿は!」


 無数の瑞希達が一斉に瞠目し狼狽える。

 それは自分たちの天敵。遥か昔に彼方へと追いやり捨て去ったはずの姿。

 そこには、草原が似合いそうな、黒髪ストレートに白ワンピース姿の少女が立っていた。


 男性的視点を排除し、女子達の中でのみ煮詰めてきたハイコンテクストから生まれた力、女子力。それは本来、この力を捨て去るためのもの。その忌むべき過去が、

対極の存在が今ここにある。女子力のみで埋め尽くされた空間内に一点の異物が生まれ、太極が生じる。そのあまりにも飾り気のない姿に、極限まで高められたはずの瑞希の女子力が相対化されていく。

 その結果、一瞬にして空間内の女子力が全て消去され、その急激な力場の変化によって衝撃波が生まれた。全ての瑞希の後輩たちはコンクリ壁に叩きつけられ、瑞希本体が力なく床に落ちる。空間の中央には、ただ一人、元のもっさい姿に戻った佳奈が立っていた。


 「そう、それが貴方の力…如何にもあの男が考えそうなことね」

 「私だって、こんな力使いたくない。こんな、父に押し付けられた姿ではなく、自立した一人の女の子になりたいんです」

 「それなら、このまま進みなさい。あの男とその一党もこの大学院内に巣くっている。いずれ会うことになるでしょう。…ここを出て、一際大きい講堂を目指しなさい。目につくからすぐに分かるわ」

 「はい、ありがとうございます。…私も、いずれ貴方みたいになりたいです」

 「ふふ、貴方みたいな子にそう言われるのも、悪くはないわね…」

 

気を失った瑞希を後にして、再び佳奈は女子力博士認定試験会場を目指す。

父を否定するために。今の自分を捨て、本当になりたい自分になるために。 

 


 


  


 

 

 

 


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