無関心と郷土愛の戦記

小木 寸

無関心と郷土愛の戦記

 タンタンタタタタン――。銃声のオーケストラ。

 喝采という爆音が鳴り響き、真っ赤な花びらを撒き散らして上げる歓声。

 あちらこちらから聞えてくる戦闘の姦しさに、コンクリートの壁を背にして吐いた溜息が消えていく。


 博多座付近から逃げるように俺たちは土井町方面へ進んでいた。

 相棒の鋸島兵長は北の奴らから奪った戦利品を吟味している。

「軍曹、これを見てくださいよ」鋸島兵長はそう言って俺に紙に包まれたおはぎを見せてきた。

「おはぎ? なんで北の奴らがおはぎなんだ」俺は顔を歪める。

「そりゃあ、北と言えばおはぎですよ。まあ、うどんのオマケみたいなものなんですけど」

 うどんのオマケでおはぎと言われてもピンと来ない。

「よくは分からんが、あいつらはこんな上等なものを食ってるのか……」

 最早俺たちの兵糧は生麺しかない。水は貴重だった。だから『粉落し』ですらなく、生麺を齧った。それなのに、奴らはおはぎを……。

「食べますか、軍曹?」鋸島兵長が俺に言った。

 俺はそれに逡巡する。北の食べ物を口にすることは反逆罪に問われた。この地を愛するのなら、この地以外の食べ物を口にするな。それが本部で踏ん反り返る偉い人たちの言葉だ。

「誰も見ていませんよ」

 鋸島兵長の言葉に釣られて、俺は一つ受け取り、それを口にした。

 久しぶりの甘味に身体が震え、目尻からは涙が溢れそうだった。




 タッタッタ――誰かが駆け足でこちらに向かってきている。

 俺は壁の端から音のする方を窺うと、俺たちと同じような格好をした若い男が走っていた。

「どうしますか、軍曹?」

 同じような格好をしているから、敵かどうか判別出来なかった。

「銃を構えろ。あいつの前に飛び出す。一、ニ、三――」

「止まれ!」鋸島兵長が荒々しく声を挙げた。

 それにびくりとして若い男は立ち止まる。

「所属は?」俺が訊ねると若い男はこう言った。

「歩兵第十連隊所属――」俺は男の言葉を遮った。「違う! 派閥を答えろ!」

 それで質問の意味を理解したのだろう。男は顔を引き締めてこう言った。

「生粋の福岡市であります!」

 その答えを聞いて、俺と鋸島兵長は安堵する。

 鋸島兵長は男に来いと言って、壁の裏側に座らせた。

「私、第十連隊所属の川崎二等兵であります。中州に展開していた第七連隊の隊長殿に伝令を届けるように命じられました」

 その言葉に俺と兵長は顔を見合わせて、鼻で笑った。

「松箱隊長は先の戦闘で死んだ。第七連隊は壊滅だ」

 それに川崎は顔を強張らせた。「北の奴らとの戦闘で、ですか?」

 俺は首を横に振った。そして遣る瀬無く溜息を零しながら言う。

「いや、違う。北の奴らとの戦闘中に、味方が俺たちの前と後ろを撃ったんだ」

 それに続いて鋸島は言う。

「背後を襲ったのは博多派で、前から撃ってきたのは中州組だ。博多派は博多座を占領し、中州組は中洲川端駅を占領。ここはもう駄目だ」

「どうして、味方同士で仲たがいを――」と沈痛に顔を顰めた。

 簡単な話だった。福岡県の県庁所在地を掛けて、町を愛するものたちが、博多市や中洲市を目指して立ち上がったのだ。

「伝令の内容は?」鋸島は気を取り直して川崎二等兵に尋ねた。

「東区方面に撤退。箱崎で体制を整えるようです」

 その言葉に俺は耳を疑った。

「東区方面は既に北の連中が掌握しているぞ? 西区方面へ向かう方が安全じゃないのか?」

 それを聞いて川崎二等兵はゆっくりと首を振った。

「残念ながら、天神派が西区方面に展開されています」

「博多に中州、天神まで……。俺たちの敵は北じゃないのか!」兵長の声が虚しく響く。

 それを宥めるように「落ち着け、兵長……」と言葉を口にするが、心境は俺も同じだ。

 



 エンジン音が響いた。

 気付いたときには遅かった。ジープが俺たちの目の前で止まったのだ。

「福岡市の者か!」ハンドルを握る男が怒鳴る。

 男は見慣れない戦闘服を着込んでいた。「そうだ。あんたらは……」

 銃座にいる男が言った。

「春日・大野城市連合軍だ」

 その言葉に喜んだのは川崎二等兵だ。

「増援ですか……!」

 しかし一瞬の希望は打ち砕かれる。彼らは俺たちに銃を向けたのだ。

「何の真似だ」と兵長は言った。

 男たちはにやりと笑う。

「君たちは我々の味方をしてくれるのかね?」

 まさか、あんたら……。言葉は口を出ない。

 俺の思惑通り、彼らは誇りを胸にこう言った。

「我ら春日・大野城市こそ新たな県庁所在地だ」

 どうなっているんだ、この県は? 皆が自分の土地を一番だと思っている。

 俺は頭を抱えた。

「分かったよ……」俺はそう言いながら兵長に目配せする。

 こくりと頷き、銃を捨てようとした瞬間、俺は銃座に座る男を撃ち兵長がハンドルを握る男を撃った。

 戦闘は一瞬で終わり、俺は二人の死体を除けてハンドルを握った。

「この調子じゃあ、福岡県内全ての市町村が敵だ」

「俺、疲れました……」と川崎は零した。

 俺もそれに頷いて、アクセルを踏む。

「福岡県から脱出する。鳥栖に向かうぞ。乗れ……」

 他県に下れば、戦火は避けられる、俺はそう思っていた。


                 


 俺たちは鳥栖で丁重に持て成された。ようやく安堵できると期待した矢先に、俺は作戦本部なるところに連れて行かれた。

 そこで待っていたのは小太りの男だった。

「おお! 良く来てくれた」

 戦闘服に身を包んだ男たちを見て、俺は嫌な予感が頭を過ぎった。

「あの、これは……?」

「何、我々も参加するのだよ。福岡県の県庁所在地合戦に」

 疑問符に塗れた頭。一体――。

「なぜ、佐賀県が?」

 彼もまた、誇りを胸に言うのだ。

「我らが素晴らしき佐賀県こそが、この九州の中心足るべき県だとは思わないか?」

 ――絶句。


「君には是非、協力してもらいたい。この合戦を制した暁には名誉県民賞を君に――」


 俺はどうでもいいんだ、そんなこと。もう、放って置いてくれ……。


 愛ある者たちだけで戦えば良い。なのに、なんで巻き込む。


 頭で男の声が気持ち悪く駆け巡る。ぐるぐる、ぐるぐる――。


 そこで、俺の目の前は真っ暗になった……。


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